goo blog サービス終了のお知らせ 

直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

イザナギイザナミの名の誤りと神道

2020年11月22日 | ちょこのひとかけ
イザナギやイザナミの名前の誤りの関連話です。

イザナギやイザナミの名前の誤りなどをきちんと説明するには、
神道そのものの説明が必要になります。
……が。根拠から述べていくとすごい量になるので
そこは省いて結論だけすこし。
詳しい話が知りたい場合はまとめた同人誌をごらんください。


日本は一応神道の国なのですが、
その『神道』はひとつではありません。
この国で国教のように使われた神道には、およそ三種類のものがあります。

ひとつめは、明治神道。
今の管理された神道は、明治期にまとめなおされた、明治神道です。
とくにアマテラスと天皇を中心にしてまとめなおしたものであって、
昔からある神道ではありません。
キリスト教で言えば新約聖書版みたいなもので、
旧約聖書版の宗教とはまったく異なります。

ふたつめは、旧神道。
明治神道の一つ前で、伊勢神宮が作られることになったあたりの神道です。
こちらも、キリスト教で言えば新約聖書版みたいなものです。

みっつめは、古代神道。
旧神道の一つ前で、鳥居と神社が作られるようになったのは
ここらあたりだと考えられます。
キリスト教で言えば旧約聖書版みたいなものがこれです。

日本では神道が好きとか、神道を信じているという人はいますが、
『どの神道なのか』というところはぜんぜん考えられていません。
相手がどの神道にのっとって話をしているのかを考えなければ
まったく話が合いません。
普通の人は旧神道か明治神道でしょう。

旧神道や明治神道の人には、イザナギ・イザナミは
イザナギ・イザナミです。
それ以上でもなければそれ以下でもありません。

旧神道や明治神道は、神様を、
『神様という別格の存在であり、
もともと神様としてあったものなのだ』
というような考えをします。

こどもが小さいときに親を見て、
『親というのははじめから親という生き物で、
それ以上でもなければそれ以下でもない』
と感じるような感覚に近いでしょう。


一方、わたしが調べているのは古代神道で、
古代神道は、旧神道や明治神道とは、まったく異なります。

古代神道では、神様を神様というだけの存在とはみなしません。
神様には歴史があると考え、
どういう性質で、どこを本拠地として、どう動き、そこにいたったか
という話を大切にします。
歴史と根拠を重要だとみなすのです。

旧神道や明治神道の神様は、はじめから終わりまで『神様』ですが、
古代神道の神様は、基本的に、はじめは『人』です。
自然物の神様もいるにはいますが、功績が語られる神様は
もともとは人です。

うそだ! そんなわけがない!
と言いたくなる人は、解釈が間違っています。
その神道解釈を見直すために、『八百万の神』について説明してください。

神道の解釈が間違っている人は、
『八百万の神』について根拠をもって説明できません。

現在では、新党関係者でさえ、
『八百万の神』という言葉を、
『日本のすべての神さま』というような意味で使います。
でも、本来はそんな意味に使っていい言葉ではありません。

古代神道が誤りである、わたしの言葉がおかしいと思うのであれば、
まず、『八百万の神』を『日本のすべての神さま』と解釈できる根拠を、
神道に関連する文章から探して提示してみてください。

古代神道では、
『八百万の神』が『日本のすべての神さま』ではない、
という根拠を提示でき、
それが神様はもともと人間であったという話につながりますから、
そこの点を考え直すのが一番確実で早いことでしょう。


----

今の、明治神道や旧神道を信じている人は、
何の根拠なく、神を最初から神だと考え、
根拠のない思い込みを基として、神様の年代を考えます。
そのため、神様の功績や歴史をとんでもなく古い物として
考えるようです。

でも、古代神道は違います。
古代神道には根拠があり、実際に存在するもの、
実際の年代が関係してくるので、
時代を西暦でだいたいどれくらいかということも示せるのです。

古代神道において、かなりわかりやすいのは
日本の成立にも関わり、神様としても有名である、『スクナヒコナ神』。

『スクナヒコナ神』とは、どういった神様かわかるでしょうか?

 『スクナヒコナのみこと』は、酒などに関わる神様で――……
と、旧神道や明治神道の人は語りたがりますが、
これは完全な間違いです。

『スクナヒコナのみこと』なんて神様はいません。

古代神道では、『スクナヒコ』という神様だけがいます。
現代語で、『すくなひこ の かみさま』というのを
古語で表すと『スクナヒコ ナ 神』になるだけです。
こんなところさえ、現代の神道は理解しませんし、解釈できません。
現代の神道はこれほどいいかげんなものです。

ほんとうに『スクナヒコナ』はいないのか、
『スクナヒコ』が正しいとなぜいえるのかと言えば、
それは現実がかかわります。

伝説では、大きな人と国を作り、後に飛ばされた と
述べられていると思いますが、どこに飛ばされたかわかるでしょうか。

古代神道に基づかない人なら、
死の国に行ったとか、神の国にでも戻ったとか言うのでしょうが、
古代神道では現実と交わる場所が述べられています。

こんな場所で述べるのはばかばかしいので省くとして、
ほかにも関わってくるのが日下という名字です。
なぜ、『日下』と書いて『くさか』と読むかわかりますか?
なぜ、『日』を『くさ』と読むのでしょうか。

『日』を『くさ』と読むのは、スクナヒコと関連します。
スクナヒコが地方に飛ばされたことは、
『日下』の名字、現実の事物と関わるのです。

スクナヒコの行動の証拠は現実に残っているため、
本拠地がどこであったかも、どこに飛ばされたかも、
それが西暦何年ごろであったかもわかります。
そしてそれがあることが、『スクナヒコ』が『スクナヒコ』である
証拠ともなります。

その行動、その移動を考えると、
『スクナヒコ』の氏族は今でも生き残っていることがわかりますが、
なんという氏族かわかるでしょうか。
子孫の中には、歴史に名を残す有名人も出ている系統です。

逆に、スクナヒコを上にたどると、
イザナミ・イザナギに行きます。
イザナミ・イザナギの行動も残っており、
それは、西暦でも計算できるほどのものです。
よって、少なくとも、そこまでは実際の人間だと確かめられるのです。

そんな、実存の痕跡が残るものが、すごい神様で、
神話的泥遊びでゼロから国土をつくるなんてことができたわけがありません。
つまり、日本の創世神話は、象徴文である、ということが言えるのです。

そこで、いわゆるイザナギを人間だと考えてみると、
ククリヒメが何かを述べて、イザナギが喜んだという話において、
ククリヒメが何を言ったのか、ということもわかるようになります。
はじめから神だと考えてしまうと、なにもわかりません。


……とにかく、今の人は古文の解釈ができていません。
文章を厳密に読む方法を知らないまま、
文字をなぞってなんとなくの意味を訳としてしまっています。

『八百万の神』もそうですし、それ以外でもそうです。
といってもわたしの言葉なんて信じる人はほぼいないでしょうけど。


古文の解読や、神道、神様に興味がある人は、
まず、『八百万の神』について考えてみませんか。
日本の神道は、この言葉から始まるといっても過言ではありません。

『八百万の神』を、『日本のすべての神様』としていい根拠、
あるいは、
『八百万の神』を、『日本のすべての神様』としてはいけない根拠、
このどちらかを見つけてみてください。

神道に関連する文章には、
『八百万の神』は、『日本のすべての神様』としてはいけないことが
根拠をもって述べられていますから、
こちらを探したほうが絶対的に確実で早いとは言っておきます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レビュー:カスドース | トップ | 貴重な碁石 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ちょこのひとかけ」カテゴリの最新記事