goo blog サービス終了のお知らせ 

ご相談例十の続き ストップのかけ方

2010年10月31日 | なんでも仙人のメッセージ
ストップのかけ方

第一段階  優しい言葉で

まず最初は、優しい言葉をかけてくれる使者が現れる。

「大丈夫?」「疲れてるんじゃない?」「無理しなくていいよ。」

しかし頑張りやはこれくらいのセリフでは、お知らせであることに全く気付かない。
「私は大丈夫だから・・・。」とか言いながら、頑張り続ける。
すると第二段階のお知らせがやってくる。


第二段階  今背負っている荷に負荷がかかる

負荷とはマイナスの荷物のこと。

優しい言葉では、自分の荷を降ろすことができないので、
今背負っている荷を重くすることで、本人が手放すように仕向ける。

具体的には、家族(特に子供)が病気になったり、仕事でトラブルが起きたりする。
(なんらかの形で今やっていることを中断させられるような出来事が起きる。)

しかし頑張りやはこれもなんとか乗り越えようとする。(試練だと思ってプラスに考えたりして。)


第三段階  今背負っている荷にさらに負荷がかかる

気付かずまだ頑張り続けていると、自分の荷にさらに負荷がかかる出来事が起こる。

『これならどうじゃ?』『これなら手放すじゃろう?』と、背負っている荷がどんどん重くなっていく。
具体的には、自分に精神的ダメージを与えるような人物が現れたり、
家族が崩壊の危機に陥ったりと、人生の中でも危機的状況が起こる。

本人にとって自分の生き方を見つめ直し、
自分の心の声を聴いてあげる絶好の機会なのじゃが、
ほとんどの者が、なぜ自分にこんなことが起こるのか分からず、
嘆き悲しんだり、相手に対して猛烈に怒りの感情がわく。


第四段階  自分が動けない状況に追い込まれる

自分自身が大病にかかり、もうこれ以上どう頑張っても続けられないという状況が起きる。




頑張りやな者ほど、メッセージに気付かず突き進んでしまい、ダメージが大きくなりやすい。

できれば早い段階で方向転換してくれることを願ってやまぬのじゃが、
最終段階まで行ってしまう頑張りやが後をたたない。

「頑張りやの自己犠牲タイプは、自分の限界を超えて荷物を背負ってしまいがちなのじゃ。
その荷が自分を苦しめていることを、魂はよく知っている。

『辛い・・・。苦しい・・・。』そう叫んでいる。

しかし、なかなかに人は自分の荷を手放すことができぬのじゃ。

人はな、心で感じることと、頭で考えていることが違っていることがよくある。
心は苦しくて潰れそうなのに、頭はまだ頑張れると思っている。

その者の魂が本当に潰れそうになったとき、このように何段階にもお知らせがくるようになっておる。

自分に精神的ダメージを与えた嫌な相手も、
大きな視野で見ると、その者を方向転換させるために、絶妙な役割としてそこに存在している。

大嫌いな存在かもしれぬが、実は隠れた真の救世主である場合があるのじゃよ。

ま、むろん相手は、意識して隠れた救世主の役をやっているわけではないがな。



自分を大切にしてあげなさい。

自分の心の声に耳を傾けてあげなさい。

自分の心は「苦しい」と言っていないか?

自分の体は「苦しい」と言っていないか?

自分が満たされていて、はじめて人と分かち合うことができる。

自分が満たされていないのに、人にばかり愛を放っていると、

エネルギーが枯渇して、そのうち続かなくなる。

そんな苦しい道を歩むより、まず自分のために愛を注いであげること。

自分が満たされれば、自然とあふれた愛を分かち合いたくなってくる。

これが一番自然で無理がない。

自分も相手も潤う答えが存在する。

自分も相手も楽に生きられ、なおかつうまくいく知恵が存在する。

うまくいかないことが次々起こったとしたら、それは立ち止まって考える時。


                    なんでも仙人のミニワーク

                『あなたのハートはなんと言っていますか?』

ご相談例十 いい人なのに苦労の連続の人について

2010年10月30日 | なんでも仙人のメッセージ


わたしのまわりに、いい人なのに苦労の連続の人がいます。

いつも人のことを考え、ボランティア精神いっぱいなのに、
なぜかうまくいかないことが次々起こります。
『自分の撒いた種は自ら刈り取る』の法則で言えば、良い種を撒いているはずなのに、
なぜ次々うまくいかないことが起こるのでしょうか?



世のため人のために頑張っているのに、なぜかうまくいかないことが次々起こる者。
このようなケースは、頑張りやの自己犠牲タイプが陥りやすいバターンじゃな。

頑張りやの自己犠牲タイプは、自分を犠牲にして、とかく世のため人のために貢献しようとする。

かなり無理をしているので、自分の体や心が悲鳴をあげているのに、その声を無視して頑張り続けてしまう。


このような状態が長く続くとどうなるか?


自分の限界をはるかに超えているので、心や体が病気になってしまうのじゃ。

そのことを気付かせようとして、何度もストップが入っている。

そちらはうまくいかないことが次々起こるととらえるが、そうではない。
うまくいかない時は、「やり方が違うよ。」「立ち止まって考える時だよ。」というメッセージなのじゃ。

つまりストップがかかっている状態。

この世では、とかく「自己犠牲の愛」を美化する風潮がある。
宗教でも、そのように教えていることが多いな。

しかしな、本当の愛に、自己犠牲という言葉はないのじゃ。

自分も相手も楽になれて、なおかつうまくいく知恵が存在している。

それなのに人は、自分を犠牲にして、苦しい方苦しい方へと進んでいってしまう。

うまくいかない出来事が次々起こるのは、ただそのことを知らせて、方向転換させたいだけなのじゃ。

ストップのかけ方には、いくつもの段階がある。
その者にどんなうまくいかない出来事が起きたのかを見れば、今、ストップの何段階目かが分かる。

大切なことなので、ぜひみなに知っていてもらいたい。


ストップのかけ方については、明日のブログで伝授するとしよう。


ご相談例九 親の意見を子供が聞いてくれない

2010年10月29日 | なんでも仙人のメッセージ
  五十代の女性のお悩みです。

私には、結婚して所帯をもった息子や娘がいます。
もう大人なので、いろいろ言うのもおせっかいだとは思うのですが、
うまくいっていないことなどを見ていると、ついいろいろアドバイスをしてしまいます。
ところが息子も娘も、私の話を全く聞いてくれません。
健康のことなども心配なので、「この健康食品がいいよ。」と伝えても、
全く取り合ってくれない状況です。
どうしたら息子や娘は私の話を聞いてくれるのでしょうか?



どんないい情報であったとしても、その人の心に届く時期というのがある。

その時期ではない時に、あれやこれやと伝えても、
相手は喜ばぬし、言うた方も嫌な後味が残る。

「せっかく言ってあげたのに・・・!」と相手を責めとうなってくる。

しかし、相手に響かなかった時点で、その者にとって、今はその情報は必要ない時期なのじゃ。

親から見て子が苦しんでいるように見えても、
本人が助けを必要としていない時は、子を信頼して見守る。

苦しんでいるように見えても、子は子で一生懸命学んでいるのじゃ。

本当に子のためを思うのなら、
子が今何を求めているのか?
子が何を伝えたいと思っているか?
よく観察してあげることじゃ。

とかく人は
「自分がこうしてあげたい。」「ああしてあげたい。」「何かしてあげることは親切なこと。」
と勘違いする。

これは自分から見た主観的な世界。

そうではなくて、
相手の側は何を望んでいるか?
相手の立場に立って考えた時、かける言葉はおのずと変わってくる。

そうは思わぬか?

ご相談例八 おもちゃを買い与えすぎる義母

2010年10月28日 | なんでも仙人のメッセージ

二十代の主婦からのお悩みです。

離れて暮らしている義母が、三歳になる息子におもちゃを買い与えすぎて困っています。
誕生日でもないのに、次々高いおもちゃを買って送ってくれます。
わたしは子供の頃おもちゃをあまり買ってもらった記憶がなく、
おもちゃは自分で作るものだと思っていました。
自分でおもちゃを作ることや遊びを考えることは、創造性も豊かにもなるし、
いいことだとわたしは思っています。
このままだと息子は甘やかされて、わがままに育ってしまうんじゃないかと心配です。
誰にでもおもちゃをねだったりはしないかと・・・。



正しいか正しくないか?でみると、相手を責めとうなろう?

意見が違う者同士、「どちらが正しいか?」で言い合うとケンカになる。
この質問に結論などでぬのじゃ。

こんな時は質問を変えてみる。

「自分が大切にしているものは何だろうか?」
「相手が大切にしているものは何だろうか?」



二十代の主婦が大切にしていること

おもちゃを自分で作ることで、創造性豊かな子に育ってほしいと願っている。
おもちゃをただ買い与えることだけが、愛ではないと思っている。

義母が大切にしていること

ただ孫の喜ぶ顔が見たい。
孫に何かを買ってあげることが、自分の楽しみになっている。

お互いに求めるものが違う。大切にしているものが違うゆえ、ぶつかり合う。
その違いをまず知ることが大切よの。

さて、子供は大人をよく見ている。
「この人は甘えたらおもちゃを買ってくれる人だ。」と思うと、
子供は甘えたりわがままを言って、おもちゃをねだる。

じゃが、「この人は言ってもダメだな。逆に怒られそう。」と思うと、
シュンとおとなしくしているものじゃ。

ゆえ、誰彼かまわずおもちゃをねだることはない。

心配しすぎずとも、この件だけで息子がわがままに育つということはないのじゃよ。

そのことを理解したうえで、
二十代の母は自分が大切に思うことを、息子に伝えていけばよかろう。

そして義母にたいしては、息子が甘えられる場所として、また息子のスポンサーとして、
「困った時はよろしくね。」と思っておれば、どうかのぅ?

ご相談例七 正義感が強くて、間違いを許せない女の子

2010年10月27日 | なんでも仙人のメッセージ
正義感が強い小学校二年生の女の子のお母さんのお悩みです。

娘は正義感が強く、間違ったことが許せません。
先日も小学校の図書室でバタバタ走っている上級生に対し、
娘は「うるさい!」と注意しました。
何度注意しても上級生は走るのをやめず、そのうち娘をにらみ返してきたそうです。
娘は間違ったことは言っていないので、「それを言わないように。」とは言えません。
けれど、このままだと上級生からにらまれて、いつかいじめにあうのでは?と心配です。



その者に必要な課題や学びが、目の前に現れる。
その女の子の学びとは何か?
正しきこととは何か?

人が人を裁くとき、そこにはなんらかの負荷(マイナスのエネルギー)がかかる。

器の小さい者は、注意されると腹をたて、逆に言い返してくる。
今回がそのパターン。

女の子は正しいことを伝えたのに、それが相手に伝わらず、逆に反感を買ってしまった。
このやり方だと悪循環。女の子も上級生も、お互いに傷つけあう結果となってしまう。

ではどうすればよいか?


(Q)さて、ここで質問です。
みなさんならこの正義感の強い女の子に、なんと言ってあげますか?
どのように対応されますか?





さて、みなはなんと答えたかの?

今回のケースで、親がまず一番に女の子にしてあげること、
それは受け止めてあげることじゃ。

怒りの感情があると、落ち着いて話を聞くことができない。

怒りの感情を静めて、女の子の心をゆるめてあげるには、
まず怒りの感情を受け止めてあげることが大事。

「そりゃぁ図書室で走るのは、いけないことだよね。」
「うるさいとみんなが迷惑するもんね。」
「○○ちゃんはそれを止めようと思ったんだね。」
「○○ちゃんはうるさくて、嫌だったんだね。」


受け止めてあげた後は、
どうしたら自分も相手も傷つけず相手に伝えられるか、親子で考えてみる。

言い方その一  枕言葉をつける

いきなり注意すると、相手もびっくりする。
注意する前に、枕詞をつけるだけで、言葉の柔らかさが全然違ってくる。
相手も受け取りやすい。


「ごめんね、ちょっといいかなぁ・・・。」
「言いにくいんだけど・・・、」


言い方その二  Iメッセージで伝える

正しいことを言うことが、正しいのではない。相手の心に伝わることこそ大事。

命令口調で「うるさい!」「静かにして!」と言うても、相手の心には伝わらぬもの。

そんな時は、I(アイ)メッセージで、自分の気持ちを伝える。


「ごめんね、ちょっと静かにしてくれると嬉しいなぁ。」


これらは、親が子に注意する時にも使える。

さて、怒りの感情が出た時は、自分の中の宝物を発見したと思ってもらいたい。
なぜなら、怒りの感情には、自分がもっと楽に生きられるためのヒントが、隠れているからなのじゃ。

人が怒りを感じる時
①自分の中の大切なものを守ろうとしている
②自分の中で許されていない何かがある


例えば、この小学二年生の女の子でみてみると、

①大切にしているものは何か?

・規則やルールをきちんと守ることを、大切にしている。
・人に迷惑をかけないことを、大切にしている。


②許されていないことは何か?

・どんな時も、規則やルールを破ってはいけない。
・どんな人にも迷惑をかけてはいけない。



集団生活をする上で、規則やルールを守ることは大切なことじゃ。
みんながルールを守らなかったら、集団生活はうまくいかない。
しかし、規則やルールを絶対に破ってはいけないとかたくなに思っている者は、
破った者に対して、許せないという怒りの感情が湧いてくる。
相手を裁きたくなってしまう。

この時の怒りの感情は、一見ルールを破った相手に向けられているように見えるが、実は違う。
自分を許していないのじゃよ。

自分がルールを破ることがあっては絶対にならないと、自分に言い聞かせているからなのじゃ。

じゃが、人間は間違いもするし、失敗もする生き物じゃ。
完璧を目指すと、大変なプレッシャーがかかる。

自分の少しの失敗やミスを許してあげられたら、この女の子は生きるのがずいぶん楽になる。

小学二年生の女の子にこの話をしても、すぐには理解できまい。
正義感の強い子は、とかくまわりと衝突しやすい。

「十年二十年かかってもいいから、
いつかこの子が自分もまわりも傷つかない言い方をマスターしてくれたら、
この子はもっと楽に生きられるだろうなぁ。」
という長い目で、親は見守ってあげてほしい。