37年前
あの夏の日、暑い日
赤いTシャツには黒地でRock’n’Rollと
書かれており彼女のお気に入りだった
彼女は仏間で父は自室で母は夕飯作り姉は友人宅祖父母と弟は草津の貸し別荘へ長期滞在という家族はバラバラの状態にいた
それだけははっきりと覚えていてその後の記憶はぼんやりとしている
父が庭へ飛び出して「群馬の山に飛行機が落ちた」と叫んだ
もう薄暗くなってきた庭にいつものオチャラケた父の言い方とは違う声色に仏間からすっ飛んで庭に出た
「赤城?浅間?」
「煙が見える」
「え、嘘、そんな近く?」
親子の会話である
しかし、その煙は遠くの田んぼだか畑だか何処かで何かを焼いていたとその後判明
父はベージュ色のスラックスに薄いベージュ色のシャツを着ていた
あれから37年
彼女には群馬県上野村で生まれ育った友人がいる
その友人によると、テレビなどのメディアで流れてくる報道と当時の現場の状況がかなり違うという
ここには書けないような怪しい現実も、その話を聞いた時は携帯電話すらない時代だったので調べることも出来ず、なんだか悶々としていた彼女だが今色々と闇が散り沙汰されていて嗚呼となっての37年
群馬県上野村出身の友人とコロナが消えたら買い物&食事の約束をしている彼女は改めて当時の現場の状況を聞こうと思っているのであった
犠牲になった方々、そのご家族関係者様
この日は父との思い出にも会える日として今後も忘れずに生きていこうと思います
ご冥福をお祈り致します