私の「舞踏会の手帖」30年間会わなかった知人の家のベルを押してみた。どのように変わったのか、を確かめてみた。

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同窓会に出席することの勧め

2017-09-29 19:16:29 | 思い出

 社会人として生きていると、何らかの同窓会と係わりを持つことになる。同窓会とは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学などの同じ建物や部屋の中で一時的に生活を共にした卒業生が再会するための場である。かっては、進学や勉学という共通した目標のために協力したり励まし合った仲間達が集まり、お互いの消息を確かめ会うと共に、親睦を深めるための会合でもある。同窓会という会合は明治初期にはもう始まっていたようで、日本に近代的な学制制度が開始された時期とほぼ一致している。
 同窓会の定義には2つの意味があり、広義ではその学校を卒業した者全員を対象とする大がかりなものであり、狭義では同じ学年の卒業生のみを対象とするもので、これは同期会をとも呼ばれている。この章で、同窓会というのは狭義の同期会について説明している。
 義務教育やそれ以上の高等教育を受けた人達には、何年かに一度は同窓会の案内が送られてくるはず。既に死亡していたり、住所が不明の人には案内状を送ることはない。同窓会の名簿に自宅の住所が掲載されている同窓生には、必ず幹事が発送しているはずである。特定の卒業生だけに案内状を発送しないと、不公平であり、発覚すれば大問題となるからであろう。
〔同窓会に出席したがらない理由〕
 さて、同窓会を開催するという案内状が到着したなら、幹事などに出席か欠席の返事をして意思表示をすることになる。学校に入学式や卒業式とは違い、同窓会には出席の義務は無いため、欠席してもかまわない。実際に同窓会を開催してみると、出席率は20~30%程度であり、欠席者の方がはるかに多い。
 ネットで、「同窓会」をキーワードにして検索してみると、世間一般の人達が想定している同窓会というものを知ることができる。検索した結果からは、「同窓会には出たくない」という意見がばかりである。「同窓会に出席した方が良いのではないか」とか「同窓会は楽しかった」という賛成の意見は極くまれにしか見つからない。ということは、学校は卒業したが、かっての同級生や恩師が参加する会合には参加したくない、というのが大多数なのである。ネットでの意見の中には、「学校を卒業以来、一度も同窓会に出席したことはない。欠席していたら、その内に案内状も来なくなってサッパリした」という意見も散見された。
 では、どうして同窓会に出席したくないのであろうか。その理由について考察してみると、次のようになる。
 ⑴ 出席しても面白くない。
 同窓会に出席しても面白くないから参加しない、という意見も多かった。その理由としては「同窓会に出席する人達は社会の成功者ばかりで、彼ら彼女たちから自慢話を聞かされるのが嫌だ」というのである。これは現実的な理由であろう。同窓会に出席できる人達には人生で失敗したり、経済的に行き詰まっている人達は参加しない、というか参加できない。すると、参加者達はそれなりの生活に余裕がある同窓生に限られたくる。すると、生活に余裕がない参加者からすれば、成功者や富裕者達の話題を聞くだけで生活レベルの差を嫌でも感じ取らざるを得ず、それが自慢話に聞こえてくるからであろう。
 また、「同窓会に出席できるのは幸せな家庭を持った人達ばかりで、それが面白くない」という意見もあった。これは独身女性から多く出された意見である。30代、40代となった独身女性からすれば、家庭を持てた同級生は羨ましいからであろう。さらには、独身者の生活と子供を持つ同級生とでは話題も趣味も違い、会話しても話が合わないことは殆どなためである。
 ⑵ 同窓会には会いたくない人が参加している。
 ネットでは比較的多い意見であった。同級生からイジメを受けていて、そのイジメた本人が参加しているので、会いたくないという理由である。これはもっともな理由である。イジメた方は忘れているが、イジメられた方は一生覚えていて、その不快な記憶を思い出したくないからであろう。
 ⑶ 会いたい人が参加していない。
 女性から多く出された意見であり、その同窓会には親しい友人が出席しないので参加しないということである。その親しい友人とは再会したいが、それ以外の同窓生とは再会したくないという理由である。同窓生の中でも親しく付き合っていた知人が少なかったのではなかろうか。しかし、このような意見を述べる人は、その親しい知人が参加するのであれば出席する、ということになり、浮動的な考えであろう。
 ⑷ 学生時代に楽しい思い出がなかった。
 学年での成績が優秀であったり、クラブ活動のスポーツでは全校で優勝した、というような目立った実績がなかった人達である。学業、運動などの何事においても中間層であり、目立つことがなかった人達であろう。平凡すぎるほど平凡な性格であり、何となく学生時代を過ごしてきたような人達である。実際にはこのような目立たなく学生生活をしてきた人達が世代では一番多いはずである。
 ⑷ 費用がかかる、という経済的な問題。
 同窓会に参加するとなれば、少なくとも数千円以上の会費はかかる。女性であれば、新しい洋服を用意したり、パーマをかけたりしなければならず、半日の会合に出席するだけで多くの費用かかる。こんな費用は無駄、と考える人も出てくるのであろう。また、そのような準備をするのが面倒なので出席しない、という意見も多かった。
 ⑸ 親しい同級生とは出会っているので。
 何百人もいた同級生の中で、気が合ったり趣味が一緒だったりした親友は限られている。卒業後もそのような同級生とは時々出会い、食事をしたりお茶をしたりして付き合いがある場合もある。そのような人達にとって、大多数が親しくない出席者が集まる同窓会には出席する必要性が発生しないのである。数人の極く親しい知人と時折出会っていれば、それで十分なのであろう。
〔同窓会は面白い〕
 ネット上では、同窓会には参加したくない、という否定的な発言ばかり目立っている。しかし、私は「同窓会ほど面白い会合はない」と考えている。その理由は、同窓会は人間観察には最適な場であるからだ。
 人間の性格は、時間の経過や生活してきた環境によって変わる。大きな節目としては、進学、就職、結婚により生活環境が変わるとも言われている。さらには、就職した会社内での出世や転職、結婚した相手の性格や離婚などによる家庭の変動によっても大きく影響される。同窓会ではそのような同級生の変化をかぎとって、観察するのが面白いのである。特に、同級生であれば、学校内で1年間或いは数年間の間接触していて、当時の性格や生活環境を把握している。数十年前の同級生の姿を思い浮かべ、再会した現在の同級生と比較してみるのである。相手が数十年の間にどのような人生を歩んできて、どこで奮起して成功したか、どこでつまずいて失敗したか、などを知ることができる。いわば、人生の集大成と、その成果を発表する場が同窓会といえるのではなかろうか。
 では、同窓会に参加し、旧友と再会した際に、何を観察したらよいのであろうか。まず、顔つきである。リンカーンは、「男は40歳になったら自分の顔に自信を持て」という名言を残している。それまでの仕事での実績があれば、男の顔つきには自信にあふれ、精悍なものを見つけることができる。ボンヤリと生きてきた男の顔には、イキイキとしたものが見つけられないであろう。女性でも同様で、家庭が円満で幸せであれば、輝くような美しさが表れている。家庭に不幸があれば、どことなく陰気な顔つきになってしまうのが現実である。
 次に観察するのは、服装を含めて身体全体である。生活に余裕のある同級生であれば、それなりの服装をしていて、アクセサリーも生活水準に合わせた金額のものとなっている。安物のアクセサリーを身につけて来る人達を否定するのではないが、これだけは金銭的な余裕から派生するため致し方ないことである。
 また、話題にも気をつけることである。同窓会はハレの舞台であることから、自分の悪いことは話題にしたくもないであろう。従って、多少は現在の状況を脚色し、すなわち、少しホラをかませた話をする人達も出てくる。そのような自慢話を耳にしたとき、その話の内容がどこまで本当であるかを確かめておく必要がある。同窓会のその場で問いただす必要はなく、後日、その同級生を知る友人から実際の生活振りを聞き出せは良いことである。ホラ話をするような同級生はどうしてそのような性格になったか、を確認することができるはずである。
〔同窓会に出席する心構え〕
 同窓会では、数十年振りに親友、旧友達と自然な形で再会することができる。卒業以来全く出会ったことのない知人と出会うことができるのである。しかも、一人や二人という限られた再会ではなく、数十人もの知人と再会することができる。街角や旅先で偶然に出会うこともあるが、そのような再会は稀である。また、偶然の再会では、出会って見たいと考えていた旧友のみに会えるとは限らない。同窓会ではそんな拘束はなく、指定された集会場に出向けば極く自然に再会でき、会話も無理することもない。
 さて、同窓会に出席して、旧友と再会して、昔を懐かしむだけでは全く成果が無い。過去の学生生活を振り返り、思い出話をするだけでは進歩しない。出席した知人には、無理な形ではなくあれこれと話をして、現在の状況を聞き出すことである。また、出席しなかった知人の詳細についても聞き出すのである。学生時代に付き合っていた知人がどのような境遇にあるかを把握することができるはずである。
 また、現在の生活環境が悪かったり、会社での地位が悪くとも厚顔で出席すべきである。背広を着て、それなりの恰好をして出席すれば、他人からは悪い状況など判るはずはない。そもそも、出席している知人でも同じような悪い状況かもしれないのである。さらには、昔イジメられて顔を合わせたくないような嫌な同級生がいても、出席すべきである。その嫌な同級生がどのように変わったかを知ることのできる絶好のチャンスなのだから。