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畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

四国遠征記20~西光寺~

2007-09-06 21:36:16 | 旅行・観光


(↑足利義栄の墓)
また、江戸時代にもその子孫も同地にあって「公方さま」とよばれ尊敬されていたと言う。さすがに西光寺には立派な墓がたっている。義稙は流れ公方と呼ばれ、京を細川政元に追われ近江、越中、周防と各地を転々とし、やっと京都に戻ったが、細川高国と対立し、阿波で病没。義維(義冬)は、将軍になる夢叶わず。義栄は将軍となるものの、将軍就任から7ヶ月して病没してしまうという不運を抱えている。3人は安らかな死を迎えることができなかったのである。しかし、この3人は生涯を懸命に生き抜いた人たちであるとも言える。時局に対して必死にもがき苦しみ、そして果てていったのである。せめて、眠る場所くらいは静かな、そして味方が多かった同地にあるというのが、私にはとても救いに感じる。そんなことを思いながら、足利氏3人の墓にお参りして同寺を後にした。