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ノーやん日記パート2

蟹工船

 20歳ごろに読んだことがある。プロレタリア文学作家小林多喜二の小説である。なぜかいま出版ブームになっているという。過酷な労働条件に置かれた未組織労働者の抵抗の話という程度の薄ぼんやりした印象しか残っていない。再読してみた。が、なぜこの本が売れているのだろう?すんなりとはわからなかった。多喜二の描いた「蟹工船」の現場は、「糞壺」と表現されているように、あまりにも臭気漂う猥雑な世界だ。理屈っぽくいえば、「資本論」の、原始的蓄積の段階を想起させる野蛮な世界である。そんな世界の話になぜ現代の若者が惹かれるのだろう。いま、若者の多くは、非正規雇用で未組織・無権利な状態にある。そのことは、わが子やその友達の様子からもわかる。だが、「蟹工船」はちょっと時代錯誤の現実離れした世界の話ではないのか。が、どうもそうではないらしい。現代の若者に心通うものがあるらしい。
 「人間の命?」
 「そうよ。」
 「所が、浅川はお前達をどだい人間だなんて思っていないよ」
 こんなくだりもその一つかもしれない。若者同士を市場競争原理主義で蹴落としあう社会、人を人扱いしない今そっくりだ、と。
漁夫たちのやむにやまれず立ち上がったストライキも駆逐艦に鎮圧されるが、
 「本当のこと云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。―死ぬか生きるか、だからな。」
 「ん、もう一回だ!」
 そして、彼らは、立ち上がった。―もう一度!
このラストシーンも、「抑えつけられたまんま黙ってたらアカン。勝てるかどうかより、たたかわねば」という、切羽詰まったものが沸きつつあるのかもしれない。“長いものには巻かれろ”という、この国の美徳ともされてきた「従順」は自分の命をちじめるだけと若者たちが悟り始めたのかもしれない。だとすれば、未来は明るい。
 この国の労働者はあまりにもバラバラだ。この小説そのものは、どちらかというと荒削りで個人を描いてはいない。特別の主人公は存在しない。「みんなが主人公」とでもいう描き方しかしていないが、労働者が強固な闘う組織をもち、そこに「個」も活躍しみんなの「連帯」の協奏曲となるとき、時代は大きな地響きを起こすのかもしれない。
蟹の来るところに斧を置く厨 誓子
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