西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

革命の空。

2008-10-31 | 対話(話しことばの面白さ)
俳句作ってみマシタ。

へぇ、フランス人の俳句か。
どんなの。

カニバサミ
ルイ16世
民主主義

・・・何が言いたいの。

フランス革命の素晴らしさデスヨ。

もしかして、
「カニバサミ」ってギロチンのこと?

オゥ、それデス。

じゃあ、
ギロチン
ルイ16世
民主主義
だな。

なんかリズムが良くないデスネ。

いや、それより露骨に「民主主義」って言ってるのが、
味わい深くなくてヤだな。

ギロチン
ルイ16世
青い空

「青い空」はどこから出てきたの?

なんか平和な感ジ?

ものすごいシュールな俳句にはなったけど、
フランス革命の素晴らしさは、
12分の1くらいしか伝わってないよ。

難しいデスネ、俳句は。

初対面の人とは政治や宗教の話をしてはいけません。

2008-10-29 | 対話(話しことばの面白さ)
スゴイね、麻生さん。

ん?なんかあったの?

カップめんの値段が分かんなかったらしいよ。

まあ、毎日ホテルで食事してるって聞くし、
仕方ないんじゃないの?

けど、「一個400円」ってのは、
あまりにも庶民の感覚からかけ離れてるよ。
絶対買ったことないね、あの人。

う~ん、難しいな。
庶民に近くなると威厳が失くなっちゃうし、
かと言って威厳を保ち過ぎると政治感覚が狂ってくる。

元から麻生さんに威厳はないよ。

確かに。
その上、政治感覚も狂ってるとなると・・・。

こりゃダメだな。

たぶん、麻生さんも任期満了できない気がする。

政治家ってのは信用できないな。

昔からだよ、そんなの。
逆にこうゆう政治不信の状況につけ込んでくる政党が、
一番信用ならない。

政治家を批判する政治家が一番ダメってことだな。

よかったな、おれたち政治家じゃなくて。

「若い」だなあと思うとき。

2008-10-28 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
最近、「新しい」を求め過ぎてる気がする。
古いものが悪いなんて思ってるわけではなくて、
ただ単に、寝ても覚めても、
「新しい言葉」とか「新しい世界」とか、
そんなフレーズばかりが目の前を飛び交っている。
正直、目障りだ。
我ながら幼稚な気がしてならない。

逆に、こうゆう風に「若い」ということを、
マイナスに捉えてしまうのも、「若い」証拠だと思う。
結局、自分をシーソーの真ん中に据えてバランスを取るよりも、
端っこから端っこまでバッタンバッタンと行ったり来たりしてる、
そんな「せわしなさ」が「若い」なのかもしれない。
中庸より極端を好む。
だからこそ、若いやつにはエネルギーがあると、
そんなことを言われるのかもしれない。

大好き老人。

2008-10-27 | 対話(話しことばの面白さ)
「おじいちゃんの臭い」ってあるじゃん?

ああ、あるね。
なんか臭うなぁって思ってたら、
風上に白髪やハゲが歩いてたり。

あれって何の臭いなのかね。

着てる服?
あのパリッとしてないスーツみたいなやつ。

おじいちゃんがみんなあの服着てるわけじゃねぇだろ。

けど、時々臭いしないじいちゃんもいるぜ?
そうゆう人って、
たいていカジュアルファッションのような気がする。

気がするだけだろ。
冷静に考えてみろよ。
臭い付きの服なんか買わねえだろ。

いや、おれたちは若いから知らされてないだけで、
お年寄りになったら、
臭い付きの服が国から送られてくるのかもしれない。

国家レベルの臭いなのか!?

ほら、オレたち、未来があるじゃん?若いし。
だから、そんな悲しい現実が待ってるってことは、
国家機密になってんだよ、きっと。

いや、待てよ。
おじいちゃんにそんな服着せて、
臭いプンプンさせて何かメリットあんの?

そこがミソだよ。
きっと若者がお年寄りに近づかないための政策だね。
オレたちが変な入れ知恵を年長者から習得しないように、
国も躍起なわけだ。

なんだよ、国はバカになってほしいのか?おれたちに。

きっとそうだね。

なんで。

だってそうじゃん。
バカだったら口答えできないだろ?
たとえば、財政難です → 消費税上げますって、
こんな楽チンな政治はないぜ?
けど、バカは国がそんなことしてるって気付かないし、
気付いたところでどうやって文句言ったらいいかなんて、
そんなこと分かんないんだから、黙って従うっきゃないじゃん。
そうゆう「素敵な国民」が欲しいんだよ、政府は。

そうか、そうゆうことだったのか。
だからお年寄りから変な臭いさせて、
オレたちが賢くならないようにするのか。

そうだよ。
オレたちは国と戦わなきゃならねぇんだよ。
そのためにも、オレたちはバカになっちゃダメだ。
もっと賢くならなきゃダメだ。
お年寄りにもっと近づいて知恵をつけなきゃダメだ。

よし、おれ、お年寄りに近づくよ、臭いけど。

おれも、賢くなって戦うよ、臭いけど。

あら、どうしたの、ふたりとも。

おう、今ふたりでお年寄りの臭いと戦うことにしたんだ。

へえ~、そうなんだ。
確かに臭いもんね、加齢臭って。

・・・。

・・・。

ん?どうしたの?

いや、何でもないよ。
そうだよな、加齢臭だよな。

加齢臭・・・だな。

男女スイッチ。

2008-10-25 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
男というのは至極単純な生き物です。
何かきっかけがある度にコロコロと気分が変わる。
逆に、女の「図太さ」というのには脱帽せざるを得ません。
いったい、なんでそんなに動じないんだろうかと、
不思議でしょうがないんですよね、いつも。

そのくせ、体重の変化には敏感なんですよねぇ~。
たぶん、女性より男性の方がスイッチがいっぱいあるんでしょうね。
スイッチの分だけ反応がある。
ただ、その分、女性はスイッチのひとつにかかる負担が大きい。
だから、スイッチが入った時のリアクションが男より大きくなる。

そうゆう論理なのかもしれませんね。

レッツ・ハンサム。

2008-10-24 | 映画・映像(ビジュアルな面白さ)
タイトル:  『ハンサム★スーツ』
配給:  アスミック・エース
公開情報: 11月1日(土)梅田ブルク7ほか
全国拡大ロードショー
写真クレジット: © 2008『ハンサム★スーツ』製作委員会

谷原章介  塚地武雅(ドランクドラゴン)   北川景子
佐田真由美/大島美幸(森三中)/池内博之/本上まなみ/佐々木希/山本裕典
ブラザートム・温水洋一・中条きよし・伊武雅刀

脚本:鈴木おさむ  監督:英勉  ビジュアルディレクション:飯田かずな
音楽:川口大輔  テーマ曲:渡辺美里「My Revolution」
主題歌:Missing Linkと塚地武雅(ドランクドラゴン)「マイ★レボリューション」


http://handsome-suits.com

映画「ハンサム★スーツ」の試写会に行ってきました。
上は一応と言いますか、広告です。

男なら誰しもが持つコンプレックス、
そのひとつに「ブサイク」⇔「ハンサム」の対立事項があって、
こと「ハンサム」に関しては男なら一度は憧れるはず。
では、ブサイクな男がハンサムになれたらどうなるか?
それを映画でもって見てみましょうと、
こうゆう感じがきっと、
この映画のコンセプトなのではないでしょうか。

実は、正直なところ「人間、見た目じゃないんだぜ!」なんて、
そんな教訓めいた事をタラタラ言い続けるだけの映画なんじゃないかと、
勝手に思ってたんですが、
実際のところはそんなに押し付けがましい感じじゃなくて、
むしろ、「ブサイク」を痛めつけるシーンも結構あって、
(まあ、個人的には胸が締め付けられるんですが、)
そのくせ、「ハンサム」になったら、
こんなに良いことがあるんだよと言わんばかりの、
夢の世界を見せてくれるので、
逆に、ちょっと極端なんじゃないかと、
「ブサイク」を演じるドランクドラゴン塚地が可愛そうに思えました。

まあ、けど、そんなことはあり得ないと分かっていても、
「見てしまう、引きつけられてしまう」心憎い演出が盛り込まれてて、
その演出を殺さないキャストの手腕も存分に光っています。

特に、「ハンサム」役である谷原章介の、
まったく嫌味じゃないハンサムぶりが素晴らしかったです。
西浦はこの人を全然知らなかったのですが、
素晴らしい表現力(笑いの)でもってスクリーンを彩っていて、
この人が登場するシーンはたいてい笑いが起こってましたね。

また、ヒロイン役の北川景子は非常にナチュラルな演技で、
谷原章介とは別の意味で嫌味がない。
スッキリしていて、ピュアで、
それで「美人」ときているから、
「神は二物を与えたもうた」と言うもんです。
こうゆう映画にはたいてい、
キャストに演技の下手な人が数人混じるものなんですが、
そうゆう印象を与えない、あるいは受けないところに、
この映画の完成度に対するスタッフの意気込みを感じました。

ところで、そもそも、ハンサム・スーツといってますが、
「なぜイケメン・スーツじゃないんだろうか」という疑問がわいてきました。
調べてみるに、「イケメン」とは容姿が良いということに加えて、
ファッションセンス(特に髪型)の良さが関係するらしく、
つまりは「オシャレさん」という要素があるらしい。
これに対して、「ハンサム」というのは、
hand(手で)+ some(扱いやすい)という英語が語源で、
「顔立ちの良いやつは女性を手で扱うのも簡単だ」という意味で、
美形の人のことを「ハンサム」というようになったとか。
ほぉ~、という感じですね。
ただ、ほぉ~とはなりますが、
「で、結局それがどうした」という感じですね。

要するに、「顔が良い」という意味はどちらにもあるわけですから、
なんならこの映画は「イケメン・スーツ」でもいいのかもしれません。
ところが(これはあくま西浦の考えですが)、
「イケメン」には「オシャレさん」のニュアンスがあるので、
「スーツ」という言葉のフォーマルな感じとあまり合わない。
そんな事情もあって、もしかすると、
「ハンサム」というちょっと古めの言葉が採用されたのかもしれませんね。

とにかく、映画はこの「ハンサム」が、
ブサイクと比べてどうゆうものなのかということを見せてくれます。
ストーリー的には、
「ああ、結局やっぱりそうなるのか」という結末なんですが、
それでも、まあ、いいよと、許せてしまうあたりに、
この映画の良さがあるのではないでしょうか。

そうそう、ストーリーを紹介しておきましょうか。
せっかく試写会に行ったんですからね。
『大木琢郎(33歳・独身)は死んだ母親が残した定食屋「こころ屋」を営む心優しいブサイク。料理の腕前と人柄は完ぺきでお店の人気者だが、女性とはまったく縁がない。新人アルバイトで超美人の寛子ちゃんに告白しても、あっさり振られてしまう。
ある日、友人の結婚式に着ていくスーツを買いに行った洋服の青山で、着るだけでハンサムになれる「ハンサム・スーツ」を手に入れる。ハンサムな男に変身した琢郎は、光山杏仁として、瞬く間に人気カリスマモデルとなる。・・・』

なかなか長い文章だったので引用はここまでにしておきます。
やはり映画なので、どうしてもストーリーは、
分かりやすいものにしなければならないのですが、
その分かりやすい中に「分かりにくいトリック」を組み込むあたりに、
この映画の製作者がただ者ではない事を思わせて、
非常に好感が持てました。

あと、音楽についてですが、
映画中に流れるのは、渡邊美里の「マイレボリューション」や、
ユニコーンの「大迷惑」など、
ある人には懐かしく、ある人には新鮮な80年代のポップスです。
一応、主題歌は「マイレボリューション」なんですが、
クレジットの時に流れるのは、
Missing Linkと塚地武雅というユニットで、
誰かのRemixなんでしょうけど、
いい感じのテクノ風に仕上がっていました。

このように、総じて、
なかなかクオリティの高い「ラブコメ」と言えるのではないでしょうか。
もちろん、「いただけない」部分もあるのですが、
それは書いたところであまり意味がない。
実はその人にとってはスゴく良い映画だったのに、
読んだ途端に見る気が失せるようなことを書いたりしたら、
これはいけない。
そうゆうわけで、今回は良いところだけを書くことにしました。

最後に、配布されていた資料写真を貼り付けておくとします。


ヒロイン星野寛子役、北川景子


ハンサムスーツ登場。


これを着ればあなたもハンサム。

どうやったら、こんな「着ぐるみ」で、
ハンサムになれるんだと思うかもしれませんが、
そこらへんは映画です。ご容赦ください。

アンビバレンスなのかしら。

2008-10-23 | 実験(よく分からない面白さ)
やせたら食べる?
食べたらやせる?

                       不思議の国のアスリート。
                       アスリートの国の不思議。

カスピ海のカルピス。
カルピスのカスピ海。

                       ダダダダダッダ。
                       ダッダダダダダ。 

まあ、そんなもんよね、人生って。
              

タンドゥンドゥンタンドゥドゥン。

2008-10-22 | 音楽(音楽的な面白さ)
N響アワーでやってた、タン・ドゥン(譚盾)の、
「マルコポーロの4つのシークレットロード」を見ました。
以前、琵琶協奏曲(?)を聞いて変な作曲家だなぁとは思ったんですが、
実際にテレビで見てみるとより一層変でしたね。

12人のチェロ奏者をフィーチャリングという、
それだけでもだいぶ変なんですが、
現代奏法をひたすら詰め込みまくった作風は相変わらずで、
やはり変の中でも特に変という意味で「大変」と言えそうです。

たとえば、カデンツァ(ソロのおいしい部分)では、
チェリスト達が叫びます。
「声も楽器なんですねぇ」と、
司会者、池辺晋一郎先生はうまいことフォローしてましたが、
個人的には、ただ単に、
「入れたかったから入れた」という風にしか映りませんでした。
きっと人を驚かしたり笑わせたりするのが好きな人なんでしょうね。
そうゆう意味では人柄のよく表れた作品なのかもしれません。

ただ、たとえどんなに見た目に面白くても、
やはりカエルの子はカエルと言うか、
残念ながら、音楽自体は変なだけであまり面白くない。
少なくとも西浦はそのように感じました。
なんだか「満足」できないんですよね。

ところで、食事の時には、
「満腹」になる料理と「満足」する料理とがあると思います。
もちろん、お腹がいっぱいになることで満たされる人もいるでしょうけれど、
それはとても単純なメカニズムで、
ややもすると「グルメな人」からは幼稚とさえ言われるかもしれませんね。

世の中には、量が少ないのに「満足」できる料理というのがあります。
それは店の雰囲気や店員の人柄、態度などももちろん影響するでしょうけど、
やはり何と言っても、その料理に込められた「技」が、
食べる人を幸せな気持ちにさせるのだと思いますね。
量の割に少々高くても、食べた時の「満足感」を知ればきっと、
「満腹」だけが全てではないということ気付けるのではないでしょうか。

同様に、音楽にもやはり、
「満腹」になる音楽と「満足」できる音楽とがあるような気がします。
それはもちろん演奏者の腕前、人格なども関係あるでしょうが、
いちばん大事なのは作曲家がその「料理」に込めたものだと、
そう思うわけですね。

何せそうゆう風に考えているもので、
どうも、珍しい音や楽器、動きなどで観客の目をごまかされると、
あまり気持ちが良くないのです。
以上のようなわけで、タン・ドゥンの曲からは、
「音楽」で勝負するという感じがあまりしないんですよね。

逆に言えば、そうゆう聞き方をしなければ、
大いに楽しむことが出来る作曲家なんではないでしょうか。
人それぞれ音楽の聞き方は違うので、
これが正しい聞き方だと示すことは出来ません。
変なものが好きだという人には打ってつけでしょうね。

鬼の教師を壁として。

2008-10-21 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
今さらなんですが、ドラマ「女王の教室」を見まして、
案外よく出来てるドラマだなと気付いて面白がってました。

現代ではまず受け入れられない「鬼教師」の存在意義、
つまり、生徒から恐れられるような態度を取り、
服従させ、そうして学ぶべきものを上から与えるという、
そうゆう教師は果たして本当に必要なのかという問題ですね、
それのある種の答を提示しているように思いました。

まずこうゆう教師がなぜ嫌がられるのかといえば、
単純に恐いからですよね。
子どもは自分のやっていることが良いことなのか悪いことなのか、
特にそれが微妙なことの場合には判断がしにくくなる。
だから、自分が何をやっているのかよく分かっていない時に、
怒鳴られたりするとパニックに陥ってしまうか、
あるいは傷付いてしまう可能性があります。
まあ、少なくとも、とてもイヤな気持ちになりますね。

しかし、一方でこうゆう先生でないと出来ないこともあります。
何かと言うと、子どもが「自分で考える力」を養いやすいんですね。

そもそも、人間が「考える」時というのはどうゆう時かというと、
自分の思い通りに物事が運んでくれない時なんですよね。
たとえば、友達が自分の話で笑ってくれないとか、
片思いの相手が自分の方を向いてくれないとか、
そうなったら、きっと人は考え始めます。
あるいは大昔だったら、
大きな崖をどうやって乗り越えるかなんて、
そんな壮大なことを考えている人もいたかもしれません。

自分のやりたいことが出来ないとき、
そうゆう障害が出てきた時、
人間は初めて頭をちゃんと使うんです。

こう考えてみると、赤ちゃんが言葉を発さずにひたすら泣きわめくのは、
すごく重要なことのような気がしてくるんですよね。

「お腹が空いてるのになんでコイツらは飯をくれへんのや」

と赤ちゃんはもしかすると考えているのかもしれません。
しかし、言葉が喋れないから伝えられない。
言葉が大きな障害になっているんですね。
だから、赤ちゃんは自分の思っていることが、
相手に伝わらないことを知って、考えるようになります。

もし、テレパシーのようなものが備わっている赤ちゃんがいたら、
その赤ちゃんはきっと何も考えられない人間になるでしょうね。
なにせ言葉の壁がないもんですから、
考えなくても食べ物はくるし、オムツも誰かが替えてくれる。
全てが自分を中心に回ってると感じるようになるでしょう。
しかし、実際のところ世間はそうゆう風に出来てないわけで、
こんな赤ちゃんが大人になったりしたら、
社会から爪弾きにされるのは目に見えています。

このように、世の中は自分の思い通りにはならないのだと学び、
「では、自分の思い通りにするにはどうしたらいいのか?」
ということを考えるためには壁がなければなりません。
「鬼教師」という存在は、まさにこの「障害壁」です。
こうゆう教師がいるおかげで生徒は自分でものを考え、
自分で行動しようとするわけで、
実際ドラマの中でも生徒たちはそうゆう風に成長していきます。

もちろん程度にもよるのですが、
いわゆる「恐い先生」というのはやはり必要な存在なのだと、
以上のことからだけでも理解できるかと思います。
最近、優しい先生や尊敬できる先生というのがもてはやされてますが、
嫌われる先生にこそ、生徒が成長する瞬間はあるのではないかと、
そのようにさえ思うほど、面白いドラマを見たなぁと、
満足している、そんな日でした。

忘れてほしくない。

2008-10-20 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
新しいことをしようとなると、
決まって古いことの反対をやろうとする。
たとえば、「新しい教育」は詰め込まない教育という意味で、
そこには過去の反省が踏まえられている。

しかし、過去を見つめている時点で、
それを「新しい」というのはいかがなものか。
過去から想像もつかないようなことだからこそ、
真に新しいというのではないか。

新しい表現方法を考える場合でも、
そこには何らかの形で過去を顧みる動きがある。
過去と全く逆のことをすれば「新しい」。
過去と違うことをすれば「新しい」。
あくまで基準は過去であり、
その意味で、こういう「新しい」は新しくないと言える。

こんなこと、前にも書いたような気がするなぁ。
けど、やっぱりつくづく思うことだから、
繰り返さなければならないような気もする。
本当に大切なものは言葉に出来ないというけれど、
では、人間は大切なものさえあれば生きていけるのかしら?
周りを見渡してみても、大事なものは少ししかないはずだ。
たいていはあってもなくてもいいような、
どうでもいいものばかり。
だがしかし、だからこそ人間は生きている。

この記事も、本当に大事なことではないから言葉に出来るんだけど、
だからといって、簡単に忘れてしまえるようなことでもない。
人生には案外そうゆうものが多いような気がする。

キネーンビー。

2008-10-19 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
今日の記事が800件目になる。
よくこれだけ書いたなぁと、
昨日までの自分を褒めたくなるが、
それは記念すべき1000件目まで置いておこうか。

どうも人間というのは「記念」が好きな生き物だ。
誕生日、縁起の良い日、年の始まり等、
冷静になって見てみればどうでもいいようなことに、
意味を見出そうとする。
10月10日が「目の日」なんて、本当にどうでもいい。

ただ、そうは言っても、
その日が誰かにとって特別な日であるとわかると、
ちょっとだけ「今日」を大事にしてみようかと思える。
10月10日に目を大切にするかどうかは分からないが、
少なくとも、その日が「普通じゃない」ということは理解できる。
毎日が記念日ならば、毎日を大切に出来る。
逆に言えば、何か特別な意味がないとモノを大切に出来ない、
そんな人間の悲しさを考えさせられる。

散在する思考。

2008-10-18 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
この世に存在する音楽は、
ある説では、何百億曲であるという。
けど、生きているうちに自分が出会える音楽は、
いったい、その中のいくつなのでしょうか。

いろんな人を知ることで、
人間は成長することができるという。
けど、別にそれは「人」じゃなくてもいいような気がします。
いろんな「モノ」「現象」「言葉」に触れ合う中で、
自分の体にあらゆる事柄を吸収することが、
いちばん大事なんじゃないでしょうか。

さて、ところであなたは、
どれくらい音楽のことを知っているのでしょうか。
そんなものがなくても、
人間は生きていけると言う人もいるでしょう、きっと。
しかし、果たして人間にとって必要なのは、
「生きる」ことなのでしょうか。
死んだら元も子もないと言いますか。
なるほど、それも確かな考え方ですね。

当たり前の事ですが、重要なのは答えではありません。
けど、この当たり前の事が案外疎かになっている人が多い。
「音楽は必要か否か」なんて、議論しようとは思ってません。
聞きたいことはこれだけです:
「どれだけ音楽を知っているのか」

あるいは、
「あなたが出会えた音楽は素敵でしたか」
こう聞くのは、
「あなたの人生はどうでしたか」
という質問と、大して変わらない気がします、ある意味では。
結局、後ろを振り返った時にどれだけのものが見えるか、
それが人生においていちばん大事なことのような気がしますね。