ムツ兄の、てげてげ人生日記

シマッチュ(奄美人)のムツ兄が、奄美での「テゲテゲ」(気まま)な暮しを記します。

余命1ヶ月の花嫁

2008年05月07日 20時00分00秒 | 日記
2007年4月、24歳の長島千恵さんは乳がんが肺などに転移し、国立がんセンター中央病院で闘病生活を送っていた。その千恵さんを訪ねるため、TBSの取材クルーは病室に向かった。「自分の思いを自分と同じ若い世代の人に伝えたい」という千恵さんの希望で、インタビュー取材をすることになったのだ。時折柔らかい笑顔を見せながら、千恵さんは闘病の経過やその時々の思いを語り、夢を語った。しかし、実はその時、がんは末期の状態。親族と恋人には「余命1ヶ月」と告げられていた。

千恵さんが左胸のしこりに気付いたのは23歳の誕生日を迎えて間もない2005年の秋。「明日にはなくなっているだろう」と思いながらイベントコンパニオンの仕事を続けていた。しかし、病院で検査を受けた結果は「乳がん」。ちょうどその頃、千恵さんはイベント会場で赤須太郎さんと出会う。交際を申し込まれた千恵さんは涙を流しながら乳がんであることを告白したが、太郎さんは「一緒に頑張ろう」と励まし、交際がスタートした。

抗がん剤治療で髪が抜け、吐き気に襲われたが、千恵さんはつらさを周りに見せず仕事と治療に励んだ。しかし、治療は思うようにいかず、乳房の切除を迫られた。千恵さんは太郎さんに「おっぱいの無い彼女でいいの?他にも女の子はいるじゃない」とあたった。そんな千恵さんに太郎さんは告げた。「胸が無くても、髪が無くても、千恵が千恵でいるならそれでいい」。

太郎さんに励まされ、千恵さんは前を向いて歩み始めた。乳房を切除し、放射線治療を続けたが、千恵さんは一切弱音をはかなかった。そして、猛勉強の末、システムエンジニアになるという夢を実現させる。しかし、再び病魔が襲う。2007年3月、体調を崩した千恵さんは再び入院、がん再発を告げられた。治ると信じて闘病を続けていた千恵さんだったが、がんの勢いはすさまじかった。わずかの間に肺などに転移し、呼吸には酸素マスクが必要になった。そして3月末、家族に「余命」が告げられた。

残された時間を知らない千恵さんだったが、病室で友人に「秘かに抱いた願い」を打ち明ける。それは「ウェディングドレスを着ること」。友人たちと太郎さんは千恵さんに最高の思い出を作ってあげようと、サプライズの結婚式を計画した。そして、式の当日。体調が悪かった千恵さんに奇蹟が起きる・・・。

24歳6ヶ月で生涯を閉じるその瞬間まで、人を愛し、人に愛され、人を支え、人に支えられた長島千恵さんの「最後の1ヶ月」に密着したドキュメント。ぜひ千恵さんの愛と命のメッセージに耳を傾けてみてください。

乳がん検診を若い時から受けることの大切さを感じました。アンドレ・ギャニオンのピアノのBGMが切ないです。

http://www.tbs.co.jp/hanayomecaravan/tv/

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2 コメント

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切ない・・・ (ダーラ)
2008-05-08 11:37:15
題名を見て、僕には「結婚式」自体が
辛いので、番組をみることはできませんでしたが、

切ないですね・・・

やりきれない思いが心に残ります。
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ダーラさんへ (ムツ兄)
2008-05-08 14:23:41
こんにちは。コメントありがとうございます。
番組観ましたけど、23歳で乳がんを発病し、左の乳房を切除したのに、肺に転移して24歳で亡くなりました。一人娘で、お母さんも若くして癌で亡くした女性でした。女性の乳がん検診を早めにすることの必要性を痛感しました。
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