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移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

日本の農業と携帯オンラインゲーム

2011-11-12 08:51:14 | 社会・エコロジー
 判じ物のようなタイトルだが、話題はそのままの内容です。
 TPP交渉への参加是非をめぐって、日本の農業への影響が取りざたされました。関税によって辛うじて守られている日本の農業が、自由貿易化で壊滅するという論点です。
 他方、携帯オンラインゲームと言えば、目新しい話題はゲーム運営会社の横浜ベイスターズ買収。新興企業の老舗球団買収は、他の球団の多くがその参加を認めるかが次の段階ですが、某古参球団の内紛の方が話題になりそうです。この携帯ゲームなどのオンラインゲーム市場は急拡大しており、その規模は一部報道によれば2010年で2365億円。凄い成長と規模です。
 おなじ売上による市場規模でみると、日本の農業はwikipediaによればGDPベースの2009年で5兆3,490億円。全産業の1.13%に過ぎなくなっています。就業者比率はもう少し多くて全産業の3.7%、建設業についで2番目です。
 両者の売上をみたときに、一つ言えることは、根幹となる第一次産業がいつの間にか娯楽の一ジャンルに過ぎないオンラインゲーム市場のたった20倍になっているという現実です。つまり農業政策の機能不全です。
 縮小傾向だから日本の農業はどうでも良い、売上が多くなったからといってオンラインゲームの存在価値が高まる、と言うわけではない。農業、食の問題は全ての国民が関わること、一方ゲームは一部の愛好者による娯楽に過ぎない。農業は、売上にのらない流通部分があって、また農家は自家消費部分もあって数字に挙がらない規模があります。就業者比率がその点を示しています。
 さらに農業は、食糧安全保障、食の安全、そして国土保全にも関わってきます。第一には食糧自給率に関わる話であり、また世界人口の増大を考えれば食糧確保は国家の課題です。第二には食糧の質の重要性という論点です。第三には農地が国土保全、治水や災害予防の観点です。
 そうすると、TPP参加是非と言うよりも、日本の農業の再生こそが取り組むべき真の課題と言えます。TPPで壊滅するような農業に何故なったのか、どうすれば問題を克服できるのかといった論点が必要です。

復興債償還をもっと短期間にすべきだ

2011-11-08 20:52:11 | 社会・エコロジー
 未曾有の災害となった東日本大震災。復興には莫大な費用が必要だが、無駄な出費を繰り返してきた政府には資金がない。となれば国債の増発、つまり復興債はやむをえない。しかしその額は現時点で十三兆円に満たない。実は、B型肝炎ウイルス賠償の三兆円、直近の円高対応と称した市場介入の資金が十数兆円など、出費だけは一人前の政権が続いている。呆れた事に、年金の過払いは返済を請求しない。支払っていないことを理由に年金を減額されている人は沢山んいる。この補填は税金で行われるか、先の年金先延ばしで対応するのだろう。不公正、不公平はますます増大している。
 その上、今回の復興債の償還期間を二十五年にするという話だ。今まで膨大な借金の付回しをしていながら、四半世紀をかけて償還する。なぜだろう。その金利だけでも莫大なものだ。二十五年という期間は空恐ろしい。いま0歳児もこの震災復興の負担に加わるというのだ。
 考えるまでもなく、今の大人だけで何とかすべき話だ。せいぜい十年かそこらで償還すべきだろう。伸ばせば伸ばすほど、嵩む金利で借金は膨れ上がり、一方で責任の所在は曖昧になる。まさに問題の先送りだ。
 この長期間の償還には、次の事が連想される。つまり、復興増税に続く消費税増と年金支給開始の先延ばしだ。我々はバブル崩壊に一体何を学んだのだろう。公明正大、かつ迅速な不良債権処理が、問題の解決を確実に、そして早くするのではなかったのか。
 日本人みんなで、この十年懸命に働いて消費して、その所得と消費分を納税しよう、と何故呼びかけられないのか。復興への社会資本投資と、国家財政収支の健全化には、耐える期間が必要だ。そして耐えるのは今の時代の大人であるべきだ。

増税と社会保障の基準

2011-10-28 23:21:26 | 社会・エコロジー
 復興増税と税と社会保障の一体改革は、財政危機と景気・円高への対策と同様に重要だ。残念だが、増税は絶対に必要だ。先延ばしは、つまり未来の世代への先送りはあり得ない。
 一方で社会保障や年金も今一度見直しが必要だ。この際に是非とも基準として入れてほしいのは、「働いている人に報いる」施策だ。基本的に金持ちだろうと貧乏だろうと、まじめに働いて日々の暮らしを精一杯営んでいる人は、税金だって消費税や所得税で払っている人だ。一方で、社会保障などで税金のお世話になっている人ではない。
 この国は、今本当におかしな状態だ。働かない人に手厚い保障をしている。払い忘れの年金を免除したり、減反政策と称して耕作放棄地にお金をだす。生活保護を受けているやくざや、婚姻届を出さずに母子(父子)手当を受け取る輩、高級車を乗り回す宗教法人関係者など、全くおかしなことだ。サラ金の創業者一家が過払い金の返済もせずに生活が日本にないという理由で税金すら逃れている。
 働く人にこそ手厚い施策を、働けない人が働ける施策を、そして子供たちが立派に育つような施策を第一に進める、そのような判断が公平性の目安になるのではないか。
 増税には悪平等を排した考えが必要だ。

原子力発電脱却までの工程を考えよう4

2011-10-16 16:28:55 | 社会・エコロジー
 繰り返しになるが、同じ主張を書きたいと思う。
 民主主義国家は、市民の政治や社会への参加を求めている。16世紀のイタリアを例に取れば、ローマ法王という宗教的支配者(当時は指導者というにはあまりにも強大な権力があった)、王国や公国、それに傭兵隊長を兼ねた武装諸侯が群雄割拠していた。その中にあって、フィレンツェとヴェネェチアという共和国があった。もちろん、今の共和制とは異なり、王侯に匹敵した豪商に支配され、また市民格をもった市民による共和制であって、今の民主国家とは異にするものではあった。しかし、ヴェネェチアなどはアドリア海に面して、東方との貿易で莫大な富を得る一方で、市民による海軍をもって、宗教も異なる強大なオスマントルコ帝国と拮抗して、かつ外交官を送り、平和と貿易と主権主張と共和国の防衛にあたっていた。つまり、市民が国家から権利を得るとともに、市民が国家への義務も果たしていた。
 この数日、ウォール街での格差に反対するデモが各国に伝播して、東京でも同様の主旨のデモ(数100人規模の報道するほどのものでもないが)や、反原発の流れとの融合が取り上げられた。格差の意味するところを考えれば、少なくともこの日本ではデモをして解決することではない。同様のことが、原子力発電からの脱却にも言える。
 原子力発電を今止めるわけにはいかない。しかし、原発脱却を図る最も有効な手段はデモではなく、原発コストを明らかにすることだ。リスクを踏まえたそして原子力廃棄物コストを含んだ原発のコストが明確になれば、確実に原子力からの脱却の工程は進む。原子力を止めるには、太陽光や小規模水力といった”見せかけ”のほら話ではなく、省エネルギーとエネルギー消費への市民水準での意識改革が必要だ。
 産業に電力・エネルギーは必要だ。まずこのことを前提にする。産業で電力をさらに効率的に使うことを義務づけた上で、そして無駄使いの多い民生用エネルギーの大幅な削減が必要だ。図らずも今夏の電力不足で、相当の努力を払ったにせよ15%の節電を達成できた。一方で直近の原子力発電への依存度は12%程度まで下がった。もちろんこれは常態ではないから、そのまま適用はできないが、示唆に富む数字だ。常態の原子力発電の依存度25%のうち10~15%を意識改革による省エネルギーで賄えれば残りは10~15%だ。とりわけ大事なのは、ピーク電力の節減だ。夏季の12時から17時、冬季の夜間を節減できれば可能性は現実性を帯びる。
 原子力発電は、誰かが勝手に作ったものではない。自分達がエネルギーを使う、電力を使うから出来たのだ。まずその発想が原点に必要だ。そして、20年から30年の工程表で脱却を図るという現実的な視点が必要だ。それには原子力技術者と研究が必要なことも明白だ。そして、その利用が終わった後も、原子力廃棄物を管理し続ける責務があるのだ。福島原発の事故は不幸であったが、その収束工程とコストを考えたときに原子力発電の課題は明確になり、その原子力発電からの脱却という責務は明確になった。
 そういえば「原子力をやめます」という感情的な発言で、前首相は片づけたが、無責任極まることだ。

日本地震学会の自己批判

2011-10-16 08:20:25 | 社会・エコロジー
 一部のweb報道で、静岡市で開催された日本地震学会で、この東日本大震災のM9.0の大地震について、予測や対応が出来ていなかったことへの研究者の自己批判がなされたとあった。
 自然界の現象を予知予測することが難しい。特に地殻に蓄積された力学的エネルギーの開放現象である地震は、数ある自然災害でもとりわけやっかいだ。江戸時代の怖いものの例えとして、”地震、雷、火事、親父”という。四番目は社会の変化ですっかり形を変え、木造建築の密集住宅からなる江戸時代の町づくりは変わった。雷も予測しがたいとはいえ、避雷針によって被災の回避は可能になった。しかし、地震は未だ予知予測も、減災も難しいことを改めて思い知らされた。
 地震学会は、自然科学系の研究者を中心に構成される。その点で、自己批判も率直に行われたのだと思う。この自省や相互批判といった議論から新しい学問、より高い知性が形づくられると信じたい。
 もっと真摯にこの大震災に向き合う研究者・技術者の姿勢が、唯一この震災を教訓として活かすものだ。日本で活動する学会も様々で、経済活動や人の生命財産に係る学会ほど一種の生臭さを帯びてくる。しかし、土木、建築、そして原子力などに関係する諸学会が、経済活動や政治政策に対して、理性として物言う学会であってほしい。そしてその前提としての、自己批判が重要である。

国会議員を半分にしよう

2011-10-09 16:34:55 | 社会・エコロジー
 国会議員は、衆議院480人、参議院242人、あわせて722人もいます。中には、検察に起訴されて公判中の議員、交通費をちょろまかしたり、言動の幼稚な人など、どう考えても相応しくない議員もいるでしょう。議員になれば、その後やめても議員年金で費用は発生し続けます。
 でも国会議員の必要経費や報酬を下げてはいけません。いやしくも日本の代表なのですから、世界の何処に行っても恥ずかしくない礼節をもった状態でありたい。何よりも国民の代表たる激務に就かれているわけだから、高額の報酬を是非受け取って欲しい。激務をこなした人には、せめて不安のない余生を過ごして欲しい。
 では、どうするか。簡単な方法として定数を今の半分にすればよい。衆議院240名、参議院121名でどうでしょう。日本国民が1億2千万人ですから、衆議院議員1名は50万人の代表、参議院議員は100万人の代表です。そうすると例えば東京都知事は東京都民1300万人の首長ですから、ざっくりとした理解として、参議院13名、衆議院26名の代表と相当します。政令指定都市は最小規模で70万人から100万人ぐらいですから、衆議院相当という理解になります。
 日本の国会議員には、全く”残念な人”が多すぎます。これはひとえにそれを選んでしまった国民にも責はあるのですが、やはり定員が多すぎて選択肢が少ないこと、良い候補を集めきれない政党の問題もあります。
 どのような方法にするか。国会も自分自身のことは決めきれないでしょう。だから、最高裁判所直下に独立委員会をつくり、最高裁判事が委員会人選にあたります。定数だけでなく、選挙区、選挙方法も委員会が案をつくり、委員会案の採否は、国会の議決を経ます。国会が否決すれば、各議員の採否を公開の上で、再度国民投票とします。今の法の仕組みは全く知らないので、単なる思いつきですが、少なくとも国会といえども自分自身の事は決めきれないはずです。
 国会議員1名で1億円ぐらいは使っているのではないでしょうか。そのぐらい使って当然ですが、議員の数を半分にすればよい。是非議論して欲しいものです。

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

2011-10-09 09:07:36 | 社会・エコロジー
 塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んだ。1500年前後にイタリアを統一を目論んだスペイン人ローマ法王アレッサンドロ6世の庶子、チェーザレ・ボルジアの権謀術数の生涯を描いたもの。1970年の毎日出版文化賞を受賞している。つまり昭和45年刊行だが、文庫化は遅く、昭和57年になっている。2,3年も待てばすぐ文庫化される最近とは違う。
 時は十字軍遠征が一段落した15世紀末。ローマ法王を中心に王国、公国、共和国、そして小領主が入り乱れた当時のイタリア、そしてそこに領土的関心を持つフランス王国、新興のスペイン王国、そしてドイツにあって法王の公的には守護者となる神聖ローマ帝国、そしてキリスト教圏との対立軸であるトルコ帝国。こんな時代背景にあって、ローマを中心にしたイタリア半島中部の統一を目指したチェーザレは短い生涯を駆け抜けた。
 イタリア半島そのものは、同じ文化圏にありながら、ローマ法王とその周辺のローマ教皇領の諸侯、これらは城をもち傭兵隊長となって、契約次第でどのような軍にもつく。イタリア半島の南はナポリ王国だが、王家はスペイン系でフランスとスペインが支配権を争う。北は、フェラーラ公国などの諸侯とヴェネチア共和国やフィレンツェ共和国といった共和制国家もあって、それらが虚々実々の駆け引きを繰り広げるが、その中にイタリアという概念はない。
 法王の下には、十数名から三十余名の枢機卿がいて、それぞれにフランス、スペイン、各共和国などの後ろ盾があって勢力争いをしている。
 このような多元的混沌にあっては、大義名分と本音の交錯がある。大国に大義名分を与えれば、侵略を受けるし、それを防ぐために姻戚関係を結ぶ。しかし、実をとれるとなればその関係はご破算にしたり、あるいは人質に早変わりする。法王は教書の発行という形で、大義名分の裏付けを出すことで大いなる影響力を発揮するが、自身は武力を持たないので状況が変われば、教書の朝令暮改も厭わない。忠誠を誓おうとも、その関係は契約に基づく。契約に基づいた金銭や兵や領土のやり取りを行うが、状況が変われば契約はご破算となる。契約を超えた忠誠は敬意の対象になるが、それは倫理感というよりは希有であったからだろう。
 これを読むと日本の歴史がいかに平和であったかが、思い知らされる。この少し前に応仁の乱があって、その後戦国時代へと向かうのであるが、この時期のイタリアと比べたときに、あるいはこれ以降の欧州の歴史と比べたときに、考慮すべき機軸は百分の一だろう。
 日本は明治以降、外交での勝利や存在感を示したことはない。それは歴史の差だと単純に理解しても間違いない。

テレビのデジタル放送化

2011-10-08 14:00:28 | 社会・エコロジー
 地上波テレビが、デジタル放送に移行して約3ヶ月がたった。
 始めて商用デジタル放送を見たのは、実は2003年の北京でのホテルだった。テレビが多チャンネル化していたこと、ブロックノイズの多い放送だったことを覚えている。当時は、なぜブロックノイズが出るのかと思っていたが、衛星デジタル放送に移行していたのだろう。北京だけでなく、主要都市や香港のテレビを視聴できたが、中国語がわからないので何ら恩恵はなかった。
 日本ではアナログ放送が早く遍く普及したので、デジタル放送が遅れたともいえる。一説にアナログハイビジョンを進めていたNHKが、かえってデジタル化の足かせになったともいわれる。デジタルの高品位化の予測を誤ったともいえる。
 デジタル放送でのメリットはなんだろう。ハイビジョン放送の他にデータや文字放送、1セグなどが挙げられる。電波発信出力を下げたと聞くが定かではない。しかしセグメントを使ったサブチャンネル放送は、ほとんど行われていない。3D放送も試験的にとどまる。マルチチャンネル化は、明らかにコンテンツつまり番組の質と量が追いついていない。つまり見るべき番組がない。
 結局のところ、面白い番組をいかに作れるかがテレビ業界の課題であって、他国から買ってきた番組を、タレントを並べるだけではデジタル化なぞしない方がましだ。もちろん報道の自由が保障されない国は論外としても、今日本ではデジタル化で何ができるのか、真剣な番組作りが求められる。
 ところで震度3程度の地震で、放送に字幕が入ったり、地域を連呼するのはやめてはいかがか。放送作りの一歩は、伝えるべき情報の真剣な取捨選択から始まる。考えずに判断せずに垂れ流すのは、放送とは番組とはいえまい。中断しても惜しくない番組なら、最初から放送しなくてよい。

原子力発電脱却までの工程を考えよう3

2011-09-26 22:03:05 | 社会・エコロジー
 私は原子力発電の容認から、脱却に主旨を変えたことを述べた。ただし、菅前首相のただの「人気取り政策」には些かも同調しない。
 今、残念ながら原子力発電を代替できるエネルギー源はない。そして、産業および市民生活に電力が必要である限り、原子力発電を今すぐ止めるわけにはいかない。むしろ、安全を担保しながら原子力発電からの脱却までには、さらに原子力技術が必要である。一見矛盾したようにも見えるが、それを実現できるのは原子力関係の技術者、研究者といった人材が必須である。大学の原子力工学が不人気で、あるいは専攻学生の専攻離れも聞こえてくるが、実はこの分野は後三十年は非常に重要になってくると思う。多くの装置や機械は、動かすことよりも止めることの方が難しい。
 今夏の節電取り組みは、原子力発電からの脱却への光明と課題の両方が見えてきた。光明は、東京電力管内で15%の節電を達成したことだ。法的拘束に基づくものであったが、あらゆる方法を実施した結果として15%という数字を得たことは大きい。原子力発電の比率は24%程度、今夏の節電が実力ベースの消費電力になれば、あと7-8%の代替エネルギー源や発電効率の向上で、その差を埋めることができる。特に、東京電力管内でのピーク時の電力でいけば、昨夏のピーク電力2010年7月23日で5900万kWhから今夏のピーク電力2011年8月18日で4900万kWh、約18%の減少(今日のNHKニュース)ができた。
 一方で課題も見えてきた。産業分野の節電が20%を超えたのに対して、民生分野の節電は6%台にとどまったことだ。これほど節電を呼びかけても、民生分野の節電は6%台、予想以上の低さには驚きを禁じえなかった。市民の意識、自発的な協力のみに頼った節電の難しさを表したものだろう。加えて産業分野の節電は、生産やサービス部門の中部関西以西や海外へのシフトで漸く達成した数字であることも事実である。日本全体での原発脱却に見合うエネルギー消費となれば、産業部門の生産やサービスの海外シフトを不当に加速しかねない。企業が栄えても、雇用の喪失は日本にとっては負の要因、日本の労働力を生かした生産、サービスであってほしい。その点では、7-8%の代替エネルギー源や発電効率の向上は本当に重要な課題である。
 さて、以前のBlogにも書いたが、あまりマスコミが取り上げない代替エネルギー源や発電効率向上に関する私見を示しておきたい。今のエネルギー消費の中でもったいないと思えるのは、電力の冷暖房への使用だ。冬季の暖房は、工場やゴミ焼却場などから発生する低温廃熱を相変化物質(PCM)などを使って輸送して都市部や大規模施設で行いたい。バイオマスなどの非化石燃料の燃焼熱も暖房にあてたい。これらは初期投資がかかるが、原発からの脱却に加えて化石燃料の高騰を考えれば、十分に公共投資、民間投資の対象になるのではないだろうか。
 発電効率を1%向上するのは至難の技術だが、電力輸送時のエネルギー損失はあまり議論されていないように思う。消費地から遠隔地にある原子力発電は、実は送電コストとエネルギー損失がある。この点を電力各社はあまり触れていないように思える。小規模分散型発電は、電力輸送時のエネルギー損失が少ない点は魅力で、このような分散型発電の技術的困難さは、スマートグリッドと呼ばれるIT技術を駆使した電力供給システムで近い将来十分な対応できると思う。しかしさらに進めたいのは、このような分散型発電で得た電力を100V/50Hz/60Hzの商用電圧と周波数に変換することなく、使用してしまう技術の開発だ。たとえば太陽光発電で得た電力を商用交流に変換する際には、その変換ロスが生じる。それよりもせっかくモジュール化を進めている太陽光発電を、さらに直流電流ままで利用する技術と規格を作り上げればよい。たとえば直流24Vで直接空調設備や照明に利用できれば、大規模建築物の空調、照明を太陽光発電でより効率的に賄えるはずで、それは太陽光発電の効率を1%伸ばすより、周波数変換を経ないことではるかに容易に効率を上昇させることが出来るはずだ。加えて、夏季の電力ピークは冷房設備で生じるが、日射の多い暑い時間帯にもっとも発電できる太陽光発電を直接冷房に使用すれば、ピーク電力対応としては効率はよさそうだ。加えて冷房時にはヒートトレンチで室外機を冷やすことも、冷房効率の向上に役立つ。なお、直流使用技術は新たな規格作りを生むことになり、このデファクトスタンダードを作り上げれば、新たなビジネス機会と競争優位を生み出すはずである。
 この夏、節電はさまざまなことを考えさせられる機会になった。民生用電力消費をいかに抑制するか、その要となる冷暖房に要する省エネルギーと代替エネルギー確保は、重要だと信じる。

 追伸 繰り返し言うが、菅前首相のような自分の保身のためだけの「脱原発」は全く認められないし、もっと誠実かつ現実的な議論と実行が重要だ。反原発集会やデモをしても、エネルギーの無駄遣いのようで虚しい。芸能人の中に、「反原発」を主張して芸能活動ができなくなった人がいたが、かわいそうではあるが仕方がないとも思う。そもそも芸能活動ってエネルギー多消費型の社会活動で、芸能人を辞めて是非省エネルギー・原発からの脱却工程への活動をされればよい。そんなエネルギー多消費型の活動をする芸能人でありながら、「反原発」を主張している人もうそ臭い話だ。さらにそれを英雄視するかのような報道をするマスコミには、苛立ちを覚える。 

大相撲はダメですね

2011-02-02 21:19:47 | 社会・エコロジー
 以前から取りざたされていた大相撲の八百長疑惑。ついに具体的になってきました。先の相撲賭博で押収された携帯メールに残っていた履歴が明らかになったそうです。1番の勝ち負けが20万円。1場所全部負ければ300万円の稼ぎです。取り口まで決めていたようで、親方になった力士も関与していた模様。親方株を買うのに、勝ち星を売っていたのでしょうか。
 ”国技”という親方日の丸にあぐらをかき、何ら責任を持とうしない文部科学省を見越して、やりたい放題をしてきたのでしょう。
 プロスポーツの暗い側面として、いつも八百長がつきまといます。かつて日本プロ野球でもあって大問題になり、その信頼回復に何年も要したようです。信頼回復の動機には、プロ野球が成り立たなくなるという強い危機感です。そういう意味で、公益法人、国技、文部科学省、そしてNHKと責任をとらない組織の上になりたっていた日本相撲協会ですが、この状態を改めない限りはとうてい再生はおぼつかないでしょう。
 まずはNHKと切り離して、公益法人の認可を取り消して、税金をとり、経理・財務をあきらかにることでしょう。NHKは相変わらず「視聴者からの反応がないので相撲中継を続ける」といっています。NHKはいい加減、チャンネルを整理して、くだらない番組をやめて、公益と高質を両立した番組づくりに専念すべきです。相撲中継をやめるのも格好の機会でしょう。