元禄7年秋のことだった。弟子の洒堂と之道の仲たがいを仲裁しようと、芭蕉さん、江戸深川から遠路、門人の支考らを連れだって、生駒越えで大阪入りしはった。体調を崩しての旅になった。あちこち弟子たちと句会をしながら二人の仲裁をしようとしたらしい。その途上、住吉さんの宝の市で縁起の良い升を買い、月見の吟行をしようとしたが、あいにくの雨で吟行を取り止めたそうな。そのお詫びのしるしに翌日の句会で贈った発句の碑が住吉公園の潮掛道に建っている。
升かふて分別かはる月見かな 翁
句意は、分かるようなわからんような、だが 風雅に生きた偉人も、世俗の苦労をしはったんやなあ、と強く印象に残っている。仲裁がうまくいったかどうかは分からない。南御堂の花屋の貸座敷で
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 翁
の句をのこした。
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