のんびり創価学会

ヒデの歩み 男子部活動家から未活動に。書きたい事を書く。それだけ。
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スカウト祭り

2009年12月20日 11時58分11秒 | Weblog
毎年この時期になると4者的には友好週間に入っていきますが、男子部人材グループは大学校は入卒式までのラストの大折伏戦。団長やラインの部長さんは新たな大学校生のスカウト時期。今回はこのスカウト時期でのエピソードを。
題して「スカウト祭り!」(プーさんから100%パクリ)

当時の私の役職はラインは本部長で創価班は運営部長。しかし当時の大学校団長が自ら辞任しましたので団長も私がやっていました。

創価班・牙城会で各1名の計2名が絶対条件でのスカウト時期の部長会。報告が上がってくるのが部平均1人以下。各部長は下を向き御通夜状態。団長からとして私の話でガンガン詰めると思っていた県幹部の思いとは反対に少数精鋭で行こうと!場当たり的に人を増やした所で潰れるのは目に見えてる。本当に意識のあるメンバーでいきたいと。
当時の圏男もほぼ同じ考えでしたが最後の幹部指導で覆されました。
幹部曰く、スカウト目標の各部2名を出せないからという理由で簡単に変更しようとする姿勢は間違い。これを変更すれば今後も目標達成出来ない度に目標変更する卑怯な人間になると!

現実見えてんの?じゃあテメーが一人でやれ!と帰りたかったが当時は良い子ちゃんでしたので我慢。

しかし我慢した理由はもう一つありました。それは私の本部はあと創価班1名出せば目標達成の状況。その1名は仕事の問題と最終確認が取れてない事で見送っていました。
仕事の問題というのが居酒屋の店長で勤務時間が昼から深夜まで。部活は毎回参加は出来ませんが、暇な時などは途中で抜けて来たりと意識の高いメンバーでした。

部長は創価班をやらせたい思いが強く最後まで私に食い下がりましたが、人材グループだけが全てじゃないし、また内容も詳しく説明出来ていなかったので却下していました。しかしこういう状況になったので説明し本人が了解すればOKとしました。

その部長は本部で自分の部だけ目標達成出来ていない状態が悔しく翌日より目の色を変えて家庭訪問。

それがいけなかった…。

この時期は居酒屋は忘年会シーズンで忙しく中々連絡も取れない。その為、部長は部長会終了後11時から深夜1時まで店の前で張り込み。彼の仕事は忙しく3時4時までの仕事だったようです。

昔の優等生エピソードだったら「部長の思いが有り難く大学校で戦う決意が出来ました」でしょうが私に苦情の電話がありました。対話する中で今の活動状況が精一杯な事と創価班に入れば自分が部長のようにやる事が出来ないし、やりたくないので辞退するとの事でした。

部長は落ち込みましたが、彼が前と変わらず部活に参加してくれた事が救いで徐々に元気を取り戻しました。

人材グループの候補生人数は増えましたが、ある意味騙されたような格好で参加しているメンバーも居て、県・総県面接で落とされ最終的に最初の部長会の時の人数に落ち着きました。

担当で入っていた県幹部に報告した所「ふ~ん、そうか。」でした。

そんなエピソードでした。

忘年会シーズンに…

2009年12月17日 22時18分28秒 | Weblog
前回の更新からコメントのレスが遅れてしまって申し訳ありません。連日、忘年会で少し肝臓を休めないといけないな~と感じている今日この頃、みなさんどうお過ごしですか?

この不況でボーナスも若干下がりましたが、民間を経験していますので不満は一切ありません。自分の年齢×2ぐらい貰いましたので本当に有り難いなと思っています。更に「仕事」を頑張ろうと決意しました。

今日は忘年会は無しでゆっくり家で寛いでいると本幹中継の誘いの家庭訪問…。
当然、行きません。明日も土曜日も忘年会で日曜は家族サービス。何で夜・休日まで「創価学会株式会社営業部」の仕事をしなければいけないの?(四方収集さんの表現パクリましたw)

「池田先生」「広宣流布」この言葉の印籠にうんざり…。今日も散々この言葉を言われました。基本はあまり言い返しませんが、もうそろそろ良い子ちゃんは止めて言い返そうかな~と思っています。

今日はこんな所で。

教学試験での…

2009年12月08日 21時20分04秒 | Weblog
11月末に教学試験がありました。私が経験した教学試験でのエピソードを語りたいと思います。

まだ成果を上げる事に対して何ら疑問を持っていなかった部長時代の事です。圏でも1・2を争う我が部と本部が同じ隣の部。良い意味でライバル関係でもありますが部を超えてメンバー同志の交流もあり、合同部活などを行うなど仲の良い関係でした。

その隣の部の副部長A君が女子部の人と結婚する事になりました。
ただ時期に問題がありました。式・披露宴は土曜日ですが翌日が、
とある教学試験の日でした。我が部からは披露宴には私を含め数名の参加。2次会に他のメンバーも集う予定にしました。A君にも2次会には我が部から活動家全員が参加する旨を伝えました。

その翌日から、試験日は日曜日ではなく土曜日と決め、その前日金曜日まで皆で集中し、勉強会を行いました。

そして式当日…。本当に素晴らしい感動的な式でした。内容は省略。

そして2次会の会場を移動しようと思っているとA君の部のメンバーは皆帰っていきます。部長を捕まえて確認すると
「当然明日が試験日だから帰るよ~。A君にも前以って伝えているしね」と。
私は「その考えは考えで良いかも知れませんが何か寂しくないっすか!もういっすよ自分等で盛上げますから」
といって2次会の会場へ。

A君は県外から就職で来たメンバーなので予想した通り、A君友人は内部のメンバーが殆ど。家族・同志なんて言っておきながら、こういう事も想像・想定出来ない何て!と怒りもありましたがそれは結果で示してやると心に誓いました。

それから数年…。

そんな事を先週の月曜日の聖教新聞を見ながら、ふと思い出しました。隣の部のその後は、その部長以降尻すぼみに人材も出ず…まあ私がいた部も同じですがw
ただメンバー同志の交流はまだ続いています。実際、私が未活となっても部のメンバーともA君とも飲みに行ったり状況確認などの電話をお互いするなど、理想的な関係を保てています。

そういった意味では結果で示せているのかな~と。