ついでに、まち案内の参考にと、博多駅のバス乗り場とバスセンターを見てきました。
感心したのは、バス乗り場に張ってある時刻表が統一した形式であったこと、路線ごとにすべての停留所名と料金が書いてあったこと、駅前のバス乗り場の表記が、数字ではなくABCであったこと、です。
16日(日)の博多駅バス乗り場には、案内の男性が立っていて、バスが着くたびに、「○○行きです」と肉声で案内していました。聞くと、西鉄OBで、土日祝日に交代で立っているとのこと。
これらはまさに、鹿児島中央駅のバス乗り場に欠けていることでした。ブログで何度も指摘していることが、博多駅では実現されていたのです。
どうして鹿児島中央駅バス乗り場の関係者は、先進地に学ぼうとしないのかと残念に思いました。
友人4人とは、16日15時に西鉄福岡駅前で落ち合い、天神の温泉に入った後、居酒屋で大いに飲み、清川へ移動してスナックで大いに歌を歌いました。
皆と会う前に、川端、中洲あたりを1人で散策しました。大学を出て1年間、福岡市に住んでいたことがあります。会社の先輩に連れられて、中洲をよく飲み歩いたものでした。
川端のアーケード街でラーメン屋に入りました。確か一竜という店でした。おいしかったこと。580円でした。
店主が客と話す博多弁が、またよかった。九州を象徴する方言はやっぱり博多弁ではないかと思いました。男っぽくて、きっぷが良くて。
西中洲の路地に入ってみました。行ってみたい店がありました。約40年前、時々行っていたおでん屋でした。まだあるんだろうか、と。
あ、ありました。看板が。近付くにつれ、店の前に黒い自転車が止まっているのに気付きました。ひょっとしたら店主が店に来ているのでは…。
玄関が開いていました。そして奥の調理場に店主がいるのが見えました。
ごめんください、と言って入り、店主に声をかけました。40年くらい前に来ていました。お元気だったんですね、と。
面影があるというよりも、店主は当時とそう変わってないように見えました。
それでも、もう71歳になったとのこと。店ももう50年を超えたとのこと。感激したのは言うまでもありません。
日曜もやってるんですか、と尋ねると、「いいえ。でも、やっておかないといけないことがありまして」と主人。仕込みをしているようでした。
当時この店で、「おでんは、具ごとにそれぞれ入れ時がある、煮どきがある」ことを学びました。
「すみません、仕込みをしていますので」。主人は、私との話をそこそこに切り上げて、また仕事を始めた。この姿勢があって、店が長く続いているのだと理解しました。
JRに勤めていた友人がとってくれた宿は、国鉄時代からあるJRの元保養所でした。今は一般にも開放しているとのことでした。
和室だけ9室。階段しかない3階建て。トイレも風呂も共同の、昔ながらの宿でした。
17日朝、朝食会場に行くと、まかないの女性が待っていました。テーブルには1人分しか用意されていませんでした。聞くと、素泊まりは何人かいたらしいのですが、朝食付きは私1人だけだったとのこと。
人恋しいのか女性は、食べ終わるまでずっとそばに立って、あれこれ話しかけるのでした。
今やJRのこんな施設は、九州でここだけとのこと。泊まり客も宴会客もめっきり減ったそうです。
古き良き国鉄時代をしのばせる宿でした。
でも、これから先いつまであり続けるのだろう、とちょっぴり心配になりました。
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