ノーやん日記パート2

一茶忌と俳人修行

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 晴れ。風少しあり。寒い。陰暦の11月19日は小林一茶が故郷信州信濃・柏原の土蔵で65歳の生涯をとじた日。「我と来て遊ぶや親のない雀」。少年弥太郎時代に詠んだとされる句。「遊ぶや」は「遊べや」と小学生の頃に教わった。いつのまにか覚えてしまった。一茶を偲んで俳人魂を磨こう。

 青年時代一茶は江戸から西国の旅に出て7年間俳諧の修業を積んだ。今風にいえばたたき上げの俳人や。見知らぬ地の大阪でも“武者修行”し当代きっての著名俳人・大江丸とも親交を結び大事にされた。どこでも人と溶け合い慕われる性分だったようや。愚老はたちまち一茶に心酔し、中之島図書館で一茶全集を全巻読んで花谷和子先生主宰当時の「藍」誌におこがましくも「大阪の一茶」を連載していただいた。一茶に学ぼうは、愚生の「俳人」宣言の原点や。

 お昼はピーマン、肉団子、ミニトマトとケチャップを炒めたソースでパスタをつくる。黄色のミニトマトが甘さをプラスした。午後、生態観察同好会のメンバー10人で服部緑地公園の紅葉を観察した。欅の紅葉も一様でない。黄色、赤色、緑がかった黄色といろいろや。人生いろいろと同じ木の個性なのだろうか。紅・黄葉はなぜできるのか。

 シャリンバイとトベラ。アベマキとクヌギ。アラカシとシラカシ。カナメモチとクロガネモチ。似たもの同士。違いを見分けるポイントはなにか。葉を千切ってその違いを観察する。なかなかむつかしい。そのときは、そうかと思ってもすぐに忘れる。

 俳人への修行は、呆けに抗してとなる。難行苦行を覚悟せねばならぬ。それに耐える老人力はありやなしや。写真上は西天満公園の白菊と中之島公会堂裏の紅葉

秋風や吹けば俳人なりすまし 龍尾

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%うれしいwebry%}一茶の「七番日記」(1814年)で「我と来てあそぶ親のない雀」が夏目成美の評句稿で「遊ぶや」とされ、1819年の「おらが春」で「我と来て遊べや親のない雀 六才彌太郎」に改稿しています。理由の説明はしていません。
fm
またこのブログで一茶忌を迎えることになりました。

私もテストされたら「我と来て遊べや親のない雀」としたと思います。どうして「遊ぶや」になってしまったのですか。
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