能勢謙三の鹿児島まち案内日記

2394 好きなバス停①

台風10号が近づいています。大きな被害がないよう祈るばかりです。お互いに気をつけましょう。

身動きができませんので、今日のブログは私が好きな鹿児島市内のバス停を紹介します。何が好きかと言えば、その名前です。名前から湧くイメージです。まずは市北西部から。

小野3丁目の幸加木川(こうかきがわ)沿いにあるバス停「まごめ」。同名の友人がいるせいか、何だか親しみを感じる。意味的に言えば、馬が多い所ということらしい。その意味で各地にある地名でもある。ここも昔、そんな場所だったのだろうか。ここが面白いのはもう一つ、川向かいに理由がある。

川を挟んで、馬込バス停の斜め向かいに、何と牛込タタミ店という店がある。馬と牛の取り合わせ。ここを通るたび、私は一人ほくそえむ。考えてみれば、幸加木川という川の名前もなかなか興味深い。「幸せを加えてくれる木」か。

原良3丁目と原良町にある。甲突川から引かれた水路を花岡通りが越えていた。その交差点を文字通り「かけごし」と読んだようだ。歴史を感じさせる。

永吉1丁目にある。ここも歴史をしのばせる。由来は垂水の花岡島津家。その屋敷跡が近くの原良5丁目の山すそに残る。鶴丸城近くの花岡屋敷は、明時館(別名・天文館)の通り向かい、今の東千石町にあった。菓々子横丁などがある一画。

田上6・7丁目にある「あらいだし」。地形や地名に由来するのだろうが、和風建築の工法を思わせる。

新川沿いの田上7丁目にある「ごあん」。由来を知りたくなる。

後庵から県道24号を新川沿いにさかのぼると、「橋」が付くバス停が3つ続く。「大峯橋」「出口橋」「一心橋」。出口は入り口でもあるはずだが、出口と付けたのはなぜ?

心に響く「いっしんばし」。思いつめたような、いちずなような。

一心橋の次は「かりしき」。鹿児島医療福祉専門学校(愛称・いふく)の最寄りバス停であり、受験期あたりに何度か中央駅で若者に案内した。

下伊敷1丁目、伊敷病院前にある「なかふくら」。近くに鹿児島西高校があるころは「西高校前」というバス停だったが、西高がなくなり、その跡地にできた「高齢者福祉センター伊敷」前に新バス停ができたのを機に、新たに命名された。バス停がある通りは伊敷の旧道で、中福良という地名の通り、一帯の中心だった。ここを通るバスは一方通行のため、停留所は片側にしかない。

玉里町の谷あいにある「かみやたに」。その名の通り、藩政時代に紙を作る工場があったのだという。

城山団地の出入り口にある「ひやみずとうげ」。「冷水」も「峠」もイメージが広がる。そもそも「峠」が付くバス停は市内で貴重。確かに、冷水町と玉里町の分水嶺にあたる。何だか、苦労が多い人生を連想させる名前だ。

冷水町にある。近くに比丘尼(びくに、尼僧)がいる寺があったことに由来する。

※続きは次回に。

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コメント一覧

ジョニー
幸加木川は懐かしいです。小学3年の時、下荒田から小野町の高山に引越し、玉江小学校に通っていました。幸加木川はその頃の絶好の遊び場所でフナやゴモンチン、鮎など魚とりをしたものです。高山地区では大晦日に子供達が公民館に泊まり、元旦の早朝に各軒先を廻る風習がありました。”カンナレ鳴れよ・・”と、多分カミナりの事だと思うのですが、そんな歌を歌いながら柿の木を棒で叩いて廻ってたのです。それぞれの家人が出てきて何かくれたのかも知れません。今となっては思い違いかまぼろしか、という記憶の状態です。もうそんな風習は廃れているでしょうね。確かめてみたい気がします。
能勢さん、まだ炎暑が続きますご自愛下さいね。
あいうえお
バス停の歴史を知ることが出来て興味深い内容ですね。

ただ、中福良バス停は高齢者福祉センター伊敷開設に伴い移転した、旧西高校前バス停の跡地に住民嘆願で後から出来たと聞いています。

あと、案内の点で見ると
出口橋バス停は案内が注意が必要なバス停です。
池田高校前行きか石谷行きで案内する時は良いですが、大峯団地行きで案内してしまうと、坂道を半分ほど登ったかなり離れた場所になります。
確かエディオンの倉庫の近くだったと記憶しております。
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