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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

りつこさん

2007年12月29日 | ちょこのひとかけ


とりあえず一番初めの歌がなんとか形になったので、
気分が高まっているうちにもうすこしやってみたいと、
歌についてちょこっと勉強しています。

まずは歌詞。

すこし見た感じだと、基本的に日本の歌は
ブロック最後の踏韻は必要ないみたいです。
踏むとすればラップもどきで、
直後の単語に対してのみ、
単調な繰り返しをいれるくらいでした。

 例:安いラップもどき

 ♪村長が脱腸 強引に病院
    つきそって処置室 そこかしこ無機質
      おれ困惑 やきつけて網膜 ――Yeah!

みたいな感じ。五言絶句や英語の歌のように、
各フレーズの末尾で韻を踏まず、
踏むとすれば口に軽い、同じ行だけです。

ここで例を出そうと考えてみたところ、
日本語は語尾の重要度が低く、自由なので
韻が踏みにくいのかもしれません。

 例:語尾
 ・明日は槍がふるっちゅーことだべさなや?
 ・おれはロシア人なのだニコフ

日本語は語尾を適当にしても話が通じるっちゃ。
語尾にはウエートがほとんどなく、
すべてをですます調で終わらせることもできるので、
韻が踏みにくいのでしょう。

参照までに言っておくと、
たとえば語尾でキャラを作るアニメを輸入する際、
外国人は苦労するみたいです。

たとえばこんな。

 「うーん、いい朝だにょ!」

日本語では簡単に意味もわかりますし、書くこともできます。
これを英語にすると――

 "Oh! What a pretty good mornin'! -nyo!"

たしかこんな感じになったはずです。
あからさまに最後の にょ が異質です。
歌詞の最後に韻は踏めなくなりましたが、
日本語という言葉を使えることに感謝です。


歌の内容は、基本的に恋愛のようです。
体感では8割がたは恋愛中心。
世の中そんなにらぶらぶしかないのかと思いますが、
考えてみればハリウッド映画にしても、
無駄に主人公とヒロインなどで
無理やりラブをかますので、
どのジャンルにしてもそういうものかもしれません。
ハリウッド映画を考えると、
恋愛要素がなくなるだけでかなり切れ味が
よくなるだろうと思わせるものがあるので、
歌にしてもどれだけそのらぶが必要ですかと
言いたくなるものもあるかもしれません。

内容を見てみると、
・とどまった時間、もしくは時間なしのもの と、
・時間経過を歌うもの とで
大きく二つに分かれる気がします。

 例:動かない時間、もしくは時間無し
 =賛美歌。普通の心情歌など。

 ♪ツンデレさま ツンデレさま
  その御心 光のごとく われらの心を照らしたもう


 例:時間経過を歌うもの
 =物語など

 (1番)女尼さんが蹴りたくなったのでそこらのこどもを
     麻袋にいれて蹴った たいへんなことになったので
     こっそり捨てに行った
 (2番~最後の前) ばれそうになっていろいろ苦労する
 (ラスト)ようやく捨てて戻ってくると、なぜか血だらけの
      麻袋が玄関においてあった

らぶ系にしても、基本は心情を歌うので、
時間が動かない歌のほうが主流みたいです。


表現の方法で見ると、
小説と歌は語句の使い方がぜんぜん違います。
文章よりも、コマース文、パッケージ文に
近い印象を受けます。

 カリッ メリッ! 食べに出かけよっ!

とかの、単発で印象を与えるための
文言配置に近い気がします。

あとは、
メロディーに乗せるためか、
文章書きの目で見ると
破綻しているものでも有効になるらしいのが
嫌な感じです。

たとえば、人称代名詞の連呼。
君がなになにする、君のなんとかが、
君の君の君のわたしの。

長文では人称代名詞の繰り返しは
見た目にも気持ち悪くなるので
置き換えや省略が図られますが、
歌詞は目で見るよりも音に聞くほうが
重要なので、会話のように人称を繰り返しても
気にならないのかもしれません。

 例:
 「わたしがやろうか?」
 「わたし、それ食べたことある」
 「わたしはあんまり好きじゃない」

  ↓
 「わたし開けようか?
  でも、それ食べたことあるけど、
  あんまり好きじゃなかったなあ」


でも。一番気持ち悪いのは、
文の重さが一定になっていないもの。
これは確実にメロディーのせいですが、
尺あわせのためにやっている歌は
結構ありました。

最近聞いた中で残っている気持ち悪いもの。

 例:KOKIA 『So Much Love For You』
 (あの有名な『ありがとう』の歌の人です。
  論述系での引用は、出自を明らかにしておけば
  著作権法にはひっかからなかったはず として引用)


 ♪何を見たって どこにいたって なんでも幸せに感じれる

 ♪愛してやまないあなたを
   わたしのすべてで抱きしめていたいの

 ♪気付いたらこの目であなたを追ってた


歌の感じは好きなのですが、『感じれる』は
どうかなあと思います。
もしかしたら、『感じてる』かもしれませんが、
それなら気にしません。

次。この省略が多いと個人的に感じる、
「『い』の揺らぎ」です。

「抱きしめて『い』たい」 に対し、
「あなたを追ってた」
長文ならいれるか取るかで統一し、

 抱きしめてたい :  あなたを追ってた
 抱きしめていたい : あなたを追っていた

になるものですが……。

その他も、

 わかってた : 知っていた

など、他の人の歌でも結構揺らぎがあります。
わたしはもともと基本的に会話文のみの
シナリオから文章に入ったので
そこだけは微妙に気になるのです。

(※歌は、KOKIAすべてが悪い、と言っているのではありません。
  そこが気にかかった、という一例です)

テレビや映画を見ていても、
会話がぎこちないのは結構あって、
そのたびにちょっと置いていかれてしまいます。

 一例:
 『千と千尋の神隠し』で、
 名前を忘れた千尋がお別れカードで名前をみるところ。

 「千尋って……。わたしの名だわ!」


文章でそう書く意味もあるし、
そう表現したかったのだとはわかるのですが、
あのくらいの年齢で、普段あんな喋りをしている女の子が、
「わたしの名だわ」
という言い方をするでしょうか?

それを思うと、わたしだったら

「千尋って……。わたしの名前!」

になると思いますし、すると思います。
特に、男性が書いた文章では
女性が発言するところは小説でもテレビでも
軒並みぎこちなくなりますので、
ぜひ「い」に注目……注耳してみてください。

 通常文なら
 「なにしてるのよ」「なにしてんのよ」 が、
 「なにしているのよ!」
 などに簡単になります。

 他にも、語尾に「の」とか「わ」とか
 よくつけたがるのが特徴。
 でも、あんなのつけて普通にしゃべる人なんて、
 はっきり言っていないですよねえ。

 「わたし今日、買い物行ってきたの。
  コロッケがすごく安かったのよ。
  思わず買ってしまったわ。
  そして食べたらすごくおいしかったの」

 わたしなら、
 「今日買い物行ったらさぁ、
  なんかコロッケが安く売ってて。
  思わず買わさったんだけど、
  食べたらおいしくて得しちゃった」
 くらいに書いたり言ったりするでしょう。

 そしてアレ風。
 「キョー メシ買いにったんだけどぉ。
  なんかヤバくてさぁ。
  あんま買う気なかったんだけどぉ、
  なんかつい買っちゃってぇ。ヤバくない?
  でもマジうめーの。
  も マジ買っときゃやーったっての? ありえねー」


……なんだか文章講座もどきになってきたので
そこらへんにして。話を巻き戻します。


歌を作ろうと思ったんです、歌。

とりあえず何か歌詞を作って、
曲を考えながらあわせていこうと思ったのですが、
長文用文章だの歌詞用文章だのの差で苦しむより先に、
なにも思いつかないことに驚きました。

基本的にわたしは恋愛の対極に生きてきたので
恋愛感情がほとんどわかりません。
そこで歌にできる可能性が八割がた減少。

じゃあ、他になにが?
わたしの人生で歌にできそうなものは?
と探すと、なにを放っておいても
何かに熱中する人の歌だったら
書けないでもない気がします。

そこで考えていたところ、
頭の中によぎるメロディー

 ♪ひとつの夢のため
  あきらめなきゃならないこと

 ♪やがて覚悟がめばえていた
  この夢のためならば
  他を捨ててかまわない

ああ、確かにそういう面ってあるなあと
しみじみ感じるその歌は
大好きな岡崎律子さんで、『メロディー』。
そんなすてきな歌が、すでにありました。
そうでなくとも、わたしの考えることなんて、
きっと他の人がとっくに考えているのです。

そう思ったら、どう歌詞を作るのか、というのは
ショートショートをどう書くのか、に
似ている気がします。

文章を膨らますのは技術でできます
(わたしにはできませんが、
 技術のある人にはできます)が、
種を見つけるのは、思いつくのは
考えてどうにかなるものではありません。
どうしたらどうしたらと
網を張っておくと、人生の何かが通過したときに
ふとひっかかるものなのでしょう。
それが知識の網というものらしいです。


あとは、まえ作った最初の歌に
アレンジなどを加えられないかと、
歌詞もそうですが
間奏や楽器などを意識しながら
律子さんの歌を聞いていたところ、
いろいろもうお手上げでした。

わたしにはどうやってもあんなすてきな、
かわいくてしあわせな人の歌はかけません。
黒か白かで言ったらわたしは『黒』で
間違いない気がするので、
あんなテンポも曲調も、
どうやればできるのかが
まったく見当もつきません。


努力を無視する気などはまったくありませんが、
努力の前提となる、才能の『ある』『なし』は
ちょっとずるいなとつくづく思いました。

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