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不定日記 アネックス

世界レベルの悩ミスト・妹の彼氏は気に入ったが、いつか妹が嫌われる気がしてならない

聖地巡礼 ~斎場御嶽

2007年11月10日 20時30分20秒 | Weblog
三日目、この日は南部を周る事にしていた。
一番遠くの”斎場御嶽”から行く事にした。

途中のニライ橋・カナイ橋は抜群の景色であった。
天気が悪いにもかかわらず景色にシビれ、ついつい2往復してしまった。
広がる海の景色はやはり反則的に美しい。


斎場御嶽とは琉球王国において最も重要である聖地の一つである。
政(まつりごと)を取り仕切る按司そして尚氏から始まった王。に対し、儀礼を取り仕切る代表として巫女たる聞得大君
その聞得大君の就任の儀式を行ったのがこの斎場御嶽である。

何となく・・・子供みたいな事言うけど。
そういう場所だとなんかのオーラが貰えるのかも知れないと変な妄想を抱いて訪れた。



到着したのが八時半だった。
正直想像していたより、かなり近かった。
斎場御嶽の入り口に小さな案内所があったけどまだ閉まっている時間だった。



入り口の世界遺産の碑を越えるとすぐに山道。
青森とは明らかに違う植物達の森が迫ってくる。
広がることを求める葉、枝、根。
寒さに耐えるために一つに集中しようとする針葉樹とは明らかに違う。




ところで、沖縄を旅行して幾度と無く思ったのだが、沖縄には実に多くの蝶が飛んでいた。
極彩色でヒラヒラ舞う姿に頭がくらくらするようであった。




山道を行くと聖地の中の聖地、儀式の間である「三庫理」が現れた。
巨大な岩によって作られた巨大な直角三角形。



自然の造詣に対する感心って一気に湧き上がってきますよね。
「なんでこんな景色になったのだろう?」
三庫理をくぐるとその先には木々の額に囲まれた美しい海が現れた。



人は偶然に運命を感じることがある。
と書くと大げさ何だけどね。

小学生の頃、ウチの近所の神社に大きな木が有り、そのウロを秘密貯蔵庫として活用していた。
最も皆が使っていたのですぐに置いていた物は無くなるし秘密でもなんでもなかったけど。
けど、綺麗な石や手紙(今ならゴミみたいな電柱の部品とかね)などを置くのにちょうど良いその場所を「神様からの贈り物」なんてな具合に感じていた。


この斎場御嶽はそういう造型が物凄く多かった。
俺達が
「ちょうど良い秘密貯蔵庫を見つけた!」
という風に昔の人たちが
「こんなステキな場所だから神様が作った場所であるに決まってる。それに神様の力をここで得られるに違いない!!!」
なんて考えたとすると、その好奇心に境界線は無いような気がする。
今の人間も昔の人間も同じ様な感動をこの場所で得ていたに違いない。


そう考えると何となく嬉しい気持ちになった。


そっと目を閉じて深く深呼吸をする。
吸い込み、吐き出す。吸い込み、吐き出す。
空気を吸い、音を吸い、見えない何かを吸い込み、それらを吐き出す。


満ち足りた気分で全てを見終え、山を降りると案内所がオープンしていた。
そして目に入った看板。
「入場料200円」




・・・。




係員に見つからぬように慌ててレンタカーに走って戻った。

ジレンマ ~二日目の続き

2007年10月21日 20時39分45秒 | Weblog
一件一件旅の感想書いていくつもりだったんですけど、諸事情によりピックアップ形式にする事にしました。
…そうです、面倒になってきましたwww

さて、二日目は美ら海行った後は

・今帰仁城跡
首里城のところで書きましたが沖縄には三山時代というのが有りそのうちの北山の按司(頭領、殿様)の居城が今帰仁城跡です。
ここでは男子公衆トイレが露天で表から丸見えだったり、城跡の表にある生絞りサトウキビジュースを飲んできました。という話を書く予定でした。

・小宇利島
本島からこの小宇利島には小宇利大橋という橋が渡っており、ここが(車で通れるのですが)実に絶景でした。
またサトウキビ畑があちこちにあってマジザワワでした。

・名護パイナップルパーク、琉球窯
会社の人に薦められていたのですが、一人で周るのは少し辛かった。
ただ、ぱいなぽーは実に旨く(食い放題ですよ、純さんwww)ぱいなぽーワインの試飲が出来ないのが実に辛かった。
琉球窯の方はパイナップルパークの直ぐそばで、酒器をつくり、それを焼いた後に泡盛をつめて送ってくれるというのがあったのだが、少し高くて躊躇してしまった。
結局止めてしまう自分の駄目さにかるくげんなり。

・定食屋さん「ぬちぐすい」
道の駅許田のすぐそばにある「ぬちぐすい」という定食屋さんで三時過ぎに「ぬちぐすい定食」(1300円位だったかなぁ?)を昼食としていただいた。
「ぬちぐすい」とは「命の薬」という意(だよね?って誰に聞いてる?)
この定食、沖縄の伝統料理がこれでもかと並んでいるのだけど、どれが何なのか全く分からない。
そんな全く分からないものばかりなのだが、驚くほど全部旨かった。
自分の知らないものをこれだけ一度に食わされ(注文してんだけどねw)その全てが旨いという経験に大興奮。

・琉球村
閉館間際に訪れた琉球村。
年に一度の「大綱引き」の綱の一部が展示されてて凄かった。
その他にも沖縄の旧家が見れたりとなかなか凝った作りだった。
おそらくシーサーの有名な作り手さんたちの様々なシーサーが展示されてるのもすごかった。


と、ここまでの観光を終えたのが五時半。


ここで、俺はふと、ひとつの事が気になった。


…周ってるの観光地ばっかだな。
これで俺は沖縄に触れていることになるのかな?

仮に、青森に来た人間がアスパムやねぶたの里を見て青森のことを知った気になるのを見たら俺はどう思うだろうか?


・・・・・・・・・・・・・。


この後、俺はホテルに変える道すがら、スーパーとかホームセンターとか酒屋さんとかを寄れるだけ寄ってからホテルに帰った。
けど、この小さなわだかまりは消えること無く、二日目を終えた。


沖縄を感じる旅とはどうしたら良いのだろうか?


悩みながら帰った俺はこの夜スーパーで買ったおそうざいを肴に泡盛を飲み倒した。




そして気がつくと三日目の朝に繋がっていた。

美しい海、醜い人  ~美ら海水族館

2007年10月14日 20時09分40秒 | Weblog

十月七日

 

朝八時半にフロントに日産レンタカーの方が車を持ってきてくれた。
今回お借りした車は日産ティーダ。
プレサージュより大分車体が小さいが、思いの外運転席は広かった。
手続き等を済まし、今日の最初の目的地、「美ら海水族館」へ向かうことにする。


実は人生初カーナビ体験だったのだけど、今回の旅はとてもこのカーナビに助けられた。
方向音痴の俺がサクサク観光して周れたのもカーナビのおかげだったと思う。


さて、この段においても、本島の正確な大きさを把握してなかった俺。
那覇から美ら海水族館までを青森ー弘前間(30キロ程度)だと勝手に認識していた。
実際は青森ー八戸間(70キロ超)だったんだね。
到着予定時刻が結構かかるようでビックリしながらの出発だった。


途中寄ったパーキングの建物がすでに沖縄風でテンションは上がりっぱなしだった。


さて、迷わず美ら海水族館に到着、時間は何やかんやで十時を過ぎていた。


少しだけど晴れ間も見えてきていた。
美ら海水族館の周りは広い公園となっていて、外の駐車場に車を止めたせいで、大分歩く羽目になった。


さて、海の望める公園をしばらく歩くといよいよ水族館が見えてきた。


でかい。そして人多い。
考えてみれば俺の人生において土日の水族館なんて行った事無かったんじゃないか?
浅虫
鹿島臨海
サンシャイン
江ノ島
の次である5件目の制覇物件となるのだが、その何処よりも人が多かった。


さて、ここから俺はとてもイライラし続ける事になった。


というのもあんまりにもお客のマナーを悪かった。
なんでこうも日本人は集団になると醜くなるのだろう?
子供ならまだ諦めもつく。
時折ブン殴りたくなるけど(ウソですよ~www)


けど、大人は水槽叩いたり、バシバシフラッシュ焚いて写真撮ったり、狭い通路で横列のまま駄弁って立ち止まってはいけないですよ。
まさに見るに耐えない。
水族館に入るための資格が有るかどうかの試験があればいいのに!!と強く思ってしまいました。


水族館側でもどう思っているのでしょうか?
大人の作る壁によって水槽が見れていない子供の姿も結構見受けられていました。
たとえば少しずつ入場規制して少しずつお客を流すだなんて・・・出来ないか・・・。
アレだけの人数だしなぁ。
でも、魚だってストレス感じてると思うなぁ。
大丈夫なのかな?

世界最大の水槽


折角の大きな水槽に泳ぐジンベエザメの雄姿に対する感動もそれらの醜い行いによって全てが怒りに変わってしまい落ち着いて見ていられなかった。
(楽しみにしていただけ悲しさへの変換も大きかった)


建物から出てのんびり訓練してるイルカ達の姿を見ていた時が唯一心落ち着く場面でした。

飛ぶイルカ

水上を歩くイルカ


戦い終えて日は暮れて  ~初日の夜

2007年10月13日 23時32分53秒 | Weblog
首里城からホテルに戻ったのが七時過ぎ。
良いだけ坂を上り下りしたのですっかりぐったり。

ホテルの三階にコンビニがあった。
とはいってもホテルのコンビニなので何割りか増した金額でものが売っていた。

しかし部屋の中の冷蔵庫に比べれば幾分かは安い。

なので部屋に帰る前にジュースとオリオンビール、ワンカップ泡盛、つまみをかってから部屋に戻った。


ベッドに倒れこむと一気に疲れが押し寄せてきた。


晩飯を食いに行かなきゃな…と思いつつもオリオンビールをあけてグッと飲む。
汗をかいた後のビールは何にまして旨い。

テレビを点けるとめちゃイケのスペシャルが放送されていた。

あははと笑いながらビールをやる。



ブツン。



いつの間にか俺の電源が落ちた。


!?
目が覚めると十時半だった。
ば、晩飯食い損ねたッ!!!


ホテルのレストランも十時までで閉店。
途方に暮れたまま何度もホテルのレストランのメニューを見続ける…。


ルームサービス
その単語が目に入ったのは天啓の様に見えた。

で、時間は23時まで…。
ギリギリじゃん!!!!

慌てて頼もうとするが
「うげげ…た、高い…。」
ほとんどのメニューが二千円近くする。
でも、背に腹は代えられないのでカレーライスを頼んだ。
1600円の。

人生は初のルームサービスは1600円のカレーライスかぁ…。
普通の食堂なら600円なのになぁ…。

なんて思い悩みながらカレーを待つ。

40分後…。

うとうとしかけた頃にカレー到着。



腹も減ってた事も有るだろう。
けど、其れだけではなく、純粋に旨かった。

更に残ったビールと泡盛を平らげ、床につく。




何故か会社の夢を見た。
それはあまり良くない夢だった。
しかし、眠れば朝は来る。
良い朝、悪い朝に関わらずだけど。
どちらの朝が来るかは誰にも分からない。

ナンバー1たる威厳 ~首里城

2007年10月13日 22時23分48秒 | Weblog

睡眠に入ったのが四時。
うっかりしてしまうと夜まで寝てしまう時間と言えた。
けど、さすがに旅行のテンションだったらしく、三十分程寝たら少しスッキリして目が覚めた。
ポットからお茶を入れると人心地付き、次の行動について考えを巡らせた。


旅行において荷物をどうするかは少なくない問題だと俺は思う。
更にお土産と称するものの
購入時間・体積
はかなりのものだと俺は思う。


今回の旅行に際して、このお土産問題を如何に対処するか?
それは少なくない問題のように思えた。
結構遠方だし、結構多くの他人に行くって言っちゃったしね。
だから出来れば初日のうちにさっさと対処すべきである、というのが当初の予定だった。


ただ、時間は既に四時半。


「まぁ、お土産は明日でも良いかぁ。」


何度でも言おう、俺は対人対処以外に関してはとてもザツな人間だ。


確か近いんだよな・・・徒歩で20分位だったよなぁ・・・と何気なく考えてた時にアタマ電球ピコーン♪


去年俺は携帯をソフトバンクからauに変えた。
そしてauといえばGPS搭載携帯。
Ezアプリにはその名もEzナビウォーク。


・・・使ってみようか・・・。
月額210円。
登録。


よし、ナビも有るし、早速首里城行ってみよう!!

本文とは関係の無い地図です

ホテルから外に出すると既に夕暮れ。
しかし首里城自体は七時半まで開いてるらしいし、時間的な余裕はある・・・ハズ。
と鼻歌よろしく出発した俺。
i-podからはご機嫌なナンバーが流れ出していた。


五分。
このホテル、日航那覇グランドキャッスルってトコだったんですけどね、凄い坂の下に有るんです。
まず、ホテルの前の道路に出るのが大変。
気温は32度。
あっという間に汗だっくりんこ。
そしてホテルの前の道路もずーっと坂、坂、坂。
首里城までの道は結局ずっと坂を上り続けて行く道であった。

とにかく坂が多かった・・・


えっちらおっちら歩いていると首里城の手前の無料休憩所が見えて来た。
そこでパンフを貰い、
「もう少しか・・・がんばろ」
と更に先に進む。
門の手前に琉装の女の子達とカメラマン達が数人居た。
「なるほど、観光客相手に写真撮るのね。けどまぁ、俺は一人だしなぁ。なんかいろんな意味で痛くなりそうだから止めとこ。」
たしかちゅらさんでもえりぃがこのバイトしてたっけなぁと思いだしながら脇を通る。

世界遺産の碑、この後も次々登場


そう言えば首里城と言えば守礼の門だよなぁ。
何処当たりにあ・る・の・か・な・・・っと。
と歓会門のあたりでパンフに目を通す。
・・・。
へ?
通り過ぎてるじゃん・・・。
何度見直しても通り過ぎてる。
・・・。


帰りにも見れることは分かってる。
でも、なんとなくもやもやしたまま進みたくなかったので戻ってみる。
ありました、守礼の門。
それは鳥居が少し立派に成ったような門で、想像していたより遥かに”薄い”感じの門だった。
実際その後の刻漏門とか奉神門とかの方が立派だった。
城門としての働きではないからこういう造りなのかな?
と「行って、実際に見て、分かる知識」を一つ得た。

刻漏門・厚い

奉神門・かなり厚い

朱礼の門・薄い

 


そしていよいよ本殿へ向かう。
チケットを購入し、南殿、そして本殿へ。

本殿・写真とかでよく見る


首里城は度々焼失しているらしく、今ある建物も何度目かの改築だそうだ。
南殿は資料などが展示されており、琉球の歴史が展示されていた。

 

琉球には三山時代という、三国志みたいに三つの国に分かれていたときがあった。
北山、中山、南山。
最終的に中山が琉球を統一し、教科書とかに出てくる尚氏による統治が長く続いた。
琉球はその地の利を活かし、中国、日本、東南アジア等との海上交易によって栄えた。
その頃は中国の国力が強く、国家としての認定を中国から行われていたと言う。

首里城はそんな琉球の黄金時代において栄え、様々な文化を取り入れていった。

玉座・王は奥の階段から登場する

なので、城内は中国の建築様式が多く用いられており、異文化を思い切り感じさせられた。
(やたらポップな王冠があったり、漢委奴国王の金印みたいな金印も城内に展示されていた)

のっぺりした動物金印

マーブルチョコみたいな王冠

二階玉座
とにかく朱が艶やかで、金が眩しいばかりに施されてる城内だった。
ぽーっとしながら本殿の次の北殿に行くと


おみやげコーナー・・・。


余韻に浸って居たかったのに、わさわさ買い物する人々を見ていたら少し興ざめしていた。


そこを早々に退室し、時間も時間なので帰ることにする。


首里城で一番気になった事。
あちこちに石垣が有るのだけど、その石垣の隅っこのあちこちに小さな穴が開いている。
よくよく見てみると治水の跡だったりする。
これは改築によって作られたものなのだろうか?
もし、そうではないのならば、琉球の治水力ってのは物凄い技術があったと言えるだろう。
計算されつくされた水路は実に美しく、機能的だった。

 

大阪城見たときに「ははぁ、これが日本で一番になったことのある奴の城かぁ。」
といたく感動したが、
首里城も一つの県のトップの城というレベルなどでは無く、一国のトップの城で有るのだろなぁと強く感じた。
感動しながら帰りは下り坂のホテルまでの道を歩いた。

渇いた喉を潤すコカの自販機に普通に置いてある


大は小を兼ねる・・・けど世の中それだけじゃない ~ホテル

2007年10月09日 15時34分24秒 | Weblog
脳内メモリーにホテルまでの交通手段は入っていた。
ゆいレールの終着駅、「首里」まで乗ってそこから徒歩27分。
・・・遠いよな。
と考える間も無く、牧志駅到着。
素直にモノレールに乗り込む。



ん~・・・。荷物重い・・・。
ほんの数分だったがモノレールに乗ってる時間が結構長く感じる。



車窓から広がる那覇の景色。
何となく坂と団地が多いなぁ・・・なんて思いながら見ていた。
勝手なイメージだけど、「沖縄=海」のイメージは有ったけど「沖縄=山」と言うのが俺の頭には無かった。



後にこの事がなぽーを苦しめる事になろうとは・・・(ゴチ風)



半目でモノレール首里駅を降りる。
大分しんどい。
けど、駅にホテルまでの百円バスが走っているという掲示を発見。
これは利用しない手は無い!
と思いバス停まで歩く。


半目のままバス停の路線を見る。
・・・路線が一杯だぁ。
どれがどの線か正直分からない・・・。


取りあえずそれっぽい方に向かって歩く。
そしてあっという間に挫折する。
ヘイタクシー。
やはり見当違いの方向に歩いていた。


タクシーに乗るとあっという間に到着。
チェックインを済ますとポーターの女の子が部屋まで案内してくれた。
この子が又ちっちゃくて可愛いのよ(さほどエロ教授と思考変わらんのかもwww)。
あんまりにもちっちゃくて荷物が重そうだったのでエレベーターの中で
「やっぱ荷物持つよ」とひったくる様に受け取ってしまった。
かえって向こうが困るの分かるけど、何となく自分で持ってしまった。


部屋とホテル施設の紹介をしてもらって彼女は退室。


今回借りた部屋はツインの部屋なのでベッド二つ。
なのは分かっていたけど・・・
ロングソファー有り、テーブル有りと物凄く馬鹿っ広くてびっくりした。
広すぎて落ち着かないくらいだった・・・。
と表現はするものの・・・。


荷物を投げ出し、ベッドに転がると全身からベッドに根っこが生える。
全身にだっくりかいた汗のせいでシャツが気持ち悪いので脱ぎ捨てる。
(この日那覇の気温は32度、青森出てきたときは14度)
だめだ・・・。
と思う間もなく眠りに落ちていった。

エロ教授とスペアリブと私  ~国際通り・牧志公設市場

2007年10月09日 12時22分40秒 | Weblog
到着したのが昼過ぎ。
ハラ減った、何か食いたい。
そう思っても仕方が無い。
朝から何も食ってないものね。


そして取りあえずゆいレールに乗って向かったのが国際通り。
なんか食い物屋あるだろとアバウトな感覚での目的地決定。
A型としての繊細さは対人関係に、自分独りの自己判断にはトコトンガサツなのが俺。



ゆいレールの牧志の駅で降りて国際通りをぶーらぶら。
お土産屋さんがずらっと並んでいて、各店一人ずつ位が客引きのように店の前に立っている。
けど、函館の朝市のオバちゃんのように吸引力の強い客引きと言うより、マッタリした感じの客引き。
まぁ、土曜の午後というまだホンキを出す日時帯、時間帯ではないだけの話なのかも知れない。


そこでびっくりした事、ちんすこうって157円なんていうプライスで売られているのね。
コンビニのお菓子とさほど変わらない値段じゃない。
お土産としてちんすこうを考えてた俺としては嬉しい誤算。



まぁ、ホテルのチェックイン前からお土産抱えるのもアホ臭いなと思い、ココでは何も買わなかった。



それより何より、メシ食いたい。
微妙に疲れたし、落ち着きたい。


そんな事を思っていると「牧志公設市場」の看板が。
いつぞやウンナンの気分は上々。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B0%97%E5%88%86%E3%81%AF%E4%B8%8A%E3%80%85%E3%80%82#10.E4.B8.87.E5.86.86.E3.81.AE.E6.97.85.E4.BC.81.E7.94.BB)で見た事あったんだよね。
ブタのお顔やら、トン足やらが売られている様が。
そして確か二階は食堂になってたはず。
ようし、行ってみよう。
と行って見た。


青森にも当然市場は有る。
独特の生臭さというか、とにかく独特の匂いがあって昔は苦手だった。

さて、いざ公設市場に入ってみると、”青森の市場とは別の独特の市場の匂い”で充満していた。
函館の朝市の時にはこんな事感じなかった。
やはり置いてある物が大分違うのだろう。写真のネタも一杯ありそうだ!!
とワクワクし始めた時、すぐ二階への階段が目に入った。



・・・腹ごしらえしてからゆっくり見て回ろうか。



二階に上がるといくつかの食堂が有るようだった。
そこで”ポークたまご”と”豆腐よう”と”オリオンビール”を注文する。
とくに”豆腐よう”は一度食ってみたかったものなので人知れずテンションアップ。
さて、”ポークたまご”は値段もリーズナブルでありつつ、正直想像してたよりかなり美味かった。
豪華な朝食な感じで。
自分のタマゴ好きを改めて痛感した気がする。


そして”豆腐よう”
これは確かに好き嫌い別れるだろうなぁ~と思った。
個人的にはアリ、つーか、全然アリアリ。
ただ、ビールと合わせて・・・というよりなら日本酒とかの濃いお酒に合わせて飲みたいなと思った。
案外ウォッカとかと合いそう。


しばらくすると隣の席におっさんと若い女の子三人組が座った。
「なんの集団だ?」
と思ったらば、ゼミの教授と学生らしいことが話してる内容から推察出来た。
教授はしきりに学生達に酒を勧めてる。
エロ教授が。ハメ外してんじゃねーよ。
なんて思いながら二杯目のビールを注文する。



となりの席のエロ教授は結構ですと断られ、自分の分のビールを注文していた。



ここで俺のA型の部分が爆発しそうになった。
というのも隣の席の注文の仕方が凄く悪かったから。


「えーとぉ、このゴーヤーチャンプルー二つね」
「テビチの煮付け?これ一つ」
「フーチャンプルー一つ・・・ってコレ頼んだらゴーヤーチャンプルー一つ要らないか?」
「イカのスミ汁・・・三つ?」
「じゃあ、ゴーヤーチャンプル一個キャンセル」
「コラーゲン一杯だからトン足食べなよ、お肌ツルツルになるよ」
「え、テビチってトン足ですよね?」
「そうだよ、テビチの煮付け一つ」
「あ、もう頼みましたよ、じゃあ、スペアリブのニンニク焼き一つ」



オイオイオイオイオイオイ、まとめてから頼めよ!
明らかにおねーさん(そういえばこのお店のおねーさんはみんな魅力的でしたな)こまってるじゃねーか!
イライライライライライラ、おねーさん、オリオンビールもう一杯。



すると案の上、注文とキャンセルがごっちゃになって、
「コレ頼んでないよ。」
とスペアリブのニンニク焼きが一個中に浮いた。


でも、それは明らかに向こうが頼んでいたもので、おねーさんが少し困った顔になった。
なのにエロ教授は一切悪びれない、仕方ないなぁ間違えて・・・くらいのテンションでおねーさんに話してる。
俺のイライラはそこで爆発した。


「すいませんおねーさん、それ注文していい?あと、オリオンビールもう一つお願い。」


馬鹿者のせいで無駄になるのはあまりに忍びないのでそのスペアリブを頂きビールをかっ食らった。
そしてこのままココに居たらイライラで問題を起こしかねないので、おなかに納めるとおあいそして外に出た。
(ちなみにこのスペアリブ、抜群に美味しかった。無駄にならなくてほんとに良かった)


・・・最近風邪ひいてたのでアルコール殆ど摂取してなかった。
そして何よりまだ昼間。
そしてココから導き出される結論は?


そう、すっかり出来上がり。
フラッフラになった俺は市場をろくすっぽ見学しないまま駅に向かってフラフラヨタヨタ。
最初の見学ポイントから早くも中途半端。
先が思いやられるスタートだったのです。

プロローグ ~最悪の重なり

2007年10月09日 11時13分45秒 | Weblog
十月六日


三日の段階で発生した台風は先島諸島を暴風域に巻き込み、次第に勢力を強め続けていた。
そして先月からひき始めた風邪も又ピークを迎え、四日に会社を早退し行った病院の薬が効いてる間のみ、まともに動くことが出来た。
(今回の風邪は熱が上がらず、とにかく咳が止まらない風邪だ。後、鼻水ジョルジーニョ)

前日の晩も体調はスッキリせず、荷物も
「取りあえず三日分の着替えがありゃイイや。」
程度の準備しかしてなかった。
「最悪沖縄まで(台風で)行けないかも知れないしな。」
軽くふて腐れて眠りに付いた。
正直、ワクワク感がこれほど少なくなってしまった旅行は初めてだったと思う。


朝になっても台風は少し進路を変えただけで相変わらず居座って居た。
コンビニにたむろしてる中学生のように忌々しい。
でも、とにかく行けるトコまで行きたい。と思いながら空港へと向かった。


搭乗口で咳が止まらず白い目で見られ続ける。


ちょうどこの日
「(青森県知事)三村申吾とチャーター機で行く沖縄の旅」
の出発の日であり、搭乗口の時刻表を見ると十時台に沖縄へ向けてのチャーター機が予定されていた。
別に時間の変更なども無く、普通に飛ぶようなので
「問題なく沖縄まで行けるのかなぁ・・・」
とこの時になって初めて希望の明かりが見えた。

さて、いきなりだけど、そもそも俺は飛行機が苦手だ。
飛ぶのが怖いというより、上空行くと耳がキーンとなって偏頭痛が続くんです。
それが落ち着かなくて(耳抜きヘタクソです)イヤ。
けどまぁ、島に行くわけだから嫌とも言えず(船に乗っていける時間的余裕ないし)落語チャンネル聞きながら大人しく飛行機に乗ってました。

寿限無    立川志の吉
ものまね   ダブルネーム
宿屋の富   五街道雲助

非常にオーソドックス


青森ー東京 一時間
東京ー那覇 二時間十分

予想を大きく裏切り、無事に沖縄に着いた。
そして予想通り「宿屋の富」もすっかり覚えた。
(そりゃあ、三回も続けて聞けばねぇw)

天気、曇り、小雨交じり。
じっとりとした沖縄に俺は足を踏み入れたのでした。


咳をしながら。