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野放しの理由はこれかな?2

2014-01-22 12:46:55 | ニュース
http://ja.wikipedia.org/wiki/迫水久常

迫水久常
日本の政治家
迫水 久常
さこみず ひさつね

1960年頃に撮影
生年月日 1902年8月5日
出生地 東京府東京市
没年月日 1977年7月25日(満74歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
前職 内閣書記官長
現職 鹿児島工業短期大学学長
所属政党 (自由党→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
法学士(東京帝国大学・1925年)
親族 岡田啓介(岳父)
第17代 郵政大臣
内閣 第2次池田第1次改造内閣
任期 1961年7月18日 - 1962年7月18日
第10代 経済企画庁長官
内閣 第2次池田内閣
任期 1960年12月8日 - 1961年7月18日
第9代 経済企画庁長官
内閣 第1次池田内閣
任期 1960年7月19日 - 1960年12月8日
参議院議員
選挙区 全国区
当選回数 4回
任期 1956年7月8日 - 1977年7月25日
衆議院議員
選挙区 旧鹿児島県第1区
当選回数 2回
任期 1952年 - 1955年
その他の職歴
第51代内閣書記官長
(鈴木貫太郎内閣)
(1945年 4月7日 - 1945年 8月17日)
貴族院議員
(1945年 8月15日 - 1945年 8月29日)

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迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。
内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。

目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 略歴
3 著書
4 縁戚関係
5 迫水久常が登場する映像作品
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク

来歴・人物[編集]

東京府立第一中学校、第一高等学校、東京帝国大学を経て大蔵省入省。「知性の迫水」とも云われ当時を代表する高級官僚の一人であり、また企画院への出向を通して統制経済への策定にも関わった、当時の革新官僚を代表する人物の一人でもある。
1933年、青木一男国庫課長の下、甲府税務署長から引き抜かれ外国為替管理法案策定に携わり、同法は1933年5月1日に施行された[1]。
1936年、岡田内閣内閣総理大臣秘書官在任中、二・二六事件に遭遇し、同僚らとともに岡田首相の救出に奔走、成功した。また、終戦時の鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長として終戦工作の一翼を担い、更に終戦詔書の起草に尽力した。
戦後は右翼の三浦義一と共に「日本金銀運営会」の利権を握る。公職追放となった後、衆議院議員、参議院議員を務め、自由民主党参議院幹事長などを歴任し、河野謙三参議院議長の実現に動く。また財団法人日本盲導犬協会の初代理事長も務めた。
義兄である岡田貞外茂海軍中佐が海軍航空機墜落事故で殉職した事が微妙に影響してか迫水は大の飛行機嫌いとして知られ、東京と自身の選挙区の鹿児島との往復には必ず列車で移動し決して飛行機を利用しなかったとのことである。
国立国会図書館東京本館に二・二六事件、終戦当時を証言した迫水のインタビューの録音テープが保存・公開されている(没後、しかるべき時期になってから公開することが条件で遺した)。
終戦当時の回想は内外のドキュメンタリー番組や、公開講演で度々行った。

略歴[編集]

1902年(明治35年) : 東京市に生まれる。鹿児島県鹿児島市出身。
1925年(大正14年):東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒業、大蔵省入省。
1930年(昭和5年):甲府税務署長。
1934年(昭和9年):岡田内閣 内閣総理大臣秘書官。
1937年(昭和12年):大蔵省理財局金融課長。
1941年(昭和16年):企画院へ出向。企画院第一部第一課長。
1942年(昭和17年):大蔵省総務局長。
1943年(昭和18年):内閣参事官。
1944年(昭和19年):大蔵省銀行保険局長。
1945年(昭和20年):鈴木貫太郎内閣 内閣書記官長兼総合計画局(企画院の後身)長官。貴族院議員(勅撰)
1947年(昭和22年):公職追放。
1951年(昭和26年):公職追放解除。昭電疑獄(昭和電工事件)で起訴されるが小原直が弁護担当となる。唯一人一審段階で無罪となる。
1952年(昭和27年):自由党から第25回衆議院議員総選挙鹿児島県第1区に立候補し衆議院議員となる。
1956年(昭和31年):第4回参議院議員通常選挙に立候補し参議院議員に転じる。
1960年(昭和35年):第1次池田内閣、第2次池田内閣 経済企画庁長官。
1961年(昭和36年):第2次池田内閣 郵政大臣。
1966年(昭和41年):鹿児島工業短期大学(1973年廃止)の学長に就任。
1977年(昭和52年):死去(74歳)。叙正三位、叙勲一等授旭日大綬章。

著書[編集]

国家総動員法第十一条に基く会社利益配当令概説(大蔵財務協会、1939年)
終戦時の真相と今上天皇の御仁徳(1955年)・・・講演冊子
機関銃下の首相官邸―二・二六事件から終戦まで(恒文社、1964年。新版1986年2月)ISBN 4770402643
大日本帝国最後の四か月(オリエント書房、1973年)
機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで(筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2011年2月)ISBN 4480093494

縁戚関係[編集]

妻の万亀(1910年(明治43年) - 2008年(平成20年)1月5日)は岡田啓介元首相の次女。長男迫水久正も元大蔵官僚(南九州財務局長、鹿児島新報会長、1930年-2002年10月10日)であった。また岡田の2度目の妻郁は、迫水の父親の妹、つまり叔母に当たる。なお、迫水家は戦国時代の武将島津安久の長男が“迫水”と名を改めたことにはじまる[2]。

迫水久常が登場する映像作品[編集]

終戦をテーマにした映画では、敗戦に揺れる日本人としての涙を抑えながら実務家として詔勅草案に筆を走らす場面が見せ場のひとつとなっている。
日本のいちばん長い日(1967年/東宝映画、演:加藤武)
歴史の涙(1980年/TBS、演:河原崎長一郎)
そして戦争が終った(1985年/TBS、演:江守徹)
太陽 (映画)(2005年/ロシア映画、演:品川徹)
日本のいちばん長い夏(2010年/日本放送協会&アマゾンラテルナ、演:湯浅卓)

脚注[編集]

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^ 当時総合的な外為の国家管理を実施している国はなく、のちの国家総動員法をはじめとする我が国における真の意味における経済統制法の嚆矢だとされている。「青木一男」の項目も参照。
^ 『姶良町郷土誌』 姶良町郷土誌改定編さん委員会、姶良町長 櫟山和實、1995年10月、平成7年10月増補改訂版(日本語)。pp.151 - 152

関連項目[編集]

玉音放送
鈴木貫太郎
岡田啓介
東郷茂徳
大西瀧治郎
池田勇人
河野謙三
瀬島龍三
橋本乾三(友人)
旧制一中時代の同期
小林秀雄 (批評家)
西竹一
千頭暎臣

外部リンク[編集]

迫水久常 とは - コトバンク
国立国会図書館 憲政資料室 迫水久常政治談話録音
迫水久常の墓

引用終わり

つづく

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