ムツ兄の、てげてげ人生日記

シマッチュ(奄美人)のムツ兄が、奄美での「テゲテゲ」(気まま)な暮しを記します。

デニス・ブラウン

2005年04月01日 15時00分00秒 | 音楽
今日、久々にデニス・ブラウンでも聴こうかとCDを出して、聴いてて、「そういえば、最近、デニス・ブラウンってあまり名前を聞かないなぁ…」と思い、ネットで検索したら、なんと’99年に急死しているらしい。驚いた。あの、優しい歌声が、もう聴けないと思うと寂しいものです。

※以下は、デニス・ブラウンに関しての略歴です。

ボブ・マーリィを"キング・オブ・レゲエ"と呼ぶとしたら、デニス・ブラウンは、さしずめ"プリンス・オブ・レゲエ"と呼ぶに相応しいシンガーだ。わずか9歳でコクソン・ドッドの下、そのキャリアをスタートした天才少年は、アフロ・ヘアにフリルのシャツをまとい、マイケル・ジャクソンと見まごうほどのキュートなルックスとチャイルド・ヴォイスでトップ・シンガーの仲間入りを果たした。変声期を迎えてもデルロイ・ウィルソンほど子供時代との差違を感じさせることなく、とろけるように甘いテナー・ヴォイスに磨きをかけ、実力派シンガーとして不動の地位を確立。30余年に渡り、ラブ・ソングからコンシャス・レゲエ、ルーツ・レゲエ~ダンスホールに至るまであらゆるジャンルに挑戦し、時代の感性をいち早く取り入れながらレゲエの発展に大きく貢献し続けた。ジャマイカ国内はもちろんのこと、アメリカ、イギリスのレーベルを含めリリースされたアルバムは、実に80枚以上。これらの作品は、そのままジャマイカン・ミュージック・ヒストリーのカタログであるといえるだろう。
いわゆる「一発屋」が横行するジャマイカのミュージック・シーンにおいて、デニスはもはや彼の名を知らぬジャマイカンはいない――といってもいいほどの国民的大スター。老若男女あらゆる世代のファンを有するのは、様々なジャンルを歌いこなす声をもつ彼だからこそ成し得た偉業である。――しかし、そんなデニスも99年、ツアー先から帰国後に急逝。まだ40代に入ったばかりの、これからが期待される年齢だっただけに残念でならない。

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