goo blog サービス終了のお知らせ 

いねむり店主の寝言部屋

お願いいたします。

まずは一段落のご挨拶

2025年07月12日 | 雑記帳

雑記帳 

どんなきっかけで「東海道五十三次」シリーズを書き出したのか? ちょうど、土田よしこさんのマンガ「東海道中膝栗毛」を読んでいたからだったろうか? たぶん、そんなどうでもいいような理由で、昨年の10月か11月頃から始めたような気がする。

今はたいがいのことをネットで完結できる時代。実際に現地に行かなくても、googleストリートビューがそれを補完してくれるし、動画サイトでいろいろなかたの旅紀行?を見ることもできる。いかにも知ったかぶりをして、それをサラサラと書けたのもネットのおかげである😄 

ここまでいろいろと資料の参考にさせていただいて感謝申し上げる。また機会があれば、こうした旅記録に挑戦してみたいと思います。
そして、長い間読んでくださったみな様?へも謝意を表します。
ありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

店主の…そして、誰もいなくなっていった…
release the shutter



人っ子ひとりいない…わずかにそんな瞬間ができるときがある。すかさずスマートフォンのシャッターを押してみました。




店主の無謀な? ひそかな試み

(googleストリートビューで東海道五十三次)
~54・大津宿/55・京都三條大橋 編~

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

参考資料は、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次之内 大津 走井(はしりい)茶店」と「東海道五十三次之内 京師(けいし) 三條大橋」。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

歌川広重の画像は、下のリンク先よりダウンロードしました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「瀬田の唐橋」。歴史上何度も焼き落されたらしいが、そのたびに架け替えられてきたそうです。この橋自体が東海道です。

「推定石場一里塚」。日本橋から122番目の一里塚なのだが、推定…とある。121番目の「粟津一里塚」も推定…とあった。戦災? 都市開発や道路拡幅? 何か解説表示のようなものがあればいいのだが、それもなさそうだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大津宿へ

「大津宿札ノ辻」。当時の高札場跡で、宿場の出入り口にあたると思われる。現在は、「大津市道路元標」の碑がひっそりと設置されている。

「大津宿本陣」跡。見えづらいかも知れませんが、板塀で囲われたところに石柱が設置されています。大津宿には、本陣2軒と脇本陣が1軒あった。この少し先には、「肥前屋九左衛門本陣」跡もある。

滋賀と京都の県境近くにある「逢坂山関」跡。『これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関~蝉丸』の歌で有名ですが、逢坂関の場所自体は現在もはっきりしないそうです。

「元祖走井餅本家の石碑」。いろんな説があって、今となっては事実かどうかはわかりません。月心寺にあったのが、本物の走井餅を売っていた茶店だという説もある。


「走井一里塚」跡。柵の右側に石碑があります。 月心寺はすぐ隣になります。広重の描いた茶屋は、このあたりにあったということになるのですが…。ただ、どう考えても道の方向が絵とは逆?…謎です。
※「走り井は逢坂大谷町茶屋の軒場にあり、後の山水ここに走り下って湧き出づる事、瀝々として増減なく甘味なり」。現在は石清水八幡宮の店が「走井餅」を引き継いでいるという。

「髭茶屋追分」。名前の通り、髭の生えた老人が茶店をやっていたという。以前、NHKのブラタモリでもこの追分(分岐点)を放送していた。右は東海道、左へ行けば伏見街道へ。
※「東海道五十七次」の場合、ここから左の街道を伏見宿へ向かうことになる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都 三條(三条)大橋へ

「御陵の一里塚」付近。特にこれといった痕跡も案内板もありません。ただ、だいたいこのあたりだろうという推測位置です。ご了承ください。

終点の「三条(三條)大橋」。江戸と京の間は里程124里8丁、487.8km。

~全行程終了~

長期間にわたりありがとうございました!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回のルート(1)


ルート(2)





店主の動画探索 

前回と同じ番組から、第3弾ということで。他にも広重や北斎の浮世絵関連の動画がアップされているようなので、興味のあるかたは探してみて下さい。

東海道五十三次 広重が描く絶景 第3弾 富士望む難所と名物茶屋【グッド!いちおし】【グッド!モーニング】(2024年11月8日) 

(8分41秒 音量注意