いばせんせいのブログ

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兵庫県猪名川町を“無料で”日帰り観光(その2)多田銀銅山坑道跡

2010年08月01日 16時08分34秒 | 旅・ドライブ(兵庫県)
前のブログの続きで、兵庫県猪名川町 多田銀銅山跡の散策です。

(※このブログの写真は全てクリックをすると拡大します)
多田銀銅山平炉跡の写真
↑「平炉跡」

前のブログで書いた“移築された代官所の門”からすぐのところに、まずこの炉の跡が川の対岸に見えてきます。

採掘した鉱石を溶かして金属分を取りだすための炉があったところだそうです。
ここにも石垣の跡が残っていました。

金山彦神社の写真
↑「金山彦神社」

平炉跡からすぐのところに金山彦神社がありました。鉱山の神様だそうで、平安時代に建立されたのだとか。

金山彦神社から青木間歩への道の写真
金山彦神社から、自然の残る林の中、きれいな水の銀山川沿いの道を進んでいきます。

多田銀銅山青木間歩坑道入口の写真
↑「青木間歩跡」

しばらく歩くと青木間歩(まぶ)という坑道跡があります。(間歩とは鉱山の坑道のこと)
まわりに「アオキ」の木がたくさん自生しているので、この名が付いたとか。

ここでは、近代に機械で掘られた坑道と、昔の手掘りの露天掘りの跡の両方が見学出来、多田銀銅山で唯一、坑道の中へ入っていくことが出来るところです。(9:00~17:00まで、自由見学。無料)
悠久の館から青木間歩までは歩いて600mくらいです。
多田銀銅山青木間歩機械掘り坑道内の写真
↑機械掘りの坑道の内部
坑道の中は1年中温度が一定で、真夏でもとても涼しいです。
ただし、湿気がものすごくて、眼鏡をかけていると、坑道を出た途端、眼鏡が曇ります。

多田銀銅山青木間歩露天掘り跡の写真
↑昔の露天掘りの跡

多田銀銅山水抜通風穴跡の写真
青木間歩から少し歩くと「水抜通風穴跡」があります。
坑道内の湧き水を外へ出し、坑道内が酸欠にならないよう空気を取り入れるための穴の跡だそうです。

ここからしばらくは、長い上り坂で、途中に建設会社の資材置き場や倉庫などが立ち並び、あまり風情は無い道を進んでいきます。
(青木間歩から歩いて700mくらい)

多田銀銅山大露頭の写真
しばらく坂道を登っていくと「大露頭」という、普通は地下にある鉱脈が地上に露出しているところが目の前に現れます。

多田銀銅山台所間歩跡の写真
↑「台所間歩跡」

大露頭のすぐ横に台所間歩跡という坑道の入り口があります。
豊臣秀吉が開坑したとかで、“大坂城の台所をまかなう”すなわち“豊臣政権の財政を支える”ほどの産出量だったことから“台所間歩”と呼ばれたそうです。

多田銀銅山久徳寺跡 山中鹿之助一族の墓の写真
台所間歩からしばらく歩くと、「久徳寺跡 山中鹿之助一族の墓」というところがありました。
昔はお寺があったそうですが、今は跡形もなく木立の中に墓石だけが残っていました。

多田銀銅山台所間歩跡から瓢箪間歩跡への山道の写真
久徳寺跡から更に坂道を登っていきます。山中ではありますが、山道ではなく、きちんと整備された道です。

採掘跡と思われる穴の写真
途中には、説明看板も立っていない、採掘跡と思われる穴もありました。

多田銀銅山瓢箪間歩跡の写真
↑「瓢箪間歩跡」

悠久の館からは1.5kmくらい歩いてくると「瓢箪間歩跡」というところがあります。
ここは室町(足利)時代から採掘されていたそうで、ここも豊臣時代に産出量の最盛期があり、その鉱脈の発見者の鉱山技師の親子に豊臣秀吉から馬印である千成瓢箪の印が与えられ、それを入り口に掲げていたのでこの名が付いたそうです。

昭和に入ってからも日本鉱業(株)という会社が採掘を続けていたそうですが、昭和48年に閉山し、多田銀銅山約1千年の歴史が幕を閉じたそうです。

多田銀銅山のブログはここまで。

次回も猪名川町散策を紹介します。


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