2003年2月8日(土)
午後7時15分。いまいち気分が乗らないまま雨の中我が家を出発。
20分ほど歩くと暑くなってきてカッパの下を一枚脱ぐ。集合場所の市役所手前ですでに出発した群衆に出会う。
私はまだ参加受付をしていない為市役所に向かう。参加表の番号を見て「受付をしておきます」のスタッフの声に押され列の後に続く。
かなりハイペースで流れる。昨年始めて参加してその速いスピードに驚いたが今年も同じである。
9時30分幸先中学校着。立ち寄らず通過する。雨もあがりかなり蒸し暑くカッパを脱いで歩くことにする。今日は温度管理に苦労しそうである。
土手の下の道をオーバーペースにならないようゆっくり目に歩く。10時11分山守橋通過。昨年はこの区間でペースがあがりすぎ失敗した。完歩できなかったのである。
河佐駅で寒さに震え、左膝の痛みに耐えながら始発の列車を待つ悔しさはまだ記憶に鮮明である。
11時福戸橋を通過、膝の時限爆弾が気になりだす。チリチリと痛みの出始める前兆を感じる。
ヤバイ!昨年よりも早いではないか。どこかで休憩しなくては。11時45分一貫楼の暖簾をくぐる。この20分ほどの休憩が完歩につながると確信しながらラーメンをすする。
12時20分国府小学校着。
2月9日に日付は変わり1時10分中国バス目崎車庫を通過。再び雨が落ちてくる、カッパを引き出し羽織る。
だんだんと気分が落ち込み歩くことがいやになってきた。昨年のリベンジとはいえ何が楽しくて歩くのか。
1時40分父石のローソンでリゲインを飲む。これで24時間戦える!か。しかし睡魔との闘いは続く。亡者のごとくふらふらと歩く。
3時40分河佐分れの交差点を左に折れる。
懐中電灯のレンズが外れカラカラと音を立て転がり落ちる。川に落ちたらしくガードレール越しに見てもわからない。レンズの外れた懐中電灯は悲しいほど暗くなおさら気分がめいってしまう。
4時5分河佐駅に到着。昨年よりはかなり遅い時間となる。スタッフの作ってくれた温かいトン汁をいただきおにぎりを頬張る。
4時30分、体が冷え切らないうちに河佐駅を出発。持参したストックを左手に持ち歩き始める。
ここからは上り坂が続く。ストックが役に立つ予定。左膝の爆弾も今のところ火はついていないようである。
トンネルまではすぐであったはずだが、歩きだとなかなか見えてこない。短いトンネルもえらく長い。
自分の跫に誰もいないトンネルを振り返り見る。このまま別の世界に迷い込むかのような怖さを感じる。
ふれあいの里への入り口を過ぎ備後三河に向け右折する。
各ポイントにはスタッフが立ち行き先を促す。「ご苦労様です」ダムのほとりを周る道は思いのほか長く感じる。少し休憩を入れたいと思いつつ歩き続ける。
人の気配を感じ顔を上げると縁石に座り三人ほどの若い人たちが休んでいる。彼らも何かを求めて歩いているのだろう。意外と若い人の参加が多い。少なくとも普段とは違う自分と出会えることだろう。
橋の上から水の流れる音が大きく聞こえる。ダムに水が少ない証拠である。
雨に濡れていなくて座れる場所はトンネルの中ぐらい。歩道の段差に腰掛けて次の人が来るまでの間休憩することにする。
トンネルを抜けると少し薄明るくなっている。風も朝の匂いがする。
6時34分鳥の声が聞こえた。なんだか体も軽くなったようでちょっとだけ元気が沸いてくる。
6時53分備後三河駅に着。ホームのベンチに腰掛ける。始発列車はすでに出ていて、何人かの人がリタイヤしそれに乗り帰っていったそうである。自販機で飲み物をと思うがつり銭切れで出てこない。仕方なく出発。
三叉路を右にとりR432を北にトボトボと歩き続ける。足は痛いのだがすでに感覚が麻痺しているのか少し楽になったようである。
8時20分備後矢野駅着。最近よくある駅舎兼食堂の座布団の敷いてあるベンチに座る。ふっと意識が遠ざかるようで慌てて歩き始める。
緩やかに続く坂道を登り8時54分矢野温泉を通過。
ここからがスペシャルステージである。大きなアップダウンが幾つも繰り返す。
苦しい時は通り過ぎたもののいかにも長い。路肩に雪の残るこの道は歩けども歩けども果てしがない。もう少しもう少し、もう少しでゴールだと自分を励まし前に足をひたすら前に出す。9時48分ゴール。
完歩証をもらい祝福の拍手を受ける。何の感慨も沸いてこないほど疲れているのか感動も何もない。そういえば、しまなみ海道を歩いたときもこうだったなと思い納得。
上下駅の待合で気付けに持ち歩いたウイスキーを飲む。喉を焼くウイスキーの味が何故か懐かしく、ささくれ疲れた心と体を慰めてくれる。
迎えに来てくれた家族に手を上げ駅舎を出る。
福山~上下 50km
所要時間 14時間
午後7時15分。いまいち気分が乗らないまま雨の中我が家を出発。
20分ほど歩くと暑くなってきてカッパの下を一枚脱ぐ。集合場所の市役所手前ですでに出発した群衆に出会う。
私はまだ参加受付をしていない為市役所に向かう。参加表の番号を見て「受付をしておきます」のスタッフの声に押され列の後に続く。
かなりハイペースで流れる。昨年始めて参加してその速いスピードに驚いたが今年も同じである。
9時30分幸先中学校着。立ち寄らず通過する。雨もあがりかなり蒸し暑くカッパを脱いで歩くことにする。今日は温度管理に苦労しそうである。
土手の下の道をオーバーペースにならないようゆっくり目に歩く。10時11分山守橋通過。昨年はこの区間でペースがあがりすぎ失敗した。完歩できなかったのである。
河佐駅で寒さに震え、左膝の痛みに耐えながら始発の列車を待つ悔しさはまだ記憶に鮮明である。
11時福戸橋を通過、膝の時限爆弾が気になりだす。チリチリと痛みの出始める前兆を感じる。
ヤバイ!昨年よりも早いではないか。どこかで休憩しなくては。11時45分一貫楼の暖簾をくぐる。この20分ほどの休憩が完歩につながると確信しながらラーメンをすする。
12時20分国府小学校着。
2月9日に日付は変わり1時10分中国バス目崎車庫を通過。再び雨が落ちてくる、カッパを引き出し羽織る。
だんだんと気分が落ち込み歩くことがいやになってきた。昨年のリベンジとはいえ何が楽しくて歩くのか。
1時40分父石のローソンでリゲインを飲む。これで24時間戦える!か。しかし睡魔との闘いは続く。亡者のごとくふらふらと歩く。
3時40分河佐分れの交差点を左に折れる。
懐中電灯のレンズが外れカラカラと音を立て転がり落ちる。川に落ちたらしくガードレール越しに見てもわからない。レンズの外れた懐中電灯は悲しいほど暗くなおさら気分がめいってしまう。
4時5分河佐駅に到着。昨年よりはかなり遅い時間となる。スタッフの作ってくれた温かいトン汁をいただきおにぎりを頬張る。
4時30分、体が冷え切らないうちに河佐駅を出発。持参したストックを左手に持ち歩き始める。
ここからは上り坂が続く。ストックが役に立つ予定。左膝の爆弾も今のところ火はついていないようである。
トンネルまではすぐであったはずだが、歩きだとなかなか見えてこない。短いトンネルもえらく長い。
自分の跫に誰もいないトンネルを振り返り見る。このまま別の世界に迷い込むかのような怖さを感じる。
ふれあいの里への入り口を過ぎ備後三河に向け右折する。
各ポイントにはスタッフが立ち行き先を促す。「ご苦労様です」ダムのほとりを周る道は思いのほか長く感じる。少し休憩を入れたいと思いつつ歩き続ける。
人の気配を感じ顔を上げると縁石に座り三人ほどの若い人たちが休んでいる。彼らも何かを求めて歩いているのだろう。意外と若い人の参加が多い。少なくとも普段とは違う自分と出会えることだろう。
橋の上から水の流れる音が大きく聞こえる。ダムに水が少ない証拠である。
雨に濡れていなくて座れる場所はトンネルの中ぐらい。歩道の段差に腰掛けて次の人が来るまでの間休憩することにする。
トンネルを抜けると少し薄明るくなっている。風も朝の匂いがする。
6時34分鳥の声が聞こえた。なんだか体も軽くなったようでちょっとだけ元気が沸いてくる。
6時53分備後三河駅に着。ホームのベンチに腰掛ける。始発列車はすでに出ていて、何人かの人がリタイヤしそれに乗り帰っていったそうである。自販機で飲み物をと思うがつり銭切れで出てこない。仕方なく出発。
三叉路を右にとりR432を北にトボトボと歩き続ける。足は痛いのだがすでに感覚が麻痺しているのか少し楽になったようである。
8時20分備後矢野駅着。最近よくある駅舎兼食堂の座布団の敷いてあるベンチに座る。ふっと意識が遠ざかるようで慌てて歩き始める。
緩やかに続く坂道を登り8時54分矢野温泉を通過。
ここからがスペシャルステージである。大きなアップダウンが幾つも繰り返す。
苦しい時は通り過ぎたもののいかにも長い。路肩に雪の残るこの道は歩けども歩けども果てしがない。もう少しもう少し、もう少しでゴールだと自分を励まし前に足をひたすら前に出す。9時48分ゴール。
完歩証をもらい祝福の拍手を受ける。何の感慨も沸いてこないほど疲れているのか感動も何もない。そういえば、しまなみ海道を歩いたときもこうだったなと思い納得。
上下駅の待合で気付けに持ち歩いたウイスキーを飲む。喉を焼くウイスキーの味が何故か懐かしく、ささくれ疲れた心と体を慰めてくれる。
迎えに来てくれた家族に手を上げ駅舎を出る。
福山~上下 50km
所要時間 14時間