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いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

トトトの歌と全音音階の実験をしてみました

2012年08月26日 | ピアノ・音楽

 先日の記事で「トトトの歌」について書きましたが、それだけではよく分かりにくいと思ったので、実際に弾いて試してみました。音源はリンク先のWMAファイルに入れています。


 それからドビュッシーでよくつかわれる音階に「全音音階」というのがあります。この音階を知っているかいないかによって、ドビュッシーをはじめとした近現代の曲への親近感の度合いも変わってくると感じました。そこで実際に鳴らしてみたくなりました。ハノンにも「全音音階」加えたらいいのに、と思った次第です。音源はこちらにあります。


 演奏の質は問わないでくださいね。


Mack the Knife(マック・ザ・ナイフ)sung by Lotte Lenya

2012年08月25日 | ピアノ・音楽

 三文オペラという映画の「マック・ザ・ナイフ」という曲、かつて持っていた映画音楽特集CDの中で特に好きな曲だったのですが、器楽の徹底的にアレンジされた演奏しか聴いたことがありませんでした。いつかオリジナル演奏を聴いてみたい、またはこの曲の演奏らしきことができたらいいな、と思いながらも無意識に追いやっていたのですが、なんと、今日のインターネットラジオのOttavaで原曲らしき歌が登場。作曲者はクルト・ヴァイル(Kurt Julian Weillというドイツの方。歌はその奥様であるLotte Lenyaという女優さん。その歌の凄味がもうたまらなくて、すっかりやられてしまいました。ちょっとあやしげな裏声でいわゆるちゃんとした声楽路線とは外れているのかもしれませんが、抗いがたい魅力にノックアウトされた状態。音楽とはなんだろう、芸術とはなんだろう、という根底まで揺さぶりそうな感覚に。Youtubeで探したところうれしいことに発見できました。この動画、秘蔵動画にしたかったのですが、そういうせこいことはせずに紹介します。映画もちゃんと観たほうがよさそうだ。ああ、そうするには時間があまりにも足りないではないか~。


 


 


となりどうしの2音

2012年08月23日 | ピアノ・音楽

 音楽関係の記事を書くと宣言しながら、またあやしくなってきていた。しかし、必ずしもちゃんとした内容を書かなければならない、と思わなければいいのだと思った。といわけで、この記事は思いつきに近く、勉強不足の面も多々あると思うのだが、それでも無視したくない感じ方なので、書くことにした。ただ、音程に関する内容は多くのとらえ方や解釈があると思う中、私のこの記事は正確さに欠けている面もあるかと思うので、その点については、大らかに見ていただけたらありがたい。


 ドとレ、レとミ、ミとファのように、隣り合わせの音を同時にならしてみる。ちなみにこれらの音には臨時記号はついていない。普通、あまり耳にきこえがいいものではない。隣同士の音は2度である。つまり、2度というのは不協和音程だといえる。ちなみに2度と同時に7度も不協和音程だが。


 しかし、ドとレ、レとミ よりも、ミとファ、シとドの音程の方が、不協和の度合い、すなわち、濁りの度合いが強い。実際楽器のある方は鳴らして見られたら分かると思う。より、後者のほうが濁った感じだから。 


 これらの違いは明らかである。ドとレ、レとミの間には鍵盤でいうともう一音黒鍵、すなわち半音が存在する。ド→ド#→レ、レ→レ♯→ミというように。


 しかしミとファ、シとドの間には鍵盤でいう黒鍵、すなわち半音が存在しない。ミ→ミ♯→ファのミ♯は鍵盤ではファと、そしてシ→シ♯→ドのシ♯は鍵盤ではドと一緒だととらえられる。もちろん、楽器によっては(弦楽器など音程の幅がありそうな楽器はそうかもしれない)、また平均律に限定した捉え方ではない場合では、ミ♯とファ、そしてシ♯とドは別の音程として把握する可能性も高いかもしれないが、ここでは、いわゆる鍵盤楽器の鍵盤を連想していただきたい。


 二度でも間の半音の有無によって響きは変わる。不協和の度合いが大きく変わってくるのだと思った。


 たとえばこの「トトトの歌」という曲は隣通しの音であるファとソとをリズミカルに同時に鳴らす楽しさがあると思う。隣同士のちょっと濁った音を遊び心で続けて鳴らす楽しみ。鍵盤ではファとソ、二度が連続して何度も登場するが、ここの二度は、二度とはいえども、そこまで濁りが強烈には感じられない。



そして、このトトトの歌は、ファとソだけではなくドとレ、レとミ、ソとラ、ラとシでも弾くことができる。ちょっと頭を使うけど調を変えたら確かに弾ける。なぜならファとソの間と同じように、間に半音が入っているから音と音の間隔、すなわちが一緒なのだ。


しかし、ミとファ、シとドでは逆立ちしても弾けない。弾こうとしたら非常にあやしい感じの曲になってしまう。間に半音が入っていないので、音と音との間隔、すなわち音程が違うのだ。


ドとレ、レとミ、ソとラ、ラとシは長2度


ミとファ、シとドは短2度


長2度ではトトトの歌は弾けるけど短2度では弾けない。


そして長2度よりも短2度の方が、音の響きが不協和で濁りの度合いが強い。


というわけで、こわ~い曲を作ろうと思ったら、ミとファ、シとドど同時に鳴らすところをたくさん入れるとよさそうだということが判明!


 


またこのようなネタも気付いたら書いていきますのでよろしくお願いします。


 


超自己流室内楽鑑賞 ざ・入門

2012年08月20日 | ピアノ・音楽

 室内楽、といったら言葉だけでいうと部屋の中で演奏する音楽?みたいですよね。少人数の独奏楽器による合奏という、まことにスリリングで楽しい音楽なのですが、日本語だけを見るとちょっと意味が分からない人もいるかもしれません。

 そして、室内楽は身近に感じられないので、あまり好きではない、という人もいるかもしれません。実は我が家にもそういう人がいます。ピアノ曲と交響曲は好きなのに不思議な現象だとかねがね思っていました。(グレーの部分はやばくなったら消します。)

 ところが、先日ラッキーな値段で購入した、メンデルスゾーン作曲のピアノトリオ第1番のCDの、第2楽章をこっそりかけたところ。。。

うれしい反応が。

 

 やった~~~~~~~~

演奏者はCDとは違うのですが、この曲はすばらしい名曲だと思います。私も初めて聴いたときあまりの美しさに鳥肌が立ちましたから。

 

次は歌と古楽に向けてがんばろう。

この記事に関するコメントがありましたらメッセージ欄からお願いします。


クープランの墓フォルラーヌ 管弦楽版で使われている楽器

2012年08月19日 | ピアノ・音楽

 昨日PTNAピアノコンペティションを聴きに行き刺激を受けたところで、音楽の記事も少しずつ更新していきたいと思います。このままの状態では、タイトル変更をしないといけなくなるところでした。

 現在練習中の曲の一つに、ラヴェル作曲のクープランの墓の「フォルラーヌ(FORLANE)」があります。今まで私が選曲しなかったようなちょっと洒落た和音が登場する曲なのですが、TOCCATAとは違って技術的にもそこまで難解ではない上に、曲集の三番目にある上に(一部の方はお分かりですね)響きが何とも言えず魅惑的でヨーロッパの中世を連想させるようなノスタルジックな味わいがあるのです。ラヴェルの曲にありそうな響きというのも心惹かれました。今年はドビュッシーイヤーなのですが、ドビュッシーは私にとってはさらに難解な気がして、もっと音楽が分かるようになってからやったほうがいいような気がしたのもありました。こまごまと書いているのですが、最大の理由は、一聴惚れなのですけどね (*^^*)

 前回の本番が終わり、のんびりと譜読みをしていたのですが、レッスンでは、部分に分けて遅めのメトロノームで練習するとよいと助言を受け、8月以降は通さずにメトロノームに合わせて弾いてきました。箇所によっては長い音→短い音というフレーズ二音だけを取り出してスラーで弾いてみたり。。。もちろん前の長い音をたっぷり、後の短い音は軽めに、そして繋がって聴こえるように。弦楽器では自然にできるところなのですがピアノでは気を付けないと機械的になってしまっていけません。そういうところまでやっていたらきりがないのでもちろん全部はやっていませんが、それでもゆっくりした練習おかげで、かなり、弾きやすくはなってきましたが、どうもしっくりこない。

 そこで思い出しました。このクープランの墓は、ラヴェル本人がピアノで作曲した後、そのうちの4曲を管弦楽に編曲していたのです。幸いフォルラーヌも入っていました。その編曲版を聴くことによって、ラヴェル本人が頭に描いていたフォルラーヌのイメージがさらに明確になるかもしれない、と。

 聴いたCDはアンドレ・クリュイタンス指揮のパリ音楽院管弦楽団による、東京文化会館での演奏のライブ録音です。サイトでの噂通り豊かで味わい深い響きの素敵な演奏だったのですが、今回の着目点は、特に旋律楽器で、どこでどの楽器を使っているか、ということでした。

 出だしは弦をはじめとした合奏で始まります。そして9小節目からオーボエ、また弦、オーボエ、と、弦楽器と木管楽器とが入れ替わりに登場していて、弦と木管、一方が旋律を演奏しているときは、もう一方は内声やベースを演奏していました。

 私の耳で聴いた範囲なので、間違いがある可能性が高いのですが、旋律で使われている楽器は (繰り返しは省略)

弦楽器→オーボエ(木管)→弦楽器→オーボエ(木管)→フルート(木管)→クラリネット(木管)→弦楽器 テーマ部

オーボエ(木管)→クラリネット(木管)→オーボエ(木管)→クラリネット(木管)

オーボエ(木管)→クラリネット(木管)→オーボエ(木管)→クラリネット(木管)

オーボエ(木管)→弦楽器 テーマ部の再現

オーボエ(木管)→フルート(木管)→オーボエ(木管)

弦楽器→オーボエ(木管)→弦楽器→フルート(木管)→オーボエ(木管)→弦楽器 テーマ部の再現

オーボエ(木管)→フルート(木管)→弦楽器 

オーボエ(木管)→弦楽器→オーボエ(木管) コーダ1

弦楽器→フルート(木管)→クラリネット(木管) コーダ2

でした。

ここから感じられた傾向は

1.テーマ部には必ず弦楽器が登場。終わりではかならず登場して締めくくっている。テーマ部最初が最も長く、一度目の再現では大幅に圧縮された形、二度目の再現ではクラリネットがなくなった形で登場している。

2.展開部は木管楽器が交互に登場。同じ部ではより低音の楽器が占めている。(オーボエに対してクラリネット、フルートに対してオーボエ )

3.最後の展開部のみ、弦楽器が占めている。ここは大きな山場の一つであり、弦楽器で山場の終了を示している。この山場の終了によって曲がコーダに向かうことを表している。

う~ん、自己流ですが、ちょっと見えてきました。同じ曲をオケに編曲することによって、曲の構成も見えやすくしれたラヴェルさんは、実は親切な方だったのでは、と思えてきました。

ちなみにこのクープランの墓は、管弦楽版をアレンジして作られた、木管五重奏の楽譜もあるようで、演奏もされているようです。こちらもぜひ聴いてみなければなりません。

ということで、音楽記事も長続きするように、今回はここまでにいたします。

 


PTNA特級セミファイナルを聴いてきました

2012年08月18日 | ピアノ・音楽

 今日はPTNAピアノコンペティションの特級セミファイナルを聴いてきました。毎年夏にPTNA(ピアノ指導者協会)がピアノコンクールを開催するのですが、その中でも特級はプロを目指されている精鋭たちが受ける級。そして特級セミファイナルと言えば精鋭ばかりが参加するシビアな予選から選ばれた精鋭の中の精鋭のソロ演奏。ぜひ聴きに行きたいと思っていたところ、ついにそのチャンスがやってきました。こうなったら聴き逃すわけには行きません。朝からいそいそとすっかりお祭り気分で出かけました。しかしいきなり会場と違う方向に向かい方向転換するというドジをやっちゃいました。一昨年と昨年、違う級を聴きに行った時は全然間違えなかったのになんということでしょう。幸い家を早めに出たので間に合いましたがひやりとしました。

 出演者の方たちは高校生から大学院生で音楽を専門とされている方たち7名。今日の演奏の課題は

(1)45分以上55分以内のプログラム。下記の(2)(3)を必ず含むこと。 (2)以外の第一次、第二次予選との重複は認めない。

(2)ハイドン、W.Aモーツァルト、ベートーヴェンのソナタから、1つ以上の楽章(繰り返しは任意・第一次予選との重複は可)

(3)邦人新曲課題:指定の2曲より1曲(この課題に限り試奏可)。飯嶋絢子「水」/篠崎めぐみ「Rolling」

 という、重厚そのもののプログラム。しかも曲順も当日に発表されるというスリル満点の状態。これから世に出ようとしている (とはいえ、全員がすでにプロ活動らしきこともされていますが)若い方たちが音楽に向き合ってきた成果を最大限に発揮する貴重な場でありました。 

 さすがセミファイナルに出演される方たち、どの方も厳しい研鑽を積み重ねてこられ、音楽にまっすぐに向き合ってきたのが伝わってくる演奏をされていました。全員の演奏にきらりと光って夢のように美しい箇所がありました。ひょっとしたら本人もその箇所が大好きで特に表現したいところだったのではないだろうか、と想像しました。それぞれ得意分野があったようにも見受けられ、得意分野の曲では楽譜もしっかり読み込み曲の魅力を出し切っている、と感じました。

 それからこれは私が感じたことなのですが、技巧的にものすごい演奏というよりも、曲を丹念に研究していて曲の魅力を出そうとしていると感じられる演奏が多かったような気がしました。私の耳があてになるとはいえないのですが、ミスのなかった方はいなかったような気がします。しかしミスをしない、ということよりもはるかに大切なこと、曲の輪郭をしっかりとらえ音楽となるように流れを大切にした演奏にたくさん出会えました。緊張してもしすぎることがないようなステージで、さらに自分の限界に果敢に挑んでいるように感じられる演奏もあってなんともいえない気持ちになりました。

 邦人新曲課題、というのはコンクールのために日本人の作曲家が作った曲の課題であり、このセミファイナルが初演奏でした。「水」は滴とまわりの細やかな動きを描写した響きの美しい曲、「Rolling」は動きそのものを中心にとらえ躍動感にあふれたエネルギッシュな曲でした。邦人の現代曲と言えば分りにくいかもしれない、という心配もあったのですが全くそのように感じられなかったのがうれしかったです。楽譜も見てみたくなりました。印象的だったのは、同じ曲でも演奏者によってかなり違っていたこと。重点を置いていたところに個性が表れていたように思えました。

 また作曲家ですが、(2)の作曲家の他に、スカルラッティを2名、シューマンを3名、ショパンを2名、リストを3名、ドビュッシーを1名、ラヴェルを1名、ラフマニノフを1名、スクリャービンを2名が弾いていました。チェンバロでも弾かれるスカルラッティ、ピア二ストにも人気がありました。当時とは違う楽器で曲の最大限の魅力を引き出すのは難解なことだと思うのですが、特にゆったりした曲から魅力を丁寧に紡ぎだしているのが感じられ素敵に感じました。(どちらかといえばピアノで弾きやすい曲と弾きにくい曲とがあるかもしれないな、とも個人的には感じましたが)ショパンは誰もが知っているうえに、演奏も難しいと思うのですが、演奏された二人は曲を丁寧に研究してショパンの歌が感じられる演奏をしていました。シューマンは謝肉祭を全曲演奏された方がいらっしゃいました。

 今日演奏されたドビュッシーの前奏曲第2巻からの抜粋ととスクリャービンのソナタ2曲は、和声が新しい感じであったためか、今までほとんど身近に感じられなかった曲だったのですが、曲の背景にあるものも含め気になり始めました。

 もちろん(2)の古典派の作曲家の曲の演奏も素敵でした。個人的に好きだったのは、立体感があって曲の構成をちゃんととらえている演奏でした。

 目指そうとしても絶対に届くことのない方たちの演奏だったのですが、それでも、演奏を聴くことによって、私はこのような演奏が好きなんだ、とか、近づきたい、という方向が、見えてきました。だれの何の演奏だったかは秘密なのですが。そして演奏とともに曲も。新たな発見が数知れず。

 そして音楽というものはきりがないものだ、ということも感じました。たとえば曲の内部。2音からでもそう。ある音から次の音へと移行するためにどのようなことをするか、といえば選択肢は無限にあります。その上フレーズ、和声、小節、構成など、無限なものが集積された結果段階に分かれていて大きくとらえる必要もあります。そして曲の周辺、たとえばこの曲が作られたときの作曲家の状況や時代背景、他の曲からの借用部分や類似部分等、知っておいた方がいいことがたくさんあり、きりがないといえばきりがない。そして自分が望む音楽のイメージを明確にしたら、そのような音楽をつくるためのテクニックも。すべて完璧にやろうとしたら大変なのでポイントを絞る必要があるものの、きりがないということには変わりないと感じました。今日出演された方たちの演奏からもそのようなことを感じました。

 まったく図々しいのにもほどがあるのですが、今日は自分の本番みたいに緊張しました。出演者の方たちは自分と闘っていたのだと思います。どんなに笑顔で楽しそうに弾いていたとしても、です。そしてそんな出演者たちの気を私も受け取っていたのかもしれないと思いました。結果はどうであれ、今日の出演者の方たち全員にありがとう、お疲れ様、とお伝えしたい気持ちです。(ちなみに火曜日には今日の結果選ばれた方たちによるコンチェルト演奏の決勝が行われる予定です。)

 それにしても、こんなに続けて長時間ピアノの生演奏を聴いたのは初めてでした。出演者の方たちから頂いた大きなエネルギーを糧に取り組んでいきたいです。


ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊 東京オペラシティ公演

2012年07月29日 | ピアノ・音楽

 金曜日の夕方から夜にかけて、東京オペラシティコンサートホールにて、ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊の演奏を聴きに行ってきました。 

 曲目は以下の通り。ルネサンスから現代まで幅広い時代にわたっており、アカペラ、オルガンによる伴奏つきの演奏、オルガンソロの演奏とがありました。

R・パーソンズ(1535~1572)「アヴェ・マリア」

A・ベルト(1935) 「晩祷」

S・ラフマニノフ(1873~1943) 晩祷Op.37 より 「生神童貞女や慶べよ」 

J・S・バッハ(1685~1750) オルガン・ソロ

J・シェパード(1515~1558) 「西風のミサ」よりグローリア、アニュス・ディ

H・パーセル(1659~1695) 「主に仕える諸々の僕よ、主をほめまつれ」

休憩

E・エルガー(1857~1934)「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

B・ブリテン(1913~1976)「キリストによりて喜べ」Op.30

ヴィリアム・ウォルトン(1902~1983)「戴冠式行進曲『王冠』」

C・H・H・パリ―(1848~1918)「私は歓喜した」Op.51(詩編第122編)

R・V・ウィリアムズ(1872~1958)「味わい、知れ、主の恵み深さを」

J・タヴァナー(1944) 「アテネのための歌」

W・マシアス(1934~1992)「神よ、諸国の民があなたをたたえ」Op.87

アンコール

夕焼け小焼け

With a little hepl from my friends(the Beatles)

 パーソンズのアヴェ・マリアはルネサンスの曲。独立した旋律がずれながら重なり合うポリフォニーそのもので、ここで盛り上がるんだ、というような箇所も明確に思えず曲が流れながら盛り上がっていく感じで、終止の形もはっきりしていないように思えたのですが、澄み切ったアカペラの歌声によって、曲とともに盛り上がっていけそうなそんな感じでした。

 バッハのフーガト長調。オペラシティの重厚なオルガンとバッハの心打つ音楽に心打たれずにはいられませんでした。オルガンが聴きたくて申し込んだのもあり、まさにその思いを満たしてくれるような演奏でした。

 前半の他の曲の演奏も、すべて未知の曲ながら素晴らしく、感動をさそわずにはいられませんでした。永遠の雰囲気をもったアカペラに吸い込まれていきそうな感じでした。

 E・エルガーは前半の曲とは打って変わってめりはりや終止もくっきりとしておりしかも美しい曲でした。さすがエルガー、メロディーメーカーだと感じ入った次第。

 ブリテンの「キリストによりて喜べ」は劇音楽みたいな感じで、途中で各声部のソロが登場。苦悩に満ちた詩人がキリストと比較する部分とが重要だと解説にあったものの分からず。音の並びは聴きなれない響きで斬新な感じがしました。演出はうまいと思ったのですが。

 ウォルトンのオルガンによる「戴冠式行進曲」は昨年のウィリアム王子とキャサリン王妃との結婚式の退堂曲として演奏されたため、なんとなく耳になじんでいました。バッハの神聖でちょっと硬そうな雰囲気とは異なり、のびやかな気持ちになれそうでした。

 J・タヴァナーの「アテネのための歌」には腰を抜かしました。最低音部が続けて声を出しっぱなしでいつブレスをしているのか分からない状態。循環呼吸なのではないかと思ったぐらい。ダイアナ王妃の葬儀にて使われた曲で非常に重く悲しい曲だったのですが。

 アンコール、夕焼け小焼けが出てきました。合唱への彼らのアレンジが美しくてびっくり。こんなにダイナミックな曲になるのだと。ビートルズのWith a little hepl from my friendsは指揮なしで自然発生的な感じで始まりました。普段から歌っていて生活のひとつになっているのだろうと思いました。合唱へのアレンジもみごとなものでした。

 ちょっとひとことでは言えないのですが、聴いていていつの間にか巻き込まれてしまう、そんな魅力を持った演奏ばかりで、最後はなんともいえず温かい気持ちになって帰ることができました。

 今まで触れていなかったような音楽を聴くのも大切だ、と思った次第。しかも、この解説も勉強不足で舌足らずなのですが、とても素敵な聖歌隊でした。たちまちファンになってしまいました。

 


ありがとうございます

2012年07月21日 | ピアノ・音楽

 先日のピエール・アンタイ氏のチェンバロによるスカルラッティのK175の演奏の記事を多くの方たちが閲覧してくださいました。ありがとうございます!

 出だしのところ、溜めがあるように聴こえます。記譜上では均等に書かれている2音の長さの一方を長く、一方を短く演奏するという、イネガル奏法のようです。しばらくすると非常に激しく反り返ったような不協和音が聴こえてきます。あまりクラシック音楽では聴かないような斬新な響きの和音。その和音が体当たりで叩きつけられたかと思ったら、また急速なパッセージとともに舞い上がっていき、何かを訴えかけるような熱く美しいメロディーが歌い上げられ、情熱が再び不協和音の塊となって繰り返し繰り返し注がれます。なんと激しく情熱的で血潮したたる演奏なのでしょう。ピエール・アンタイ氏はどんな様子でこの曲を演奏しているのでしょうか。写真の落ち着いたような風貌からは、髪を振り乱しているようには思えないのですが、あの演奏では思いっきり髪を振り乱していそうな感じがします。

 チェンバロの場合、1つの鍵盤で複数の弦を鳴らすことができるのですね8フィートの弦2本とか、8フィートの弦2本+4フィートの弦1本とか。そうすることによって演奏を豪華にしたりすることができるようです。この曲も、2本以上の弦が使われている気がします。スカルラッティのこのK175はチェンバロの特性を生かした名曲であり、アンタイ氏の演奏はまさに名演奏だと思います。この曲が街中などでかかっていたりしたらかっこいいと思う人が多いような気がしています。

 ちなみにスカルラッティの不協和音と、近代以降の不協和音の働きには関連性があるのだろうか、という疑問も湧いています。

 古い音楽もいろいろ探ってみたら、さらに面白い発見がありそうな気がします。そういいながら、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンのオルド・ヴィルトゥトゥムに感銘を受けていたのでした。当時はバロック以前の音楽は苦手と書いていたようなのですが、だんだん抵抗がなくなってきています。このオルド・ヴィルトゥトゥムも改めて聴いてみたらさらに魅力的に感じました。ミステリアスな面、怪奇的な面もあるように思うのですが、そこも含め興味が尽きません。

 最後に、先日アップしたフランクのプレリュードとフーガ、変奏Op.18の演奏も聴いてくださりありがとうございました。早いものでその日から二週間がたったのですね。この記事をもって削除します。そして今後も研鑽を積んでいきたいと思います。

 


スカルラッティのソナタK.175 ピエール・アンタイ氏による演奏

2012年07月18日 | ピアノ・音楽

 スカルラッティといえばどのような曲を作った方という印象をお持ちでしょうか?

 快適で涼やかで胸のすく気持ちの良い曲を作った方。きらりとしたセンスが素敵な方。ときどきぴりっと心引き締まりそうになったりする曲もあるけれど、恐ろしそうな感じとは無縁。不協和音なんかなおさら無縁。濃い方の多い作曲家たちの中ではほっとさせられる癒し的な存在の方、だと思っていらっしゃる方も多いかもしれません。実は私も、そうでした。それでも好きだったんですけどね。

 ところがこんな演奏をある方に紹介していただき、のけぞりそうになりました。ピエール・アンタイ氏というチェンバリストによる、K.175の演奏です。

 

 出だしからすっ飛ばすような勢いです。こんな激しい演奏があっていいのでしょうか。そして注目すべきは中間部!なんだこれは、と思えそうなところがいくつか登場します。

 今書いてしまうと聴く楽しみが半減してしまうので、今回はここまでにしておきますね