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移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

これからの「正義」の話をしよう

2024-02-12 14:58:00 | Weblog
 今を生き延びるための哲学という副題で、ハヤカワ文庫から2011年に、単行本は2009年頃に出版された。ハーバード大学のマイケル・サンデルの講義を書籍化されたものだ。当時、NHKでも番組化されて話題になったと思う。8年ほど前に単行本で通読した記憶があって、その時のおぼろげな印象は、多民族国家のアメリカにとって、道徳と正義に国民的な共通項を見いだすのには、かくも苦労が必要なのかと感じたものだ。一方で議論によりたどり着いた結論は形式知になって強固なものになるのかと思ったりした。同調圧力でたどり着く曖昧な「正義」よりも明確だと感じたのである。しかし、アメリカの多様性はあまりにも広く根深いものだ。トランプ政権の残した分断という爪跡、そして次の大統領選挙でも有力候補であることを思うと、アメリカの政治哲学者たちが積み上げてきた思想がいともたやすく反故にされる様を見せつけられたように感じる。アメリカ建国以来のプロテスタンティズム、自由主義と資本主義経済、その反面としての極端なリベラリズムは容易には融合し得ない。オバマ政権当時、存在感のあった共通善という考え方も、24年現在の今は存在感は薄いように思われる。トランプの存在感は、移民問題で揺れるアメリカの課題からもたらされている。欧州の極右とポピュリズムの台頭も、格差の経済問題だけでなく移民問題に端を発している。大量に流入する難民、移民は人為的な国境を越えて文化や思想も影響する。ポピュリズムは既存の政治の枠組みを変えるが、この台頭も秩序は失われる側に作用する。日本もまた同様の状況に直面している。 

えせ科学

2024-02-07 17:23:15 | Weblog

似非科学 科学とは似て非なるもの、科学を装った学問体系を装った疑似のもの。20世紀中葉の哲学者カール・ポパーによれば、反証可能性あるいは検証可能性が与えられていない学問の体系をなさないもの。反証可能性とは、言明、仮説または理論がそれらが誤っていることが実証される可能性を内包していること、だそうだ。証明する、確証が得られていることが大事なのではなく、成り立たない範囲がはっきりしていること、と言い換えることができる。科学には、「必ず適用できる範囲」があると言っても良い。Wikipediaの記述は結構面白くて、ポパーは、似非科学の例として、占星術のほかに、フロイトによって創始された精神分析を挙げている。う~ん、フロイトは似非科学者なのか、とフロイトの訳書を探して読んでみたくなる。その他にカール・セーガンの著書を引用したり、似非科学の例として「骨相学」を挙げて、説明したりしている。似非科学とみなされるものの一覧(英語版)であるとか、似非科学の指標となるような主張を挙げたりしている。さらに面白いと思ったのは、「似非科学がアメリカで多く、それは科学リテラシーが低いから」という記事が挙げられていることである。他の地域と比べてアメリカで似非科学が多いかどうかは知らないが、アメリカ発の似非科学的なものがあったり、尖ったプロテスタタントの種類が多いお国柄で、科学に背を向けた人々がいるのは有名だ。科学リテラシーが低いと似非科学が多いか、という問いに対して、ふと思いついたのはあのオウム真理教の事件だ。あの教祖に帰依した人の中には、高学歴の科学的リテラシーが高そうな人が多かった。科学技術情報を収集して独自に化学プラントをつくって、化学兵器になる最悪の毒物を作り出してしまった。かの教祖は、質量を持つ物質が有する重力を越えた反作用を有して空中浮遊をしていた訳だが、それに疑問を持たなかったのは、科学リテラシーが低かったからだろうか。この問題は、むしろマインドコントロールに帰結するのだろうが、精神作用と科学リテラシーでは、前者の方が人の心を支配できるのかと思われる。似非科学というともう一つ思い出すのは、大学の共通科目である物理化学の時間に、大学教師が、「ウイスキーの水割りは混ざりきる前に飲むのが美味くて、それは水素結合に関係するのだ」と言ってたことだ。興味を持たないぼんくらな学生共の相手された先生が、ちょっとでも講義への意識を喚起しようされた罪なき与太話である。授業の内容は覚えていないのに、こんなことだけは水の物質としての最大の特徴である水素結合という言葉とともに覚えている。似非科学を議論しようとすると、科学とは何かという問いにたどりつく。学問を分類しようとすると、自然科学と社会科学、それに形式科学としての数学、論理学となる。純粋数学は論理学、哲学に近く、歴史学、人文学の分類となるが、定義と境界が必要になる。これも難しい問題だ。


ウイスキーの話

2024-01-29 22:01:24 | Weblog
今年のブログ更新が滞っていた。で、最初がお酒の話になってしまった。若いときに酒が飲めるようにと、鍛えようとしたことがある。量は飲めないが、味ぐらいはわかろうと思って、どこかのシャトーのワインだの、カクテルベースとなるラムだのチンザノだの、ビフィーターだの単品で下宿で一人飲んだ。キャンパスノートにその味や香りの感想を書き留め、シャトーや産地と味の関係で思ったことを書き溜めたりした。まだネットが普及する前だったので、素人情報でもないよりはましかと思ったものだ。そのノートはもちろん紛失したし、若気の至りとして出来ればそのまま闇に葬りたい。要はアルコールには全く強くないので、味覚が多少ともまともなのは最初の一口まで、あとは怪しいものであると今にして思う。そして、硬派を気取ってストレートをやったのが水割りになり、ジュースで割ったりして、年とともにアルコール度数の低いものになり、今はビールか発泡酒が第一選択である。それでもお酒の本を読むと、その酒を飲みたくなる。村上春樹の「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」を読んだ。新潮文庫で平成14年初版、単行本は平和11年出版なので、前世紀の本である。一冊とは言いながら、写真がふんだんに使ってあるので、文章は短編一編にも満たない小旅行記だ。いずれもウイスキーの産地であるアイラ島とアイルランドで、村上春樹にしては率直にウイスキーへの思いを語ったものである。これを読んでると無性にウイスキーが飲みたくなって、でも手元も不如意なので近所のスーパーに行って、ジムビームのポケット瓶を買った。安バーボンなのでシングルモルトのスコッチとはほど遠い。これは若いときに早々にアルコールノートを断念した味音痴の僕でも判ることだ。

ネット記事の恐ろしさ

2023-12-20 18:13:03 | Weblog
新聞の凋落が始まって久しい。代わりに台頭してきているのがネット記事だ。これも様々なソースがごちゃ混ぜで、まさに玉石混交の状態である。大手のポータルサイトがその中から信頼のおける配信社、ソースを選んでいるのかと思うと、そうでもない。Dから始まるポータルサイトで、「日本でEVが売れない理由」という記事を見かけた。真面目な分析かと思って読んでみると、結論は「日本は貧しいから」なのだそうである。中身は分析するまでもない不出来なものなので、そこを議論する必要もないのだが、Mから始まる配信社なのである。AIでももう少しましな記事を書きそうなものだが、こんな埋め草が記事になってしまうとは情けないばかりか、記事の体裁で垂れ流されることに不安を覚える。あるいはこのような記事も謀略的に流されるものなのだろうか。まさか信じる人はいないと思うが、大手ポータルサイトで人目にはつくし、まともそうな体裁だけは整えてある。いやはや気になることの多い昨今である。

権力者の劣化

2023-12-16 07:38:53 | Weblog
組織の長は、その組織を牛耳る権力を持っている。会社であれば、社長をはじめとした取締役たちであろうか。組織の目的を果たすための権力である。権力の濫用を防ぐために、遵法と統治の機構が求められる。そして義務と責任が課せられる。どこかの大学の副学長だかが理事長をパワハラで訴えるようだが、権力者同士の争いであって、パワハラという論点はない。権力者は遵法の責任があって、組織に目を配る必要がある。国会議員は典型の権力者であって、法を守らせ守る責務がある。政治家にしか適用されない法律すら守れないのであれば、政治から退いて貰うしかない。国民の選挙による投票行動が今こそ求められる。

政治家の倫理観

2023-12-14 21:15:04 | Weblog
自民党の派閥の政治資金規正法違反にはほとほとあきれたものだ。政治家のための法律、資金の流れを記載する法律すら守れないものか。政治家である前に、一市民として、まずは法律を守って欲しい。余計な議論も言い訳も不要だ。是非法律を改正して、連座制にして欲しい。秘書がやりました、事務方が、ではなく、政治家本人が責任を持って法律を守ること、それに尽きると思う。

歴史は新しくなる

2023-12-07 20:40:08 | Weblog
変なタイトルだけど、最近の実感である。歴史を学ぶのは学生時代、教科書からだ。歴史小説はたまに読むけどあくまで小説だし、歴史認識は深まっても、知識として新しくなる訳ではない。だから歴史研究の進展は重要だ。例えば、日本における初めての貨幣は富本銭、昔は和同開珎だった。奈良時代は平城京より前はあまり習わなかったが、今は飛鳥の諸宮跡や難波宮跡なんかが実在している。言い方も変わってきてて、隠れキリシタンが潜伏キリシタンに変わり、研究によって位置づけも変化している。鎌倉幕府の成立時期なんかもそうだ。僕が大きく進展を期待するのは、百舌古市古墳群の発掘調査だ。信仰の対象で難しさもあるのだろうけど、日本の歴史を明らかにして、国民が共有するために、英断してもらえないだろうか。僕が生きているうちに、その成果を知りたいものである。

新聞の無知と傲慢

2023-11-03 09:10:32 | Weblog
マスメディアは権力だ。その自覚を持たずに、為政者を支援や批判すれば同罪だ。さらに恐ろしいのは、それが無知や恣意がなせる場合だ。西日本新聞の配信記事で、海上保安庁の最新鋭の巡視船の取材記事。領海での不法者やテロに対峙するために40ミリ機関砲などを装備している。これを例えて船艦のようだと。この僅かな装備に、戦艦がどのような装備、機能かも知らせずにそのような例えを記事にする。この新聞社のデスク、編集は大丈夫なのか?記事の裏をとって真剣に報道と向き合っているのか?個人の意見を垂れ流すのであれば、SNSのフェイクニュースと何ら変わらない。

プロテスタンティズム

2023-10-02 12:47:36 | Weblog
同名の深井智朗の著書、中公新書(2017)を読んでいる。アメリカの自由主義、リベラリズムの源流について理解が進むかと思い、読み出したが、著者の専門はドイツ、プロテスタンティズムということで、ルターとルター派の記述が中心となる。あまり前面には出ないが、キリスト教国家であるドイツの成り立ちを知ることが出来た。浅い世界史の知識ではなかなか得られない神聖ローマ帝国とドイツの位置づけも面白かった。ナチスとルター派の関わりは、僕が唯一読んだヒトラー本「ヒトラーとは何か」にもあまり触れられてなかったように思う。
この本には別のおまけがあって、出版賞を受賞した後に著者の不正研究の疑いで、取り消されている。著者も所属大学を辞めているのは間違いない。Wikipediaの情報なので、何があったかまでは判らないが、疑いをかけられた研究(岩波書店から絶版となっている)も同書に引用されている。事の真偽は判らない。古本屋で買ったのだが、大学生協のレシートが挟まっていた。2019年5月頃なので、購入者は本の中身か不正かどちらに興味があったのだろうか。不正と認められた研究者は再び浮かび上がるのはなかなか難しいだろう。