写遊電音堂

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信州・木曽路散策--その4(木曽の桟・妻籠宿・馬籠宿)

2008年05月17日 | 旅行
 AM6:35「福島宿」を出発。R19号を10分ほど南進すると名勝「寝覚ノ床」と呼ばれる岩場があります。渓流に岩場が露出した景観は見事なものです。
以前列車で通ったときには車内アナウンスがあり、スピードを落として景色を堪能できるように配慮されるくらい有名な景勝地です。

「木曽の桟(かけはし)」は国道を走っていると気がつかずに通過してしまいます。今回この橋のことを、お酒の銘柄で知り、どこにあるのか一度寄ってみたいと思いながら走っていました。
この酒をあとで行く「馬籠宿」で買って帰りました。「どぶろく」に近い生酒で冷やして飲むと美味です。「杣酒(そまざけ)」と呼ばれています。
このお酒のラベルのような大変立派な太鼓橋だったそうです。



ちょうど国道べりに小さな看板が目に付きましたので、橋を渡り、対岸に車を止めて、写真を写しました。木曽川に架かっている橋だと思っていましたが、そうではなく、中山道の木曽川沿いの谷を跨ぐように架かっていたことがわかりました。
石垣が両脇に築かれ橋を架けていたようですが、災害で修復され、江戸時代中ごろには中央の部分も石で塞がれました。写真でそのときの境界が確認できます。現在は上を国道19号線が通っています。



ここを過ぎてR19を途中左折しR256に入りAM6:50 「妻籠宿」に到着。
駐車場には、まだ観光客の車はありません。

地元の方が数人歩いていますが、観光客もまだ来ていません。
「奈良井宿」と同じような街道ですが、すこし道幅が狭く感じます。



昔の様子がわかるように、家屋の中も公開されています。



「寒山拾得」像と呼ばれている石仏があります。



巻物を見ている様子が彫られています。このような形式のものは大変珍しいようです。



途中、向こうが見通せないようにわざと「枡形」を作っています。
往来の中央に石垣で囲った四角い台場のようなものです。そのため路は両側に分かれています。
徳川家康が、1601年に宿場を制定したときに、西国大名の謀反を恐れ、江戸への侵攻を少しでも遅らせるために設けられたそうです。



小高いところには「鯉が岩」と呼ばれている奇岩があり、江戸時代から「妻籠」の名物として有名だったようです。



鯉が飛び上がったような格好に見えますが、今は藤の花が満開でちょっとわかりにくいですね。



AM7:30「妻籠宿」を出発。旧中山道を南に行きます。途中峠を越え、すこし下り始めると、「馬籠宿」が見えてきます。

AM8:42 「馬籠宿」に到着。駐車場に車を止めてゆっくりと散策することにしました。



ここは今までの「宿」とは違って、急な坂道の両側に家並みが並び、石畳も残っています。歩くのは大変ですが、見晴らしは最高です。



「島崎藤村」もここの出身ですので、立派な記念館もあります。



軒先には、江戸時代の絵師 歌川広重の「木曽海道六拾九次之内」の中に描かれている「妻籠宿」「馬籠宿」の版画がかけられています。



見晴らしのよいテラスのある店で、朝食にしました。サンドイッチとコーヒーを注文。
はるか向こうには「恵那山(標高2191m)」が見えます。
実は到着してすぐ、美味しそうな匂いに誘われて、五平餅を一本食べました。胡桃の香りがするタレは絶品でした。



街道脇にとめてあったのでちょっと撮影させていただきました。
ドイツの「メッサシュミット」ですね。最近はあまり見かけなくなりましたが、根強いファンもいるようです。



AM10:05「馬籠宿」を出発。中津川ICから中央自動車道に乗る。
すこし土産も買いたいので「恵那峡SA」に寄ってみました。
はるか遠くには雪を戴く「御嶽山(標高3067m)」の美しい姿も見えました。



その後「養老SA」で休憩、給油も済ませ一気に京都まで走行「桂川PA」で休憩。

山陽自動車道を走行、「備前IC」を降りて自宅に到着したのはPM4:30でした。

今回は総走行距離 1305km でしたが、早朝から移動したのであちこち見ることができました。

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