梅雨の早朝、ときおり暗雲の切れ目から覗く澄み切った青空と無数の蝉のシンフォニーが私の生命力の救いだった気がする、これは、私の幻覚かも知れないが、放言を許して頂きたい。芸術や芸術家や書道について勘違いしている人が多いようなので!私の言葉は耳触りの良いものではないだろうが、良い耳触りより真実を大切に思っているので、馬の耳に念仏にならないことを願うが,本当のところ馬の耳でもロバの耳でも豚に真珠でも私はかまわない。芸術は誰にでも分かるような易しいものではなく,難しいものだからである。解る人には解るし、解らない人には解らない。険しい道でも厭わない人にしか芸術の女神は微笑みかけない。意見は各人自由だが、これに異論を唱える人と私は同席できない。私の目的は正論を唱えることではなく真実を述べることなのだ。
「絵画には美しいか美しくないかの別があるだけで、「わかる」「わからない」という関係で絵画がなりたっているわけではない」(木村重信)
「私は生まれたての赤ん坊のようでありたい。すべてに無知でありたい。ほとんど原始人のようでありたい」(クレーのことばより)
「もしおまえが、人間たちを理解しようと欲するならば、彼らが語る言葉に耳を傾けてはならない」(サン・テグジュペリ『城砦』より)
「芸術家は人間が直接感じることのできない「全体」を芸術作品の中に実現できるのであり、これこそクレーの言う「見えるようにすること」である。クレーは、全体を可視的にできるのは創造的な人間、つまり芸術家のみと密かに自負していたのではないか。そして、その手段となったのが、おそらく独立した線である。「自分の心の中のものを見えるようにするための思考と手の動きの修練であるクレーの線は、・・・そのタイトルと相互に作用し、無限に広がる自己のイメージを獲得したといえる。」(志野奈都子)
乱暴に言えば書は造形芸術です。造形芸術は色と形でできています。
書は一般にモノトーンですから色はありませんが、線質が絵画の色にあたります。線質には書者の個性や心の澄濁や本質が表れています。線質は書の最も重要なところです。線質には書者の真実が表れます。ただし、線質(真偽)を見分けるのは大変難しい。
日本最初の書論と思われる空海の「遍照(へんじょう)発揮性(はっきしょう)霊集(りょうしゅう)」(性霊集)の中から書についての個所をいくらか見てみましょう。屏風に中国古今の詩人達から秀句を選んで空海に書かせよとの天皇の命令を受け驚いた空海は次のように述べています。自分は禅定三昧に耽り、長いこと書道から離れていますので屏風への揮毫を辞退したいのですが、天皇の命ならばそれもできず、無理して筆を揮って書きました。・・・後漢の蔡邕の「筆論」にいうことには「書というものは散である(胸中の思いを心の外に解き放つものである)」とあります。ですから書は、字形のまとまりだけで、うまく書けたとはしません。・・・書もまた詩と同様に、古人の書の意にならうことをすぐれたことと考えますが、古人の書の形にただ似ていることで、それを上手であるとは考えません。・・・空海は人にすぐれて、精力的でねばり強く柔軟な肉体を持っていた・・・そういう良い条件の身体に恵まれなかったならば、空海の超人的な大きな活動は不可能である。特に手は柔軟で機敏であったにちがいないと思われます。
『性霊集』から空海の書道観をまとめてみましょう。
1書の表現は気持ちの解放である。だから字形のまとまりを整えるだけではいけない。
2心を外界の対象物に遊ばせ、万物と一体になることから生まれた心の感動を、自由に解放するのが書の表現である。
3書の表現は大自然の生命力の創造作用と同じになるべきである。四季すなわち自然の運行の秩序に運筆の法を則り、天地自然の万物の形象に文字の形勢を似せなくてはいけない。
4宇宙と人間、万物と心との感応交感による感動から文字は生まれる
5古人の書の形をまねるのではなく、古人の書の意をつかみ、他人の模倣ではない、自己の個性的な表現をすべきである。
6書の表現は、技巧の習塾も大切だが、それ以上に雅趣すなわち芸術的な感興の表現が大切である。
7書道は非常に奥深いものであり、それをきわめるには、無限の努力をしなくてはいけない。
先回発表した繰り返しになりますが、「癒し系」ではない本当の慰め、癒しを知るために、私の意見も交えて部分的に推敲しながら再掲載します。
「癒し系」という言葉はいつごろ誕生したのだろうか?この言葉自体が世界の、或いは人類の絶望的状況の深刻さを逆説する。・・・・・・私も大嫌いなカラヤンだが、何が嫌いかというと、その自分のイケメン?と容姿にうぬぼれた醜い男のわざとらしさだ、吐き気がするほどである。その受けを狙った善人ぶりだ!苦悩もしていないのに苦悩する芸術家を演じるその姿のわざとらしさ(嘘)だ。 カラヤンも可哀そうに!そのようなイメージを演出する偽善者
どもの存在が悪なのだが、才能とはそんな卑しいものなのか。好漢でもない卑しい奴を好漢というファン達が醜く卑しい!私はこのような偽善者は大嫌いなのだが、どこかが間違っている。違和感、気持ち悪さ、薄気味悪さが綯(な)い交ぜになった嫌な感じ、どこか作り物めいた白々しさ彼の音楽(音楽の力を素直に肯定する)によって救われた人も少なくないだろう。しかし、そのような慰めは多くの場合、間違っている。目を背けてはならない。彼の音楽は小市民社会の偽りの幸福感、欺瞞と瞞着に根ざしている。慰めが所詮は弱者に用意された嘘であり、カラヤンはその慰めを提供したに過ぎないのだからカラヤンに悪いところなど何もない。本当にそうだろうか?彼がその音楽とともに現代社会にまき散らした嘘は、そのように長閑な感想で満足すべきものではないのではないだろうか?・・・音楽の聴き手の痴呆化を後戻りできないところまで推し進めたカラヤンの負の遺産は未だに消えていない。カラヤンが彼以後の人心に刻み込んだ歪んだ価値観の一元化は根の深いものだ。そのようなものの考え方、世界の捉え方は、社会的、政治的勝者・強者と共同し、純正な文化環境を破壊し、誠実な知性を圧殺しようとする。」(『カラヤンがクラシックを殺した』宮下誠から)
後ろ姿のカラヤン。スコア研究の合間だろうか?
一人の勤勉な世界的指揮者のひと時の安らぎと孤独が見事に「演出」されている。ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーフィット・フリートリヒ描くところの表象の一つが明らかに下敷きになっている。
永遠に憧れ、深い思弁に沈む英雄的な一人の男。後ろ姿にまで人の目を引くよう周到に為された自己演出は、この指揮者の底なしの野望を暴き出し、ヒトラーの肖像画めいて、どうにも気味が悪い。この男はどこに行こうとしていたのか? 彼の後ろ姿に隠された視線はどこに向けられているのだろうか?
彼の救いがたい虚偽は21世紀にまでその射程を収めているが、それを悲劇的でひたむきな音楽への無私の奉仕だと誤解しているものは多い。何よりやりきれないのはカラヤン自身がそう考えているということだ。
その他、私が気になる価値観、世界観、芸術観を少しですが載せておきます。
ドストエフスキー 人間の魂の苦悩を芸術的に表現した作家として、ドストエフスキーは(1821-81)は世界文学において比類ない地歩を占めている。彼は貧しい軍医の家庭に生まれ、ペテルブルクの陸軍技術学校を卒業して官職に就いたが、まもなく辞職して、文筆生活に入った。
彼の初期の作品『貧しい人びと』『白夜』などでは、都会の裏町に住む貧しい人間の心理を異常な鋭さをもって描かれている。その基調をなすものはこれらの不幸な人々への作者の人間的な同情である。
彼は社会主義の理想をロシアに実現することを夢見て、ペトラシェフスキーの秘密組織に参加し、1849年に捕らえられてシベリアに流された。10年にわたる拘束生活のあいだに、彼は社会主義と無神論を捨てて、深く宗教的な人間になってロシアに戻った。そして生活の諸条件が変わる可能性を否定し、人間不幸の原因やその不幸からの出口を人間の内心に求めるようになる。それが宗教への道である。彼はギリシャ正教の中に救いを見いだそうとする。彼によれば、「人類の不幸の源泉は魂の原罪であって、社会制度の欠陥ではない。人間は何よりもまず己心にひそむ悪や罪と戦い自力で道徳的完成を成し遂げなければならない。われわれの救いは神にある。しかるに社会主義の本質は神の否定にある。これは間違っていると言わざるを得ない」( Web酒井一之ロシア文学案内)より
下記の記事は、私が指摘した「宗教は毒酒である」(レーニン)という言葉がデマだとでも言いたいのだろうか?
「ロシア十月革命の翌年に公布した布告で、「いかなる宗教を信仰することも自由、またいかなる宗教を信仰しないことも自由」とすることを国家の基本原則とした。」(「しんぶん赤旗」より2010年7月15日)
私事にわたるが、学生時代にボクが読んだ小説はドストエフスキー物がいちばん多かった。ドストエフスキーの作品には、悩んだすえ絶望した若者が多く登場する。学生の常でボクも悩みごとが多かった。それで、ドストエフスキー物の若者の中に自分の姿を見いだしたのかもしれない。
キルケゴール(注.デンマークの思想家。人生最深の意味を世界と神、現実と理想、信と知との絶対的対立の中に見、後の実存哲学と弁証法神学に大きな影響を与える。)の著『死に至る病』のうちには『罪と罰』のラスコリニコフとマルメラードフ、『悪霊』のスタヴローギン、『カラマーゾフの兄弟』のイワンやコーリャ・クラソトキンをモデルにして書いたとしか思えないくだりがいくらでも見つかる。いつの時代にも青年は絶望しているのだ。絶望なんかしていないと思うのも、絶望の一つの典型なのだ。閑話休題。
以下、ドストエフスキーのライフワークである宗教的心理小説の4大長編のあらすじを創作年次順に語ろう。
『罪と罰』 ドストエフスキーの作品の中で、時として病的と言えるほど深く犯罪心理を追及した大作である。物語は主人公ラスコリニコフのペテルブルク大学生時代に始まっている。そのころからラスコリニコフは赤貧洗うような窮乏生活と闘わなければならなかった。うつ病で内省的な彼は、いつも小部屋に閉じこもって瞑想にふけっていた。彼は、「生命の中にある善悪は絶対的なものではなく、相対的な概念である」と考え、こうした善悪のそとにあって、行為の道徳的評価を超越した少数の超人を衆愚から区別し、自分もその超人の仲間入りをしようと考える。彼の哲学によれば、超人はその天才ゆえに、善悪を超えてあらゆる行為が許される。そして衆愚は、超人が最高目的を達成するための手段とならなければならない。選ばれた超人には道徳倫理の制約はない。なぜなら、超人にあっては目的が手段を浄化するからである。
このように考えるラスコーリニコフは、かねて狙いをつけていた高利貸しの老婆を殺そうと決意する。しかしこの計画で彼にとって重要なのは、大金を手に入れることではなく、殺人が彼の哲学の正しさを立証することだった。であるから、彼は凶行の結果よりも行為の論理的手順を重要視する。結局、彼は自分の凶暴な観念のとりこになり、老婆だけでなく、誤って予定外に老婆の妹まで殺してしまう。そして、このような二重の殺人による煩悶・錯乱が悪夢のように彼を襲い、彼は良心の呵責に苦しむようになる。こうして、彼は自分が殺したのは他人ではなく、結果的には彼自身であり、自分の哲学であったことを知る。彼の論理は完全に敗れた。犯罪の深刻な心理描写亜は、名検事ポリフィーリーの論告と相まって作者の筆才の独壇場である。
ラスコーリニコフの精神的更正において恋人ソーニャが少なからぬ役割を果たした点も忘れてはならない。貧しい小役人の娘である彼女は、義母とその子供を貧困・飢餓から救うため、春をひさぐまで身を落とす。彼女は境遇の汚らわしさ、恥ずかしさを意識しながらも、心は清純そのもので、持って生まれた人の良さ、他人への思いやり、そして厚い信仰心を持ち続けた。ラスコーリニコフにはソーニャが、人類の苦悩を一身に背負ったキリストの再来のように思えた。ソーニャはラスコーリニコフの身の上に深く同情しながらも、信仰の最高哲理に従い、いさぎよく悔いをあらためて罪をあがなうよう薦める。彼女の心根に深く感動したラスコーリニコフはついに自首して、シベリアに流される。ソーニャも彼のあとに付きしたがい、そこに二人の新生活が始まろうとするところで小説は幕となる。 『罪と罰』の基本理念は、反逆や暴力を象徴するラスコーリニコフの傲慢な理性とソーニャの温順な信仰との戦いにおいて、最終的に勝利するのはソーニャの温順な信仰という点にあったと思う。
『白痴』 本篇は作者が外国滞在中、窮迫のどん底にあって書き上げたもので、ドストエフスキーの傑作の中でもとくに「美の悲劇」といわれ、美の魔力と真実の救いとの悲劇的な葛藤を描いた力作である。作者みずから言及しているように、彼はこの作品において、現代のキリストともいうべき愛と美の理想を体現した人物を描こうとした。主人公ムイシュキン公爵はかくありたいと願う作者の理想像である。たしかに、神秘的天性において最高真実の光彩を放つ公爵はまさしくそうした人間理想であり、その性格は、神のように清純な精神、幼児のように素直に人を信じる心、他人に対する無限の愛と慈悲心である。小説は、ムイシュキンの病気がほぼ癒えて、外国療養から帰国するところから始まる。帰途の車中で相手役のラゴージンに会い、彼の口から初めて女主人公ナスターシャのことを聞く。以下、あらすじである。
ナスターシャはまだ15-6歳の少女だったころから好色の富豪貴族トーツキーの肉欲の犠牲になり、その妾(めかけ)として暮らしていた。そのうち、長いこと卑劣な男に貞操をもてあそばれていたことを知って、ナスターシャは激しい屈辱と怒りを持ちはじめた。彼女の性格は一変して、今までの謙譲さやしとやかさを失い、高慢なあばずれ女になり果てる。ムイシュキン公爵が彼女と知り合うのは、ちょうどそのような時であった。彼女の美貌は最初から公爵の心をうばい、彼女の悲しい身の上に限りなく同情するのだった。ナスターシャもまた、多くの取り巻き連の中でムイシュキンだけは心から彼女を愛してくれる唯一の人間であることを知って、彼に強い愛情を感じはじめる。だが一方で、酒喰らいのラゴージンが動物的情欲で彼女に迫るのを、内心嫌悪しながらも、その情念に負けて彼と結婚しようと考えている。このように、悪魔の生命と神の生命をあわせ持つナスターシャは、悪魔的なラゴージンと神のようなムイシュキンとの間で心が二つに割れて、気が狂うほど悩みぬいたあげく、「堕落した自分ゆえに純真な公爵の心をけがす」ことを恐れて、ラゴージンと駆け落ちをする結果になる。こうした彼女の心の揺らぎ、内的葛藤、挙げ句の果ての精神的錯乱を描く作者の芸術的筆致はまさに圧巻である。ラゴージンにしてみれば、ナスターシャを肉体的に征服したものの、彼女の心までは支配できず、さりとて嫉妬の業火からのがれることもできなかった。挙げ句の果てラゴージンは睡眠中のナスターシャを刺殺してしまう。この惨劇を知ったムイシュキン公爵は発狂してふたたびスイスの精神病院に送られる場面で小説の幕は閉じる。
『白痴』ではいくつかの根本的な矛盾・対立が主題となっている。たとえば神と悪魔、マクロ的始源とミクロ的始源、感覚的真実と感覚的美、悪魔的傲慢と天使的謙譲──こうしたもろもろの矛盾が衝突するとき、それが思想上の嵐に転化する。そして作中人物はすべて、この嵐に巻きこまれて麻痺状態になるのだ。作者ドストエフスキーはそうした人間心理の混沌によって誘発される欲送られ望のナゾをすさまじいまでの筆力で説き明かしている。
『悪霊』 ドストエフスキーの長篇でも別してユニークな作品である。本篇は当時の有名なニヒリスト(虚無主義者)ネチャーエフが仲間の学生イワーノフ某を殺害した、いわゆる「ネチャーエフ事件」をモデルにしたといわれている。ドストエフスキーにとってネチャーエフ主義すなわちニヒリズムは単なる偶然事ではなく、暴力革命の必然的所産であるがゆえに、彼はこの事件をとらえて、革命の道徳的本質にせまり、直接その核心に打撃を加えようとしたのだ。「社会が風刺の対象になるのは、それが、悪魔にとりつかれたように、革命思想という病に冒されるされているからだ」とドストエフスキーは考える。この作品の描写はことさら痛烈だ。青年層などに少しも遠慮せず、逆に毒のある痛罵と嘲笑で青年の目を開く意図で書かれている。だから一部の批評家は、本篇を特定の陣営に対する悪意のあるカリカチュアとしてしか見ようとしなかった。
本篇においては、ネチャーエフ(ピョートル・ヴェルホヴェンスキー)をはじめ、グラノフスキー(ステパン・ヴェルホヴェンスキー)、ツルゲーネフ(カルマジーノフ)ほか、ベリンスキー 、オガリョフ 、チェルヌイシェフスキー など、社会、文壇の知名人が戯画化されている。(上に挙げた人々はすべて、西欧派でナロードニキ思想の持ち主)作者自身にとってこの作品は自信作だったが、読書界の進歩分子からはかなり痛烈な攻撃を受けた。彼らは本篇から、作者の反動的な憎しみ、政治的な保守主義以外の何ものも見ることはできなかったのである。
この小説は途中から別の作中人物スタヴローギンを取り入れている。無政府主義者バクーニンをモデルにしたといわれるこの人物は、あたかも別世界から現われたように、『悪霊』の基本テーマとはなんら有機的関連を持たない複数の新しい人物を小説に引き入れつつ、これらの同伴者とともに小説の第二層を形成している。第一層ではピョートル・ヴェルホヴェンスキー(ネチャーノフ)を中心とする悲喜劇であったが、第二の物語はスタヴローギン(バクーニン)を主人公とする悲劇である。
スタヴローギンは口数の少ない25歳の青年であるが、同時に大胆かつ自信家である。彼は思想において極端から極端にはしり、信仰から無信論に転じ、社会的なニヒリズムから宇宙大のニヒリズムにまであわせ持っている。作者はかねて『無神論者』もしくは『大罪人の一生』と題する大作を計画していたが、スタヴローギンはつまりこの大作の主人公になるべき人物であり、要するに信仰と無信仰とのはざまを去来する人物、すなわち懐疑に苦しんだ、かつての作者自身を体現した人物である。
その他の人物中、実在のキリスト者イワーノフ某をモデルにしたシャートフは、作者が自分のスラブ主義と正教理念を代表させた人物であり、別して独創的な人物キリーロフは超人思想を代表する人物で、実存哲学の始祖の一人ニーチェの先駆的形象である。ドストエフスキーは、さきに『作家の日記』において、「いったんキリストを否定したら、人智は驚くべき結果に到達する」と書いたが、『悪霊』はこの「驚くべき結果」を人類に示す意図をもって書かれたものである。彼は本篇で、「革命の名において手段をえらばず、神の掟(おきて)を破る権利を主張する者は、悪霊にとりつかれた者として、断罪される」と書いている。一言にして、『悪霊』は大いなる怒りの書であり、ロシア文学における『黙示録』ともいうべき作品である。父親フョードルは、最後は淫乱貪欲の化身となり果てるが、彼の性格そのものは、それぞれ拡大された形で4人の息子に受け継がれる。
すなわち、長男ドミートリーは旺盛な生命力となニヒリスト(虚無主義者)ネチャーエフが仲間の学生イワーノフ某を殺害した、いわゆる「ネチャーエフ事件」をモデルにしたといわれている。ドストエフスキーにとってネチャーエフ主義すなわちニヒリズムは単なる偶然事ではなく、暴力革命の必然的所産であるがゆえに、彼はこの事件をとらえて、革命の道徳的本質にせまり、直接その核心に打撃を加えようとしたのだ。「社会が風刺の対象になるのは、それが、悪魔にとりつかれたように、革命思想という病に冒されるされているからだ」とドストエフスキーは考える。この作品の描写はことさら痛烈だ。青年層などに少しも遠慮せず、逆に毒のある痛罵と嘲笑で青年の目を開く意図で書かれている。だから一部の批評家は、本篇を特定の陣営に対する悪意のあるカリカチュアとしてしか見ようとしなかった。
本篇においては、ネチャーエフ(ピョートル・ヴェルホヴェンスキー)をはじめ、グラノフスキー(ステパン・ヴェルホヴェンスキー)、ツルゲーネフ(カルマジーノフ)ほか、ベリンスキー 、オガリョフ 、チェルヌイシェフスキー など、社会、文壇の知名人が戯画化されている。(上に挙げた人々はすべて、西欧派でナロードニキ思想の持ち主)作者自身にとってこの作品は自信作だったが、読書界の進歩分子からはかなり痛烈な攻撃を受けた。彼らは本篇から、作者の反動的な憎しみ、政治的な保守主義以外の何ものも見ることはできなかったのである。
この小説は途中から別の作中人物スタヴローギンを取り入れている。無政府主義者バクーニンをモデルにしたといわれるこの人物は、あたかも別世界から現われたように、『悪霊』の基本テーマとはなんら有機的関連を持たない複数の新しい人物を小説に引き入れつつ、これらの同伴者とともに小説の第二層を形成している。第一層ではピョートル・ヴェルホヴェンスキー(ネチャーノフ)を中心とする悲喜劇であったが、第二の物語はスタヴローギン(バクーニン)を主人公とする悲劇である。
スタヴローギンは口数の少ない25歳の青年であるが、同時に大胆かつ自信家である。彼は思想において極端から極端にはしり、信仰から無信論に転じ、社会的なニヒリズムから宇宙大のニヒリズムにまであわせ持っている。作者はかねて『無神論者』もしくは『大罪人の一生』と題する大作を計画していたが、スタヴローギンはつまりこの大作の主人公になるべき人物であり、要するに信仰と無信仰とのはざまを去来する人物、すなわち懐疑に苦しんだ、かつての作者自身を体現した人物である。
その他の人物中、実在のキリスト者イワーノフ某をモデルにしたシャートフは、作者が自分のスラブ主義と正教理念を代表させた人物であり、別して独創的な人物キリーロフは超人思想を代表する人物で、実存哲学の始祖の一人ニーチェの先駆的形象である。ドストエフスキーは、さきに『作家の日記』において、「いったんキリストを否定したら、人智は驚くべき結果に到達する」と書いたが、『悪霊』はこの「驚くべき結果」を人類に示す意図をもって書かれたものである。彼は本篇で、「革命の名において手段をえらばず、神の掟(おきて)を破る権利を主張する者は、悪霊にとりつかれた者として、断罪される」と書いている。一言にして、『悪霊』は大いなる怒りの書であり、ロシア文学における『黙示録』ともいうべき作品である
『カラマーゾフ兄弟』 ドストエフスキー畢生(ひっせい)の大作『カラマーゾフの兄弟』のなかには、シベリア流刑から帰ったのちの彼の基本的な思想が凝縮されている。
カラマーゾフ一族 ── 父親フョードル、長男ドミートリー、二男イワン、三男アリョーシャ、さらにフョードルが白痴の女に生ませた私生児スメルジャコフ ──情熱、誠実と信仰の持ち主だが、抑制と調和の能力に欠け、善への思考をもちながら、しばしば情欲の悪魔にとりつかれ、妖婦グルーエンカをめぐって父親と争う。
次男イワンは、西欧的な合理精神の持ち主で、徹底した無神論者である。彼の無神論は、彼が弟アリョーシャに語って聞かせる自作の劇詩『大審問官』においてもっとも先鋭に表現されている。大審問官はキリストの教えを訂正し、人類を主人と奴隷に分け、「奴隷にひとしい民衆は自由を望まず、ただ群衆心理的な信仰と、神・絶対者への盲目的脆拝に終始するだけである。彼は、自由の重荷から民衆を救うためには、強力な独裁国家を建設しなければならない」と考える。大審問官が地上に建設する神の国家のなかに、作者ドストエフスキーは自分流に解釈した社会主義のユートピアを暗示している。
イワンは理性に頼り、神を否定するが、理性を欠くスメルジャコフはイワンの無神論を聞き、神が存在しなければ、何をしてもよいという結論を引き出し父親フョードルを殺す。そして、イワンに向かって父親殺しはイワンの教唆(きょうさ)によるものだと告げて自殺する。イワンはスメルジャコーフのなかに愛によって和解させようとして果たせなかったが、さらに高い調和人間への自己完成の道に向かう。作者の最終プランでは、これより13年後のアリョーシャを主人公とする物語を書き上げるはずだったが、作者の死によって実現しなかった。
「ルオーの筆は彼の心が捉えたリアリティを描いて、イデオロギーに迎合するような嘘をつけない。」
(ルオーのまなざし 表現の情熱 宮城県美術館図録より)
「愛と犠牲の体現者キリストに従うルオー。道化師やサーカスの人々、彼らは罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在、彼らを描くことは人間の背負う苦悩や絶望を問いただした。救いや愛を描き出すこと。彼らの哀切さを通して人間本来の姿を暴き出そうとした。」(ルオー版画ミセレーレ解説より)
「あなたは神を信じますか? 私は彼しか信じない。私は触れるものも見えるものも信じない。私は見えないもののみを、ただ感じるものだけを信じる。」(ルオーの師モローの言葉)
「私たちは有機的に思索し、有機的に感覚します。すべての有機体、すべての植物、すべての動物はこの意味において、私たちにとって一つの「全体」を形づくります。
一つの「全体」はこのように、「単純」でなければなりません。・・・とにかくこういうことは今日の人間にとっては正当だとは思われないでしょう。中世期の思索をひとり占めして充溢してきたこの有機的な世界と並んで、我々にとっては非有機的な世界が登場してきました。大宇宙そのものが、科学によって、それは実に我々の身近な所まで引きつけられてきたからです。今日の我々の外部の世界を実に驚くべく変化させてしまった科学的な思索は、我々の内心の生命にまで立ち入って、いよいよ重大な役割を果そうとしています。そしてこれまで我々にとって、最も深い親密な出来事であると思われていた芸術や宗教に対する私たちの関係の上に深く影響し、それを変革しはじめました。そこから芸術や芸術家の生活にとって、これまでの人類の四千年の歴史がかつて知らなかった問題がおこってきました。・・・芸術家は創作することによって生きています。この「有限」な、有機的な形体の中に、「無限」な、創造的な自然を盛りこむ作品を、次から次と創作することによって。芸術家にとって必要なのは、一面においては、「全体」のもつ恩寵であり、直観であり、また他の一面においては、この直観を生き生きとした、血にあふれた現実の中に盛りこむ、作品の現実とし閉じこめるための強靭な力でなければなりません。個々の作品の持つ芸術家の直観、むしろ実現を希求する、というより、彼の直観を感覚の上に表現しようと希求する真の芸術家の熱狂的な努力に対して、科学的な思索はただ限定された関心しか持っていません。なぜなら、それは個々の場合などを全然はじめから問題にしていないからで、ただ種々さまざまな個々の場合の相関的なもの、典型的な場合だけを問題にするからです。こういう思索から見れば、芸術的家的な創造はあまりにもはかない見せかけの現象を「過剰にまで、重大に、受け取りすぎる」ことであり、純粋に感覚的な生命という外部的な出来事にあまりにも耽溺しすぎることだと片づけらてれてしまうかもしれません。 芸術家はたえず新しく押しせまってくる課題、個々の場合を克服しようという課題から、自分を遠ざけようとするいっさいを、ペストのように回避しなければなりません。 ・・・・・・ここに決定的なことがあります。今日の音楽の生命を脅やかす危機はどこに在るか、と言えば、一辺倒の、科学的思惟だけが突如として、止めどもなくふくれ上がってきて、その他のいっさいを犠牲にしてしまったということです。・・・・・・いずれにしても、音楽の生命をゆするこの変革は、ただ作曲家たちの意図や努力の上にだけ限定されて働きかけるものだ、などと考えてはなりません。実際に音楽を演奏し、指揮しつつある音楽家らも、同様にこの変革を免れるわけにはゆきません。以前は指揮者や、ピアニストなどの努力は、ただ徹頭徹尾偉大な作品をあらゆる豊かな生命をもって再現することに向けられればよかったのです。なぜなら、人は情熱をもって、そういう偉大な作品を信じきっていたからです。それはまだ「英雄崇拝」の時代だったのです。が、今日の科学者たちは、そんなものはもう征服しおえたものとして、軽蔑しきっています。あのころは、解釈家にとっては、たとえばベートーヴェンの作品を、要求されるかぎりのあらゆる法則性と透明さと、温かい情熱、純情と偉大さを持って再現することが課題だったのです。今日の凡庸な演奏を聴いてみると、人は無意識のうちにこんなことを自問せずにはいられません。今日の世界にとっては、これらの作品は突然もうどうでもよい興ざめたものになってしまったのだろうか。・・・フルトヴェングラー著芳賀檀訳「音と言葉」1934年新潮文庫から)。