弥陀佛本願念仏 邪見驕慢悪衆生
信楽受持甚以難 難中之難無過斯
阿弥陀如来の本願念仏(南無阿弥陀仏と称えるものを必ず極楽浄土へ導こうという願い)の教えは、邪見・驕慢、の人々には信じることが甚だ難しく、難の中の難であり、これ以上に難しいことは無いといわれています。
邪見とは仏教の教えを疑い,謗ること。
驕慢とは自分にうぬぼれ、他を大切にしないことです。
こういった人々は自分が優れていると思い、自分ひとりで生きていける、なんでも自分で出来ると思い違いです。そういった点から己を省みることがありません。
しかしこういったことは他人事ではありません。もう一度良く自分を省みてみましょう。今までに一度でも仏教の教えを疑ったことがなかったか。奢り高ぶった心を持ったことが無かったか。人間なら誰しもあるようなことです。だからといって阿弥陀如来はそんな私たちを見捨てるのではなく、今こそそんな自分に気づき、わたしを信じなさいと、手を差し伸べてくださっているのです。そして、そのチャンスを与えて下さっているのが今は仏様となられた故人です。
仏教は自己反省の宗教。親鸞聖人は己のことを悪人と認め、ただ阿弥陀如来に救いを求めました。
今の世の中は他を犠牲にしてしまうような世の中です。だからこそもう一度良く自分を見つめ直したいものです。
これは法榮山 聖徳寺の副住職さんがホームページに書いているアナンの一説です。
この一説は正信偈の中にでています一説で邪見驕慢の持ち主のわたしの事を言っているようです。どうぞ よろしく