西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

アイロニーに満ちた社会のミニチュア。

2009-10-31 | 映画・映像(ビジュアルな面白さ)
NHK「美の贈りもの」で、
石田徹也を取り上げた番組が少しやってて、
西浦は、『飛べなくなった人』だけは、
辛うじて見たことがあって、
(※錆びた飛行機と少年が合体してる絵)
「変な絵を描く人だなぁ」と思ってたんですが、
その中に、なかなか衝撃的な一枚がありました。


『燃料補給のような食事』


石田 徹也 Ishida, Tetsuya
1973-2005
Shizuoka,
Japan

ユーモラスなのに、スゴく悲しい。
石田の、他の絵を見てても、
通底してるのは、そんな感覚だと思う。
心から楽しめるような、
突き抜けた驚きとかではなくて、
それを押しとどめる力も、
そこには働いてる気がする。
見ている人を「黙らせる力」とゆうか。

ちなみに画像は、
石田徹也の世界‐飛べなくなった人
(http://www.tetsuyaishida.jp)
から、
こっそりお借りしました。
この他にも、かなり面白い作品がたくさんあるので、
より多くの人に見てもらいたいですね。

こうゆうのは苦手です。

2009-10-30 | ひとりごと・ぼやき(モノローグな面白さ)
洋楽にかぶれた少年が、
とりあえず英語で歌詞を書いてみるように、
新しい音楽を見つけたと興奮する作曲家は、
自分の音楽にそれを放り込んでみる。
ファッション感覚で。
深い思想性が必要だとは思わないが、
国民学派の音楽にピンと来ないのも、
実はそのせいなのかもしれない。

今日いちばん気になったこと。

2009-10-29 | 日常(ふつうの面白さ)
ツイッターでキーワード検索をしてみると、
「○○○に一致するつぶやきはみつかりませんでした」
とよく表示されるんですが、
親切にも、その下に検索上のヒントが出てくるんですね。
それが、これです。


ヒント:

1. もう少し一般的な検索をしてみてください。
2. 他の言葉で検索してみてください。


ヒントを生かして、再検索。


 他の言葉に一致するつぶやきはみつかりませんでした。

ヒント:

1. もう少し一般的な検索をしてみてください。
2. 他の言葉で検索してみてください。


なぜだ。

吐き気。

2009-10-28 | ひとりごと・ぼやき(モノローグな面白さ)
ツイッターではつぶやき切れない、
気分の悪さ。

サルトルは自分が生きている実感を、
「嘔吐」とゆう苦痛に託した。

いつもと同じ感覚と分かっていても、
やっぱり気持ち悪い。

無秩序に広げられた個人の群れは、
いちばん気持ち悪い。

口が先か、耳が先か。

2009-10-27 | ムダ話(ファニーな面白さ)
CDを手に取る。
気になった作曲家がいたら調べてみる。
実はイヤな奴だった。
そいつの曲が耳に入る度、
腹が立ってくる。

結構、よくあること。

本を読む。
ある作曲家がべた褒めされてたので、
非常に良い印象を持っていた。
探して聞いてみると、
驚くほどつまらなかった。

結構、よくあること。

この世で一番なりたくない人間。

2009-10-26 | ひとりごと・ぼやき(モノローグな面白さ)
趣味で楽器をやってて、
音楽的な知識もたっぷりで、
ムダに高価な楽器も持ってるのに、
肝心の腕前が悲惨とゆう、
そんなオッサンには絶対なるものかと、
高校生の頃には憎悪さえ込めて思ってたけれど、
今日、もしかしたら自分も、
そうなるのかもしれないと思って、
ゾクッとした。

1#。

2009-10-25 | ・ドリーム・フォレスト・・テディベア。
男がひとり、小さな部屋にいた。
足の短いテーブルが近くに見えるが、
それ以外に何があるのかよく分からない。
部屋全体がヒドく暗かったが、
「何か」が浮いているのがうっすら見えた。
丸い・・・惑星のようにも思えるゴツゴツとした球体。
その、岩の塊のような物体は、
美術館の「作品」のようにジッとしていたが、
しかし、確実に地面から離れていた。
男はなんとなくそれに不安を感じた。
ノドが渇いていたせいかもしれない。
特に暑いわけではなかったのに、
なぜか汗が止まらなかった。
頬をダラダラと伝う感触がうっとうしくて、
彼はそれをシャツの襟で拭った。
徐々に暗闇に慣れてきたのか、
目の前に浮かぶ球体の輪郭が、
比較的ハッキリと見えてきた。
よく観察してみると、
それはゆっくりと自転しているようであった。
もっとも、注意深く見ないと、
止まっているようにさえ見えたのであるが。
それは静かで、抑制された動きであった。
直感的に男はこの部屋から出るべきだと思った。
今すぐに出なければならない。
そうして周囲を見回すと、
奥から針のように細い光が差していた。
その一筋に男は安堵の表情を浮かべながら、
急いで光の方へと走ろうとした。
その時であった。
さっきまで静かに自転していた球体が、
突然に音を立てて動き出した。
どうやら標的はこの「逃亡者」であるらしく、
部屋中がその動きに誘発されて、
一斉に活動を開始したようであった。

恩田陸「中庭の出来事」。

2009-10-23 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
恩田陸の「中庭の出来事」を読みました。
非常に興味深い内容でしたね。

「世界は劇場化した」
と誰かが言ってたように思うのですが、
なるほど確かに、これは当たってるかもしれませんね。
「地」の自分とゆうのは、
家族にすら、さらけ出すことが出来ない。
つまり、他者を目の前にしている限り、
人は「自分」を演じなければならないわけです。
その演じ方とゆうのも人それぞれでしょうが、
オリジナルなやり方で演じている人は、
ほとんどいないでしょう。
そうゆう人は、舞台から弾き出されます。
誰もが、どこかで誰かがやってた役を演じてる。

では、役を演じていない、
本当の自分はどこにいるのか?
部屋の中で、ひとりでボーっとしている時の自分は、
果たして、本当に、地の自分なのでしょうか?
テレビドラマとかで、
誰かが部屋でボーっとしていたシーンをマネして、
自分に見せているのかもしれませんよ。
つまり、自分に対して演技をしてることだって、
十分にあり得ると思うわけです。

しかしそうなると、
演技をしてない自然な自分は、
実は、どこにもいないのかもしれないと、
こうゆうことになってきます。
全てがお芝居です。
生きている限り、演じ続ける。
それがこの世なのかもしれません。
ある意味、地獄ですね。

ところがそんな地獄の中で、
他人を演じようとする人たちがいます。
これが「役者」なわけですが、
上の意味からすると、
彼らは「二重に演じている」ことになります。
「自分」と「他者を演じてる自分」のふたつですね。
このねじれた性質が、実際には、
いったいどんな影響を役者に及ぼすのか、
とても気になるところです。

フツーの人々は役者ではありませんから、
「自分」だけを演じてたらいい。
当然、それだけでも大変なことなんですが、
我々は生きている限り、
人生とゆう脚本からは逃れられないわけですから、
もはや観念して舞台袖に上がるほかなさそうです。


別に、以上のようなことがそのまま、
恩田陸の小説に書いてあるわけではないんですが、
読んでて考えさせられるものがあったので、
文章に起こしてみました。それだけです。

ほめたらいいの? ほめていいの?

2009-10-20 | 音楽(音楽的な面白さ)
21.1世紀の音楽会(アワーミュージック)
「アクースマティックライブ 思い出の循環」
に行ってきました。

ブリュンヒルト・フェラーリ:
「目覚めの霧」(2009)
[世界初演]

檜垣智也:
「『沈黙の木』武満徹に捧げる」(2003)
[日本初演]

リュック・フェラーリ:
「思い出の循環 概念の開拓2※」(1995 - 2000)CDヴァージョン
[日本初演]


ブリュンヒルト・フェラーリは、
リュック・フェラーリの奥さん。
亡き夫の仕事を引き継いで完成させたのが、
今作だったそうです。

今回のライブがなんと言っても、
ミュージック・コンクレートの旗手と言われる、
リュック・フェラーリを中心にしていたので、
あらかじめ録音しておいた音を切り貼りして、
編集したテープ(実際にはCDでしたが)に、
ミキサーでリアルタイムに加工を施していくとゆう、
全部、そうゆう感じの音楽でした。
普段、楽器の音に慣れ親しんでる西浦には、
なかなか新鮮な音体験でしたね。

ただ、久々にどう評価したらいいのか、
困る音楽でもありました。
普通の人が一般に考える「音楽」は、
ほとんどが「楽音(楽器の音)」だけで構成されてて、
時々、自然音(水の音とか風の音とか)が、
効果音程度に入ったりするだけですから、
「あ、これはお寺の鐘の音だ」とか、
「雷が鳴ってるなぁ」とか、
そんなことばかりを感じながら聞いてると、
どうしても疲れてしまうわけです。

それに比べて、楽音とゆうのは、
具体的にどんな音なのか想像できないので、
(とゆうかそれが理想なので)
そうゆう意味ではあまり疲れない。
もっと他の所にエネルギーを使うことが出来る。
だから本来、音楽世界へ没入するには、
環境音とゆうのは邪魔なものなんですよね。

ところがフェラーリは、
むしろそれを主眼に置いて作曲行為を行っている。
西浦にはそれが非常に謎だったわけです。
なぜ疲れさせる必要があるのか?
どうして具体的に音を判別させる必要があるのか?

あるいは(音とゆうミクロなレベルだけでなく)、
西浦にとっての「作品」とゆう考え方自体が、
この音楽の評価を邪魔してるのかもしれません。

まあ、音楽に限らないんですが、
西浦は「作品」とゆうものを、
[ あるシステムに基づいて整理された、秩序の塊 ]
とゆう風に理解しています。
たとえばこの世のほとんどの音楽は、
調性(キー)とゆうシステムの基にして、
メロディとリズムとハーモニーを整列させた、
一定の音のまとまり
と捉えることが出来ます。

あるいはもっと具体的に言えば、
マンガ「ドラゴンボール」は、
「ジャンプ的な世界観」とゆうシステムをベースに、
熱いバトルをひたすら並べまくるとゆう意味で、
首尾一貫してて、非常に整然としてる
と言えます。

つまり、西浦は何かを評価するときに、
その土台にどうゆうシステムがあって、
それがちゃんと機能してるのかどうかを、
常に見てるわけなんですが、
(もちろん一方ではフツーに楽しんでますよ)
フェラーリの音楽には、
いったいどんなシステムがあるのか、
いまいち分からないわけですね。

そうゆうわけで、非常に評価がしづらく、
聞いている間、ずっと呆然としてたわけです。
いったい何がしたいんだろうと。
おそらく、システム云々では収まらない何かが、
きっとあるんでしょうけど、
今日のところは、とりあえず疲れましたね。
分からんものは分からんのだ!

1。

2009-10-18 | ・ドリーム・フォレスト・・テディベア。
最初にあの「ユメ」を見たのは、
6歳のときだった。


12歳のとき、
家族と一緒に「モリ」を歩いた。
 

そして21歳になったぼくは、
こんなところで「クマ」と会っている。



さて、とりあえずだが、
なぜ、ぼくが今「ここ」にいるのか、
それについて話してみたいと思う。
発端はB級映画の展開みたいにありきたり。
けど、そんなものより断然リアルで、
それゆえにつまらなくて、重苦しい事実。
「誰か」が死んだ。

電話が鳴ったとき、ちょうど夕飯だった。
魚の骨を取るのが苦手なミエの代わりに、
ぼくが焼き魚を解剖していた。
手の空いてた彼女が席を立って受話器を取る。
親しげな口調でしばらく会話があって、
それからミエは電話越しに目を見開いた。
ぼくに電話を渡す。
泣くのを堪えるみたいに目を伏せていた。
「Uが死んだの」
受話器の向こうから女性の声が、少し潤んでいる。
「・・・モリゾさん、落ち着いて」
ぼくはすぐに声をかけた。条件反射みたいに。
彼女はいつも落ち着いてないのだ。
「Uが死んだの!」
「とりあえず落ち着いて。
あなたは、Uの秘書なんでしょ?」
しばらく間を置いて、
深呼吸する音がかすかに聞こえてきた。
「・・・で、何があったんですか」
「だからUが死んだのっ・・・!」
「落ち着いて下さいよ」
「落ち着いてられるわけないでしょ。
第一、あたしはね、もう秘書じゃないの」
「どうして」
「だって、社長が死んだんだもの」
「じゃあ、何なんですか」
「ただの女」
「そんなこと言われても・・・」
「いいじゃない、抱いてよ。
ただの女は寂しがりなんだから」
彼女の動揺ぶりにぼくはいささか困惑した。
もちろん、ぼくも驚いていた。
Uがこんな突然に死ぬなんて信じられない。
「なんで死んだんですか」
「知らない。朝、部屋に行ったら死んでたの」
「心臓発作、みたいなものですか」
「ん~、そうゆうわけではないのよね。
なんか、体中、穴ぼこになってて、
けど、血とか全然出てないの。変でしょ」
「ちょっと待ってください。
それって、フツウじゃないですよね?」
「フツウなわけないじゃん。人が死んでんだよ?」
「いや、そうじゃなくて、
なんで穴ぼこになってて出血してないんですか」
「ちょっとちょっと、声、デカい・・・」
「え・・・あ、すいません」
珍しくモリゾさんに注意されて、少し恥ずかしくなった。
目の前では、ミエが正座で耳を傾けてる。
「とりあえずあんたに聞きたいことがあるから、
明日、会って話しましょ。いつもの場所に来て」
急に事務的な声色に使ったと思ったら、
モリゾさんはそのままガチャンと切ってしまった。
「なんで死んだんだろう・・・」
「・・・」
言ってからぼくは後悔する。
自分の父親が死んだミエにとって、
そんな言葉は、今は何の慰めにもならない。
けど、彼女は何も言わず、
ただテーブルをはさんでぼくの前に座って、
どこともなく遠くを見ている。
泣いてないのが、むしろ不思議な感じだった。
しかしそう思いながらも、
その時ぼくは、それがUの冗談だとも考えてた。
茶目っ気たっぷりな老人の、悪いジョークだと。

翌日、テレビや新聞は、
Uの話題で持ちきりになっていた。
Uが死んだ。
物語は「フツウ」に始まったわけだ。