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いねむり店主の寝言部屋

お願いいたします。

どこへ行っても「オータニさん」?

2025年03月30日 | 雑記帳

雑記帳

ウグイスの声を聴いて浮かれて、ついに春か!? と思ったのもつかの間、いきなりヒョウやミゾレが横殴りに降り出してきて…それが、今月中旬?
その寒の戻りを無事にやり過ごしてやれやれ…と思ったら、今度は一気に夏日で!

これも異常気象の一種なのか?…重ねたり脱いだりを繰り返しながら、こういう急激すぎる変化もいかがなものか、とブツブツ独り言をつぶやいておりました。

これを読んでくださっているみなさんは、お変わりありませんか?

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こちらの近況ですが…。相変わらず、といったところです。

日課になっている、ストレッチ、筋トレ、散歩(ウォーキングのような散歩)…ヨーグルト、青汁、牛乳…。
減煙は只今1本に向け鋭意努力中(現在、一日約1.5本)。目に見えるような後退も進展も今のところは…無し。
はたして効果は出ているのだろうか? 不安だけが気持ちの中をよぎり続けていますが、次の人間ドックでは、良い数値が並ぶことを期待して。

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日課といえば…散歩中にちょこちょこスマホカメラで気になるものを撮っていますが…。最近よく見かけるのがドジャースの大谷選手関連のポスターや商品など。MLBが開幕して、その人気はメディアの画面や紙面の中だけではありません。
スーパーやコンビニでも、あらゆるところにオータニさん! 

ということで…。撮っておいた数枚を。


   

サイズもバラバラで見づらいですが、どれもこれも大谷選手。
「お~い お茶」の看板がいいなあ…ちょっと、欲しいかも…。先日、伊藤園のジャンパーを着た営業マン?が製品を並べに来ていたので、今度会ったら聞いてみようか?




店主の無謀な? ひそかな試み

(googleストリートビューで東海道五十三次)
~12・三島宿 と 13・沼津宿 編~

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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 『三島 朝霧』と『沼津 黄昏図』)。



『三島 朝霧』

   『沼津 黄昏図』

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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。


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三島宿

大場川を渡り三島宿に入ってしばらく進むと、三嶋(三島)大社の大きな鳥居の前に出る。マップで測ると、拝殿・本殿までの距離は鳥居から230m以上ありました。下のビューのこの場所には、江戸時代に『高札場』があった場所でもあります。
(残念ですが、宿場の入り口にあたる「江戸方見附跡」らしき目印などは今回も見つかりませんでした。大場川を渡ってすぐのところにあるはずだったのですが…。😞

三島大社から西に約250m。三島中央町郵便局の建物の横にひっそりと立つ、「問屋場跡」の案内板と石柱。三島宿の問屋場では、難路・長距離の箱根越えがあるため業務は膨大で、常に馬も人足も不足し宿役人は多忙をきわめた…と。現在は郵便局となっている…これも何かの因縁?

三島宿へ入った弥次さん喜多さん+十吉(じゅっきち:途中で道連れになった江戸者)。宿に落ち着くと、ひとっ風呂あびてさっそく飯盛り女たちを呼んで、布団の中で夜の××××…。その深夜のこと…子どもたちから買ったスッポンがゴソゴソ動き出す。

さあ大変! スッポンに指を食いつかれた喜多さん弥次さんが大声で泣き叫ぶ!

〈よねたちとねたる側には泥亀(すつぽん)もはづかしいやらゆびをくはえた〉[喜多]
〈 すつぽんにくはえられたるくるしさにこちや石亀のじだんだをふむ 〉[弥次]

下のビューは、「世古本陣跡」(画面右側)と「樋口本陣跡」(画面左側)。世古本陣跡には、しゃれた石柱(噴水風?)が立ててあります…白軽四バンのすぐそばあたり…。樋口本陣跡のほうは案内板(「茶」と書かれたシャッターの横あたり)がかけられています。…わかりづらいですが、画面を拡大(マウスホイールを上に回す)すれば見える?かもです。

翌朝、スッポン騒ぎで気づかなかったが、いつの間にか十吉がいなくなっている…。
さては!? と、胴巻の中を調べる弥次さん。中から出てきたのは石ころ。どうやら十吉はゴマの蠅(ごまの灰)だったらしい…。まんまとしてやられた!

ここが三島宿の「上方見附跡」だとされている秋葉神社。三島宿は何度か大きな火災があったようで、道を広くしたりなどして改修された。そのため、はっきりとここが「見附跡」だとは断定できないのでご了承ください。

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三島宿を発って現在の145号線を進んでいくと、伏見一里塚と宝池寺一里塚が左右に見えてくる。日本橋から29番目の一里塚で、この二つの塚は対をなして設置されていたようです。見にくいですが、ビューの右奥側(高い木の下に案内板があります)が伏見一里塚で、左側の盛り塚が宝池寺一里塚です。ここはもう三島市ではなく、清水町になります。

「長沢松並木碑」(県道の標識の下に案内板)。このあたりだけ、当時の松並木が残ったようです。街道は、先ほどの一里塚辺りで三島市からすでに清水町へ入っている。

十吉に有り金をほとんど持ち逃げされ、飲まず食わずでフラフラになりながら旅を続ける弥次さん喜多さん。釜ヶ淵というところでようやく餅にありついた。
…(伊勢参りの代参で預かっていた12文に手をつけてしまった)。

そして、ようやく沼津の宿へ。

黄瀬川を渡ると見えてきた、「従是西 沼津領(これよりにし ぬまづりょう)」と書かれた東傍示(ひがしほうじ…東側の国境を示すもの)の石柱。

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沼津宿

下が「江戸方見附跡」だと考えられている場所のひとつ。看板の下に小さな祠らしきものがあるだけだが…。ビューの左側が旧街道で、右は県道380号線です。

平町。この辺りも「江戸方見附跡」か? といわれています。震災、大火、空襲などで、当時を偲ぶものはほとんど残っていないようです。

下の「川廓(かわくるわ)通り」は城の外郭にあって、昭和30年代まで石畳が残っていたという。当時の面影を少しでも残そうと、現在は石畳風?タイル舗装の道となっている。

「問屋場跡」があった通横町の交差点。交差点の角に案内板が設置してあるのだが、ビューでは見ることができない。先ほどの「川廓通り」からこの辺りまで、城跡や石垣跡、外堀跡などの旧跡が多く残っている。

「高田本陣跡」の石柱(画面左側)。沼津宿には本陣が3軒、脇本陣が1軒あったといわれている。そして、このすぐ先には「中村脇本陣跡」の石柱が設置されており、そのさらに先には「間宮本陣跡」「清水本陣跡」の石柱も…。

案内板が歩道側を向いているが、宿場の上方側の出入り口を示す「出口町見附跡」である(昔はここより南側にあったらしい、と解説にはある)。ここが宿場の西側の出入り口で、東側の出入り口は平町にあったと案内板に記されている。

沼津の宿外れの茶屋でひと休みする弥次さんと喜多さん。そこへ、供を連れた侍が入ってきて、高い酒と安い酒を半々に混ぜた酒を注文する(安い酒が高い酒とおなじ味になる??)。

茶屋を発つと、侍たちと後になり先になりしながら、腹ペコ道中になってしまった弥次喜多のふたり。

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今回たどったルート





店主の動画探索 

しばらくぶりで、あのかたたちの歌を聴いてみたくなりました。今も日本全国を飛び回っていらっしゃるダ・カーポのみなさん。
現在は榊原まさとし(政敏)さんが歌うことをしばらく禁止されている?とのことで、榊原広子さんと娘さんの榊原麻理子さんの2人でコンサートを行っているという。

Méméのワルツ 
(音量にご注意ください)


シングル「今日がいちばん若い日! 」のカップリング曲(配信がメインの現代では、こんな言い方はしないか?)で、アルバム「未来への贈りもの 〜今日がいちばん若い日!〜 」にも収録されています。曲名の「Meme(メメ)」はフランスの幼児語で、「おばあちゃん」を意味するそうです。そして、フルートを担当しているのは麻理子さんです。
この曲を聴くと、いつも気持ちが優しく穏やかになります(店主個人の感想ですが…)。



ホゥ・・ホオゥ~フッゲキョ!

2025年03月13日 | 雑記帳

雑記帳

早朝、表へ出ると何とも奇妙な声? 音?がする。

〈ホゥ・・ホオゥ~フッゲキョ!〉

そのとき、それがウグイスの鳴き声だと気づくまでに少し間があった。
久しぶりに聴いたからだろうか?…頭上を見回せど、姿はないから(たぶん、前のお宅の裏庭あたりか?)なおのことだったのかもしれない。

用を済ませて部屋の中に急いで戻ると、すぐに『漢文名作選 3』(大修館書店)という何十年も前の本を引き出してページを繰った。

この季節になると必ず思い出す…「漢詩」。杜牧(とぼく)の「江南の春」である。



この詩を読み返しながら、ついでに思い起こす顔と声がある。

「ここは…〈南朝(なんちょう)…しひゃくはっしんじ〉と読むんだぞ」

平仄(ひょうそく)の関係だっただろうか?…たしか…そうだった? そうだった! となぜかそこでうなずいてしまう。禿げあがった古文・古典の先生の額に刻まれた深いシワとしゃがれた声。そのガラ声で朗々と詠ずるこの詩と、その姿は今も忘れられない。

春、目前である。
みなさんのところの桜の開花予定は?

おっと、その前に黄砂が近づいているのだとか。
もしかすると、あの朝聴いたガラガラ鳴きも花粉症+黄砂?…そのせいであったか?

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夏くらいまでには買い換えないと…。

昨年からずっと考えていた、最新?のノートPC。
先月、思い切って量販店のセールで買ってしまいました。台湾のメーカー製だそうで、聞いたこともないし、使うのも初めてのPCです。…ちなみに『acer(エイサー)』。

先日、ようやくYouTube動画を見ながらの初期設定が済みました。



今のノートPCは、もう限界間近。Windows7からアップグレードしたWindows10でしたから、さすがにギブアップでしょう!?
メモリーを増設などしてだましだまし使ってきましたが、いつ起動不能状態になってもおかしくありません。

みなさんご存じかと思いますが、Windows10のサポートは秋(10月)まで。まだのかたは、もう11への交代準備を…真剣にご検討を。
そのまま裏技を使って11にアップグレードする方法もあるらしいですが、僕の場合はCPU自体が超~古い物で不可能でした。

買う際は店員に、初期設定サービス(2万円近くかかるのだそうで…)を強く迫られましたが、頑固にはねつけて…そのため、半月くらいかかってしまいましが…無事になんとかデスクトップ画面(上写真)までたどり着きました。

あとは、officeをセットするだけ…のはず、です。
いろいろややこしいらしいですが、もう少しかかるかな? …です。




店主の無謀な? ひそかな試み

(googleストリートビューで東海道五十三次)
~11・箱根 編~

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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 箱根 湖水図」。

   

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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。


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箱根宿~後編~

芦ノ湖の湖畔に出た弥次郎兵衛と喜多八。賽(さい)の河原あたりでいがぐり頭の子供たちをからかいながら、箱根の関所へ……しかし、ふたりは特に何事もなくスムーズに通過できたようです(土田よしこさんの漫画では、関所役人に悪人顔だと怪しまれバタバタしたように描いてありましたが…)。原作のほうは、たんに〈…御関所を打過て…〉とだけあって、そのあとに歌を一句載せるだけですませています。

『春風の 手形をあけて 君が代の 戸ざさぬ関を こゆるめでたさ』

復元されている箱根の関所。ビューで正面奥に見えているのは「京口御門」。申し訳ありませんが、「江戸口御門」側はビューでは見られません。😞 

箱根宿の問屋場があったと思われる地点。大体この辺だろう、と推察します。箱根の関所に立ててある「箱根関所周辺散策図」を元に推量した次第です。ですから、あくまでも大体です…ご了承くださいませ。

今回は、どういうわけか「江戸方見附」も「上方見附」も見つかりませんでした。宿場周辺は高度に?観光地化されていて、高札場跡や本陣跡なども大体の見当をつけるのが精一杯…。宿場に関する案内板も石柱なども見当たりませんでした。唯一の手掛かりは先ほども書いた「箱根関所周辺散策図」だけのようです。なので、まったく自信がありませんので、深堀りなさりたいかたはご自分で…ということでご了承くださいませ。

以下のリンク先などを参考に探してみたのですが、やはり詳細な場所は不明でした。本陣跡だけはかろうじて判明したものもありましたが…。

1.(注:PDFファイルです)

2.(注:PDFファイルです)


「天野本陣」跡…だと思われる場所です。箱根宿には本陣が6軒と脇本陣が1軒あったそうです。下の本陣跡は現在「畔屋(ほとりや?)」という土産物屋さんの駐車場になっているようです。

「赤石坂」。ビューのガードレールの橋(富士見橋)の下を旧街道が通っています。箱根宿を出ると、このような藪?の中の道を当時は歩いて行ったようです。また、この旧道にはしっかりと石畳が敷かれています。ビューではお見せできないのが残念です。

藪こぎをしながら登ってくると、「挟石坂」に出てきます。この先に箱根峠があり、現在の神奈川県と静岡県の県境に入っていくことになります。

箱根峠を越し、甘酒休憩をとったりしながら三島宿への道を進むふたり。喜多八は、手ぬぐいと勘違いしてかぶっていたふんどしを、途中ですれ違った女中たちに笑われる…なんて恥もかき捨てながら…山中の立場(たてば…休憩所)の茶屋で、またまたひと休み。

『手ぬぐひと おもふてかぶる ふんどしは さてこそ恥を さらしなりけり』

箱根峠を越えて降りてきた旧東海道は、山中の城下へ入っていきます。下は城下入口あたりですが、ビュー左側のガードレール裏から出てきたところには標柱と石柱があって旧街道を示す表示がある。画面右側に建っているのは八坂神社の鳥居。

「笹原一里塚」を過ぎて石畳道の旧街道を少し歩くと…「首切地蔵」あたりに出てくる。案内板が歩道側を向いており見ることができませんが、石畳道の由来や補修状況が書いてあるようです。尖っている石碑?が見えますが、由来は不明です…。

「愛宕坂」の入り口あたりに立つ案内板(カーブミラーの下)。この先を行くと、東海道本線の踏切があって、そこを越えると「今井坂」となる。そして、さらにその先で「愛宕橋」。

道端でスッポンをぶら下げていた子どもたち。今夜の宿で食べようと24文でそれを買い取ると、進む先の陽も徐々に落ちてきた。途中で出会った江戸者も一人加わり三島宿へ急ぐ2人+1人。

いよいよ三島宿の入り口に入った。この大場川に架かる「新町橋」を渡った先が三島宿の「江戸方見附」になります。この橋は富士が見えることで名高く、広重も「東海道五十三次狂歌入り佐野喜版」で描いているそうです。下のビューは2022年のもので、あえて天気が良く富士が見えているものを選んでみました…(画面拡大で遠くに富士が…)。

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今回たどっただいたいのルート


上のルート図はだいたいのルートです。できるだけ旧街道でたどりたかったのですが、無理でした。😞 




店主の動画探索

ストリートビューでどうしても表示できなかった場所。例えば「石畳道」など…。そんな箇所を実際に歩いて動画で紹介していらっしゃったかたがいたので、勝手にリンクをさせていただきました。😓 
時間のあるかたはごゆっくりどうぞ!?

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【東海道53次】【DAY6】江戸の旅人の足跡を辿る箱根山の石畳。そこは正に天下の険だった。三枚橋〜箱根宿
音量注意:動画は20分以上あります)


動画を観て思いましたが、江戸時代にあんなに狭くて急な坂道を大名行列が歩いて行ったのかと…。頭の中で想像を馳せてみました。