長谷川櫂さんの「一億人の季語入門」を読み終わる。季語の本意をつかんで句作することの重要性が繰り返し説かれている。たとえば「桃の花」といえば、梅や桜にくらべ鄙びた花、雛祭りの花、中国風の花をイメージする。その「本意」をふまえて句作せよ、という。季語を軽く付けたしに扱ってはいけない。句に切れを設ける重要性も口酸っぱく説く。散文にしないコツ。ただし、取り合わせる言葉が付きすぎたり離れすぎてもダメ。ぴったしの言葉を持って来なさいという。そこに句を散文にしない独特の技法がある。たとえば「火の気なき家つんとして冴え返る」はつきすぎで説明的な散文になる。「火の気なき家つんとして冬椿」(一茶)としたら一句になるでしょう。ふむふむ。季語入門書としては最適ではないか。座右の書としたいが千里図書館へ返本した。
返本のついでにスーパーへよって、パンやハム、トマト、長芋など食料品を買って帰る。公園と小学校の校門で春の花・桜草(プリムラ・マラコイデス)を撮る。そよかぜに揺れる可憐な姿はピッカピカの一年生の入学式を待ちわびているようだ。
校門の桜草待つ式近し 昇龍子
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ノーやん
fm
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