西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

最後の言葉。

2010-03-31 | 日常(ふつうの面白さ)
「西浦の時間」はふつうの時間に戻ります。
今後記事が更新されることは(たぶん)ありません。

さようなら。バイバイ。またどこかで。

挨拶とは、実に将来性のない言葉です。

楽しく本を読みましょう。

2010-03-23 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
読書は「自分の中に何があるのか」を確かめる作業だと思う。
つまり文字を意味のあるまとまりとして捉え、
そこから自分の内面に何を想起させるか。
そこに読書の楽しみのひとつがあるように思う。
もちろん、言葉の連なりから起こる前後関係、
すなわち物語を楽しむとゆうのも、
楽しみのひとつではあると思うが、
そこから得られるものは、
ごく微量のような気がする。

出たくない外の日。

2010-03-21 | 日常(ふつうの面白さ)
黄砂のおかげか、今日は窓に映る色が黄みがかっている。
子どもの頃、こうゆう時は、
誰かがオナラをしてこんな色になるんだと思ってた。
この汚らしい色を見る度に、
なんだか妙な懐かしさが込み上げてくるのは、
そのためなのかもしれない。

バタイユの目玉の話。

2010-03-19 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
ジョルジュ・バタイユの小説、
「目玉の話」を読みました。
尻(性器)や眼球(たまご)や、
小便といった単語が乱れ飛ぶ、
実にエログロな内容で、
始終、息を詰まらせっ放しの読書でした。
まあ、100ページ程度の短い作品でしたので、
その苦しみも長くは続かなかったのですが。
それに読んで後悔してるかと言えば、
むしろ、読んで良かったと思えてます。
何がそう思わせてるのか分かりませんが、
なんとゆうのか、
自分の想像力が押し広げられるとゆうか、
内面が深く揺さぶられるとゆうか、
・・・ん~、月並みな表現に還元されてしまうのが、
すごく惜しいですね。

ただ、最近、
なんとなく気持ちが重かったのですが、
「目玉の話」を読み終えた途端、
急に、楽になったような気がします。
何かから解放されたような、とゆうか・・・、
ん~、また月並みな。

しかつめらしいお勉強。

2010-03-18 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
「しかつめらしい」の語源は、
「然りつ可くあるらし(その通りであるべきの意?)」だそうな。
この「しかりつべくあるらし」がつづまって、
「しかつべらしい」。
それがさらに訛って「しかつめらしい」となった。
今まで「鹿爪らしい」とゆう漢字をイメージしてたから、
少し違和感を覚えたんだけど、
「鹿爪」はあくまで当て字のようだ。
鹿の爪っぽい感じが、
けわしい表情を表してるわけではないと。

言語は人間です。

2010-03-15 | 日常(ふつうの面白さ)
吉本隆明の講演会がテレビでやってました。
芸術言語論とゆう話で、
なかなか興味深かったです。
自分の中でつぶやいた言葉と言葉が、
偶然に触れ合うことによってしか芸術は生まれないと、
そうゆうことを言ってたように思います。
他にもいろいろ良いこと言ってましたが。
「価値がないから芸術なんだ」とか。

副作用の日常。

2010-03-14 | 日常(ふつうの面白さ)
花粉が多くてたまりません。
朝、トイレに入っただけで、
鼻からダラダラダラと水が・・・。
窓が開いてたので入りこんだみたいですね。
急いで薬を飲んで、抑えつけてます。
しかし、ノドにスゴい違和感。
「んぐ」って感じの。
最近「病気とは仲良く付き合え」
なんて言い方がされてますが、
こんなヤツとは一刻も早く別れたいもんです。
ホントに。

何か聞こえる?。

2010-03-13 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
人は音楽に何を聞いてるのか、
とゆうのは前々から興味のあることでしたが、
これはなかなか難しい問題です。
メロディがあれば音楽になるかと言うと、
案外そうでもなくて、
音階が出せない楽器の演奏に、
グイっと引き込まれることがあります。
ドラムのソロなんかがそうですね。

じゃあ、リズムさえあればいいのか?
そうゆうわけでもない。
リズムを感じさせない、
ただただ、音がにじみ出てくるように、
空間の中へと広がっていく、
そうゆう音楽もあるからです。
そして、それはそれで、
とても気持が良いもんなんですね。

音楽自体にもいろんな種類がありますが、
それを聞く人たちにもいろんな人がいる。
好きになった音楽については、
徹底的に調べなきゃ気が済まない人もいれば、
自分の知り合いが舞台に立ってるのを見に来ただけで、
音楽には全然興味なんてない人もいる。
(ピアノの発表会の大半がこれですね)

こうなると、
「音楽に何を聞く?」とゆう問いは、
成立しないのかもしれません。
つまり究極的に言ってしまえば、
「人は何も聞いてない」
とゆうことなのかもしれない。

しかし、実際のところ、
我々の耳には何か音が聞こえてるんですよね。
鼓膜はちゃんと振動してる。
「聞いて」はいませんが「聞こえて」はいるんです。

言葉遊びに過ぎないように思われるかもしれません。
しかし、この言葉の違いは案外大きいような気がします。
それは例えるなら、
隣りに座ってる友達の話を親身になって聞いてるのか、
それとも、ただ聞こえてるだけなのか、
その違いと変わるところがないように思います。
何かが分かり合えた時の喜びは、
言葉にせよ音にせよ、大きなものだと思うのです。
分かり合いたいから、聞こうとするのではないかと。

こうしてみると、
「我々は音楽に何を聞くのか」とゆう問いは、
「我々は音楽に何を聞きたいのか」と言い換えられるでしょう。
それは多分に主観的なものでしょう。
しかし、人間程度が抱く主観に、
それほど多くの種類があるとは思えません。
その意味で、これには、
ある程度の答えが出せるような気がするのです。
もっとも、それには長い付き合いを要するようではありますが。

さわやかサイクリング。

2010-03-12 | 実験(よく分からない面白さ)
おはようございます。

おはぃようございます。

おはいよございます。

おはいおございます。

おはいおあります。

おはいお始めました。

おはいおありますか。

おはいおありません。

おはいお下さい。

だからありません。

おはいを下さい。

いやです。

ください。

だめです。

じゃあいいです。

じゃあいいんですか。

じゃあいいんです。

じゃあいいですね。

よくありません。

よくございません。

よくございます。

よくあります。

そんなにはありません。

いえよくあります。

よくはありません。

よくはちょっとあります。

よくはふかくありません。

よくぶかいです。

おくぶかいです。

はじめまして。

こちらこそ。

おくぶさんはこちらは初めてで?

はい、なかなか遠くて。

どちらにお住まいなんですか。

アメリカに。

州は?