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零式艦上戦闘機について

2008年06月11日 11時17分32秒 | 航空機
友人のリクエストにより、一部の人しかついていけないような話しを書こうと思います。まあ、リクエストした友人は航空機に関しては知識が無いので、なるべく分かり易く書きます。と、言うか昔の飛行機に関しては自分自身もあまり詳しくないので、wikiの情報が多くなるかもしれませんが・・・。

さて、零式艦上戦闘機 通称ゼロ戦は日本人にとってもっとも有名な戦闘機の一つではないでしょうか。この海軍の主力戦闘機は真珠湾攻撃に参加し、その派生型が終戦まで戦い、およそ一万機も生産されました。大戦初期はゼロ戦の性能が優秀で、アメリカ軍を震え上がらせたなど、日本が誇る傑作戦闘機として有名だと思います。そのためか、日本の戦闘機=ゼロ戦などという誤った認識が日米ともに存在します。実際、大戦中アメリカ軍はゼロ戦は配備されてない陸軍戦闘機もゼロ戦と呼んでいたといいます。
このゼロ戦には様々な派生型が存在します。有名なのは二一型と五二型だと思います。二一型は真珠湾攻撃に参加した派生型で、本格的に艦上戦闘機として運用されたゼロ戦です。この機が登場したころから日本軍の快進撃と相まって、ゼロ戦伝説が生まれます。
ちなみに、マイケル・ベイ監督作品の「パール・ハーバー」でこの二一型が登場します。しかし、機体の色は実際に使われた色と違い、監督の趣味で緑色に変更されています。実際に使われた色に近いのは日米合作映画「トラ・トラ・トラ」で、出てくるゼロ戦のレプリカです。
これは映画の話しですが、この二つの映画でお勧めなのは「トラ・トラ・トラ」です。この題名は、真珠湾攻撃の開始を示す日本軍の暗号からきてます。70年代に制作された映画ですが、史実に比較的忠実で、100億円以上もかけた大作なのでCGはなくとも攻撃シーンの迫力は現代の映画と比べても見劣りしません。逆に「パール・ハーバー」はお勧めできません。と、言うか自分は見ていません。この映画はハワイでは上映中止になるは、評論家は酷評され、「この映画は第二次世界大戦を知らないどころか、戦争を知らない人間が作ったとしか思えない」とアメリカでは恐ろしく評価が悪いです。逆に、日本では映画の内容はそっちのけで、特撮シーンは迫力があって面白いということで、ある程度の興行収入は得ています。自分はこの映画で、監督を嫌いになりましたが、「トランスフォーマー」でみなおしました。
脱線したので、話しをゼロ戦に戻します。もう一つの有名な派生型、五二型です。ゼロ戦の派生型の中ではもっとも生産数が多く、その生産数はおよそ6千機です。生産されたゼロ戦のおよそ六割にあたりあます。特攻機などにも使われ、もっとも有名なゼロ戦の派生型ではないでしょうか。この五二型も生産数が多かったため、三種類の型が存在します。甲、乙、丙と三種類あり、それぞれ防御力と攻撃力に違いがあります。もっとも生産されたのは五二型乙です。
大戦初期、ゼロ戦の機動性の高さから、連合軍の戦闘機を圧倒しました。そのため、連合軍はゼロ戦の解明に乗り出します。1942年、まったく破損の無い状態の不時着したゼロ戦(パイロットは死亡)が発見されます。この発見されたゼロ戦から弱点が発見され、その上、連合軍の新型の大型戦闘機の導入により日本の戦闘機は劣勢に追い込まれていきます。
このゼロ戦の弱点の一つは防御力です。ゼロ戦は機動力を確保するため、防御力はあまり考慮されてませんでした。そのため、小さいエンジン出力でも機動性が確保でき、単発機としては長い航続距離を持つことができました。連合軍の戦闘機は、防御力を考慮し、装甲板が装備されていました。そのため、鹵獲したゼロ戦を調べたとき、防御力が考慮されてないことに驚いたそうです。もう一つは、ゼロ戦は一部の機動時に問題があり、その問題の箇所を利用した戦法が連合軍により生み出されました。

零式艦上戦闘機は確かに傑作戦闘機です。しかし、戦況の悪化により整備能力の低下、パイロットの技量低下、燃料の減少によりしだいに本来の性能を発揮できなくなっていきます。しかし、終戦間際には劣勢に追い込まれたゼロ戦でも、連合軍に与えた影響は大きかったです。そのため終戦後7年間は、日本は飛行機の研究、製造を禁止されます。この七年間はレシプロエンジンからジェットエンジンに変わっていく大切な時期で、この禁止により日本の飛行機製造技術は大きく衰退します。

このあとのこともいろいろ書きたいことは有りましたが、かなり話しが長くなるためここで切り上げます。もしリクエストの飛行機があれば、分かっている程度で分かり易く解説をしていこうと思います。
では、今日はこの辺で。

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