●第40話「人生行路の出発点」あらすじ
脚本:窪田篤人 監督:千野皓司
右京(石立鉄男)と園子(松尾嘉代)の新婚生活がスタートしたが、これまでどおり
米屋で暮らすことには変わりない。環境の変化がないことから、チー坊(杉田かおる)が
世話女房のごとく右京の身の回りのことをする。そこへ妻の園子が介入することで、夫婦・
親子の関係が微妙に崩れ始めていた。新しいママはできたが、パパをとられたような
寂しさを感じるチー坊。そのせいか、まだ「園子お姉ちゃん」と呼んでしまう。
●チー坊にとっての右京
新婚生活がスタートしたといっても、新居を構えたわけではない。
ただ、二階の部屋割りだけは変化した。チー坊と和子(有吉ひとみ)が一緒の
部屋を使い、園子と右京が夫婦二人の部屋を持つ。だがこれまでの習慣で、
チー坊が右京のネクタイを選んだり、右京の世話女房役を引き受けていた。
園子が同じように右京の支度を手伝うと、チー坊は自分と右京の関係が
崩れていくことに戸惑い始める。右京はチー坊にとってパパでありながら、
同時に恋人であり、夫のような存在だった。だらしない右京の世話を焼いていたことで、
チー坊は右京に甘えるだけでなく、自分が必要不可欠な存在だとしてきたのだろう。
もしくは幼い娘が父親に憧れ、父親を理想の男性像に置き換える感情に似ていたのかも知れない。
●葛藤を乗り越えて、ぐんと大人に成長
ママのいない寂しさから、新しいママを欲しがっていたチー坊。でもそれは自分のママであって、
決して「右京の奥さん」ではなかったはず。頭ではわかっていても、チー坊にとって右京は
自分だけのものだったのだ。園子がチー坊とずっと仲良くするためには、実は右京という聖域を
おかしてはならなかったのだ。それに気付いた園子は、時間をかけてチー坊の気持ちをほぐそうとする。
チー坊は、悲しい体験をしている上に大勢の大人に囲まれて暮らしているせいか、
かなり精神年齢が高いようだ。右京と園子をくっつかせようと画策したり、頭もいい。
だから神社で右京とおじさん(大坂志郎)が自分と園子のことを話しているのを聞き、
自分の独占欲のせいで苦しんでいる人たちがいることを素直に理解する。
園子が葛藤するように、チー坊も小さな胸をさらに痛めることになる。
橋の上で、何度も「ママ、ママ」とつぶやくチー坊。これはチー坊の葛藤だ。
さまざまな思いが押し寄せ、園子を「ママ」と呼ぶ意味を自分自身に
言い聞かせていたのだろう。そう、パパはチー坊だけのものではない。
パパはチー坊と、そして新しいママ、園子のものになる。
この葛藤を一人で乗り越えたチー坊は本当に大人だ。
一年間、米屋で起こった数々の出来事が、チー坊をちゃんと成長させている。
●新しい家族の出発
最終話のタイトル「人生行路の出発点」とは、右京・園子・チー坊という親子3人のことである。
最初、右京とチー坊はやむを得なない事情で一緒に暮らすようになった。そんな二人が愛情を
育み、妻であり新しいママでもある園子を迎えて“本当の家族”となった。
みんながそれぞれを求め合い、ひとつになろうと手を繋ぎ合った“新しいの家族”の誕生だ。
そして物語は終わりを迎える──。
欲を言えば、もう一話観たかったというのが本音。
前回の「新婚旅行やりなおし」を欠番にして、この「人生行路の出発点」を
前後編2話で観せてほしかったと思う。もう終わってしまったと思うと、本当に寂しい。
それくらいこのドラマは心に響いた。しばらくこの余韻は残りそうである。
脚本:窪田篤人 監督:千野皓司
右京(石立鉄男)と園子(松尾嘉代)の新婚生活がスタートしたが、これまでどおり
米屋で暮らすことには変わりない。環境の変化がないことから、チー坊(杉田かおる)が
世話女房のごとく右京の身の回りのことをする。そこへ妻の園子が介入することで、夫婦・
親子の関係が微妙に崩れ始めていた。新しいママはできたが、パパをとられたような
寂しさを感じるチー坊。そのせいか、まだ「園子お姉ちゃん」と呼んでしまう。
●チー坊にとっての右京
新婚生活がスタートしたといっても、新居を構えたわけではない。
ただ、二階の部屋割りだけは変化した。チー坊と和子(有吉ひとみ)が一緒の
部屋を使い、園子と右京が夫婦二人の部屋を持つ。だがこれまでの習慣で、
チー坊が右京のネクタイを選んだり、右京の世話女房役を引き受けていた。
園子が同じように右京の支度を手伝うと、チー坊は自分と右京の関係が
崩れていくことに戸惑い始める。右京はチー坊にとってパパでありながら、
同時に恋人であり、夫のような存在だった。だらしない右京の世話を焼いていたことで、
チー坊は右京に甘えるだけでなく、自分が必要不可欠な存在だとしてきたのだろう。
もしくは幼い娘が父親に憧れ、父親を理想の男性像に置き換える感情に似ていたのかも知れない。
●葛藤を乗り越えて、ぐんと大人に成長
ママのいない寂しさから、新しいママを欲しがっていたチー坊。でもそれは自分のママであって、
決して「右京の奥さん」ではなかったはず。頭ではわかっていても、チー坊にとって右京は
自分だけのものだったのだ。園子がチー坊とずっと仲良くするためには、実は右京という聖域を
おかしてはならなかったのだ。それに気付いた園子は、時間をかけてチー坊の気持ちをほぐそうとする。
チー坊は、悲しい体験をしている上に大勢の大人に囲まれて暮らしているせいか、
かなり精神年齢が高いようだ。右京と園子をくっつかせようと画策したり、頭もいい。
だから神社で右京とおじさん(大坂志郎)が自分と園子のことを話しているのを聞き、
自分の独占欲のせいで苦しんでいる人たちがいることを素直に理解する。
園子が葛藤するように、チー坊も小さな胸をさらに痛めることになる。
橋の上で、何度も「ママ、ママ」とつぶやくチー坊。これはチー坊の葛藤だ。
さまざまな思いが押し寄せ、園子を「ママ」と呼ぶ意味を自分自身に
言い聞かせていたのだろう。そう、パパはチー坊だけのものではない。
パパはチー坊と、そして新しいママ、園子のものになる。
この葛藤を一人で乗り越えたチー坊は本当に大人だ。
一年間、米屋で起こった数々の出来事が、チー坊をちゃんと成長させている。
●新しい家族の出発
最終話のタイトル「人生行路の出発点」とは、右京・園子・チー坊という親子3人のことである。
最初、右京とチー坊はやむを得なない事情で一緒に暮らすようになった。そんな二人が愛情を
育み、妻であり新しいママでもある園子を迎えて“本当の家族”となった。
みんながそれぞれを求め合い、ひとつになろうと手を繋ぎ合った“新しいの家族”の誕生だ。
そして物語は終わりを迎える──。
欲を言えば、もう一話観たかったというのが本音。
前回の「新婚旅行やりなおし」を欠番にして、この「人生行路の出発点」を
前後編2話で観せてほしかったと思う。もう終わってしまったと思うと、本当に寂しい。
それくらいこのドラマは心に響いた。しばらくこの余韻は残りそうである。