春野かそいブログ

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春野かそい記念館 Haruno Kasoi Museum 「ミゼレーレ10」(荒) 作品230

2019-01-03 11:18:24 | ブログ

春野かそい書「ミゼレーレ10・種の蒔きがいがあるというものだ」(荒・wasteland)
2018年12月 約23.5×23.5㎝ 唐紙・墨
「荒」と書かれている。

ジョルジュ・ルオーは、版画集「ミセレーレ」で彼の生まれたパリのベルヴィーユ(当時は貧民や娼婦の街だった)を「悩みの果てぬ古き場末」と語っている。そしてそこは、彼にとって、人間が生きてゆかねばならない人生の象徴でもあったようだ。版画集「ミセレーレ」のテーマは「生きる苦悩」と「愛による救済」であるが、しかし愛による救済はほとんど行われないのが現実である。「ミセレーレ」第22番でルオーは「さまざまな世の中で、荒地に種播くは美しい業」と語っているが、「荒地」は、彼の生まれたパリの街であり「罠と悪意のこの世」のことである。彼にとって、種を蒔くとは「愛すること」であり、また作品を「描き続けること」でもあった。
「種蒔く」は、「マタイによる福音書・13章」などの聖書に出てくる言葉で、種蒔くとは、神の言葉を広めることを意味する。ジャン・フランソワ・ミレーやゴッホが絵に描いている。また日本の社会主義運動などで単純化され利用されもした言葉である。教会などでの聖書の解説では、愛の種を蒔くというよりも悪意の種を蒔いているとしか思えない牧師などがいて、とんでもない事ではないか!と、わたしは嘆いたりしている。
わたしはルオーと同じく、荒地に種を蒔くことこそ神の愛だと感じて、この作品を制作したのだ。

春野かそい書 「日本国憲法前文」

日本国憲法前文