goo blog サービス終了のお知らせ 

畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

論文を書きたい

2006-11-11 16:55:54 | 歴史
古本屋で見つけたために、今までなかなか見る気がしなかった今谷明著『足利将軍暗殺-嘉吉の土一揆の背景-』を読んだら、今までずっと頭の中でもやもやしたものが一瞬にして繋がった。私が歴史を調べる時にテーマとしていることがある。それは「傀儡(かいらい)」だ。辞書で調べると「傀儡:自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者」をさす。しかし、実はこの傀儡。全く自分の意思や主義を表さないことはないのである。ここにちょっとその考えのラフ案(これから事実など盛り込んで考えを補強するので)をここに記したい。

「傀儡君主と衆議政治」
室町幕府の将軍や守護大名はよく「連合盟主的な存在」と言われる。すなわち、強力な大名権力で家臣を支配するのではなく、重臣たちの意見を入れて、うまく調整し実行するのである。これを『足利将軍暗殺』で今谷氏は「衆議の尊重」と言っている。従来これは、将軍権力や大名権力の脆弱性として取り上げられてきたが、氏は違う見方を展開された。それは、足利義持の後継者問題である。義持は死に際して次の将軍について「面々用ゐ申さざれば、正体あるべからず」(ここで自分が決めてもみなが認めねば意味がないとの意)「ただともかくも面々相ひ計らい、然るべき様に定め置くべし」(みんなで相談してちゃんと決めてほしいの意)と述べて幕閣に後継者問題を任せて死去したのである。足利義持と言えば、義満・義教と並んで幕府の安定期の将軍である。これすなわち、専制君主と言えども重臣たちの衆議を必要としていたのである。
 つまり、中世において将軍や大名は、家臣の意識の差を調整し、まとめあげる役目を担っており、それでこそ権力・権威を維持し得たのである。だが、それがうまくできない場合は、家臣によって暗殺や追放の憂き目に遭い、強制的に君主を換えるという下剋上に発展するのである。
 しかし、重臣が下剋上を起こしたからと言って、自分がすぐに大名になれるわけではないのである。前述のように家臣たちの「衆議の尊重」から、下剋上の主犯格が大名になれないこともしばしばあったのである。そこで考えられたのが、「傀儡君主の擁立」である。建前として君主がいれば「衆議の尊重」は守られ、重臣たちの合議で政治を行えばよいのである。観音寺騒動の後の六角家などはその典型例と言えよう。しかし、建前ではあっても傀儡君主が「衆議の尊重」のために擁立されたのであれば、それは「ただの傀儡君主」にならないこともしばしばあった。重臣間の権力争いが起きたとき、建前上の君主であっても味方につけようと重臣たちは担ぎ上げ、反筆頭重臣の総大将として祭り上げられる時があるからである。この例としては傀儡で有名な鎌倉幕府の「摂家将軍」である藤原頼経の存在がある。
http://www15.ocn.ne.jp/~nanao/retuden/fujiwara_yoritsune.html
 「傀儡君主」と言えども、その本人の好むと好まざるに関わらず、政局に関与(巻き込まれる)することが多々あったのである。それゆえ、中世の将軍や大名は建前の「絶対的な権力」と実際である「意見調整の役割」とのギャップに苦しめられたのである。ここで、そのギャップを埋め絶対的な権力を得たものが織田信長や豊臣秀吉ら安土桃山時代の主役となる近世の大名であり、ギャップを埋め切れなかったのが、大多数守護大名として没落していった勢力になったのではなかろうか。
 さて、信長・秀吉ら「絶対的な権力」を持つ君主が登場したことにより、中世的な「衆議を尊重する役割」は近世になり一新されたように見えた。これは江戸期に入って、身分制が固定されたことにあいまって確立したかのように見えた。しかし、この「衆議を尊重する」役割は江戸時代の後半にまた形を変えて現れたのである。すなわち、幕府政治は将軍の手から老中や側用人などの家臣政治へと移っていったし、諸藩の大名は重臣たちより「古来よりの伝統」というしばりつけで家格や品格を重んじる役割を担わされ、独自の政策をなかなか展開できなかったのである。ある意味、将軍・大名権力が中世的「衆議政治」に部分的回帰したと言えよう。

以上がパッと考えた構想段階の論文です。ぜひご意見ください。

やっぱりね

2006-11-05 13:25:34 | 政治・経済
6ヶ国協議再開の中で、やっぱり北朝鮮は何か手を打ってきましたね。
「米国の1州にすぎない日本が、地方代表として協議に参加する必要はない」「我々はこれまで日本が協議に参加することを好ましく思わなかったが、他の参加国との関係を考慮して適当に接してきた」とか、ふざけたことを北朝鮮の高官が言っていたようです。
 10月9日の日記でも書いたが、戦前の日本と同じような、追い込められている国に対し、普通に強気に出ても無意味である。さらに、日本は北朝鮮に強気の姿勢を取ってきた。しかし、それが非常に気に食わなかったようである。北朝鮮にしてみれば「米国に守られている分際で吠える日本はムカつく」と言ったところだろうか。
 6ヶ国協議を学級に例えてみれば、米国が先生、あとの5人は生徒。キム君が他の人をさらったり(拉致問題)、学校に不要物(偽ドル問題)を持ってきたり好き放題やってくれるので、クラスは学級崩壊状態。米国先生がいくら強く指導しても聞かない。
学級委員で常に先生に従順なアベ新三郎君は、「キム君そんなことばっかりやっていてはダメだよ!君はクラスをよくするという気持ちがないのか!」
キムチョンイル君「うるせーよお前。米国先生がいないと何もできないくせに。」
コキトウ君「おい、キム。いいからよ。お前も最近調子こいてんじゃねえよ。」
ってな会話が繰り広げられているわけです。でも教室の隅では、
コキトウ君「でもさぁ。確かにキムの言うとおり、アベは米国先生いないと何もできねぇよな。」
ノムヒュン君「僕もそう思いますよ、コさん。あの先生の前での優等生ぶりが気に入りませんよね。プさんはどう思いますか。」
プチン君「俺もアベは嫌いだな。俺に会うたび、いつも『そろそろ(土地を)返してくれませんか』とか言うんだよ、あいつ。」
コキトウ君「でもさ、米国先生もちょっと最近ムカつかねぇ?だって全然俺たちの気持ちわかってくれないじゃん。」
ノムヒュン君「そうですよね。だから最近僕も、先生よりキム君と仲良くしようって思うんです。でもキム君はなかなか心を開いてくれなくて…」
ってな具合で会話しているのが、この教室の状態です。完全に米国先生とアベ新三郎君は浮いています。キム君を更正しようと思えば、5人が意見をひとつにして、当たらないと難しいでしょう。この例で、日本が6ヶ国協議でかなり辛い立場に立たされているのがおわかりいただけましたでしょうか。日本がこの状況を脱却するには、「日本がいなければ米国は協議に復帰しない」など強い米国のメッセージを発してもらうか、日本が韓国や中国と仲良くして協力を得るかしかありません。日本が一人でジタバタすればするほど、「日本は弱いくせに生意気」と日本に反感を持つ国が増えるでしょう。日本の今後の外交に期待する。って言っても未だに「核武装を議論したい」とか、国際理解のない大臣じゃむりかもしれませんが。




核武装議論と政治家論

2006-11-03 23:41:02 | 政治・経済

↑「なんとなくクリスタル」ならぬ「なんとなくロマンシングサガ3」
日本の核武装議論。ふざけた話だ。どこかのアホ大臣が「議論することのどこが悪い」というような発言を言っているみたいだが、そりゃもう大悪ですよ。でも私は「日本は唯一の被爆国だから持たない」とか感情論を言うつもりはない。感情論で説得しようとすると、必ず考えたり、話し合うのは自由という結論になってしまうからだ。では、どうして核武装を議論すること事態が大悪なのか。それは「日本が核武装することは絶対にないし、できないからだ。」(世界の半数ぐらいが核武装しない限りの条件付だが)だから、結論が決まっているので議論する必要がないからだ。ではなぜ、日本は核武装できないのか。感情論以外で答えたい。
①核武装することになれば、世界各国が日本に経済制裁を発動する。
・資源輸入国の日本の現状では、経済に大打撃であり国の根幹を揺るがす。
・輸出黒字で稼ぐ日本の経済に大打撃を与え、国の根幹を揺るがす。
・アメリカの軍事力に頼る現状の日本が後ろ盾をなくせば、諸外国に攻撃される恐れが強まる。
②北朝鮮に対して「核武装を思いとどまるよう」言っても説得力が無くなる
・日本は核武装しようとしても、こっち(北朝鮮)はダメなのかよ~。
・米・中・韓から日本は本気で北朝鮮の核武装を止めようとしているのか、と疑問に思われても仕方ない。→日本の6ヶ国協議での地位が下がる
 以上の論(特に①の方)から、日本が核武装をすることはできないのである。無論、世界の半数の国が核武装することになれば、日本も核武装しない方が国益を損なうことになるだろうが。
 それにしても、どうして日本の政治家は「~したら、その後どうなるのか?」ということが想像できないのだろうか。そんな政治家が作る日本が「美しい日本」になるのか。わけわからん抽象的で小綺麗な言葉で、国民に語り掛ける勢いだけの政治家よ、政策を実行した後のことを単純にしか想像できない想像力の乏しい政治家よ。そんなんばっかの政治家ばかりだから日本はつまらない。
 しかし、実際に日本という国を変えていけるのは政治家の力が必要だ。憲法、法律が変わり、日本のシステムが変われば大きく日本の姿は変わるであろう。ただ、この日本の社会システムの多くは、組織の下から変えることはできないような構造になっている。伝統や習慣や妥協、悪癖などなどで組織の下から変えることは容易ではない。だからこそ、流されて横領をする大人や、いじめをする子どもが生まれる。では組織のトップが変えられるか。実はそれも難しい。そもそも組織のトップになるにはある程度既存の組織から認められないと、推戴されない。だからこそ、正義を貫く清潔すぎる人物はトップに推戴されないのだ。では、下にいた時、ある程度組織に流されて、いざトップに推戴され、大改革を行おうとすると、既存の組織から猛反発を喰らう。だから結局、日本の組織の上にたっている者でも改革をすることは難しいのだ。それを知らずに(いや知っているかもしれないが)、完璧な指導者や完璧な組織を求めようとするマスコミは、なんと愚かで短絡的なのだろうか。だから、日本では責任を「伝統的なトカゲのシッポ切り」で対応するのだ。構造的な矛盾を残したまま。
 では、日本を劇的に変化させるには?答えは簡単。外圧である。今まで日本の歴史の転換点はもっぱら外圧で動いているのだ。幕末、保守的な幕府を倒したのは、他ならぬ外国の圧力であり、そのため強い日本を作ろうとする大きな力になりえた。戦後の日本、民主的な国を作るとき、GHQという大きな外圧がいたからこそ、ここまで大きな変化を遂げたのだ。(一例に日本国憲法がある。日本政府が作った憲法改革案は明治憲法の手直し程度であり、結局GHQが作った草案を日本が受け入れることで決着した経緯がある)日本は昔から、外圧で政治を劇的に変えてきた。それならば外圧の望めない現代で日本の劇的変化は望めないのだろうか。劇的変化は、日本の勤勉さを発揮できる経済面だけなのが悲しい。外圧に頼らず、内的に変化をしようとしたとき、日本でできることは、既存の組織との妥協点を見出しながら、いかに自分の政策を多く盛り込むか。ということに尽きると思う。ただ単に批判しかしないマスコミよ、そして多くの若者よ。もっと視野を広く持て。そして、いつの日か、日本を大きく変えてくれることを望む。

未履修問題

2006-11-01 23:46:55 | 政治・経済
高校の未履修問題が現在旬の話題となっている。
 そのほとんどが「世界史」の未履修となっている。社会科が好きな私としては本当に腹立たしい問題である。そもそもどうして高校で世界史が必修科目となかったか。これは“ゆとり教育”が原因である。必修になった理由として「国際化に備えて世界のことを良く知ろう」というのが理由ということもあるが、その大部分は「中学校の社会科の歴史から世界史が大幅に削減された」ことに理由の一端があると思う。ご存知のようにゆとり教育のため、教育内容や授業時間が削減された。そのため、現在の中学校地理では日本全国の地方については学ばず、わずか2・3の都道府県を学ぶだけ。世界の地理に至っては、世界192ヶ国のうち、2・3ヶ国を学ぶだけである。さらに、中学校の歴史も削減されたが、その大部分は世界の歴史に関連する部分であった。このため、世界の歴史を学ぶため、高校で「世界史」が必修化されたのである。
 しかし、「アウグストゥス」「ボニファティウス」「李鴻章」「ドゴール」などやたら人物の名前を暗記するだけの歴史が世界史なんだろうか。センター試験に強いとされる山○出版の『世界史B』の教科書をぜひ一度見てもらいたい。みていてもなんとつまらない内容だことか。読んでも何の関心も抱かない。ただ“人物の名前を知る知識が増えるだけ”である。おっと話が逸れた。閑話休題。
 ではなぜ、大学受験で「世界史」を選ぶ者が少ないのか。それは簡単な理由である。「日本史」の方が分かりやすいからだ。なんせ日本史は高校で勉強すると、3回も勉強することになる。小学校6年生で1回目。中学校で2回目。高校で3回目。それゆえ、日本史の方が理解しやすいし、なんと言っても自分の住んでいる国だから理解がしやすいのである。それゆえ、受験生はセンター試験でも選びやすいのだ。これだけセンター試験で、日本史の有利性と世界史の不利性が整っているのだ。世界史選択者が少ないのは当然と言えよう。それを無理に「国際化のため」と銘打って必修にしてしまったのがそもそもの間違いなのではないか。ただ、現実に制度を合わせたところでなにも変わらないことも確かである。「国際化のために『世界史』を必修化」したとするならば、その教えようとする内容を変える必要があるだろう。「高校生の感性をくすぐる関心を引くような内容、高校生の欲する知識」を盛り込んだ世界史を…。例えば、現在海外旅行で日本人は、強盗にあったり、詐欺にあったりしやすい。どうして海外の情報に着目しないのか、このあたりを説明するのはどうだろうか。それから、例えば中国・韓国の人たちの考え方と日本人との違いは?どこにすれ違いがあり、仲に亀裂がはいるのだろうか?日本人と外国の価値観の差を勉強してはどうだろうか。これは私が考えたことの一端でしかない。他にも色々学ぶことはあるだろう。しかし、「受験のための世界史」である限り、世界史未履修問題が完全に解決することはないだろう。それは上記のように理想と現実の矛盾があるからである。
 ゆとり教育が反発され、世論は「詰め込み教育」「理数系重視教育」に流れ、社会科の立場が軽視されているように思える。社会科はそれだけで「道徳」的な内容を含んでいる。確かな人間形成に欠かせない教科のひとつであると私は思っている。世界史未履修問題が真に解決されることを望む。