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1898年7月7日

2009-07-07 15:58:17 | その他
1881年にカラカウア王が来日。明治天皇と会見。
移民協定が結ばれます。カイウラニ王女と山階宮との政略結婚も
申し込みますがアメリカとの関係から明治政府により丁重に断られます。



7月7日は七夕である。東京地方は曇りだがずい分蒸し暑い。梅雨の最中
のひと休みで雨は降らなさそうだ。湿気が凄い。この具合だとどこか晴れて
いるところなら夜空の星が拝めそうかも知れない。

1898年のこの日はハワイのアメリカ合衆国への併合が成立した日でも
ある。ハワイはそれまではローカルの王朝が支配する島であったが、この日
をもってアメリカの主導下に入ったのであった。
もともとハワイはポリネシア系の人々の住む島から構成されていて、カメ
ハメハ王朝の続くところだったが、そこへ白人が押し寄せて来て、だんだん
と白人の影響力が大きくなっていった。

当時のハワイ王は女性でリリウオカイニといい1893年に憲法を改正した。
これによってハワイ人の主権を回復しようとたのだが、親米派の閣僚たちは
これを拒否。さらには武力で共和制への移行を宣言してしまった。

1894年6月16日、武装した親米派の白人たちはハワイ王宮を包囲して
王を幽閉。クーデターで先住民による政権はここに消え去ってしまったの
です。

1959年にハワイはアメリカの50番目の州となった。

リリウオカイニといってもピンと来ないが、ハワイアンソングの名曲「アロハ・
オエ」の作曲者だった。


第8代王女リリウオカイニ(ウイキペディア)

ハワイは日本からの移民でも長い歴史を持つ。一番初めの移民は明治元年に
遡らなければならない。

明治元年は1868年だが、まだ慶応4年の戊辰戦争の真っ只中、4月15日
に江戸城が無血開城される。そんな中、4月25日、約130名の日本人がハワイ
を目指し出航し日本を後にする。

これはアメリカ人総領事ウエンリードがハワイでのサトウキビ労働に従事させる
ために雇い入れたものだが、明治新政府はこれを認めず、イギリス船サイオト号に
乗って旅券も持たずのドサクサに紛れての出国だったようだ。
これを元年移民というが、一ヶ月の賃金は約4ドルで3年の契約であった。

劣悪な環境下の労働は結局うまくいかず明治3年になって全員が帰国。となって
いるが、実際は日本へ戻る、本土へ渡る、あるいはハワイへ残ることになった。
20数名がハワイへ残ったとも言われている。移民者からクレームが続出する名
ばかりの移民だったようだ。これをふまえて、この後、官約移民が始まることに
なるのだが、それから30年後の1898年、ハワイがアメリカの支配下に落ちる
ことになるとは誰も予想できなかっただろう。

陽気で明るいハワイにも暗い歴史の側面がありました。
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