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不定日記 アネックス

世界レベルの悩ミスト・妹の彼氏は気に入ったが、いつか妹が嫌われる気がしてならない

原子番号27元素記号Coが始まりだった。

2008年03月22日 18時40分31秒 | Weblog
俺は長男で。
昔から上の兄弟が居る人たちが羨ましかった。
兄や姉・・・居たらいいのになぁとずっと思っていた。

いくつか理由が有るが、上の兄弟が居る人たちは面白いテレビやらネタやらを仕入れていることが多くて、意識が自分より早く広がっているような気がしていた。
それが羨ましくて。

まぁ、俺が妹達に良い影響を与えられたかどうかは置いといて、本題に。


漫画本は買ったことは有るけど、まだ『本』を買った事が無かった頃。

俺の世界を広げてくれる友達としてノリ君が居た。
ノリ君は一人っ子だったけど、近所に従姉妹が居てその従姉妹から色々な知識を得て、広い世界を持っていた。
初めて三国志の事知ったのも彼の影響だし、テレビにラジカセ繋いで「歌のトップテン」とか録音するようになったのも彼の影響だった。

さて、ある朝。ノリ君がランドセルから小さな本を矢庭に取り出した。
さりげなくその本を開き目を落とす。


なになになになになになそれ?
なんかカッコ良いんですけど~とノリ君に話しかけると、
「いつまでも漫画や児童書ばっかじゃダメだよ。高学年はさ、文庫だよ、ぶ・ん・こ。」
おおー。かっけぇ。
「ねえねえねえねえねえねえ、それ読み終わったら貸してよ。」
「仕方無いなぁ、読み終わったらな。」
とノリ君は再び本に目を落とす。
そのしぐさがたまらなくかっこよく見える。
教科書よりはるかに小さな文字、そしてはるかに長いストーリーを呼んでいる彼がたまらなく大人に見えた。


その後ノリ君から本を借りて読んだ。
そっからバカみたいに本を読む生活が始まった。

それをぼっと忘れていたのだけど。
今ネットという情報獲得手段を得て、その本って何だったっけ?とふと思った。
タイトルはうろ覚えだったけど、作者が誰だったのかすっかり忘れていた。

で、調べてみました。

「ロマンスパン伝説」著藤本ひとみ
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%B3%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E2%80%95%E8%8A%B1%E7%B9%94%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%81%8B%E6%84%9B%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB-%E8%97%A4%E6%9C%AC-%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF/dp/4086108100/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1206178405&sr=8-2
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3120/syou_fuji_kaori1.htm

そっかぁ~。
俺の初めてはコバルト文庫だったのかぁ~。

今思い起こすとなんであっこまでノリ君がカッコよく見えたのか謎だが、人生の転機になった事に違いは無いよね。

やはり大事なのは心

2008年03月09日 20時59分33秒 | Weblog
茶房「旧茶屋亭」
http://www.seaborne.jp/facilities/teashop.html

トンボ玉の出来上がり待ちまでしばらく時間もあるのでお茶を戴きに伺う。
入った瞬間におお~と声の出る様な調度品。
ステキ椅子にステキテーブル。ステキフローリングにステキな空き具合。
お客が一人も居ない♪

小さな扇にお品書き。
一番最初に書いていたのが「お抹茶お点前遊びセット ---- 1200円(お菓子付)」
お店のおばちゃん(うーむ・・・おばちゃんって言う感じでもないんだよなぁ・・・上手く表現できない)に聞いてみる。
「これは自分でお茶を立ててみるって言うセットなのよ。」
トンボ玉で”体験欲”がすっかり増してた俺はそれを頼んでみる。

「はい、じゃこの戸棚から好きな茶碗を選んでね。」
とこれまたステキ戸棚の戸を開いてくれた。
なんかすげーと心の中で叫びながらも静かな雰囲気を壊すと悪いなと思い、口をつぐむ。
茶碗とお茶菓子を選ぶ。


あ、そういや入店した段階で「桜湯」を出してもらっていた。
外はまだまだ冬だけど桜湯の春の匂いはたまらなく心地よかった。


さて、頼んだは良いものの、実はそういう「お抹茶」自体飲んだことの無い俺。
弾みって凄いよなぁと思いつつも次第に不安が増してくる。
よく「にげぇ」とかって言うけど上手く立てられなくて苦かったりしたら・・・。
俺は常に不安と生きている。


しかしてその不安は全くの杞憂。
おばちゃんが細かく説明してくれる。
へぇ、こういうことを突き詰めていくのね、茶道って。
確かに姿勢と気持ちがしゃんとなりそうだなと思いながら猫背がお茶を立ててみる。


俺の立てるお茶は明らかに泡が大きく消えやすい。
四杯程飲める量のお湯と抹茶を戴いてたので何度も色々試してみたがやはり泡は大きく消えやすい。
やはり性根がしゃんとしてないとダメみたいね。

やはり人間、大事なのは心だね。

そう思わされたのはとことん面倒をみてくれたおばちゃんのおかげで楽しいお茶の時間を楽しむことが出来たから。
ってのも有る。

楽しいお抹茶体験でした。

なぽー チェンジ ザ ワールド

2008年03月02日 21時31分31秒 | Weblog
3月1日
函館駅に俺は居た。
あの二年前の時とは違う状況で。

十和田湖冬物語の日記でうすうす感づかれていた方もいらっしゃいましたが、最近連れが出来ました(俺とは釣り合いの取れない美人です)。
かねてから「ラブラブ日記何ざ読みたかねーよ。」
と嘯いていた私ですので当然そんな日記は書かないように注意したいと思います。

ただ、一つだけ書くとしたらば、連れが居るのはありがたい。
一人だと行きづらい場所でも行けると言うのは大変ありがたい。
世界が純粋に広がるのを感じております。


さて、今回の旅でもっともそれを感じたのが「トンボ玉作製体験」だった。
沖縄の某施設で「やちむん作製体験」を一人で有る事を理由に拒否された事のある苦々しい「作製体験」(今思い出してもはらわたがフォアグラになる思いだ)
そのリベンジを遥か北の大地、北海道は函館で果たすことが出来ました。

所は金森赤レンガ倉庫・函館浪漫館
(http://www.hakodate-kanemori.com/shop/shopdetail.cgi?ShopNo=20060705134345)
トンボ玉というのはガラスで作る小さな球状の細工の事で、館内には数々のトンボ玉やガラス工芸品が並べられていた。

「こんなの上手く作れるのかなぁ?」
なんて思いつつ申し込みをし、金1050円也を支払う。
そして不安を掻き立てる一言。
「ガラス製品ですので、冷ます段階で割れることがあります。その場合こちらのサンプルから一つ差し上げることになりますがそれでも宜しいでしょうか?」
…不器用な人間が上手く球形を作れなかったら割れる…とかじゃないよな?
「ええ、大丈夫です。」
というのはただのハッタリだ。
自慢じゃないがこちとら創業三十年、混じり気無しの不器用者。
上手くいかないのが逆に取り得の様なものなんだ。
そう思ってると誓約書を出される。
「上手く行かなくても私は怒りません。」
そんな内容の誓約書に引きつった笑みでサインをする。


その心の葛藤が終わると、先生役のお嬢さん方に勧められるままエプロン姿になり、トンボ玉の原料となるガラス棒を選ぶ。
ベースになるガラス棒は理科の実験に使うガラスのかき混ぜ棒の太さ。
模様となるガラス棒はカッペリーニ位の細さ。
迷った挙句黒い棒をベースに黄色と紫の模様を入れることにする。


ガラス玉をバーナーで焙り、溶かしたガラスを鉄棒の先に巻きつけていく。
それがトンボ玉の作り方。
巻きつける鉄棒は水平に、溶かすガラスは少し立て気味に。
そしてどちらも外回しが基本である。
さあ、やって御覧なさい。
と懇切丁寧に先生に教えてもらう。

くるくるくるくるくるくるくるくるくる。
こんなですか?
ええ、そんなです。
ほほぉ。
じゃ、始めましょう。


ガラス棒の先端を焙りだす。
次第にガラスの先端が赤く生り出す。
炎は原始からテンションの象徴。
その姿を見ているだけでテンションが上が…
「はい、まわして下さ~い。」
どうやら無駄口を叩いている余裕は無いようだ。


「少し手元が固くなってますね。回し易くする為にリラックスしてくださ~い。」




その一言にデジャヴ。



小学校一年生のなぽー少年。
生まれて始めての父兄授業参観。
理由は分からないがその日の授業は担任の佐藤先生ではなく教頭の工藤先生が授業を行った。
後ろには皆の父兄。
初めてのシチュエーションの中でも卒無くこなそうとするなぽー少年。
教頭がそんななぽー少年を見て一言
「なぽー君、そんなに緊張しなくていいよ、リラックスして。」
ドッと笑いに包まれる教室、顔を赤くするなぽー少年


「はい、まわして下さ~い。」
はいはい。


ベースとなる黒をある程度溶かし、鉄棒に少しずつ巻きつける。
くるくる回していると次第にきれいな球形になっていく。
ほほほ~なんて思っていると次は直ぐに模様付け。
模様のガラス棒は細いだけあってあっという間に溶ける。
それをベースに少しずつ巻きつけ、炎を当てながら回して行くと馴染み、きれいな球形を再び形作る。
数箇所模様をたらして完成。
思ってたよりきれいな球形に仕上がり誇らしげな気持ちになる。


ガラスを冷ますのに40分ほどかかると言うことでその間他の場所をぶらつきに出かけた。


「作製体験」はこの出来上がりを待つ時間も楽しみであることを始めて知った。
結果出来上がったものを家に帰ってきてからストラップ風に仕上げてみたが、自己満足に満たされた気持ちになる。
ああ、家に道具一式あったら色んなものを作れるのになぁとすっかりハマった俺。
実に楽しき「作製体験」。
他の事もしてみたいなぁと思った30歳の早春。

始めての日記

2008年02月17日 14時23分34秒 | Weblog
2008年始めての日記ですな。

2008年2月10日初めて「十和田湖冬物語」に行って来ました。
「十和田湖冬物語」(http://www.towadakofuyumonogatari.com/event/event_01.html)

雪祭り自体に行くのも何年ぶりか忘れちまった感じなのですが、久々の十和田湖しかも雪道と言うことでかなり緊張しながらの運転となりました。
一箇所冬季閉鎖の道路に引っかかったものの、無事十和田湖に到着。


もんのぉすんげぇえぇぇぇ人出。
もんのぉすんげぇえぇぇぇ混雑。
もんのぉすんげぇえぇぇぇ駐車場見つからないっぷり。
そしてもんのぉすんげぇえぇぇぇ便意。

緊張の運転を続けていた為、下っ腹に力が入っていたみたい。
なんとか駐車場を見つけて止まる。
そしてトイレを見ると…
もんのぉすんげぇえぇぇぇトイレ混雑。

もんのぉすんげぇえぇぇぇ危機。
三十路だと言うのに大人としての根源を揺るがしかねない危機。


ステキな景色どころではない。
今一番見たいものは便器。
そんな心持でステキ景色をくすんだ目で見回していると空から天使の梯子が発見。
トットットトトトトイレット!!!!

会場から外れたそこにはまぎれも無いtoiletが・・・。

トイレから流れる水に母親の羊水を思い出しながら危機を脱出。


その後念願の冬花火を見た。
これがまた「近い」
すぐそばの真上に花火が上がっている感じ。
その迫力たるや先ほどの便意に勝るとも劣らないほどだった。
ばちっ、ばちっ。
あまりにも近いため、花火カスがぼとぼと落ちてくる。
足の周りにはそのカスが散らばりまくり。
ステージ上のおねーさんが
「危ないから下がったほうがいいですよ。」
と言っていたのが本気の注意だったことを認識した。

迫力ある花火に感激し、大きなかまくらに窮屈な状態で入ってみたり
(かまくらBARで酒飲みたかったな…。)
かなり楽しんで帰途に着いた。


…そこでも冬季閉鎖にひっかかり、一時間以上タイムロスしたことは誰にも内緒だ。

今年のカニは地味

2007年12月30日 21時46分01秒 | Weblog
さて、年内も後二日。
後二日なのか?
全く実感の無い今年。
一日を生きる事で精一杯だった今年。

酔ってるから全部ぶちまけるわ。

24歳辺りから全く良い流れと言うものが来なくなって、そり淀んだ流れは30代になった今年も何一つ変わらなかった。
超暗黒の16歳~20歳
暗黒の24歳~というとこか。

五十一の父親は相も変わらずニートを続け、大げさに聞こえるかもしれないけど我が家の家計を俺は今支えている。
鬱屈しまくりで、こういう気持ちを振り払うために沖縄に行った。
確かに沖縄は素晴らしい土地であり、凄く勉強になった。
尊敬も出来た。
その反動が出たのか、現実に戻った俺は思い切り落ちてしまった。
仕事にも身に入らなくなってしまい、心療内科に通うようになった。
「鬱症状」と診断された俺は薬を飲みながら日々仕事をするようになった。
薬のおかげで普通のペースの仕事は最低限出来るようになったが、日々、薬の副作用の眠気と戦いながら毎日を過ごしていた。
仕事も家族も何もかも捨ててしまいたくなった。

ゼロになりたかった。

最近はようやく薬の量も減ってきた。
けど、先行きに関しては何も見えないままだ。
そしてゼロになりたい気持ちに何一つ変わりは無い。



さて、去年の今の日記ではネットで買ったカニの説明をしていたが、今年はほんの少しのタラバガニの足があるだけです。
カニも地味、年末も地味。
さて、来年はどんな年になるのかな?

なにやってんだ・・・。

2007年12月28日 21時55分34秒 | Weblog
と言うお話。
(いつも通りのスケールの小さい話です)

今日は仕事納め。
珍しく今月の仕事が早く終わり、掃除も昨日の段階で大分終わらせた。
そのおかげもあって、今日は12時半で解散となった。

正月休みと言うことで気分も浮き立ちながら「友楽(中華料理屋さん…つーかラーメン屋?)」に昼飯を食いに行く。
三枚肉の角煮そばやニラ玉炒めをガッツリ食い、腹が膨れたところで
「うし、パッチーでも行って見るか・・・」
と思いパチンコ屋さんへ。
入店したのが二時頃で、退店したのが六時半。
青森ー大阪を往復航空券+宿代くらいの大勝をした。
今年はとにかく勝ちが多くて、かなりのプラス収支で終わることが出来そうだ。
(管理士試験の前にも同じくらいの大勝ちしたし…)

で、鼻歌交じりで家に帰ってきて冷静になった。


最近パチンコに行く回数も金額も次第に多くなってきてる。
この姿を中学の頃の自分が見たらどれだけ軽蔑するだろう。


今より更に酷い潔癖症であった自分はしょっちゅうパチンコの話しばかりしている伯父さんを酷く軽蔑していた。
お金は大事に扱うものであるべきだと感じていたし。
パチンコでのお金のやり取りとはお金をもっとも軽んじている行為であると俺は思っていた。

実際今年の自分を振り返ったときにお金の扱いの雑さがすごく目立っていたと思う。


今お酒を飲みながら苦労して得ているお金とそうでないお金について考え、自分を軽蔑しているところです。



あの頃の未来に、僕らは立っているのかなぁ?
いや、立っていないな、俺は。


おきなわ  ~平和祈念公園

2007年12月23日 22時34分31秒 | Weblog
(この日記に含まれる内容については私の無知や想像などが含まれているため正しい内容ではないかもしれません。もし間違っている部分があったらお教えいただければ幸いです)
沖縄で最後に訪れたのが「平和祈念公園」でした。
わざと授業時間を調整され、うやむやなままの授業により、第二次世界大戦の話は学校では教えてもらえなかった。
教科書検定においての記述についていつも問題にされているが、実情うやむやの授業のままでは私たちは何も知ることが出来ない。

物の本を読むことでしか私たちは私たちの国であった戦争のことを知らない。

本家の祖父が持っていた青森空襲の写真、そしてアメリカ軍から投下された空襲警告のビラ。
小学校低学年の頃にそれを見てはいたが、それが心に入ってくるのはかなり後になってからだ。


前述までの日記にも書いてきたが三山時代などをふくめ、沖縄は「国」であった。
中国に認められ、日本を含む各国と貿易を行い、独自の文化を生み出す「国」であった。

小さいものは振り回される。
中国との効率の良い貿易を考えた日本により武力により制圧され「日本」の一部とされた。

その後廃藩置県と共に「沖縄」へとなった。


欲の広がりは大きい。
水に広がるインクのように日本はアジア諸国にその欲を広げる。
そして維持できなくなり連合軍の猛攻もあり、その欲が飛び散り始めた。


沖縄は「日本」の一部として戦場と化した。

「戦場と化した」
それは戦時にあった…とは全く別のものである。
安い言葉で言えばそこは地獄だ。
我々がイメージしきれない現実に常に神経をつつかれるということだ。


沖縄平和祈念公園には数多くの証言、写真、ジオラマなどがそのイメージを少しでも感じてもらおうと展示されていた。
証言を聞くと心が削れ、写真を見ると目を背けたくなり、防空壕をイメージしたディスプレイの中では地下に潜った様に息が苦しかった。


全力をもって戦うべし
と日本の人は琉球の人たちに課した。
琉球の人たちは亡くなった。
12万を超える琉球の人たちが亡くなった。



戦後、アメリカ軍によって統治がなされる。
統治と呼ぶと聞こえはいいが占領である。
しかし、これは日本が琉球に課した事と何も代わりが無いことを忘れてはいけない。


その後米軍の犯罪等により学生運動などで日本に戻りたいという運動が起こり出した。
という展示があった。
本当なのだろうか?と俺は思った。

日本であろうとアメリカであろうと琉球の人達はどちらも要らなかったんじゃないかと。


全ての展示を見終わった後それは確信に変わった。



展示室から出たそこは遥かな海。
波の音が聞こえ、空は何処までも広がる。


中国なんていらねぇ、日本なんていらねぇ、アメリカなんていらねぇ。
もっと言ったら琉球すら要らない。
何もかもがここに有るから。



しかし、沖縄はそうはしなかった。
心の奥底までは知らない。
けど、表面上かもしれないけど、日本の人達にウエルカムと言ってくれる。
その心の広さは凄いの一言では現せられない。
そして俺はその心を感じたくてずっと沖縄に着たかったんだ。


海を見ると涙が止まらなかった。
滂沱と言う言葉を実感し続けた。

沖縄日記の途中なのですが

2007年12月16日 22時23分26秒 | Weblog
小学校の頃に授業で作文を書くのが好きで。
とあるときに授業の作文の様にテーマが有るものだけではなく、自ら考えて文書を書くことを覚えて。
つたない文、そしてそれ以上に薄い中身の文章を書いて。
なのに友達から面白いと褒めてもらってその気になって。

中学になり、読書量もグッと増え、言葉を少しずつ知り、少しだけつたなく無くなった文章を書ける様になり、文章を書くことが好きだと認識するようになった。
そしてこういう事を職業にする事が出来るのを知った。

書くことが多くなり、そして自分で読み返してみて、自分の文章に自分の心を上手く乗せていない事に気がついた。
書けば書くほどそれは難しい事なのだと知り、いつの間にか逃げるようにうやむやにしてしまった。



今回沖縄で一番最後に尋ねた場所での事を書いているのだけど、うまく表現出来ずに頭をかきむしっている間にこれだけの時間が経ってしまっている。
とても大事なことを書きたい、でも、うまく書けていないのです。



でも、逃げずにちゃんと(まあ、最悪納得のいかないまま載せちゃうかもしれないけど…)書き終えたいと思っています。
なので、今しばらくお待ちいただければ幸いです。



さて、12/12にCoccoのライブに行ってきました。
沖縄を訪れたいと思った理由の一つでも有る彼女のライブは自分の予想を遥かに超える素晴らしさだった。
ちっちゃくてスタイル良くてなによりめんこい彼女。
タメだけどぜんぜん年下に見える彼女が素直に
「自分には分からないことがある。」
と言い切る姿が素晴らしいと思った。
知ったかぶりをして「ああ、そのことね。」
なんて見栄を張る自分がすごくかっこ悪く見えた。

ツレを探して行こうと思ってたけど、結果として一人で行って良かった。
かっこ悪い自分に泣けてきてたし。
そして知り合いが居たらその気持ちを素直に出せていたか分からなかったから。
かっこつけだからね。


なんか、すごく良いライブに行けました。

ヘイホー  ~おきなわワールド・玉泉洞

2007年11月18日 14時45分41秒 | Weblog
方々の呈で玉城城跡を後にした俺。
車に乗って人心地付いた後、この次の目的地にとても迷った。

行きたい場所としては
・おきなわワールド
・沖縄平和祈念公園
・ひめゆりの塔

時間的に考えると三つ回るのはギリギリな感じだった。
それに前日琉球村で
「作られた沖縄に触れるのに何の必要があるのだろうか?」
と思い悩んだばかりだったので、”おきなわワールド”を削って他二つをじっくり見て周ろうかと思った。


「でも、玉泉洞見てえなぁ・・・。」




おきなわワールドには玉泉洞という鍾乳洞が有り、ツアーパンフ等でもライトアップされた鍾乳洞が美しい写真で掲載されていた。




しばらく躊躇の後、「おきなわワールド」へ向かう俺。
ただのミーハー野郎だ。

さて、目指してみるとやはり南部は狭い。
あっという間に到着。

「あ、ハブ園有るのね。」
入り口の横にハブ博物公園という建物があった。
中では恐らくめくるめくハブの世界が繰り広げられているのだろう。

けど、残念なことに時間が無いので「玉泉洞・文化王国」の入場券を購入。
順路としてはまず、地下に降り、玉泉洞で奥まで行き、地上に昇り文化王国を巡りながら入り口に戻ってくるという順路。


という訳で玉泉洞の入り口に向かう。
「お客さんお待ちください」とカメラマンにいきなり声をかけられる。
「写真撮らせていただけませんか?玉泉洞出た後に御気に入ったら御購入頂いて、もし御気に入らなければ御購入いただかなくても結構ですので。」
完全に油断した格好で来ていた俺は少々慌てたがあれよあれよと可愛らしい琉球の
衣装を召した女の子達に囲まれパシャリ。
まあ、いいかとそのまま玉泉洞に入った。



岩手の龍泉洞に入った事あるけどかなり昔でイマイチ記憶に残っていない鍾乳洞。
ひんやりしていてポタリポタリと天井からしずくが滴り続ける。
針を億本も集めた天井、地面から盛り上がる不思議な突起。





鍾乳洞を見る際にはしっかりした作法がを守らなくてはならない。
天井を見ては「へー」。
地面を見ては「ほー」。
コレを鍾乳洞のヘイホーの法則と言うのである。
と東海林さだおなら書くではないかと思うほど皆一様に上を見ては「へー」、下を向いては「ほー」と感嘆の声を上げていた。





色んな名称を名付けられてた鍾乳洞はとにかく美しかった。
物凄い年月が作り出したのだなぁと思うと悠久の時に思いを馳せてしまいたくなってしまいます。







かなり長い距離見て周るとようやく出口が現れた。
美しくは有ったが、長いダンジョンは圧迫感から気が滅入ってくる。


表に出ると先ほど撮られた写真がデンと飾られている。

1000円。


始めは買わずに居ようと思ったのだけど。
「買わなきゃ晒されたまま?」
・・・。

千円出して買いました。
相変わらず酷い写真写り。


商売上手だなと感心しました。

コネタ ~玉城城跡

2007年11月18日 13時26分52秒 | Weblog
斎場御嶽でオーラを頂いた俺は玉城城跡へと向かった。
首里城、今帰仁城と中山、北山の城を巡った俺。
いよいよ南山の居城へと突入だ。


・・・と思ったらココは南山の城じゃなかったんですね。
城の前の説明書きで始めて知りました。
つーか、何でそう思い込んでいたかも謎。
自分の勘違いのスキルの高さを思い知らされた。


ちなみに雨交じりの時にココに来ると足下ホンキで危ないです。
下山の時大人なのに泣きそうになりました。