毎年この時期になると4者的には友好週間に入っていきますが、男子部人材グループは大学校は入卒式までのラストの大折伏戦。団長やラインの部長さんは新たな大学校生のスカウト時期。今回はこのスカウト時期でのエピソードを。
題して「スカウト祭り!」(プーさんから100%パクリ)
当時の私の役職はラインは本部長で創価班は運営部長。しかし当時の大学校団長が自ら辞任しましたので団長も私がやっていました。
創価班・牙城会で各1名の計2名が絶対条件でのスカウト時期の部長会。報告が上がってくるのが部平均1人以下。各部長は下を向き御通夜状態。団長からとして私の話でガンガン詰めると思っていた県幹部の思いとは反対に少数精鋭で行こうと!場当たり的に人を増やした所で潰れるのは目に見えてる。本当に意識のあるメンバーでいきたいと。
当時の圏男もほぼ同じ考えでしたが最後の幹部指導で覆されました。
幹部曰く、スカウト目標の各部2名を出せないからという理由で簡単に変更しようとする姿勢は間違い。これを変更すれば今後も目標達成出来ない度に目標変更する卑怯な人間になると!
現実見えてんの?じゃあテメーが一人でやれ!と帰りたかったが当時は良い子ちゃんでしたので我慢。
しかし我慢した理由はもう一つありました。それは私の本部はあと創価班1名出せば目標達成の状況。その1名は仕事の問題と最終確認が取れてない事で見送っていました。
仕事の問題というのが居酒屋の店長で勤務時間が昼から深夜まで。部活は毎回参加は出来ませんが、暇な時などは途中で抜けて来たりと意識の高いメンバーでした。
部長は創価班をやらせたい思いが強く最後まで私に食い下がりましたが、人材グループだけが全てじゃないし、また内容も詳しく説明出来ていなかったので却下していました。しかしこういう状況になったので説明し本人が了解すればOKとしました。
その部長は本部で自分の部だけ目標達成出来ていない状態が悔しく翌日より目の色を変えて家庭訪問。
それがいけなかった…。
この時期は居酒屋は忘年会シーズンで忙しく中々連絡も取れない。その為、部長は部長会終了後11時から深夜1時まで店の前で張り込み。彼の仕事は忙しく3時4時までの仕事だったようです。
昔の優等生エピソードだったら「部長の思いが有り難く大学校で戦う決意が出来ました」でしょうが私に苦情の電話がありました。対話する中で今の活動状況が精一杯な事と創価班に入れば自分が部長のようにやる事が出来ないし、やりたくないので辞退するとの事でした。
部長は落ち込みましたが、彼が前と変わらず部活に参加してくれた事が救いで徐々に元気を取り戻しました。
人材グループの候補生人数は増えましたが、ある意味騙されたような格好で参加しているメンバーも居て、県・総県面接で落とされ最終的に最初の部長会の時の人数に落ち着きました。
担当で入っていた県幹部に報告した所「ふ~ん、そうか。」でした。
そんなエピソードでした。
題して「スカウト祭り!」(プーさんから100%パクリ)
当時の私の役職はラインは本部長で創価班は運営部長。しかし当時の大学校団長が自ら辞任しましたので団長も私がやっていました。
創価班・牙城会で各1名の計2名が絶対条件でのスカウト時期の部長会。報告が上がってくるのが部平均1人以下。各部長は下を向き御通夜状態。団長からとして私の話でガンガン詰めると思っていた県幹部の思いとは反対に少数精鋭で行こうと!場当たり的に人を増やした所で潰れるのは目に見えてる。本当に意識のあるメンバーでいきたいと。
当時の圏男もほぼ同じ考えでしたが最後の幹部指導で覆されました。
幹部曰く、スカウト目標の各部2名を出せないからという理由で簡単に変更しようとする姿勢は間違い。これを変更すれば今後も目標達成出来ない度に目標変更する卑怯な人間になると!
現実見えてんの?じゃあテメーが一人でやれ!と帰りたかったが当時は良い子ちゃんでしたので我慢。
しかし我慢した理由はもう一つありました。それは私の本部はあと創価班1名出せば目標達成の状況。その1名は仕事の問題と最終確認が取れてない事で見送っていました。
仕事の問題というのが居酒屋の店長で勤務時間が昼から深夜まで。部活は毎回参加は出来ませんが、暇な時などは途中で抜けて来たりと意識の高いメンバーでした。
部長は創価班をやらせたい思いが強く最後まで私に食い下がりましたが、人材グループだけが全てじゃないし、また内容も詳しく説明出来ていなかったので却下していました。しかしこういう状況になったので説明し本人が了解すればOKとしました。
その部長は本部で自分の部だけ目標達成出来ていない状態が悔しく翌日より目の色を変えて家庭訪問。
それがいけなかった…。
この時期は居酒屋は忘年会シーズンで忙しく中々連絡も取れない。その為、部長は部長会終了後11時から深夜1時まで店の前で張り込み。彼の仕事は忙しく3時4時までの仕事だったようです。
昔の優等生エピソードだったら「部長の思いが有り難く大学校で戦う決意が出来ました」でしょうが私に苦情の電話がありました。対話する中で今の活動状況が精一杯な事と創価班に入れば自分が部長のようにやる事が出来ないし、やりたくないので辞退するとの事でした。
部長は落ち込みましたが、彼が前と変わらず部活に参加してくれた事が救いで徐々に元気を取り戻しました。
人材グループの候補生人数は増えましたが、ある意味騙されたような格好で参加しているメンバーも居て、県・総県面接で落とされ最終的に最初の部長会の時の人数に落ち着きました。
担当で入っていた県幹部に報告した所「ふ~ん、そうか。」でした。
そんなエピソードでした。