Saxophonist 宮地スグル公式ブログ

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ライブ文化はいつか復活する。

2016年01月16日 23時11分38秒 | jazz
アマチュアが必ずしも下手だとは思っていない。何度も素晴らしいアマチュアの方とご一緒させて戴き、その才能に嫉妬する事さえ有る。そういう方々とお話しさせて戴くと、同調する事も多く、ストレスにならない事の方が多い。要は生活スタイルやお金の稼ぎ方が違うのであって、音楽に対する愛情は変わらないという事。では、プロとアマの決定的な違いは何処か?というと、僕は圧倒的なテクニックとオリジナリティーだと思っている。ジャム・セッションで僕が「いいね!」と思う人達は、既に良い音を出し、センスの良い音のチョイスの仕方を学んでらっしゃる方ばかりだ。では、プロとしてどこで彼らとの違いを見せつけるか…というと前述のテクニックとオリジナリティーである。本場と言われるNYでも決して聴けないサウンドを僕は持ってますよ!と臆せず言ってのけなければ、上手いアマチュアの前ではプロとして成立しない。そのためにアマチュアの方々が本業を頑張ってる間に、どうすれば良いかを考え、トレーニングに時間を掛ける。まぁ、これはあくまでも僕の場合であり、「初見力」「対応力(「誰それ風に吹いて」と言われて、即、何パターンも吹ける…等)」「マルチ楽器演奏能力」などにプロ意識を持っているミュージシャンの人達も居る。でも、ことジャズに関しては、僕は間違ってないと思う。

レッスンでは、何人かプロミュージシャンも輩出したけど、基本的にはアマチュア・ミュージシャンのスキルを上げる事がメインとなっている。それと同時に、僕が実際の演奏でどのようなテクニックやセオリーの構築をしているのかを見せる事にもなっている。複雑なジャズをリスナーとして楽しむためには、自分がそのアプローチをトライする事によって初めて理解できるものも有る。オルタード・スケールやディミニッシュ・スケールなどは、サウンドが分からなければ唯の呪文にしか聴こえないだろう。若手達が魘された様に頻繁に語る「ヘキサトニック・スケール」だって同じ事。必ずとは言い切れないが、自分が実際にそれらをメロディーとして使い切るという挑戦がなければ、そのサウンドの魅力を理解出来ない事も多いであろう。

そう。僕はレッスンを通して、自分にとって最高のリスナーを育てているとも言える。

ただ、スケールなどの理論から音楽を楽しむ事が全てではないし、僕のファンの方々の殆どは所謂「聴き専」だ。

さて、ここで問題なのは、一部を除いてアマチュア・ミュージシャンの殆どが、自分が演奏するばかりで、プロの演奏を見に(聴きに)行かないって事なのだが、またこのブログが以前の様に炎上するのは面倒なので、蒸し返すのは避けるとして(笑)、僕が声を大にして言いたいのは、めちゃくちゃ上手いアマチュア・ミュージシャンは、僕が知る限り、皆さん最高のリスナーばかりで(僕以上にディープなレコード・マニアも多い。)、プロの演奏を聴きに行く事を何より楽しんでらっしゃるという事だ。ご来店の際は、「1曲ご一緒にどうですか?」なんて事もある。僕のライブでは「ジャム・セッション」と銘打ってない限り、素人さんを気軽にステージに上げる事は、他のお客さんの手前、絶対しないけど、今までのステージのクオリティーが決して落ちないと思われ、尚且つ、お互い刺激を受け合えると判断した場合はこの例ではない。そこにプロもアマも存在しない。ただひたすら音楽を楽しむという共通の目的に向かって邁進するだけだ。でも、「今日は聴きに来たんで…」と辞退される事が殆どだけど。(笑)

でも、アマチュアにも色々と世界が有るんだ…という事を最近になって知り始めた。セッション同好会が国内に多く存在し、殆どの人達がジャズ・クラブのプロと混じってやるセッションではなく、アマ同士のコミュニティーのオフ会で気楽にジャムる事の方を好んでいるらしい。それはそれで大変微笑ましい事だと思う。確かにプロの前で演奏するなんて緊張もするだろうし、気楽に…とは行かない。ただ、プロ・ミュージシャン同士で話していて、皆が大変懸念している事が有る。そういうコミュニティーで多少上手いという事で神様扱いされてる人が持論をネット上で展開するのだが、それが音楽的に間違っている場合が多々有るというのだ。僕がミクシイを殆ど利用しなくなった原因の一つに、加入してしまったジャズ・コミュニティーの理論などに関する論争が目に付きやすいんだけど、それがあまりに低レベルで、しかも大きく間違っている事にイライラや情けなさが募ったってのがある。なので、さも有りなんだ。

彼らはその狭い世界の中で優劣を競い、プロの介入を極端に嫌う。理論武装のために「うちの先生(あるいは、有名アーティスト)はこの理論に関してはこう言ってた。」とか言う割には、プロミュージシャンをバカにしたコメントも多い。まぁ、こんなヤクザな商売、バカにして貰って結構なのだが、こういうコミュニティーの人達とプロ・ミュージシャンが胸襟を開いて音楽を語り合う事はほぼ不可能だろう。同じ音楽を愛しているというのに大変残念な事である。

それより残念なのは、その間違った音楽論が独り歩きし、そのサークルやコミュニティーでは正論になるという事だ。つまり、それが間違いだと考えている僕の音楽が彼らには決して届く事も響く事もないであろう…という事になる。そんな狭い世界で井の中の蛙を決め込んでいては、音楽のほんの一部しか楽しんでないという事を彼らは恐らく知らない。まぁ、余計なお世話だろうし、僕も知ったこっちゃない。ただ、残念だとか勿体ないねという言葉ばかり頭をよぎる。

ジャズはマニアックな音楽なのでリスナー数も圧倒的に少ない。なので商売にするのは難しい、とよく言われる。ある意味それは正しい。でも、聞くところによると、大阪~東京をまたにかけた全国規模のセッション・コミュニティーも有るらしく、演奏したい人の数は相当数だ。演奏専門でリスナーではないという人も含めれば、世界でも屈指のジャズ愛好家が多い国だと思う。定禅寺を始め、全国のジャズ・フェスの殆どがアマチュアがメインで、出演料を支払う事によって演奏させるところも多い。この国では「ジャズは聴くより演るもの」というのが今のところメインの考え方だ。僕はこの事に暫く前まで絶望しており、国外脱出の事しか頭になかった。しかし、なんとなくではあるが、少しずつ状況が変わりつつあると思い始めている。


ジャズの神様、デューク・エリントンの有名な言葉を思い出してほしい。

「音楽には二種類しかない。良い音楽と悪い音楽だ。」

この言葉が正しければ(いや、絶対正しいのだけど。笑)、誰が好き好んで悪い音楽をお金を払って聴きに行くだろうか。少しずつその様な、ステージ上も客席も素人で構成されたライブが、成立しなくなって来ている様な気がする。それは僕が携わるお店のオーナーの話す言葉、お客さん達の話す言葉、その他の情報から感じ取った微妙な空気感ではあるのだけど、みんながこの大きな間違いに気が付き始めてると思う。

僕はミュージシャンにプロもアマチュア(今回はアマと素人という言葉で差別化を図ってみた)も関係ないと思う。ただしステージに立つ以上は、ステージそのものや、音楽や、一緒に演奏する人達に対するリスペクトが無ければそこに立つ資格はない。ステージは練習場ではないし、度胸試しの場所でもない。プロ・ミュージシャンにとっては戦場であり、自分の芸術を早く誰かに見つけてほしい!と懇願しながら訴える祈りの場でもある。僕には、NYのストリート上で、同じバンドのメンバーから露骨に嫌がらせを受けたり、お爺ちゃんの先輩ミュージシャンから大説教されて、悔しくて家に帰って猛練習したっていう経験が有る。ストリートとは言え、ステージに変わりはない。お店にも色々出させて貰ったけど、恥も一杯かいた。ただ、その経験だけが大切なのではなく、今度こそは!と思って猛練習するプロセスが大切なのだ。少額であろうとお金を客から取ってギャラ貰って演奏するなら尚の事だ。この当たり前の事が日本でも一般に浸透してくれれば、大方、満足だ。

ずっとご縁が無かったのだが、少し前に初めて青山・Body & Soulに出演させて戴いた。ママとお話しさせて戴く機会があったのだが、「うちではジャム・セッションってのは絶対やりたくないの。何処の馬の骨か分からない人、ステージには上げたくないわ。」と仰った。おぉ、これが噂のボディーのママ!と感激。(笑) でも、一瞬、閉鎖的に感じる言葉の奥に、老舗としての誇りや格式を重んじる崇高さを感じ、「こういうお店は絶対必要だ」と思った。「いつかあのお店に出演できる一流になりたい!」と思える店の存在が無くなっては困るのだ。かつては格式が有って、きっちり結界を張っていたお店がどんどん減る中で貴重な存在だと言える。色んな店のステージをリスペクトする先に、そういう店のステージが有って欲しい。帰り際に「あなた、音小さかったわよ。」と、しっかりお説教も食らったけど。(笑)

お店、ミュージシャン、お客さん、この三者がそれぞれリスペクトする事によってライブは成立するのだが、やはり圧倒的にリスナーが少ない。いや、居る所には居るのだけど、情報が偏っているのが事実だし、僕自身もそれに甘んじて、居心地の良いアンダーグラウンドで好き勝手に演奏しているところもある。僕が出来る事といえば、常に良い音楽を提供する努力を怠らない事や、レッスンで自分がトライしてる事をつつみ隠さず説明する事や、常連のお客さんにジャズの素晴らしさを広めて貰うようお願いする事くらい。でも、さっきのジャズ・コミュニティーやサークルの人達が僕と話したいと望んでくれるなら喜んでお話ししたいと思う。そこで、「聴くことの楽しさ」を熱く語り合えたらなぁと思う。

2016年お正月、年越し深夜セッションをやってる阿佐ヶ谷マンハッタンに、演奏仕事を終えて遊びに行った。サックスの高橋知己さんがセッション・リーダーだ。僕が高校生の頃から尊敬してて、二十歳になって東京に一人旅で初めて上京した折、エルビン・ジョーンズ(ds)「ジャパニーズ・ジャズ・マシーン」を旧・新宿ピットインに観に行き、そこでサックスを吹いていて、そのカッコ良さにノックアウトされたのが、その知己さんだ。いつも、お会いすると当時のリアルな話を聞かせて戴けるので大変勉強になる。その日は、お酒も相当召されてた様でご機嫌なご様子。僕の演奏をかぶりつきで聴きながら「ジャズは、やっぱ、演るより聴くもんだね。」としみじみと仰った。「気持ちいいよ。」とも。 

尊敬奉る先輩ミュージシャンに「気持ちいい」と言われ、こちらが天に上るほどの気持ち良さだったのは言うまでもないが、僕はリスナーが「気持ちいい」と感じてくれる事を祈って演奏している。その言葉を戴けた時、演奏者とリスナーの精神が合致した事を知り、初めてライブの本懐を遂げるのである。あれほどキャリアが有り、吹きまくってこられて、なおも現役バリバリの知己さんが「ジャズは演るより聴くもんだ。」の境地に達したのは驚きに値するかも知れないが、実は僕も最近、その境地に近づきつつはある。自分の演奏なんて自分が一番よく知ってる。知らないものを聴いて刺激を受けたい…との想いが、どんどん強くなってきている。勿論、ライブに行く前にはYouTubeなんかでチェックして魅かれたものを厳選するけど、出来れば今年はもっと範囲を広めたい。

なんか、「自分のスキルを上げるために、ライブに行きなさい。」って生徒にいうのも、ブログで「ライブに行きましょう!」と訴えるのも最近は面倒で、「てゆうか、ライブに行って生音浴びるのって最高じゃん。それ知らないなんてかわいそう…」と内心で思ってるだけである。今回、長々書いたのも、問題解決を望んだわけでなく、嘘っぱち音楽業界に蔓延るインチキ・ライブ部門が、いよいよ少しずつ淘汰され始めてると予見して、辛いけど今は頑張ろう!という声明なのだ。ライブの状況が今より健全になったとして、この情報化社会である。その時になって、演奏がショボイと言われて集客に困ることが無いよう今のうち頑張っておかねば。(笑)

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