お陽さまブログ

食・自然・生き方・精神世界等についてつぶやきます。

自業苦

2021-03-26 18:55:50 | 日記


地獄とは、ナラカともいい、苦しみの世界のこと

人間の実相のたとえの最後に説かれている深海とは一体、何を明らかにされているのでしょうか。
この深海とは、地獄を例えています。
地獄という言葉を聞いたことはあると思いますが、そもそも、地獄とはいったいどういう意味なのでしょうか。
地獄というのは、古いインドの言葉で、ナラカと中国で訳されたものです。
ナラカは、漢字をあてると、奈落(ならく)になります。
これは、苦しみの世界という意味です。地獄とは、苦しみの世界ということです。
地獄絵図など描かれる、針の山を登らされたり、血の池地獄で苦しむ罪人の姿を見て、そんな世界、一体、誰が作ったのかと思う人もあるでしょう。
このことについて、こんな歌で教えられています。

火の車つくる大工はなけれども己が造りて己が乗りゆく

火の車とは、地獄(苦しみの世界)のことです。火の車(地獄)を作った大工はいない、自分で作った苦しみの世界に、自分で乗り込んでいくのだと説かれています。

仏教の地獄とは、自分の行いが生み出した世界です

仏教で説かれる地獄とは、自分の行いが生み出す世界です。
ですから、物理的な「地獄」という世界があるわけではなく、それぞれの業が生み出す苦しみの世界です。(業界)
ですから、地獄のことを、自業苦と、字を当てて教えられることもあります。
例えば、借金地獄とは、「借金地獄」という場所があるわけではなく、借金という行いが生み出す苦しみの世界を、借金地獄というのです。借金地獄で苦しんでいる人は、自分の借金という業が生み出した地獄で苦しんでいるのです。
あくまで、自業自得を一貫して説かれていることが分かります。


信念をもてば

2021-03-25 00:18:12 | 日記


信念を持って精一杯1日1日を生きていたら必ず同じ思いや志し。価値観のあう環境や人達が集まってくる。とにかく周りはどうでも良い。自分がどうあるのか?
波動と振動を高く強くして、自分で自分の環境を変えて行きましょう!
必ず自分が変われば周りも変わるのだなとつくづく最近の出来事に感謝感謝の日々です。
時間と労力はかかりますが、まだまだこれからです💪
ありがとう✨幸せです✨
弥栄ソワカ🙏

命の長さ

2021-03-21 16:45:46 | 日記




ブッダの説かれた命のはかなさ

四十二章経に、次のようなブッダのやり取りが説かれています。
ブッダが、修行者たちに命の長さについてどのように思うかを尋ねられました。
一人が「私も大分、命の短さが知らされてきました。一生といっても、一週間ほどの長さに思います。」といいました。
次の一人は、
「命の長さは五、六日なんてありません。 まあ、食事をいたす間ぐらいでございます。」と答えた。
最後の一人は、
「いやいや、命の長さは一息つく間もありません。吸うた息が出なかったら、それでおしまいです」と答えたところ、釈尊は最後の答えを大いに称賛され、
「そうだ。そなたの言う通り、命の長さは吸うた息が出るのを待たぬほどの長さしかないのだ。命の短さが身に染みて感じられるようになるほど、人間は人間らしい生活を営むようになるのだ」と仰いました。

出息は入息を待たず、命終わる

経の中に、釈尊は、
出息入息不待命終と説かれました。
出息とは、吐く息のことです。入息とは、吸う息のことです。
吐いた息が吸えなければ、吸った息が吐きだせなけれな、その時をもって命は終わります。
最初の男は、一生の短さを、一週間ほどだと答えましたが、一週間、生きておれると誰が保証できるでしょうか。2番目の男は、食事をする間ほどだといいましたが、その間、命があると言い切れるでしょうか。
真実は、吸う息、吐く息の今しかなく、吐いた息が吸えなければ、命は終わるのです。
このことが深くわかれば、無常を観ずるは菩提心の一なりと言われるように、今の一瞬、一瞬はかけがえのないものだということが知らされるでしょう。

仏教辞典より


今を大切に

2021-03-20 13:21:58 | 日記



明日があると盲目的に信じていませんか?

旅人は、背後にせまった虎に食い殺される寸前、松の木の根元から、一本の細い藤蔓が垂れていることに気が付きます。間一髪、藤蔓につかまり虎の難から逃れることができました。
この藤蔓はこれは私たちの寿命をたとえいます。
私たちはいろんなものを頼りにして、あてにして生きています。お金を頼りにして生きている人もあります。地位や名誉を頼りにして生きてる人もあります。しかし、どんな人も、一番あて頼りにしているのは自分の命でしょう。
今日は、会社に行って、明日は買い物に行ってと計画を立てて生きていますが、「明日も生きておれる」と自分の命のあることが大前提になっています。
「明日がある」と固く信じていますが、お釈迦さまは、私たちの命は、いつ切れるかわからない、か細い藤蔓なのだよと説かれています。盲目にならず何でも当たり前にならず、今を大切に生きて生きたいですね。

仏教辞典より


人智をつくす

2021-03-14 01:30:11 | 日記


時間の流れはどんなものでも止めることはできません。斎藤一人さん曰く、未来に向かって進んで行こう!ではなく未来は常に否応なく向かって来るもの!
と言われています。時間の流れを良く考えたら本当にそうだと思います。自分や周りがどういう状況でも常に一定で時間は毎日向かってきては過ぎて行く。今この瞬間も未来は向かって来ている。どんな時や状況でも向かって来る未来は必ずあるもの。1分1秒それを受け止めどう判断するかがいろいろな分かれ道のある未来を作って行くのでしょう。
人智を尽くして天命を待つ。のではなく、天命に任せて人智を尽くす事が大事な事のようです。似たようで違う事なのですね。
要するにおのずと常に訪れる未来に真摯に向き合い、正直に生きて精一杯考え行動することで如何様にでも未来は変化していくということなのかなと思います。