ノーやん日記パート2

防災

 きょう9月1日は防災の日。関東大震災から85年目という。この日の震災のことはぼくは、歴史教科書でしか知らない。が、13年前の阪神淡路大震災の方はぢかに体験し記憶も薄れてはいない。地震の揺れの様子も覚えている。時々刻々テレビで流される神戸・西宮などの被災の模様とともに、宝塚・川西から大阪にかけて、直接この目で見た建物や墓地の倒壊の姿などが思い起こされる。なぜ頑丈なコンクリート製のマンションや木造家屋、高速道路が腰砕けになるのか、なぜ地震の時には火災が手のつけられない状態になるのか、なぜ被災者の救援が遅々としてすすまないのか、など。疑問に思うことがいっぱいあった。
 震災後いろんなレポートが出て、「なるほど」と思うことも多く、「防災」問題に関心をもつようになった。震災国日本は、関東大震災を含め、阪神淡路大震災などすべての震災から教訓をよく学び、予期せぬ地震にきめこまかく備えるべきではないか。 そう思っていた。人間は賢いように見えるがやはり体験しないと分からないし体験したことも「のど元過ぎれば熱さを忘れる」である。それだけに防災への備えについては、国も自治体も担当者任せにせず、長がまず国土政策の第一に「防災」を位置づけ、対策を講じるべきだと思う。だが、きょうの防災訓練で福田首相と大阪府の橋下知事のやり取りを見ても、テレビ映りを気にする気配はあってもその熱意は何も感じられなかった。テレビも防災をイベントとして流すだけでいまなにが問われているか肝心な中身は伝えなかった。
 大阪地方は阪神淡路大震災前、地震の心配のあまりない地域とみなされていた。活断層地震というのを知ったのもこの大震災だった。日本列島、安心というところはない。いつどこで地震が起きてもおかしくないというように思うようになったのは恥ずかしながらごく最近のことだ。いまは大阪地方、プレート型の南海大地震、東南海大地震がいつ起きても不思議でないといわれている。加えて大阪・上町断層という活断層地震も心配されている。市の防災担当者は熱心に地震への備えを住民に訴えている。防災は役所任せではだめだ。住民の心構えだけでもだめだ。役所と住民の自発的なチームワークがいざというときものをいう。自主防災システムの構築は不可欠だ。避難場所がどこにあるのか、いざ地震というときにどう行動するか。わが身の安全から高齢者の安否確認、被災者救済のシステム、建物の耐震診断と対策は絶対に必要だ。そういうことを丁寧に住民に周知し対策を講じる国・自治体であってほしい。
 このブログを書き終えたところへ福田首相辞任のニュースが飛び込んできた。「選挙前にか」と思った。いまの政治システムがもう持ちこたえられないのか。日本の政治の危機はそこまで来ているのか。安倍首相の政権投げ出しに続くこの事態。国民が自覚し能動的な行動を起こさないと日本という国は無責任な漂流時代に入るかもしれない。いずれにせよ、国民の安全安心を確かにする政治の方向を選択する秋となった。
蝶墜ちて大音響の結氷期 赤黄男
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