句集『吉方』脇祥一著(花神社・平成5年7月)
脇祥一さんの句集『吉方』は、42歳の時の処女句集であり、昭和53年~平成3年までの集大成の句集。総句数372句。句集に記されたご本人の略歴を記しておきます。
昭和26年12月7日、神奈川県生
昭和50年8月 原裕に師事
昭和53年7月「鹿火屋」入会
昭和55年度鹿火屋新人賞受賞
昭和61年度鹿火屋奨励賞受賞
平成4年7月「鹿火屋」退会
平成5年1月「季」に参加
俳人協会会員
現住所 〒259―01 神奈川県中郡二宮町山西802
さてこの句集には「季」の創刊者でもある北澤瑞史師の「跋」があり、その中で紹介された句を、わたくしなりに選句したものを掲げ、鑑賞いたします。
雪明りにて読む天金の一書欲し
雪明かりと天金が照応し合って眩しい!
文学青年であった脇さん自身を彷彿とさせます。
秋のくれ壺の容ちに人すわり
一瞬ロダンの彫刻の姿が脳裡を過ったが、「壺の容ち」が、より一層の淋しさを伝える・・壺の中の空虚を連想するからだろうか。
涅槃図の前へ押されてしまひけり
涅槃図公開の寺院だろうか。後ろから迫る人並に押されてしまった状況を詠んでいるのでしょうが、そうされることによる釈迦の寝姿も眼前に彷彿としてきます。
忘年の酒水平につがれたる
「水平につがれたる」が実にいいですね。海の水平線を連想させ、なみなみとつがれる酒に、明日の望年さへも立ち上がってきます。
深吉野の花巡礼となりにけり
「吉野」といえば「花」が即座に連想されますが、この句のすごさは「花巡礼」にあると思います。吉野という深い歴史の闇を経巡る、御霊鎮の修験者のごとく、桜と同化、化身しながらの旅なのだ。
以上
※典比古
ここで脇さんの【母もの俳句】を紹介してみたい。
脇さんといえば毎月の第三土曜日の「季」の例会には、三句提出のうち必ず一句は母の句を作ってくるのです。
亡くなる1~2年前の結社誌「季」からこの母もの俳句の数句を「風華集(ご本人の句のページ・毎月10句)より選句して紹介いたします。
終の日まで母は母なり草の餅
笑ひ皺ふやして母の日の母は
母の一語のごとく泰山木一花
封印の母の箪笥や梅雨深し
母の手を取ればすがり来鵙日和
泣き顔は似合はぬ母や実千両
※脇さんの母を詠む句が散見されるのが、平成13年ごろから。『吉方』にはわずかに母を詠まれた句は3句。平成14年からは毎月1~2句は「母もの俳句」が詠まれていますが、このことはご母堂の病気、そして数年後の入院と期を一にしています。
わたくしが「季」に入会しましたのが平成12年(2000年)、平成14年より必ず「母もの俳句」を詠み、「季」の「風華集」(毎月10句)に掲載されていました。ときには2句掲載することも多々ありましたが、亡くなるまでには、100句近く作句されていたことになります。
これだけ「母もの俳句」を作句している作家はそうそう多くはないだろうと思う。
※脇さんが亡くなった平成22年(2010年5月11日)の翌月に、季の恒例の「瑞史忌俳句大会」が江の島であった。
そのときの、わたくしの脇さんへの追悼句が、主宰始め皆さんから特選をいただきました句が
麦藁帽水平線に置き忘れ 利典
この句はわたくしの処女句集『樹木葬』におさめました。
今日は脇さんの命日です。合掌。
房総吟行集合写真 後列の麦藁帽子が脇さん