雑記帳
ウグイスの声を聴いて浮かれて、ついに春か!? と思ったのもつかの間、いきなりヒョウやミゾレが横殴りに降り出してきて…それが、今月中旬?
その寒の戻りを無事にやり過ごしてやれやれ…と思ったら、今度は一気に夏日で!
これも異常気象の一種なのか?…重ねたり脱いだりを繰り返しながら、こういう急激すぎる変化もいかがなものか、とブツブツ独り言をつぶやいておりました。
これを読んでくださっているみなさんは、お変わりありませんか?
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こちらの近況ですが…。相変わらず、といったところです。
日課になっている、ストレッチ、筋トレ、散歩(ウォーキングのような散歩)…ヨーグルト、青汁、牛乳…。
減煙は只今1本に向け鋭意努力中(現在、一日約1.5本)。目に見えるような後退も進展も今のところは…無し。
はたして効果は出ているのだろうか? 不安だけが気持ちの中をよぎり続けていますが、次の人間ドックでは、良い数値が並ぶことを期待して。
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日課といえば…散歩中にちょこちょこスマホカメラで気になるものを撮っていますが…。最近よく見かけるのがドジャースの大谷選手関連のポスターや商品など。MLBが開幕して、その人気はメディアの画面や紙面の中だけではありません。
スーパーやコンビニでも、あらゆるところにオータニさん!
ということで…。撮っておいた数枚を。



サイズもバラバラで見づらいですが、どれもこれも大谷選手。
「お~い お茶」の看板がいいなあ…ちょっと、欲しいかも…。先日、伊藤園のジャンパーを着た営業マン?が製品を並べに来ていたので、今度会ったら聞いてみようか?
店主の無謀な? ひそかな試み
(googleストリートビューで東海道五十三次)
~12・三島宿 と 13・沼津宿 編~
(googleストリートビューで東海道五十三次)
~12・三島宿 と 13・沼津宿 編~
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参考資料は、「東海道中膝栗毛」(中央公論新社 マンガ日本の古典シリーズ)と歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 『三島 朝霧』と『沼津 黄昏図』)。


『三島 朝霧』

『沼津 黄昏図』
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歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。
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三島宿
大場川を渡り三島宿に入ってしばらく進むと、三嶋(三島)大社の大きな鳥居の前に出る。マップで測ると、拝殿・本殿までの距離は鳥居から230m以上ありました。下のビューのこの場所には、江戸時代に『高札場』があった場所でもあります。
(残念ですが、宿場の入り口にあたる「江戸方見附跡」らしき目印などは今回も見つかりませんでした。大場川を渡ってすぐのところにあるはずだったのですが…。😞 )
三島大社から西に約250m。三島中央町郵便局の建物の横にひっそりと立つ、「問屋場跡」の案内板と石柱。三島宿の問屋場では、難路・長距離の箱根越えがあるため業務は膨大で、常に馬も人足も不足し宿役人は多忙をきわめた…と。現在は郵便局となっている…これも何かの因縁?
三島宿へ入った弥次さん喜多さん+十吉(じゅっきち:途中で道連れになった江戸者)。宿に落ち着くと、ひとっ風呂あびてさっそく飯盛り女たちを呼んで、布団の中で夜の××××…。その深夜のこと…子どもたちから買ったスッポンがゴソゴソ動き出す。
さあ大変! スッポンに指を食いつかれた喜多さん弥次さんが大声で泣き叫ぶ!
〈よねたちとねたる側には泥亀(すつぽん)もはづかしいやらゆびをくはえた〉[喜多]
〈 すつぽんにくはえられたるくるしさにこちや石亀のじだんだをふむ 〉[弥次]
下のビューは、「世古本陣跡」(画面右側)と「樋口本陣跡」(画面左側)。世古本陣跡には、しゃれた石柱(噴水風?)が立ててあります…白軽四バンのすぐそばあたり…。樋口本陣跡のほうは案内板(「茶」と書かれたシャッターの横あたり)がかけられています。…わかりづらいですが、画面を拡大(マウスホイールを上に回す)すれば見える?かもです。
翌朝、スッポン騒ぎで気づかなかったが、いつの間にか十吉がいなくなっている…。
さては!? と、胴巻の中を調べる弥次さん。中から出てきたのは石ころ。どうやら十吉はゴマの蠅(ごまの灰)だったらしい…。まんまとしてやられた!
ここが三島宿の「上方見附跡」だとされている秋葉神社。三島宿は何度か大きな火災があったようで、道を広くしたりなどして改修された。そのため、はっきりとここが「見附跡」だとは断定できないのでご了承ください。
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三島宿を発って現在の145号線を進んでいくと、伏見一里塚と宝池寺一里塚が左右に見えてくる。日本橋から29番目の一里塚で、この二つの塚は対をなして設置されていたようです。見にくいですが、ビューの右奥側(高い木の下に案内板があります)が伏見一里塚で、左側の盛り塚が宝池寺一里塚です。ここはもう三島市ではなく、清水町になります。
「長沢松並木碑」(県道の標識の下に案内板)。このあたりだけ、当時の松並木が残ったようです。街道は、先ほどの一里塚辺りで三島市からすでに清水町へ入っている。
十吉に有り金をほとんど持ち逃げされ、飲まず食わずでフラフラになりながら旅を続ける弥次さん喜多さん。釜ヶ淵というところでようやく餅にありついた。
…(伊勢参りの代参で預かっていた12文に手をつけてしまった)。
そして、ようやく沼津の宿へ。
黄瀬川を渡ると見えてきた、「従是西 沼津領(これよりにし ぬまづりょう)」と書かれた東傍示(ひがしほうじ…東側の国境を示すもの)の石柱。
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沼津宿
下が「江戸方見附跡」だと考えられている場所のひとつ。看板の下に小さな祠らしきものがあるだけだが…。ビューの左側が旧街道で、右は県道380号線です。
平町。この辺りも「江戸方見附跡」か? といわれています。震災、大火、空襲などで、当時を偲ぶものはほとんど残っていないようです。
下の「川廓(かわくるわ)通り」は城の外郭にあって、昭和30年代まで石畳が残っていたという。当時の面影を少しでも残そうと、現在は石畳風?タイル舗装の道となっている。
「問屋場跡」があった通横町の交差点。交差点の角に案内板が設置してあるのだが、ビューでは見ることができない。先ほどの「川廓通り」からこの辺りまで、城跡や石垣跡、外堀跡などの旧跡が多く残っている。
「高田本陣跡」の石柱(画面左側)。沼津宿には本陣が3軒、脇本陣が1軒あったといわれている。そして、このすぐ先には「中村脇本陣跡」の石柱が設置されており、そのさらに先には「間宮本陣跡」「清水本陣跡」の石柱も…。
案内板が歩道側を向いているが、宿場の上方側の出入り口を示す「出口町見附跡」である(昔はここより南側にあったらしい、と解説にはある)。ここが宿場の西側の出入り口で、東側の出入り口は平町にあったと案内板に記されている。
沼津の宿外れの茶屋でひと休みする弥次さんと喜多さん。そこへ、供を連れた侍が入ってきて、高い酒と安い酒を半々に混ぜた酒を注文する(安い酒が高い酒とおなじ味になる??)。
茶屋を発つと、侍たちと後になり先になりしながら、腹ペコ道中になってしまった弥次喜多のふたり。
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今回たどったルート
店主の動画探索
しばらくぶりで、あのかたたちの歌を聴いてみたくなりました。今も日本全国を飛び回っていらっしゃるダ・カーポのみなさん。
現在は榊原まさとし(政敏)さんが歌うことをしばらく禁止されている?とのことで、榊原広子さんと娘さんの榊原麻理子さんの2人でコンサートを行っているという。
Méméのワルツ
(音量にご注意ください)
シングル「今日がいちばん若い日! 」のカップリング曲(配信がメインの現代では、こんな言い方はしないか?)で、アルバム「未来への贈りもの 〜今日がいちばん若い日!〜 」にも収録されています。曲名の「Meme(メメ)」はフランスの幼児語で、「おばあちゃん」を意味するそうです。そして、フルートを担当しているのは麻理子さんです。
この曲を聴くと、いつも気持ちが優しく穏やかになります(店主個人の感想ですが…)。