西浦の時間≪Nishiura no Time≫

思いつくこと全てやってしまいたい。
しかし、それには時間が足りなさ過ぎる。
時間を自分のものにせねば。

冥府な鳥。

2009-01-31 | 寓話(フィクションな面白さ)
初めて見たとき、
それは鳥の形に似ていた。
退屈なくらい平板で、
横を向いてないと、
それが鳥だとは誰も思わなかった。
とゆうか、みんなは、
それを鳥だと思ってなかった。
わたしの知る限り、
わたしだけがそれが鳥に似ていると、
勝手に思っていた。
そうだと思う。

夕方だった。
河原の向こうには大きな建物があって、
オレンジを背景に、
黒い直方体が空を指していた。
総合病院だった。
「鳥」は、もはや忘れ去られて、
誰もそこに目をやりはしなかった。
わたしだけがひそかに、
毎日、「鳥」に会いに行ってた。
それがわたしに出来ることだったから。

「ねむい?」
「うん、まあ」
「羽は休めなきゃいけないよ」
「うん、そうだな」
「体にも悪いんだ」
「うん」
「我慢することはないよ」
「うん」
「休んだらいいさ、思いっきり」
「うん、そうだね」

夜がやって来るのは、
空を見ればわかる。
星が降るより先に、
月が明るむより先に、
暗闇は、柔らかく広がる。
「鳥」のところから離れる時、
わたしはいつも病院の影が、
夜に飲まれてしまったのを確かめる。
ちょっとこわくなって、ふるえる。
そうしてわたしは家へと帰ってくのだ。
明日も「鳥」は、いるのかな。
わたしのいない間に、
「鳥」の形が変わるんじゃないかと思って、
わたしは、ちょっと笑って、
ちょっと泣いた。

ハンッ、パネェ。

2009-01-30 | 徒然なるままに(頭をくすぐる面白さ)
最近、面白いと思う言葉。

「パネェ」

時々マンガとかで見かけるんですが、
おそらく「半端ねぇ」から来たものですね。
なんか、無性におもしろい。
「箸が転げても」の年齢は、
とっくに過ぎてるはずなんですが、
口にしたくてたまらない。

けど、なかなか口にできない。
なぜかいえば、言う時がないからです。
そうゆう状況に陥らないからです。
なかなか「半端なくなる」ことって、
ないんですよね、現実では。

かと言って、
全然「半端なくない」時に、
「パネェ」と言ったところで、
いまいち説得力がない。
やはり、パネェは、
半端ない現象を目にした時、
考えるより先に飛び出てくる、
心の叫びなんですよね、きっと。

まあ、そんな感じですから、
ムダに溜まっていくわけですね、
フラストレーション(もやもや)が。
現実世界に「とんでもないこと」のひとつやふたつ、
起こってくれればいいものの、
実際には「不況」とか「空爆」とか、
あまりにシリアス過ぎて、
パネェ! と叫ぶのがはばかられます。
なんとゆうか、
パネェは、ただ「半端でない」だけでは、
しっくりした感じがしないような気がします。
若干の笑いを含んだ感じ、

パネェ(笑)

みたいな感じが、やはり、
正しいパネェのような気がします。
とゆうことは、
西浦は最近、面白いことに出会ってないと、
こうゆうことでしょうか。

・・・いや、出会ってるじゃないですか。
「パネェ」に。
ぼくは、パネェに対して、
パネェ(笑)ですよ、ホント。

倉橋由美子「大人のための怪奇掌編」。

2009-01-29 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
倉橋由美子という作家がいる。
たった今判明したんだけど、
大江健三郎と同い年(1935年生まれ)。
作風などにも共通点があって、
「新世代作家」として、
よく比較されたのだとか。

しかし残念ながら、
2005年に亡くなられたようで、
もう新作は出てこないかと思われます。
知った時には、もう遅かった。

けど、まあ、それはそれとして、
この倉橋由美子を知ったのは、
「大人のための怪奇掌編」
という短編集だったんです。
これが、かなり面白かった。
正直、今まで読んだ小説の中で、
三本の指に入れてもいいかもしれない。

何よりまず文章力が凄まじい。
たとえば、驚くべきことに、
この本に収められた、
ほぼすべての短編が10ページで、
キレイに完結するんです。
これは、人間業とは思えません。
そしてひとつとして、
ページ数に苦しんでるような話がなく、
ムダがなく、スッキリしてる。

それから、アイデアが素晴らしい。
たとえば、カニ嫌いの男が、
ガン(キャンサー)になってしまう話(「革命」)。
英語では、ガンのことを、
キャンサー( = カニ )って言いますが、
こんな言葉遊びを、
そのまま短編にしてしまう、
そんな抜け目のなさに、
思わずニヤリとしてしまう。

また、ユーモアにも満ち溢れてる。
たとえば、風呂で居眠りしてたら、
体が骨だけになってしまった少年の話(「事故」)。
「突発性溶肉症」なんて、
一見、ホントにありそうな病名で、
その異様な状態が、
ごく当たり前のように描かれる。

少年は、骨のまま学校へ行き、
その後もふつうに生活を続けるのだ。
骨になった少年が周囲に受け容れられる様子に、
読んでいると思わず笑ってしまう。

たとえば、
骨だけになった息子を目にした父は、

「(肉がなくなって)すっきりしたのはいいが、
 骨だけになって大丈夫なのか」

と息子の異変には極めて冷静だ。
異様なはずなのに、
そこに妙なおかしさがある。

『純文学の香り高い極上エンターテインメント!』

という謳い文句も言い得て妙です。
久々に面白い本に出会えて、幸せな日だった。

ヴィスコンティ「ベニスに死す」。

2009-01-28 | 映画・映像(ビジュアルな面白さ)
ルキノ・ヴィスコンティの映画、
『ベニスに死す』を見る。

ストーリーとしては、
作曲家、グスタフ・アッシェンバッハが、
休養のために行ったベニスで、
たまたま美少年タージオを見つけ、
恋に落ちてしまう。
そこからこの老作曲家の運命が狂ってく。

一部では「ホモ映画」などと言われる。
しかし本当に、この映画は、
ただの変態映画なのだろうか?
確かに、全体を通じて、
老作曲家の挙動が徐々に崩れていく様は、
なんとも異様だ。

ラストあたりでは、化粧をして、
ベニスの街中で、少年をストーキングし、
歩き疲れた体で浜辺のイスに座り、
満足げに息絶える。
確かに異常な愛に思える。

しかし、その純粋さや、
切なさという点では、
他に類を見ない美しさをもってる気がする。

なんと言っても、
この映画を支配するのは、
マーラーの交響曲第5番 第4楽章、
「アダージェット」だ。
映画中、何度もこのテーマが流れる。

ちなみに初演された1904年当時は、
この交響曲はまったく理解されなかったという。
ところが、その約70年後、
ヴィスコンティがこの映画で取り上げたのを機に、
爆発的な人気曲となった。

面白いことに、
主人公の名前はグスタフで、
マーラーのファーストネームもグスタフ。
これは、主人公をマーラーに重ねていると考えて、
まず間違いない。

マーラーの「アダージェット」は、
愛する妻、アルマのために作られた。
そのあふれる感情は、
映画のグスタフが少年に対して抱いたのと、
見事にマッチしてるように思う。

また、映画のカットは、
どれもこれも、絵画のように、
ガッシリとした構図を取っている。
当たり前のことだけれど、
見ていて無駄なカットが一切ない映画というのは、
そんな簡単に作れるものではないだろう。

特に、ラストシーンの、
海へと歩いていく美少年と、
対置されてる写真機のカットは、
白眉の美しさだ。

ストーリーの異常性に着目すると、
この映画は非常に気味の悪いものかもしれない。
しかし、監督の意図するところが、
そんな変態性にはないということが、
実際に映画を見てみれば分かると思う。

なぜだか分からないけれど、
思わず感動してしまう、
そうゆう美しさが、
この映画にはあると思う。

相撲熱するモンゴリアン。

2009-01-26 | 対話(話しことばの面白さ)
おぉい、
優勝しちまったじゃねぇか・・・。

ああ、朝青龍な。

なんで白鵬負けちゃったの!?

まあ、いいじゃないですか。
かわいそうだったし、優勝ぐらいさ。

お前みたいなやさしい日本人が、
モンゴル人を甘やかすから、
角界が乗っ取られかねないんだよ!

お前の好きな白鵬だって、
モンゴリアンじゃん。

白鵬は、紳士だからいいんだよ。

日本人力士に、
紳士が見当たらないんですけど。

いいんだよ、白鵬さえいれば。

愛し過ぎだろ。

一回目のアレは、
エレガントだったよ~。

おれには、朝青龍が、
失敗したようにしか見えなかったけど。

ふん、そのミスを逃さなかったんだよ。
白鵬のプロ精神だよ。

あ、そう。
まあ、仕切りのときに、
「ハ・ク・ホー!」ってコールがスゴかったし、
やっぱり、ファンは白鵬の方が多いのかもね。

当たり前だろ。
あんなにカッコいいんだから。

ごめん、わかんねぇわ。
みんなデブにしか見えねぇ。

この異邦人がっ!

白鵬に言えよ・・・。

「無関心」をもう一度考えてみる2。

2009-01-25 | 雑記(長話の面白さ)
それにしても、
人はなぜ「面白い」と感じるのだろう?
もしかすると、
それが自分にとって大事なことで、
自分に関係があると思えるからではなかろうか。
つまり、「興味・関心」があるから、
「面白い」と思う。


そう考えてみると
授業が「眠い」と思ったら、
そこに興味が向いてないと考える、
そうゆう可能性もある。
だから授業は、
「面白いか、眠いか」という基準ではなく、
「自分が面白く思えるかどうか」で考えることも、
出来なくはない。


つまり、自分にまったく関係ないと思えるような、
そんな話を先生がしてる時に、
なんとかしてその話が自分に結びつかないか、
頑張って考えようとするのか、
眠いから本能に従って寝ようとするのか、
けっきょくは、
そこに問題の糸口はあるような気がする。


じゃあ、どうすれば、
つまらない話に、
自分を関係させることが出来るか?
おそらく、一番手っ取り早いのは、
自分が興味を持ってることを、
常に頭の中で意識しながら、
話を聞くことだろう。
そして、その興味が、
どうゆう風に話と絡められるか、
それを考えることが大事だ。


つまるところ、
授業が面白くなることはないわけで、
相手が変わらないなら、
自分の気持ちを変える姿勢なしには、
授業が面白くなることはないだろう。
もしかすると「無関心」は、
人をどこまでダメにするとさえ、
言えるかもしれない。

「無関心」をもう一度考えてみる1。

2009-01-24 | 雑記(長話の面白さ)
このブログで、2007年8月17日に、
「レッツ・インタレスティング。」
という記事を書いた。
もう1年と半年以上前のものだけれど、
自分の中では、
「無関心」とか「興味なし」と言う人のことが、
ずっと問題意識としてあった。


改めて読み直してみて、
思いつくことがあった。
この「無関心」は、
授業に対する態度についても同じだなと。


どうゆうことかと言うと、
無関心というのは、
簡単に言えば、
目の前で起こってることが自分とは無関係で、
つまらないと思ってることだ。


だから、たとえば面白くない友人は、
簡単に「スルー(無視)」されるし、
たとえ、実は面白くても、
聞いてる側に興味がなければ、
会話としては長く続かないだろう。


ただ学校の授業の場合は、
それが「寝る」とか「しゃべる」とか、
そうゆう風に表れるだけで、
反応の違いでしかない気がする。


ところで、
授業が面白くないという批判がある。
だから生徒がやる気をなくすと。
確かに、その一面は否定できない。
けど、じゃあ、授業が面白くなったら、
生徒の学力は向上するかといったら、
それは少し疑問だ。


大学の「レジャーランド化」が非難されてるように、
面白いけど中身のない授業をする先生が、
増えてるらしい。
内容のない授業を受けても、
学力なんか上がるはずがないじゃないか。


そうなると、
何が「良い授業」なのか、分からなくなってくる。
内容は盛り沢山でも、つまらない授業では眠くなる。
スゴく面白くても、中身がなければどうしようもない。


(つづく)

ギンプで素敵なペインティング。

2009-01-23 | 日常(ふつうの面白さ)
最近、GIMPという、
フリーソフトを手に入れたんですが、
これがかなり使いやすくて、
絵心のない西浦でも、
簡単に絵が描けてとても楽しい。
そのうちに、
「お絵描き」カテゴリーが出来るくらい、
作品が増えるかもしれない。
そうでないかもしれない。

何はともあれ、
いいオモチャを手に入れてしまったもんだ。

カスタムレイアウトしてみてしまった。

2009-01-22 | ここについて(ノーコメント)
うっかりテンプレートを変更してしまった。
前のは、記憶が確かなら、
「パセリ倶楽部2」とかいうやつで、
結構気に入ってたんですけど、
「カスタムレイアウト」
とかゆうものが出来ると知って、
好奇心を抑えられず変更してみたら、
元に戻せなくなってしまった。
現在は「クール > ブラック」。

ちょっと不満はあるものの、
まあ、しばらくはこれでやってこうか。

Joanna Newsomのこと。

2009-01-22 | 音楽(音楽的な面白さ)
ジョアンナ・ニューサムという歌手がいる。
現在、27歳のアメリカ人。
「シンガーソングライター」という枠組みにいるけれど、
弾くのはピアノでもギターでもなくハープ。

ポロンポロン。

ハープを片手(?)に佇むその姿は、
まるでイギリスの森にいる妖精の女王みたい。
ところが、それとは裏腹にその歌声は、
まるで小学生みたいな、
ギャアギャアとゆうか、
ウワンウワンとゆうか、
とにかく、およそ言葉には出来ない、
独特の歌い方で、自分を表現してる。
少なくとも、西浦にはそんな風に見える。
初めて聞いた時、大衝撃だったし、
メチャクチャかっこいいと思った。

普段聞いてるような音楽に慣れてると、
パッと聞いたとき、なんだか、
完成度が低いように聞こえてしまうけど、
実は、かなり歌い込まれてるのが分かる。
こんな歌い方が出来る人は、
なかなかいない。
とゆうか、絶対にいない。


Joanna Newsom - Peach Plum Pear
http://jp.youtube.com/watch?v=KcHjAUhtSrk

CAN WE . . . ?。

2009-01-21 | 日常(ふつうの面白さ)
オバマさんが大統領になりましたね。
まあ、良いことでしょう。
何が良いことなのか、それは分かりません。
西浦は政治には詳しくないので。

ただ、あんなカッコいい人が大統領になったら、
それだけでテレビが華やかになる。
ブッシュは「インプ(悪魔の一種)」みたいで、
アレが映るだけで不愉快なもんでした。

ところで、日本史上最悪の総理は、
森さんらしいですが、
アメリカの場合は、
実はブッシュではないらしいですね。

調べてみると、ウォレン・ハーディング、
フランクリン・ピアース、
ジェームズ・ブキャナンが、
決まってランキング最下位になるらしい。

まあ、けど、いずれブッシュも、
その仲間入りを果たすでしょう。
少なくともメディアは、
すでに「史上最悪」を謳ってますし。

一方で、極端に高い評価と得ている人が、
極端に嫌われてることもあるようで、
ここらへんは、非常にややこしい。
ニクソンなんかが、そうらしい。

ニクソンはベトナム戦争を終結させたりしたけど、
盗聴なんかをしちゃって、
戦後大統領の支持率ワースト1という、
素晴らしい記録をもってる。

オバマさんは今かなり期待されてる。
けど、ニクソンのような実例があるなら、
あるいは、何か失敗をやらかす可能性がありそうだ。
それも含めて、これからが楽しみではある。

首から上は別人。

2009-01-20 | ひとりごと・ぼやき(モノローグな面白さ)
風邪も中途半端に長引くとツライ。

寒いし、ツライし、しんどいし、

そんな状態で文章を書いていると、

文と文の前後関係が曖昧になってくる。

溶け合ったチーズみたいに、

どっちがどっちなのか、

分からなくなってくる。

そうして、自分自身も、

どこからどこまでが「じぶん」なのか、

わからなくなってくる。

脳で考えている「じぶん」と、

手を動かしている「じぶん」は、

果たして同一人物なのだろうか。

そこには協力関係があって、

あるいは、上下関係があって、

お互いの役割が決まってるような気がする。

けど、じゃあ、自分は、

どっちの「じぶん」なんだろう。

つまり本当の自分は、どこにいるのか。

考えてみると不思議なこと。

だんだん、だんだん、

とけあっていく。

乙一「ZOO」。

2009-01-18 | マンガ・ドクショ(インドアな面白さ)
乙一(おついち)の短編集「ZOO(ズー)」を読む。

周囲で絶賛されてたので、
かなり期待して読んだのだけれど、
そんなにハマるものかなぁと思った。

そう思わせた理由には、
まあ、いろいろあるけれど、
たとえば、物語の構造が単純だから、
その分、面白い設定を起用して、
トリッキーな書き方でアピールしてるし、
そうやって読者の予想を裏切るのは、
大事なことだろうけど、
そのやり方に感心できなかった。

残念ながら乙一の作品は、
この短編集しか読んでないので、
そうゆう基準で考えることになるけど、
全体の印象として、
バッドエンドが多かったように思う。

もちろん西浦は、
バッドエンドが悪いとは思わない。
思わないけど、しかし、
「悲劇的な結末」とゆうのは、
ただ登場人物が不幸になればいいわけじゃなくて、
どこかで読者に、
「あぁ、そうなっても仕方ないよなぁ」と、
納得させなければいけない。
これは昔の偉い人が言ってたことで、
西浦独自の考えではない。

で、そう思って乙一を見てみると、
なんとも理不尽で、
なぜそんなことになったのか、
いまいち分からないバッドエンドが多かった。
だから、ラストシーンで興醒めしてしまうことが、
しばしばあって残念だった。
アイデアとかが面白いだけに、より残念。

けど、そんな中でも、
表題作でもあるZOOと、
SEVEN ROOMSは文句なしで面白かった。
誰もが持つような不安を煽り、
人生の滑稽さや悲惨さを浮き彫りにしてる。
「お見事!」と言うしかない。
他のもこれくらい面白かったら良かったのに。
以下、具体的な紹介。


『ZOO』
恋人を殺した犯人を探す男の話。
ところが、実は、その犯人は男自身で、
男もそのことに気付いているんだけど、
自首する踏ん切りがつかないで、
ズルズルと1日1日を終えてしまう。

まあ、こう書くと、
どうしようもない感じになるけど、
この作品は、何より描写が素晴らしい。
男の内面的な感情が、
ある時は繊細なタッチで、
また、ある時は、
ユーモア溢れるタッチで描かれる。

あと、ラストの導き方も、
非常にテクニカルでありながら自然。
もしかすると、いわゆるひとつの、
「理想型」かもしれない。


『SEVEN ROOMS』
気が付くと知らない部屋にいた姉と弟。
閉じ込められたふたりは、
いろいろ探るうちに、
その部屋に隠された「法則」を知り、
脱出することを決意する。

なにせ短編集なので、
いろんな作品が入ってて、
ずっと読んでいると、
作者独自の「におい」とゆうのが、
だんだん分かってくるんだけど、
そのにおいが強烈に香ってきたのが、
この一篇。

まず「密度」が凄まじい。
不安とか孤独とか疎外とか、
たいていの人間が感じてるマイナス感情を、
かなりの率で凝縮して文字化してる。
しかも、その緊張感が、
最後まで途切れない。
これは実に気持ちの良いものだ。

それから、
これも構成の話になるけど、
物語には「三要素」というのがあって、
それは「意外性」と「統一性」、
そして、「必然性」という三つ。
で、この作品では、
上の三要素が他のよりも強く感じられた。

特にラストシーンに、
「なるほど、そうするか」と、
納得させられた感じ、
つまり、そうなって当然だなと思わせる、
「必然性」という要素が効いてる。

だから、意識的か無意識的かは知らないけど、
ちゃんと伝統的な方法論に当てはまるわけで、
こうゆう作品は、読んでてムカつかない。
良い作品だと思う。