いわきアッセンブリー教会ブログ 

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大いなる喜び

2022-12-11 | み言葉に生きる

ルカによる福音書1:46-55
「大いなる喜び」
神が与えれた大いなる恵みによって喜び溢れるクリスマスを迎えましょう!!



クリスマスを真に喜ぶ

2022-12-05 | み言葉に生きる
聖書箇所:ミカ書5:2
 「ベルレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」




1.時代
背景
 当時の状況を見ると、大国アッシリヤが目前に迫り、イスラエルの民にとって脅威が最高潮に達していた時であります。ミカは国家指導者達、祭司たち、そして民を惑わせたイスラエルの偽預言者達を非難します。それは、エルサレムが滅ぼされてしまうのは彼らの罪の行いの結果だからです。
例:指導者、偽預言者たちにくだる神の裁き(3章)
 
 しかし驚くことに、ミカを通して語られた神は、御自分の民を憎しみからではなく、愛を持って懲らしめられると言えるのです。なぜなら、神はミカを通して、裁きのメッセージだけを語られたのではなく、同時に、救いのメッセージも語られているからであります。
例えば、「娘シオンよ、子を産む女のように、もだえて押し出せ。今、お前は町を出て、野に宿らねばならない。だが、バビロンにたどりつけば、そこで救われる。その地で、主がお前を敵の手から贖われる。」ミカ4:10
 神はイスラエルを攻め滅ぼしてしまいたいのではありません。救いたいのです。その罪を贖う用意が、神にあるということです。そこに神の愛があります。憐れみがあります。
 ミカの罪と悔い改めと復興のメッセージは最終的に、私達の罪の身代わりとなられた唯一の神への道である主イエス・キリストにあって成就するのです。
 「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ローマ5:1
2.すべての人を救うメシア
①あなたはユダの氏族の中で最も小さいもの
 ベツレヘムはイスラエルの中で小さな町ですが、ここはダビデ王の出身地です。そこに、キリストが誕生するのだと語られています。それは、キリストがダビデ王の家系から誕生することも暗示しています。
②メシア
 支配者とは、他国から抑圧された人々を救う救世主のこととして語られています。ミカは、それだけでなく、神の群れを飼い、安らかに住まわせるのみならず、その威力は、地の果てまで及ぶ、と言います(4節)。そして、彼は、平和をもたらす者であると同時に、彼自身が平和なのだと語っています(5節)。
 この預言は、キリストによって実現したのです。それが、主キリストがお生まれになられた時、引用されていることからも分かることです(マタイ2:1-6)。どんなに世界の情勢が混とんとしているように見えても、闇が深くても、主の揺るぐことのない、消え失せることのない確かな計画がその背後にあるということを新たに覚えたいと思います。
そうであるなら私たちのためにご自身を犠牲とされた主イエス・キリストを信頼し、罪を告白し、悔い改め、神との平和に導かれ、世界の人々の救いと平和を祈りたいと思います。
クリスマスの真の喜びは、罪の心を捨て、平和の君である主イエス・キリストを求め、受け入れることから始まるのですから。

 み使いの賛美の告白に「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」とあります。
 真の平和と喜びは、この神が与えてくださった主イエス・キリストを通してのみだと宣言しているのです。そして、このアドベントに神のみこころにかなう人々に平和と真の喜びがあることを体験させて頂きましょう。

紅葉

2022-11-20 | 日記
う~なる、美しさですね。

神のみこころ → 聖くなること

2022-11-20 | み言葉に生きる



Ⅰテサロニケ4:1-8「神のみこころ→聖く歩むこと」
・罪 と 聖 との対比
①罪
ここで罪とは、不品行(3節)、情欲おぼれる(5節)、他者を踏みつけ、欺く(6節)、汚れ(7節)ということが分かります。このような罪は、単に倫理的な問題ではありません。
例えば、身体的きよめに関して主イエスは、手を清くすることが即、心を清くするものではないこと、人には外面よりさらに深い内的な汚れがあることを指摘されています。
「また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:20―23)   こうした聖書のみ言葉を読むにつれ、自分が聖書の言う「罪人」であることを認めざるをえません。
②聖
「聖」は「区分する」「区別する」という意味です。
例:Ⅰペテロ1:14-16
「従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。」
ここで「聖なるもの」とは「神に従順になり、神にならう者」のことであります。
私たちはこの「聖なるもの」となるためには、「聖なるものとされなさい」をしっかりと理解する必要があります。イスラエルの民が自らの努力で聖なるものなることに取り組みました。しかしそれは初めから不完全であり、また結局失敗に終わったことは聖書が記す通りです。人間は自分たちの力では罪から分離し、「神に従順になり、神にならう者」になることはできなかったのです。もし、真に神に従順になり、神にならう者とされたいのなら、「神によって」聖くされる必要があることを示しています。
 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。」Ⅰテサロニケ5:23
Ⅰ.イエス・キリストによって
 主イエスを信じた時のことを覚えていますか。信仰は信じるだけで救われる。つまり、主イエスは、神の御子キリストであり、十字架と復活を信じるということは、神に認められ、義とされるに十分だということです。あなたの正しさや努力で救われたのではないのです。
「あなたがたの中にある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」Ⅰコリント6:11
ヨハネも、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Ⅰヨハネ1:7)と、内的きよめと刻々のきよめは御子の血の力によること。また、その獲得は単に「信仰によって」であると証言しています。
Ⅱ.聖霊によって
「8 ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊をお与えになる神を拒むのです。」つまり、神に従順でなく、神にならう者でない人は、神が聖とするために与えられた聖霊を拒んでいることになります。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)
 聖霊は、私たちの内に住まわれ、私たちを聖めようと働いて下さっておられるということです。闘いがあり、弱さを覚え、失敗があります。ご聖霊は、罪をお悲しみなられますが、しかし、私たちから離れてはいません。聖なる神を畏れ、罪を悲しみ、しかし、罪に伏せたままではなく、神の憐れみの故に、その罪を告白し、イエス・キリストの完全な贖いを信じ、そこから、内に住みたもう聖霊のお働きに身を委ね、聖くなる歩みを求めていきましょう。

2022/11/08

2022-11-08 | 日記
とったど~。


私の携帯では、これが限度でした。

実際の皆既月食は、物事の見方を改めさせられる景色でした。月が下のほうから欠けたり、赤銅色など、先入観を壊してくれて感謝。

不思議な月でした。また3年後に。