何度でも主張します。尖閣諸島は日本の領土です。
参考にいくつかの記事を転載させていただきました。
<引用>
社会 「尖閣は日本の領土」 遭難救助の中国政府感謝状に明記
【石垣】中国と台湾が領有権を主張している尖閣諸島を「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記した中国政府の感謝状が、石垣市の八重山博物館に保管されている。1920年に石垣島の住民あてに贈られたもので、当時の中国政府が尖閣諸島を日本の領土と認識していたことがうかがえる。
<引用ここまで>
引用元http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-3159-storytopic-1.html
--------------------------------
<引用>
60年代の中国地図、尖閣諸島は日本領と認識―米紙中国政府の主張と「矛盾」 【ワシントン早川俊行】16日付の米紙ワシントン・タイムズは、中国政府が1960年代まで尖閣諸島は日本の領土であると認めていたことを示す地図を掲載し、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は昔から中国固有の領土」とする中国外務省の主張は「矛盾する」と指摘した。 同紙が入手したという地図は1969年に中国政府が作成したもので、同諸島を日本名で「尖閣群島」と表記している。紙面に掲載された地図は全体の一部分だけで、境界線の位置は確認できないが、同紙は「地図には尖閣諸島が日本の領土であることを示す境界線が引かれている」と指摘している。
<引用ここまで>
引用元http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/100917-191757.html
--------------------------------
<引用>
中華民国59(1970=昭和45)年、台湾で発行された『国民中学地理科教科書』(初版)所載の「琉球群島地形図」には、日本と台湾の国境線が台湾と尖閣・八重山諸島の中間に引かれており、島嶼名も「尖閣群島」と日本名で記載されていたのです。
ところが、その翌年、中華民国60(1971=昭和46)年に発行された同教科書(改訂版)では、国境線が台湾・尖閣諸島と八重山諸島の間に引き直され、「尖閣諸島」の島嶼名も「釣魚台列嶼」(ちょうぎょだいれっしょ)と書き改められたのです。
つまり、台湾『国民中学地理科教科書』を例に取れば、少なく共、1970年迄は、台湾が尖閣諸島を「日本の領土」であると認めていた訳で、翌1971年、台湾が尖閣諸島の領有権を主張したのに伴って、国境線と島嶼名が変更されたと考えられる訳です。では、もう一つの当事者・支那の場合はどうかと言う事ですが、1958(昭和33)年、北京の地図出版社から発行された『世界地図集』所載の「日本図」の場合も、「尖閣諸島」は台湾同様に「尖閣群島」と日本名で記載され、国境線も台湾と尖閣・八重山諸島の中間線に引かれていたのです。
つまり、台湾・支那両国共に、当初 ── ECAFEによる報告書発表以前は、尖閣諸島を「日本の領土」と認識していた訳で、両国による「領有権」主張は、やはり、「お宝」目当てと考えざるを得ないのです。
<引用ここまで>
引用元に画像があります。
引用元http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/senkaku.html
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平成22年10月3日追記
ワシントン・タイムズの尖閣諸島に関する記事
http://www.washingtontimes.com/news/2010/sep/15/inside-the-ring-145889960/?page=1
参考にいくつかの記事を転載させていただきました。
<引用>
社会 「尖閣は日本の領土」 遭難救助の中国政府感謝状に明記
【石垣】中国と台湾が領有権を主張している尖閣諸島を「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記した中国政府の感謝状が、石垣市の八重山博物館に保管されている。1920年に石垣島の住民あてに贈られたもので、当時の中国政府が尖閣諸島を日本の領土と認識していたことがうかがえる。
<引用ここまで>
引用元http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-3159-storytopic-1.html
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<引用>
60年代の中国地図、尖閣諸島は日本領と認識―米紙中国政府の主張と「矛盾」 【ワシントン早川俊行】16日付の米紙ワシントン・タイムズは、中国政府が1960年代まで尖閣諸島は日本の領土であると認めていたことを示す地図を掲載し、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は昔から中国固有の領土」とする中国外務省の主張は「矛盾する」と指摘した。 同紙が入手したという地図は1969年に中国政府が作成したもので、同諸島を日本名で「尖閣群島」と表記している。紙面に掲載された地図は全体の一部分だけで、境界線の位置は確認できないが、同紙は「地図には尖閣諸島が日本の領土であることを示す境界線が引かれている」と指摘している。
<引用ここまで>
引用元http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/100917-191757.html
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<引用>
中華民国59(1970=昭和45)年、台湾で発行された『国民中学地理科教科書』(初版)所載の「琉球群島地形図」には、日本と台湾の国境線が台湾と尖閣・八重山諸島の中間に引かれており、島嶼名も「尖閣群島」と日本名で記載されていたのです。
ところが、その翌年、中華民国60(1971=昭和46)年に発行された同教科書(改訂版)では、国境線が台湾・尖閣諸島と八重山諸島の間に引き直され、「尖閣諸島」の島嶼名も「釣魚台列嶼」(ちょうぎょだいれっしょ)と書き改められたのです。
つまり、台湾『国民中学地理科教科書』を例に取れば、少なく共、1970年迄は、台湾が尖閣諸島を「日本の領土」であると認めていた訳で、翌1971年、台湾が尖閣諸島の領有権を主張したのに伴って、国境線と島嶼名が変更されたと考えられる訳です。では、もう一つの当事者・支那の場合はどうかと言う事ですが、1958(昭和33)年、北京の地図出版社から発行された『世界地図集』所載の「日本図」の場合も、「尖閣諸島」は台湾同様に「尖閣群島」と日本名で記載され、国境線も台湾と尖閣・八重山諸島の中間線に引かれていたのです。
つまり、台湾・支那両国共に、当初 ── ECAFEによる報告書発表以前は、尖閣諸島を「日本の領土」と認識していた訳で、両国による「領有権」主張は、やはり、「お宝」目当てと考えざるを得ないのです。
<引用ここまで>
引用元に画像があります。
引用元http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/senkaku.html
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平成22年10月3日追記
ワシントン・タイムズの尖閣諸島に関する記事
http://www.washingtontimes.com/news/2010/sep/15/inside-the-ring-145889960/?page=1