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ご相談例三  おせっかいについて 

2010年10月21日 | なんでも仙人のメッセージ

わたしのことを必要としていない方に手をさしのべてしまい、後でドッと疲れることがあります。
わたしは良かれと思ってとった行動なのですが、相手に喜んでもらえないばかりか、
エネルギーを奪われるような感じがしました。なぜこんなふうに感じるのでしょうか?



このような悩みは、優しいおせっかいやきやに多いな。

自分のことを必要としていない者に手をさしのべると、喜んでもらえないばかりか、
逆に相手にエネルギーを奪われてしまう。なぜこのようなことが起こるのか?

それは必要としていない者にとって、そちの存在が実際以下の扱いになるからなのじゃ。
相手にまったく悪気はないが、そのようになってしまう。

これは必要ないものが自分に入ってこないようにするための防衛反応のようなもの。
これも自分を守るために大切なことなんじゃよ。

ゆえ、相手がそちを必要としていない時は、手をさしのべず、見守ること。
必要とされた時に、はじめて手をさしのべる。その見極めが大事。

これは子育てにも言えることじゃ 。

親は良かれと思って、子供にあれこれとおせっかいをやく。
子供が失敗しないように、子供が傷つかないようにと、先手先手で手を打とうとする。

しかし親がおせっかいをやけばやくほど、子供は「うるさいなぁ。」という顔をしよう?
親子の間で嫌な雰囲気が漂う。

親は「親の愛を子供は分かっていない。」と思おうが、これは本当の愛ではないのだよ。

本当の愛とは、子供の中に内在する力を、親がどれくらい信頼してあげられているかなのじゃ。

親が先手先手で手を打つのは、
「うちの子には、そんなことを乗り越える力はない。」と無意識に思っているからなのじゃ。
つまり子供の力を信頼していないということ。
分かるかね?
子供が困るまでは見守る。困った時に、手をさしのべる。

見守るということは、忍耐がいる。
本当にその者を信頼していなければ、見守ることができないのじゃ。

見守るということがどれくらい深い愛か分かるかね?

『人を救う』というのは、目の前で困っている人に誰彼かまわず手をさしのべることではない。

相手が困って助けを求めた時に、はじめて手をさしのべる。
それまでは相手を信頼し見守ること。

見守るとは、ほったらかしにすることではない。
適度な距離で相手を見守ることなのじゃ。
その行為は祈りに近い。

相手がそちを必要とした時に手をさしのべると、
そこには自分も相手も潤うよきエネルギーの渦がまく。

ご相談例二 人と比較して落ち込む時

2010年10月20日 | なんでも仙人のメッセージ
わたしの知り合いの五十代の女性に、とてもエネルギーがあって、志の高い方がいます。
常に全力でいろんなことに向き合っておられ、みなさんからの信頼も厚く、地域に貢献されています。
この方を拝見していると、「自分はまだまだ全力を出してないなぁ。」と思えます。
自分がなんだか手を抜いているような気がしてしまうのです。
このように比較しだすと、たいてい落ち込んで元気がなくなります。





ほぅ・・・、確かに、落ちこんどるのぅ。さて、そちは手を抜いているのかな?

自分一人の時は落ち込まぬのに、誰かと比較しだしたとたん自分の良さを見失ってしまう。
まぁ、誰しもこのような経験はあろう。

さて、そちは五十代の女性のパワーにそちは圧倒されたようじゃが、

『どれだけ人に貢献したか?』
『どれだけ多くの者を救ったか?』
で、そちは人を判断してはおらぬかね?

このような判断基準でものを見ると、たいていの者は落ち込んでしまう。
自分がダメに思えてくる。

『どれだけ人に貢献したか?』
『どれだけ多くの者を救ったか?』
で見たら、病気で動けない者たちや、
人生にについて考えるため、立ち止っている者たちは、
存在する価値をなくしてしまおう?

『今の自分の器にあった愛を放ったか?』

この問いかけを、ぜひ自分にしてみてほしい。
自分の器を超えて、愛を放とうとすると、苦しむことになる。

『人は存在するだけで価値があり、愛される存在なのじゃ。』

よいか?大事なことなので、もう一度言うぞ。

『人は存在するだけで価値があり、愛される存在なのじゃ。』

人と向き合う時、
「あなたは存在するだけで価値があり、愛される存在なんだよ。」と伝えるには、
まず伝える者自身を、「そのままの自分で存在する価値があるんだよ。今のままでも十分よくやってるよ。」と
認めてやらねばのぅ。

一人一人がそれを自分に許していることが、とても大事なことなのじゃよ。

ご相談例一  空回りして落ち込んでしまう時

2010年10月19日 | なんでも仙人のメッセージ
 
「こうなりたい。」と思うのに、現実は思うようにいかず、
空回りして落込んでしまうことがあります。
どうやって気持ちをプラスにもっていけばよいですか?

 
 

 ★ 人と比較していないか?
  ★ 苦手なことをやろうとしていないか?
  ★ それは本当にやりたいことなのか?

この問いかけを、まず自分にしてもらいたい。

空回りして落ち込んでいる時は、自分の輝きが見えなくなっている時である。
自分の存在が、実際以下に小さく思える。ちっぽけな存在に見えてしまうのじゃ。

★自分の輝きはなんなのか?
★自分の強みはなんなのか?
★自分が本当にやりたいことはなんなのか?

もう一度原点に返って、自分の心に問いかけてみる時間が必要である。

成長していないように見えても、人は少しずつ変化している。
落ち込んだ時は、一年前に比べて、できるようになったことを数えてみるとよい。

これは子育てにも言えることじゃが、自分の子と他の子を比較して、
「あれができてない。」「これができてない。」と数えだすと、
自分の子のよいところや、本来もつている輝きがまったく見えなくなってしまう。

他の子と比較するのではなく、自分の子の一年前と比較してみてほしい。
できるようになったことは、たくさんあるはずである。
我が子のよさが見えてくる。

「こうなりたい。」という理想の自分をイメージすることはよいことじゃが、
実際はそんなすぐには人は変わらない。時間がかかるんじゃよ。

自分のまわりにいる人たちは、自分の一部を映す鏡。
憧れの人もいれば、未熟だなぁと感じる人もいるじゃろう。

この出会う人たちの器の幅が、今の自分の器の幅。
できている時もあれば、そうじゃない時もある。あって当然なのじゃ。

「十回のうち一回でもできてたら、大成功!」くらいの気持ちでいれば、ずいぶんと心が軽い。

心をどれだけ軽くしてあげられるかが、空回りから抜け出す鍵である。

その十四 誰も傷つけず、すべてが潤う答えが存在する

2010年10月17日 | なんでも仙人のメッセージ

気持ちいい朝。
カーテン越しに光が差し込み、鳥のさえずりが聴こえてくる。
お布団のぬくもりがたまらなく心地いい。
あぁなんて幸せなんだろう。

「グッドモーニング♪」

突然天井から、何かがわたしのおなか目がけて飛び込んできた。

「んぎゃぁ・・・!」

「ほっほっほっ・・・。そちの腹、クッション性バツグンじゃのぅ。」

その物体は弾みでベットからコロコロ転げ落ち、痛ててっ・・・と頭をさすった。

「も~っ、痛いのはこっちですよ!」

わたしはおなかをさすりながら、なんでも仙人をジロリとにらみつけた。

「そうにらむでない。寝起きの顔でにらまれると、恐ろしすぎて体が石に・・・。」

「なるか!」

まったく。子供みたいな仙人だ。
特に朝はテンションが高くて手におえない。
本人は「無邪気さと愛くるしさがチャームポイント。」と言い切るが、
はげた頭でそう言われても・・・。

「目が覚めたかね?」

「ええ、誰かさんのおかげでバッチリと・・・。」

わたしは嫌味たっぷりに言った。なんでも仙人はまったく気にせず、にこにこしながら言った。

「それはなにより。
さて、これまで宇宙のしくみについていろいろ話してきたが、どうかね?
少しは分かったかね?」

「そうですね、なんとなく・・・って感じでしょうか?
以前から知っていた言葉もありましたけど、
初めて聴いた言葉がほとんどで、正直目からウロコでした。」

「ふむ。」

「ただ・・・。」

「ただ?」

「意味を理解することと、実際に日常生活の中で活かせるかということは、
全く別のような気がするんですよね・・・。」

「ほう、そちよいことを申すのぉ。」

なんでも仙人はにこにこと微笑んだ。

「わたし、今までにいろんな自己啓発本を読んできました。
読んだ時は分かったような気がしたんです。
ううん!いいこと書いてある!そうだそうだ!って。
でもいざ日常生活の中だとなかなか役立てられないんですよね、これが・・・。」

はははは・・・とわたしは苦笑いをした。

「まぁ、日常生活は修行の場じゃからのぅ。
そんなにすぐに活用できたら、そちは今頃、純ちゃん仙人と呼ばれておるわ。」

「純ちゃん仙人?」

わたしは顔が自分で、頭がはげの仙人を想像した。

「・・・。」

なんでも仙人は微妙な笑顔を保ちつつ、続けた。

「どんなに素晴らしい教えも、日常生活の中で活かせなければ意味がない。
そこでみなの日常生活に起こる様々な出来事や悩みについて、
これからわしが具体的に答えてまいろうと思っておる。」

「なんと!それはいいですね!具体的なのが一番分かりやすいですから。」

「どんな悩みにも、必ず関わるすべての者が潤う答えが存在している。」

「すべての人が潤う?」

「そう。」

「そんなことってあるんですか?」

「あるのじゃ。
この世の中は実にうまくできておる。
この宇宙のしくみをいかに日常生活の中で活かしていくのか?
これからそちと一緒に見てまいるとしよう。」







思考は現実化するの続き②

2010年10月15日 | なんでも仙人のメッセージ

「注意点?」

「そうじゃよ。その注意点とは、
頭の中により多くよぎった思考を叶えてしまうという点なのじゃが・・・。」

「ん?」

「例えば、そちが叶わなかった願いとは何かね?」

「本を出版する。」

「ほう、本を出版するのぅ。
これはそちの自覚している意識、顕在意識で思っていることよな?
しかしそちの潜在意識はどう思っておるかな?」

「???」

「『無理かもしれない』
『そんなに世の中甘くないかも』
『出版社の人がはたして自分の作品を読んでくれるだろうか・・・』」

「!」

「無意識にそういった不安や迷いが、そちの思考の中をよぎってはおらぬかね?」

「・・・よぎってます。」

「だから宇宙は、『あぁこの人は、無理かもしれない、
世の中はそんなに甘くない、
出版社の人がはたして読んでくれるだろうか?
と不安に思う現実を選択したのだな。』と認識する。」

「うっ・・・。」

「して、そのとおり現実化しておるわけじゃ。めでたしめでたし。」

「そんなぁ・・・。」

「まぁ、そちだけに限らず、願っているのにそのとおりの現実になっていないという者は、潜在意識の中に不安や恐れをもっておるのじゃよ。人はもともと不安や恐れをもった生き物じゃからのぅ。人は身の安全のために、万が一に備え『もしダメだったらどうするか?』ということを、つい考えてしまう生き物なのじゃよ。」

「確かに。」

「それにな、人は子供の頃から親にさんざん、
『何やってるの?』『ダメねぇ。』『そんなの無理にきまってるじゃない!』『何回言ったら分るの?』という、
まやかしの不安や恐れ、ダメダメの種を植え付けられておる。
ゆえ思考を放ったらかしにしておくと、
ついそういった不安や恐れが自然によぎってしまうようになっておる。」

「・・・そうかも。」

「よいか?宇宙は常にそちらに問いかけをしておる。
『あなたはどんな人生をお望みですか?』と。
どの選択をするのかは、本人の思考にかかっておる。
より多く頭によぎった思考を、宇宙は『あなたがそれを選択したのだ』と認識する。
そしてそれが現実化されるのじゃ。
どんな思考を頭に描くのか、むちゃくちゃ責任重大なのじゃが、
ほとんどの者がその重大な選択をいいかげんに扱っておる。
というより、ほとんどな~んにも考えずに生きておる。
思考ほったらかし状態じゃな。
そして、『人生は思い通りにいかない』と嘆いておるわけじゃ。
じつにもったいない話だとは思わぬかね?」

「思います。」

「ならば自分の人生の選択を、責任をもって自分に選んであげることじゃ。」

「はい!」

なんでも仙人が指をパチンとはじくと、ハラハラと半紙が舞い降りてきた。


「わたしは本を出版した」という現実を選択します!
「わたしは本を出版した」という現実を選択します!
「わたしは本を出版した」という現実を選択します!
                         





「さぁよいか?不安がよぎったら、この言葉を力強く唱えてみよ!」

「はい!なんでも仙人!」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
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「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」

「よいぞ!」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
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「もっともっと!」

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「なんだか楽しくなってきたじゃろ。(笑)」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
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「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」

「このわくわく感が大切なんじゃよ!」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
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「ちょっと気持ち悪いが、ニマニマするの、おおいに結構!」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」

「ほれっ!宇宙がそちの意識を認識しはじめた!」

「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」
「『わたしは本を出版した』という現実を選択します!」

「よいぞ!続けよ!出版社の者が来るのも、時間の問題じゃ!さぁ、あと一〇○○回!」


            なんでも仙人のミニワーク
      
 
             『あなたはどの人生を選択しますか?』

           『わたしは○○した』という現実を選択します!』