今日はちょっと悲しい記事を載せなければなりません。。
でも彼女ががんばって明るく生きたことを、私の胸の中だけで終わらせたくないので、皆さんに紹介します。
彼女は1530号、平成14年1月5日生まれ。
当時私は子牛の担当を受け持っており、彼女は難産で(頭が大きく、母親の骨盤に引っかかって出てこなかった)生まれてきて、酸欠状態が長引いたせいか。。。はたまた奇形児だったのか。。左半身が麻痺して、引きつったまま生まれてきました。
私は初めて彼女を見た時。。正直2日は持たないだろうと思いました。引きつりがひどく、目の焦点も合ってない。体も自分で起こせない。
半分あきらめて、見ていると。。彼女は不自由な体で精一杯ミルクを飲もうとがんばりはじめました。バタバタ暴れ、動く右足でなんとか体を起こそうとして。。。
「なんだよ~根性あるな~!!一緒にがんばろうな!」
私はがんばる彼女に感動し、介護をはじめました。麻痺した左半身をマッサージし、歩行訓練に散歩もさせました
がんばりの甲斐もあって、歩けるようになりました。左後ろ足の麻痺は少し残って、ヨタヨタと右方向に斜めに歩く歩き方ですが。。彼女は一生懸命あるきます。
少しとぼけた様な顔をしていて。。障害を抱えてるのに。。不自由な足を懸命に動かして1番にご飯を食べに来る彼女に、すっかり情の移った私は、「よしこちゃん」と名前を付けました。(子牛の時の番号が445号だったから。。語呂合わせです。この番号は子牛時代のみで分娩すると、番号を変えます。よしこは1530号になりました。うちの牧場で1530番目に初めて分娩した牛って意味です)
あれから5年。。去年の12月に3回目の分娩をし、体調を崩して少し心配な事もあったけど。。まだまだ元気で。。ずっと、まだそのとぼけた顔を見ていられると思っていたのに。。
19日の朝7時頃、事務所にいた私は悲痛な牛の鳴き声を聞き、慌てて牛舎へ入り見渡すと。。。座り込むよしこの姿。。後ろ足が。。よしこの不自由な方の後ろ足がありえないくらいぺシャンと開ききっていました。ご飯を食べて、ベットで寝ようと後ろに下がった時に他の牛に突かれたか、後ろから乗っかられたかしたのでしょう。いわゆる「カエル足」状態です。この状態が長く続と体重の重い牛は股関節を脱臼して、立てなくなってしまいます。私はすぐさま足を立ち上がれる状態に治し、よしこを病畜房に運ぶために準備をしようとした時。。よしこが立ち上がろうとしました。あっ!!まだだめ!!!と思ったとき。。よしこがスリップして「ボキッ!!」。。倒れた時にすごい音がしました。。
ウシは体重が重いため、脱臼や骨折などした場合は治る見込みが無く、廃用牛として出荷されます。
獣医さんもよしこを診て、「脱臼か折れてることは間違いないだろう」と診断されました。痛みとショックで体がどんどん冷たくなるよしこ。。とても辛そうでした。私が出来ることは少しでも早く出荷車を手配して、送り出してあげることだと。。!他のウシ達と同じように見送ることだと。。がんばりました。
酪農家の娘に生まれ、牧場で働き、31年間生きてきました。ウシはある程度「仕事」と割り切れていたつもりでしたが。。こんなに辛い思いをしたのは初めてです。私は彼女を本当に愛していたんだな。。。どんな困難にもめげずに生きることに執着した彼女を立派だと思いました。
今頃はお空にある虹の橋を渡っているころかもしれません。
よしこは歩くのが遅いから。。道草食ってばかりで。。
神様どうか、よしこが橋を渡る時は普通の子より幅を広くしてあげてくださいね。
斜めに歩いてくから。。ヨタヨタと。。。
写真は去年11月にお産前のよしこが乾乳舎に居る時のものです。
後ろのバーにオケツをこすり付けて。。掻いています
とぼけた顔してますよね。ホントに。。。
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