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畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

物流博物館に行ってきました。

2012-08-04 04:44:00 | 旅行・観光
先日、品川にある「物流博物館」に行ってきました。

いえ…正確に言うと「物流博物館に寄って」来ましたなんですけど…。


 品川駅周辺の「新高輪プリンスホテル」に午後出張の用事があり、そのために品川エキュートで、キャンプエクスプレスで「たまねぎとじゃがいものチーズカレー」を食べました(2012年7月28日の日記参照)。そこで腹ごしらえして、出張先のホテルに行く予定だったのですが、出張が13:00~で、昼食後の時間が12:00と1時間半も空いていました。

 どっか喫茶店で時間をつぶそうかな…なんて思いつつ品川駅の周辺地図(駅の改札口でてすぐあるやつ)を見ると、「物流博物館」なるものがある…と。
 どうせ、目的地と反対方向だろうな…遠かったらあきらめようと…と思っていたら、なんと同ホテルから歩いて2分の距離…こりゃ運命だな。寄っていくしかないか、と行動開始。


 2011年は夏それほど暑く無かったですが、2012年の夏は暑い…。ちょっと外を歩いただけで滝汗…。しかも、場所がよくわからない…仕方ないスマホで地図を調べてみるか…あっマズイ!!充電忘れて電池残量1%!!必死の思いで早く入力して探していたら、道路を一本間違えただけですぐ近くだった。


そして到着。

そんなには広くない外観です。入館料大人200円か…結構こういうところって無料なところが多いけどしっかり取るんだな…。まあ無料な博物館だったら、展示内容が何とか財団の宣伝やロビー活動みたいなものばかりになっちゃうし。では実際に入ってみることに。



 1階の展示室です。「物流の歴史展示室」だそうです。中世の馬借や、江戸時代の海上交通、街道の宿場の伝馬役などがパネルや実際の資料(複製)などを展示して詳しく解説してあった。結構内容が詳しくて意外に楽しめる。



 1階の展示室の後半。時代は明治・大正・昭和になってきました。郵便制度の歴史や宅配制度の元になった「宅扱」なども紹介されていました。興味深かったのが、写真手前にある俵。これ米俵ではないんです。陶器の茶碗が藁に詰められているんです。割れないように酒瓶や徳利などの陶器、そして野菜なんかもこのように藁で荷造りされていたようです。


 展示は地下に続きます。「現代の物流展示室」だそうです。いきなりエレベータを降りると迎えてくれたのがこちら。

 行きかう鉄道やコンテナ船、貨物列車などを再現した模型で、物流ターミナルの一日を描いたものだそうです。実際に車や鉄道やクレーンなどが動いて「結構スゴイな」という印象。


しかも時間が経つと…

 暗くなって夜になり、街に明かりが灯り始める。模型マニアなら結構萌え要素たっぷりです。実際、三脚立てて動画撮っている男二人組がワーワー言ってました(笑)あとは、物流ゲームなんかもありました。プレイしてみましたが…あんまり…。これですよ…無料の博物館の内容のない展示…。しかし、1階の展示が結構充実していたので満足です。


 受付には特別展示の目録も売っていましたが、ペラペラなのに1冊400円と結構高い。それでもちょっと興味が湧いてきた「昔の荷造りミニ図鑑」を400円で購入。藁の荷造り結構気に入った。時間もちょうど13:10。今から出張先のホテルに行けば丁度の時間。暇つぶしになったし、内容もそれなりによかったし、何よりもクーラーが効いていたのが嬉しかった(笑)


 ちなみにこの博物館の運営元は、想像通り「公益財団法人 利用運送振興会」です。1998(平成10)年8月開館で、2011年5月で利用者10万人突破だそうです。そこそこ利用されているんですね。


<物流博物館情報>
開館 :10:00~17:00
休館日:毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
    毎月第4火曜日、祝日の翌日
    年末年始
入館料:大人200円
    65歳以上100円
    中学生以下無料
交通 :品川駅下車徒歩7分

三県制覇!其の6~茨城県~

2012-08-03 04:44:00 | 旅行・観光
 北関東一人旅。腹ごしらえも済んで時間はちょうど12時近く。次の目的地、茨城県古河市に向かいますか。ん?茨城県?
 最初が群馬県太田市の金山城。次が栃木県足利市の足利学校。最後が茨城県古河市の古河城…。北関東三県制覇しちゃいますね…(^^)。

 それでも合計の移動距離は、群馬県太田市→栃木県足利市が10km弱。足利市から茨城県古河市が35km程とそんなに遠くないのに3県周れました。地図とみると、北関東の南部はそれぞれみんな寄っていますね。


 古河市へは高速だと、北関東自動車道の太田桐生ICから岩舟JCTで東北道を南下し館林ICを降り東へ一般道で…という感じですが、足利市から古河市へは一般道で行きました。まだ時間が12時ちかくなので時間があること。お金の節約も考えて…ということです。

 道は広くありませんが、平日の正午くらいなので結構空いていて1時間かからずに到着できました。


 最後は茨城県古河市の古河歴史博物館です。この博物館は1999(平成11)年、私がネット上で初めて知り合った能登畠山氏ファンの遊佐きむち氏と訪れたところです。あの頃はデジカメもなく、私自身知識も薄かったので、リベンジしようと思っていました。

 古河歴史博物館の駐車場に到着です。結構近くまで来たのに道が入り組んでおり、カーナビも右往左往していました。



博物館の入口です。結構階段が続いており入口は2階です。

 その階段手前にこんな石碑が「古河城出城諏訪曲輪跡」。そうここが古河城だったんです。これは1999年の訪問時にも聞いていました。この博物館自体が城だと。ただ城らしいものはほとんど残っていません。その理由は河川改修と護岸工事のためです。

 明治時代になって近世古河城の建物などは破却を命じられ櫓や城門、石垣などが撤去されてしまいます。それでも土塁や水堀などは依然残されていました。しかし、大正時代初期の渡良瀬川改修工事によって、本丸を始め二の丸などの曲輪が次々と切り取られ、現在では河川敷となってしまいました。そこで今や古河城の出城的位置にあった諏訪曲輪など周辺しか遺構もないというわけです。
 まあ逆に言うと古河城は渡良瀬川をうまく利用した城づくりをしていたわけで、その豊富な水を利用して城内の堀はすべて水掘だったといわれているようです。


まあ、ともかく博物館に入りますか。

 歴史博物館が400円。三館共通券(歴史博物館・文学館・彫刻美術館)が600円。文学も彫刻もそれほど興味がないので400円コースで…(^^;)。残念ながら館内写真撮影不可で、写真をお見せできません。常設展示は古河なので古河公方の展示を期待したのですが、ほんの一角しかありませんでした。あとは古河藩家老で洋学を研究し、数々の地図を残した鷹見泉石関係の展示が多かったです。



 古河に来ようと思った目的の1つに、『水底に沈んだ名城 古河城』の図録が再販されたことがきっけでもあります。もちろん購入しました。以前はここでこんなものも売っていました。

 1997(平成9)年に「古河公方展」という企画展をやっており1999年当時衝撃を受けたのを覚えています。残部僅少ということで迷わず購入しましたが、その後再販なし…。もう一度古河公方展やってほしいな…。



さて、この博物館の隣にある坂…これも古河城諏訪曲輪の土塁跡なんだそうです。

歴史博物館前にある庭園にある坂も土塁だそうです。そういえば、博物館が2階にあるのも土塁を越えて作られたから階段が必要だったんですね。

 駐車場から博物館まではこのように畑と斜面の森が広がっていましたが、これも土塁だそうです。土塁などがあり土地が平坦ではなかったから開発を免れたのですね。さらに森になっている理由も開発を免れたからということでしょう。ただ、これが土塁だ…と言われても、う~ん…としかいいようがないですわ。


さぁそれでは本日最後の目的地へ。

古河総合公園です。ここにはちょっと苦い思い出があり、ぜひリベンジしようと決めていました。それは後程。この公園…すごく名前がすごいんです。まずはこちら。

 はい。その名も「古河公方広場」!スゴイ!というのもこの公園。1455(享徳4)年、初代古河公方の足利成氏が築いたとされる古河城別館と言われています。古河歴史博物館より700m離れたところにあり城本丸から南東へ1km程度離れたところにあります。

 写真が古河総合公園内にある御所沼です。1996(平成8)年に一部復元が完了したそうです。この御所沼に囲まれた半島状台地に築かれたのが古河公方館です。写真左に見えるのがそうです。この館は1590(天正18)年には、最後の古河公方足利義氏の娘である氏姫(氏女)の居館であったとされています。



 この御所沼に囲まれたところに「旧中山家住宅」がありました。江戸時代の農家の移築だそうです。逆井城の時もそうでしたが、公的な公園なので有形文化財などを移築する例が多いみたいですね。時代考証とはあっていないのですが、こういうのが好きな方にはいいのかもしれません。



 そしていよいよリベンジの時。ここが「史跡古河公方館址」です。1999(平成11)年当時は訪れたのがもう夕方5時以降になってしまい写真をとってもほとんど何も映らない状況でした。記録に残せないのがすごく悔しかったです。訪れた時間は違えど景色は10年ほどまえとおんなじ。ここが…と思ってしまうほど狭いし石碑や説明板のみ…。まあまったく石碑もないよりいいですよね。そもそも中世ファンにはこういう史跡に慣れっこになっている自分がいます。

 説明板にも書いてありましたが、この石碑の東西には公方館の空堀あとがあるとありました。おそらくこの写真のものだと思います。うっかりしていると単なる通路だと思ってしまいますが、よくみると土塁に挟まれたような形状になっていますね。もちろんだいぶ埋め戻されてしまったとは思いますが…発掘調査はしないんでしょうかね…。



せっかくなので、半島の先っぽに行って御所沼の方に出たいと思います。この半島状の土地はもう森になっています。そこにはこんな看板が!

「公方様の森」そういう歴史的な名前ってなんか素敵です。ただ森になり過ぎてスズメバチが出没するようで、一部立ち入り禁止になっていました。くわばらくわばら。


よぉし…これで半島の先端だぁ…と思ったら…。

どぉ~ん!橋の登場!まあ今や公園ですから回遊性を高めないとね…。でもなんか納得いかないな(笑)橋に左側に見える階段を下りて帰りは御所沼のほとりを通って帰ります。

 公方様の気分で沼のほとりを歩いて、公園を後にしました。


 これで、北関東三県制覇の旅終了!長らくのご拝読ありがとうございました!

三県制覇!其の5~栃木県~

2012-08-02 04:44:00 | 旅行・観光
 さて、群馬県太田市の金山城見学に7:00~9:45くらいまで時間を割いた。次は目指すは栃木県足利市。史跡足利学校を訪問しようと思っています。群馬県足利市から直線距離で約10km弱。越県するとはいっても近いですね。車で30分ほどでつきますね。



おっ!見えてきたぁ~渡良瀬川です!となればあれが見たいです。

 渡良瀬橋!渡良瀬橋っていうと、森高千里の名曲「渡良瀬橋」を思い出しちゃう私。派手なミニスカートで歌い売り出していた森高千里が一転しておとなな魅力をだした一曲。車の中で歌いながら渡りました。歌詞を書きたいけど、JAS●RACから請求来たらヤだからね…。渡良瀬川を渡るともう栃木県。足利学校までもう近くです。



 足利学校の目の前に「足利市観光駐車場」というものが目に入りました。観光目的なら2時間無料。しかも目の前に「太平記館」という観光案内所とお土産物屋がある。一人旅なので家族にお土産を…と思っていたのでもってこいでした。



 観光駐車場から歩道橋で大通りを渡ると、すぐそこに足利学校が。結構大きな土塁と水堀に囲まれています。まるで中世の城館みたいです。足利学校の入口はここから徒歩3分くらいのところでちょっとまわらなければいけないのが面倒…(^^;)



 足利学校入口に到着です。参観料は一般400円。私はJAFの会員証を提示して団体料金適用になりました。330円で入場です。



 足利学校は日本最古の学校として「世界遺産」を目指しているようです。足利学校は奈良時代の国学の遺制という説。平安時代の832(天長9)年小野篁が創建という説。鎌倉時代初期に足利義兼の創建説。1439(永享11)年に関東管領上杉憲実によって創建されたという説もあり諸説あります。
 ただ、実際に記録が出てくるのが、関東管領上杉憲実によって学校が整備され孔子の教えである「儒教」を寄進し、禅僧を学長に据え学生の養成に力を注いだ事実が知られています。1528(亨禄元)年に京都の医学者であり畠山義綱や毛利元就らにも医道を伝授した曲直瀬道三が足利学校に入学するなど、当時の最先端の学問を学ぶ場所でした。



 これは江戸時代の1668(寛文8)年に建立された孔子廟で、日本最古の孔子廟と言われています。中には1535(天文4)に作られた孔子像がありますが、文化財保護のため展示されているのはレプリカです。



 孔子廟から東に行くと、2つ建物が見えます。手前が「方丈」(ほうじょう)と呼ばれる講堂で、講義や学校行事が行われた場所だそうです。奥が「庫裡」(くり)と呼ばれる学校の台所で日常生活が行われたところだそうです。



「庫裡」の南東にある建物が「衆寮」と呼ばれる建物です。

学生が生活したり勉強したりするところです。ちょっと狭いですね。学生寮だとこんなものでしょうかね。



 これは衆寮の西にある「足利学校中興祖 関東管領上杉憲実公顕彰碑」です。日本史の教科書での記述どおり、足利学校は鎌倉時代の足利義兼の創建で、室町時代の上杉憲実が中興した、というのが定説のようですね。奈良・平安時代説もありますが、関東はそのころ日本の辺境ですし、鎌倉時代創建説が一番現実的な気もします。



 方丈と庫裡の建物はつながっており、中が展示室になっています。室町ファンとしての見どころはやはり上杉憲実の展示ですかね。



 方丈から見える庭園の景色が素晴らしいですね。これも復元ですが、それでも発掘調査に基づいたものでしょうか…趣を感じますね。



 グッズショップもあるけど、「論語」の本とかCDとか…あまり興味ないな…。「足利学校」のリーフレット700円は買いましたが、やはり宝暦の雷での消失のせいであまり中世の資料は多くないですね。


 孔子廟を除くこれらの施設は1754(宝暦4)年の落雷で焼失し、古文書なども紛失したと言います。その後再建はされず明治を迎え、1873(明治3)年には敷地の一部が小学校となりました。その頃の様子がこんな感じだそうです。写真右に見えるのが小学校です。

 1921(大正10)年には孔子廟などが国指定史跡になりましたが、現在のような史跡の保存・整備が行われたのは1982(昭和57)年に小学校が移転したのが契機だそうです。発掘調査や古絵図・学校記録などの文献調査を行った結果、1990(平成2)年に江戸時代中期のものを再現しました。現代の様子がこちらです。

前の写真と比べると史跡整備が進んでいるのが一目瞭然ですね。



 観光駐車場のある「太平記館」でお土産を購入。観光案内所で昼食を食べている場所を探していると…「ポテト入り焼きそば」なるB級グルメが足利名物とのこと。職員の方に近くにある店を紹介してもらいさっそく行く。



 太平記館から歩いて5分。足利学校正門からまっすぐ西に歩いて2分くらいの距離にある「よしおか逸品堂」さん。足利名物は「ポテト入り焼きそば」だけでなく「ソースかつ丼」も有名だそうです。

 結構麺は太麺でコシがあります。写真ではポテトは1つしかないように見えますが、麺に隠れて結構入っています。ポテトもソースに絡んですごくおいしい。これでお値段300円!大盛りにしとけばよかったかな…。


さて次はどこに行くでしょう?次回をお楽しみに~。

<史跡・足利学校情報>
◇開館時間   4月~9月:午前9時~午後4時30分、10月~3月:午前9時~午後4時
◇休館日     第3月曜日(祝日・振替休日のときは翌日)
           年末(12月29日~12月31日)
◇入館料     一般400円、高校生210円、中学生以下無料

三県制覇!其の4~真・群馬県~

2012-08-01 04:44:00 | 旅行・観光
 前回に引き続き、金山城関係の話です。前回まで金山城を見てきたので、今回「其の4」では、「太田市立史跡金山城ガイダンス施設」の紹介です。



 ガイダンス施設の入口です。この施設は金山城の麓に平成21年5月30日オープンしました。ですので建物もまだまだ新しいです。



 展示室は2階にあります。入館無料なのにこの豪華さ!すごい!館内は撮影OKなのも嬉しいところです。



 2階展示室にはVTRコーナーも。平日のオープンしたての時間ということもあり、見学者は私だけだったのですが、職員の方が「ぜひどうぞ」と勧めてくれ見ました。こういうVTRって長くて見ている余裕もないほどなんですが、5分ほどでよくわかるようにまとめられていました。



 館内には金山城に関係のミニチュアも。これも古文書などを基にしているので、よく考証されているなあ…と感心。



 金山城で出土した品ももちろん展示されています。カワラケはもちろん、白磁・青磁などの中国陶器、古銭、火縄銃の弾丸なども発掘されているようです。解説付きで展示されているのがいいですね。



 これは「北条家朱印状写」です。古文書のレプリカなども展示しています。



 展示パネルにおける解説も充実。金山城の解説のほか、石垣に関する解説など様々な視点から解説されています。残念ながら無料の資料館ということで、図録などを販売していないのが無念です。



 情報コーナーなどもあり、地元紙に取り上げられた金山城関係の記事や、発掘調査に関するパンフレットなどを展示してあります。平成14年以降の発掘調査のパンフレットが掲示しており、職員の方に「この発掘調査の記事ってもらえませんか?」と聞いたところ残念ながら予備分はないとのことでした。その代わり…と言って



 金山城のリーフレットをもらいました。これは受付にもなく、職員の方にもらってよかったなあと言うものでした。発掘調査のパンフレットは平成21年度分からは一般向けにありもちろんゲットしました。


さて、このガイダンス施設の見どころの1つがまた2階にあります。

 それが職員が推定に基づいて作成した1/35スケールの模型です。これが結構しっかりした作りになっています。これは実城の馬場通路と物見台の模型です。こんな物見台や虎口の櫓などがあれば一層現実感がでますね。現在の金山城の石垣復元だけでもかなり満足でしたが、これを見ちゃうとさらに上を求めちゃうカモね。



これが実城大手虎口の曲輪です。かなり堅固な城ですね。

なるほど、こういう門ならば、門の礎石が通路の中央になくても納得できます。ただ、これは推測復元なので、発掘調査の結果というわけではないようです。


これで、ガイダンス施設の案内は終了です。最後にこんな写真を。

これは、金山城の整備前の写真だそうです。これが…

復元によってこうなるわけですね。スゴイです。この感動は訪れた人にしか伝わりません。ぜひぜひまだ登城されていない方は金山城への登城をお勧めします!先にガイダンス施設を訪れて勉強してから史跡を回るのもいいかもしれませんね。

 では、三県制覇の旅は、栃木県足利市へと移っていきます。次回をお楽しみに!


<太田市立史跡金山城ガイダンス施設情報>
◇開館時間   午前9時~午後5時
◇休館日     月曜日(月曜休日の場合は翌日)
           年末年始(12月29日~1月3日)
◇入館料     無料


三県制覇!其の3~新・続群馬県~

2012-07-30 04:44:00 | 旅行・観光
 三県制覇も第3弾目。それでもまだまだ金山城レポートです。今回は実城復元の要、大手口にいよいよ入っていきます。



 なんなんでしょう…この神秘的な風景は…。写真で見たのと全然違う感動を覚えます。思えばこの写真は城訪問サイトなどで金山城を取り上げるときに必ずと言っていいほど掲載される写真です。金山城の復元の一番のポイントであり、金山城の一番荘厳な場所です。
 でも…現地を訪れるまでは、「関東の中世史跡にこんな荘厳な石垣の城が??」と思ったが故、金山城に行きたいと思う気持ちが起きなかったわけです。しかし、これも全部詳しい発掘調査に基づいての復元だとわかると…もう、ものすごいテンションの上がりようです。訪れた時は朝の8時ほどでしたが、もう気分が高揚しっぱなし。

 私の興奮はさておき、さっそくこの金山城の仕組みにお気づきですか?大手虎口の通路が右曲りになっていますね。何のため?それはもちろん、通路のすべてを見せない防御を考えての仕組みです。こんなところにも工夫があります。さすが。


 さらに、城内にはこのように城の全体図や発掘調査の写真などもたくさん説明する掲示物があり、もう至れり尽くせり状態です。
 さて、さすがに本丸に近い大手虎口ゆえ、両側にしかも何重にも曲輪があるので、防御性に優れていますね。


この城の先進性を示すものは、巨大な石垣だけではありません。

 これは石組み排水路です。金山城は排水にとても悩まされたようで、度々石垣が改修されました。それはこれだけ石垣を作ると、アスファルトと同じ原理で雨の時の排水の行き場がなく水が溢れて石垣が崩壊する…ということがあったようです。そのため、多重の曲輪から効率よく排水するための排水路が組まれていたようです。



 大手虎口門の礎石です。なんかちょっと違和感がありませんか?左に寄っている気がする。どんな門があったのかなぁ。



 これは大手虎口南上段曲輪(復元建物があるところ)と、下段曲輪(何もないところ)です。上段曲輪では石敷き礎石建物と、カマド跡、石組み井戸が発掘されました。大手虎口の中でも生活感が感じられる場所です。



 さらにこの曲輪には、このように金山城の石碑や、休憩所、トイレ、金山城の地形模型などがあります。休憩所には自動販売機もあり、ゆっくり見れば最低でも一時間はかかる訪城の休憩のための拠点となります。



 こちらは、大手虎口北上段曲輪の方の階段状石垣です。でも石垣の一部がくりぬかれているよ…と思ったらこんな理由があった。

 この石垣は少なくとも5回改修されており、その変遷をわざと見せるためにくりぬいて遺構そのまま展示しているとのことでした。色々復元にあたって考えていますね。



 金山城には月ノ池の他にもう一つ池があります。それがこの「日ノ池」です。直径およそ15m強。月ノ池の直径が7m強だったことを考えると、山城の山頂としては大きな池です。

 月ノ池より実城の本丸に近く、ただ単に生活用水の場ではなく、雨乞いや戦勝祈願など儀式を行った場所であろうとされています。その証拠に、水の信仰と関わる平安時代の遺物も発掘調査で見つかり、金山城築城以前にもここに池があったことから神聖な場所とされていたと思われています。


 石敷きの池ですが、一部床にこんなところが…

 なんでわざわざここだけこんな風になっているの?と思ったのを見事説明板が解説。これは発掘当時のままのものを展示してあるんだそうです。にくい演出です(笑)


 さていよいよ実城の本丸域に入ります。

 う~ん…なんだろう…このいつもの何もない山城を登っている感は…。金山城の実城本丸域(天主曲輪)は発掘調査はされていないみたいです。

 本丸には新田神社がありました。これは、金山城の廃城後、新田義貞の出身地であったことから山頂には「新田祠」という石宮があったそうで、そこから新田神社が誕生しました。この神社のせいで発掘調査ができないおかげで金山城が守られたのですね(笑)まあ、大手虎口ですっごくいいものを見せてもらったので、3つある社にそれぞれ50円ずつお賽銭を入れてきました(笑)


 ここまで見学して時間はもうすでに8:50。もうあと10分で「史跡金山城ガイダンス施設」が開館する時間まであと少し。この後もまだ見て回りたいところがあるので、そろそろガイダンス施設の方へ向かおう…っと、天主曲輪の下に見える石碑みたいのはなんだ?

「武者走阯」と書いてあります。本丸の下をくるっと回っている曲輪だけに武者走と伝わっていたんですね。こういうのを見逃すともったいない気がします。けれど時間もないので、そちらへは降りないで下山します。


 ということで、其の4では、「太田市立史跡金山城ガイダンス施設」の様子をお伝えします。お楽しみに!