ピアノと耳について、再び考えてみました。レッスン後の頭を整理するためでもあります。独り言にちかい、まとまっていない文章のうえに、理屈っぽくて息苦しい面もあると思います。読まれる方はそこらへんをご理解ください。
ピアノを再開したとき、この曲が好き、だから曲への思いをしっかり持って感情豊かに盛り上げて弾きたい、と思っていました。感情に任せて弾いていて、思いがあればかならず演奏に伝わるんだ、と信じていました。リハビリにはハノンをひたすらやっていました。指さえ動けばピアノが弾けるんだと信じていたのです。弾きたい曲がたくさんあって、指さえ動けば弾けるようになるんだと思っていました。希望に満ち溢れていました。
しかし、実際に演奏したものを聴いて、そういう発想に限界を感じました。思いがあっても、思いを伝える手立てと、思いを感じる裏付けがしっかりしていないと、そうありたいと思えるようには弾けないんだな、と。指は確かに回っているのですが、こう弾いていたという思いからはるかにかけ離れた癖のある演奏が聴こえてきました。これはなんとかしたい、と思いました。
そうなんです、耳。自分が演奏しているときの場合と、他の人の演奏の場合とでは、驚くほど違うように聴こえることが多いです。先ほどの耳の記事では、他の人の演奏の場合を主体として書いていましたが、自分が演奏している場合のケースもあげる必要があると思いました。(さらにソロの時とそうでない時、などを入れたりしたら、さらに複雑なことになりそうですが、ここでは割愛します)
そこで必要だと感じたのが、テクニックをちゃんと身に着けることと、曲の仕組みを理解できるようになることでした。
テクニックというのは、非常に奥が深いです。まず、耳から。こういう音を出したい、と思い、弾いた瞬間それができているかそして次はどういう方向へと持っていくかというモニタリングをしないといけません。先ほどの記事では、自分の演奏についての瞬間的なモニタリングについてはほとんど言及しませんでしたが、ピアノの演奏においては不可欠なものです。いい感じで出た(または出なかった)、次はこういう方向へ持っていこう、という瞬間的なチェックです。この、いい感じで出た、というチェック、その勘、自分の演奏については、私の場合現時点では甘いようであります。甘くしようと思っているわけではないのですが、感覚が鈍いので甘くなってしまっています。どこまでその甘さから克服し、自分の演奏について瞬間的にモニタリングできるようになれるか、ということが課題となります。それこそ耳を鍛える、ということなのかもしれません。
先ほどの記事では、強弱を認識できる、と書いていたのですが、強弱という書き方はおおざっぱすぎる基準だと思いました。強弱というのも、タイプによって分けられると思います。第一に、f、p、クレッシェンドのような、デューナミクの記号であらわされる分野があります。(そして、実はそのデューナミクの記号も、実をいうと強弱という単一の基準で済ませてしまってはいけないのですが。)そして、第二にフレーズ内での一音一音の位置づけのために必要な「強弱」があります。この音よりはこの音が「強く」なる、そしてここで「弱く」なる、そうなることによってまとまったフレーズとなる、というような。ちなみに前者のデューナミク記号については、はっきりとあらわされていたら、聴き取れると思います。しかし後者のフレーズ内での一音一音の位置づけについては、普段曲を聴くときはほとんど意識しないでいました。また、強弱、というのは、物理的な現象のように思えますが、単にデジベルのような単位だけですませるものではなく、色など質的なものもからんできます。また、方向性というのもからんできます。この方向性、というのが、非常に奥が深く、面白いのですが。
あと、テクニックの場合、実は耳だけではなくて、その耳に答えるだけの反射神経が必要となります。音がしっかり鳴らせるとか、指が回るとか。前者の音が鳴ったか、という判断、自分が弾いているときは難しいです。鳴らした、と思っていたら押し込んでいたりたたいていたりしただけで鳴ってなかった、と。鳴った時と鳴らなかった時は、物理的にあきらかに違うことが起こっているのですが、その判断が、鍵盤の前にいるときには難しい。本当に奥が深いです。指が回ったか回ってないか、というのは、正しいキーを鳴らしているか、という判断はできると思いますが、そのキーの鳴らされ方離され方が自然か、という判断はできているときとできていないときとがあるのが現状。スローペースで耳をそばだてながらやったらできますが、速くしたり難しいところがあったりすると、判断放棄という状態も多いです。
それから反射神経の一つに跳躍。正しいキーを鳴らすのに一番私が最も難しいと感じている分野です。これこそ運動神経が必要。音が本当に飛んでいる場合と、飛んでいるようで実は関連性があってつながっているという場合(そちらが多い)とがあるのでそこらへんを気を付けながら、音をはずさないようにというのがポイントです。運動神経のいりそうな分野、他にもありそうですが。。。これこそ取り出して時間をかけてやるしかないのかも。
曲の仕組みを理解、となると、理論になるのだと思います。でもこの理論、たとえば一例として和音記号が分かるのが、確かに助けになることもあるのですが、実際に感じとってこうひきたいという思いがあってのものに思えてきました。和音記号がわかったからおしまい、というわけではなくて、ここはこう感じるきっかけはこういう和音記号になっているからかもしれない、その響きへのイメージを思い浮かべ、その響きに十分心を配りながら弾こう、というものなのだと感じました。
ちなみに感性、というのは、ややこしいですが、面白いです。たとえば、この部分は水色の雰囲気で弾きたいと思い、水色を思い浮かべながら弾いたところ、、聴いた人にとっては桃色で聴こえてくるケースも多いと思うし、それが弾き手の望み通り水色として伝わらなかったとしても、けっしてまずいものではないケースも多いので。なので、感性については、まずしっかり感じ取ることが出来たら、実はかなりのびやかになれる分野だと思いました。