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東京の傘~H29・4月22日 ANA0271便羽田19:30発座席番号44Aの幻影

2020年08月12日 | ふと思ったこと
東京の傘~H29・4月22日 ANA0271便羽田19:30発座席番号44Aの幻影
2017年06月04日(日) 15時59分20秒
テーマ:ブログ
あんまり月日が経つと忘れてしまうので連投ですが書かせていただきます





 傘を買った直後に雨は止み その時からそれは誰かへ渡すべきものだと そんな予感がしていた



 朝になって急に天気が変わった んん?ビジネスホテルのチェックアウト前にTVでは夕方には雨が降るかもしれないがそれまでは曇り、晴れのはずだったけど?



駅へ向かうと突然雨が降り始めた、そのまま歩けばびしょ濡れになるほどの雨

コンビニで慌てて傘を買った 



数分歩き出すと雨は止み 空は晴れてきた、傘を捨てようと思ったが仲間と合流すればロッカーに荷物を預けることができる



ひとまず、その傘を持っていくことにした

奇妙な感覚がした前日を思い出した



数日間休憩場所にしていたUR団地内の公園は人が少なく古びたバスケットコートがお気に入りだった。僕が歩くコースに50円落ちている その先にも100円落ちている∑(-x-;)



どこか釈然としない奇妙な光景、ドッキリかもしれない!巨大なUR団地数百戸の窓を見渡す、これじゃあ確認しようがないな 無視して通り過ぎた( ̄□ ̄;)



それを何故か思い出しながら傘をもって歩いた



仲間と合流して夕方荷物と傘をひきとり、大きなミスを犯したことに気がついた

皆4時ぐらいまでの便で福岡に帰ってしまうのである



「イデちゃんANA?ふ~ん 最終便は何かあったら面倒くさいぜ まあユナイテッド航空みたいにボコボコに歯折れるまで暴行されることはないだろうけど・・冗談冗談」( ̄□ ̄;)

ぞっとした、ああけっこう飛行機はトラブルあったなあ。ブッキング交渉も経験したことある∑(-x-;)



☆僕らのようなオッサンはたいていブッキング要員、補償も領収証とか大変で全然足りない時間ばっかり食われ大損。でも仕事だかんなあ、乗らんといけんのよ ∑(-x-;)



僕だけ19:30の最終便、仲間は4時台の飛行機に乗るためバタバタ浜松町へ、気をとりなおして僕も向かった 羽田より浜松町のほうが安い飯屋があるのでここでメンバーとお別れ

これで600円安いでしょう ガラガラだったのでお茶をもらいながらここで時間を潰す(・∀・)



空港に向かうことにしたので駅の裏側の小さいエスカレーター付近の雨樋に「雨が降ったら誰かに使ってもらうんだよ」と傘をかける(/ω\)



空港についてまもなく、なんと雨が降り始めたのだ、しかも土砂降り



そのとき「ありがとう」と聞こえたような

「えっ?あれ?150円ってこれ、傘のお駄賃? あれじゃあ誰も受け取れないよ」とつぶやいた(´・ω・`)



ようやく時間最終便に乗り込むと後部座席のほうはたっぷり空席がある いい感じ



何かドリルで金属をえぐるような異音がうるさいなと思ったが

疲れがどっと押し寄せそのまま寝てしまった



ふっと目が覚め時計をみると20:40頃になっている



19:30発の飛行機だからそろそろ福岡かとおきるとザワザワしている

まだ羽田空港だ エンジントラブル、修理しているが空港を使える時間を超過するため

欠航になったという( ̄□ ̄;) 事前に整備する時間もないのだろうか 



もうちょい早く判断してぇシクシク∑(-x-;)



後はもう人波にもまれながら券の発行とか保安検査のやり直しとか誘導されボロボロ

うろ覚えにハイ、ハイと返事をしながらターミナルを行ったり来たり



21時過ぎ、振り替えは北九州行きか大阪行きの2便しかないという

都内のホテルはどこも空きが無い 乃木坂のコンサートなど諸々人で溢れかえってる

 ANAではホテルの紹介は一切できませんので!、あくまで自力で宿泊先は確保して下さい! 高額なホテルは限度額がありますので越えた分は自己負担になりますと爽やかに注意される ゾゾッ(´∀`)



∑(-x-;)



22時をだいぶ過ぎてからようやく、振り替えのスターフライヤーで福岡に向かう  しかし、途中嵐と雷?がすごかった

ああ、エンジントラブルのANA0271便だったら死んでたかも



もうフラフラで北九州空港についたのは0時をすぎていた

公共交通機関は終了 タクシーもこの騒ぎで足りないという



どうやって福岡まで帰るのかすら、どうでもよくなっていた



生きててよかったなあと

呆然と吸い込まれそうな夜の空を見上げていた




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瞬く間に通り過ぎる時よ~ゆえに私は現実に生きるこの瞬間こそが大切だと思うのです

2020年08月10日 | ふと思ったこと
瞬く間に通り過ぎる時よ~ゆえに私は現実に生きるこの瞬間こそが大切だと思うのです
2017年03月24日(金) 16時32分43秒
テーマ:ブログ




瞬く間に通り過ぎる時よ ゆえに私は今も過去をふりかえり



現実に生きるこの瞬間こそが、最も大切だと思うのです



出張先では人材派遣会社から応援を呼ぶことになっていて



分かっているのは男性1名来ますとのこと



あえて年齢や容姿については聞くこともない



あくまで派遣会社の判断で、当日全く予定していなかった人が



来ることもあるのだ



当日、現場で待機していると男性が来た



もちろん知らない人物だ



簡単な作業のため、別にいろいろコミュニケーションもとる必要も無い



緊張しているのか会釈後は下を向いている



まあ~なんだ あれだ 声をかけてみよう



仕事の要領の他、どうでもいいことで話をしていた



数日間、気がつくと普通に知り合いのようになっていた

とりあえずそのワイルドな風貌の彼を「バイトメン1号」と命名しよう



出張期間の最終日、 祝日で天候も悪いのが予想される、仕事はかなり慌ただしくなる日



もう一人応援を呼ぶことになっていた



派遣からのもう一人応援の男性が来た



するとバイトメン1号は



「おおおっ? ああコイツは俺の可愛い後輩です!! 高校も一緒だったですし

大学ではなんと学部までたまたま一緒だったんですよ・・・だから仲良くなったのは

大学にコイツが来てからです バイトまでかぶるなんて不思議~」



と説明してくれた



後輩はバイトメン1号の服をみている



後輩「あれ~?これは僕があげた服じゃないですか~? 白のジーンズなんて恥ずかしくて着れんとか言ってたくせに」



僕 「え?そうなの? 彼はこの数日ずっと、この白のジーンズやったよ」



バイトメン1号「あ、もう言わんで~すまん 俺服買う金もたんのや はいてるウチになじんで気に入ってしまって 今後は気をつけるから~」



後輩 「いや、嬉しいっす 勢いで買ったものの白のジーンズなんて逆に合わせづらいし

服いっぱいでクローゼットに入らないし ぶっちゃけ そんな いらん奴メッチャ大事に着てもらって嬉しいです」



バイトメン1号「たは~言うね~ でも助かってるよ 本当にありがとうな」



後輩 「先輩、まだまだ沢山着なくなった服があるんですよ このバイト終わったらウチに来ませんか? 服をとりにきてください」



バイトメン1号 「いや~悪いよ~ もらってばかりで 俺なんも持たんぜ~」



後輩 「いやクローゼットもういっぱいで そろそろ新しいの買おうとおもうから あげます、とりに来てください」



僕 「もらっとけ もらっとけ 後輩がこうまでいうんやから もらっとけ」



バイトメン1号「実はこのマフラーも後輩からもらってて気に入ってます ありがとう じゃあバイト終わったら」



後輩  「ぎゃはははは!! そうそうその変な女子っぽいマフラーも!!使ってる!! じゃあ そういうことで」



そしてバイトが終わり夕陽とともに 一気に気温がさがってくる たまらない寒さだった



出勤表みたいなものに 僕のサインやら もろもろ書き込み



最終日の仕事は終了



遠方で、ふだんここには用事はなく



また、いつか依頼するとしても何年も先



もう彼らに会うことはないだろう



ここからコインパーキングが遠いため 思い荷物をいったん路上においてとりに行こうとした



バイトメン1号 「あっ 俺、荷物見ときますよ! 車とりに行ってる間みときますよ!」



僕「いやいやいや  派遣会社との契約でピタッと契約時間内でおわらせないと  ほらもう時間になってる!!帰っていいよ! ありがとう! じゃあね!」



そう、言い残して車を取りに行った



もうとっくに帰っていると思ったので



トイレもずっと我慢していたので



近くのコンビニによって



しばらくしてから荷物を取りに行った



車で信号待ちをしていると





あれ、バイトメン1号まだいる? いる!荷物を見ている



彼は、時計をみやると うつむいてニコニコしながら駅のほうに歩き出した



僕には気づいていない



僕「あああ待っててくれたんや  ありがたい  でも今声かけたら 彼をもっと時間的に拘束してしまう  彼のことだ 荷物の搬入も手伝ってしまうかもしれない」

それであえて クラクションは鳴らさず 見ている  



バイトメン1号はちょうど信号の目の前の白いラインの歩道エリアを渡っていった



心の中で「荷物みていてくれてありがとう、電車の時間だろ、遅れないように、、ね」



帰り際、高速にのりながら

最初のあのとき 声をかけててよかったと思った



でなければ、こんなに楽しい出張はなかったかもしれない



ニヤニヤしながら僕はアクセルを踏み込んだ





 P S 又吉の新作「劇場」制作に密着取材するテレビを見て



ああこんなふうにドロドロに悩みながら、凄まじいエネルギーをつぎ込んで一行一行つむぎ出される様は



身震いするばかりであった



まさに又吉にしか描けない物語



若かりし日のお金も何もない





ひとりの無名な劇団員時代



一番くるしかった原点となる地に身を置いて



編集からダメだしを喰らっても



真正面から逃げずに悩み



またそれをエネルギーにして描かれてゆく



苦しみながら書いてゆくうちに



その当時の思いでに鼓舞されながら書いたという



「ありがとう」とか 「ごめんな」とか



昔、大切だったその人に



声を出して



語りかけながら書いたという



苦しいだろう 辛いだろう なんだか気持ちがわかるのです



それでも描きたいのは太宰治、芥川龍之介やその他の作家の小説を読むことによって



自分が救われたから



苦しい心が救われたから



ひょっとすると僕(又吉)が描く小説で



だれかが救われることがあるなら



たいへんだけど



それでも描きたいと彼はしんみりと語ったのだ



その一言が忘れられない





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物語はサイドストーリーが面白い ~ ひとは主人公でなくていい 

2020年08月09日 | ふと思ったこと
物語はサイドストーリーが面白い ~ ひとは主人公でなくていい 
2016年11月20日(日) 13時29分29秒
テーマ:ブログ


いや~あっというまに年末ですね 散歩がてら物思いにふけっています



弊社に2年弱、勤めていた従業員が退職しました



もともと他の職種で自立を目指していて・ ・ フルタイムで働くのが難しくなってきたとのことらしいです



果たしてこれでよかったのか、悪かったのか



近所の池へ着くと、餌をくれるのかと勘違いした鳥がよってきます(汗)

( ̄□ ̄;)!!



もう紅葉が街をすっかりつつみこみ、池には夕陽がさしてきて



昔を思い出しました



人生はサイドストーリーが面白いのです。人は主人公でなくともいい



僕も若い頃は辞めては求職、辞めては求職と、いろいろ転職を繰り返していて、その途中でちょっとだけバイトするつもりで



型枠大工の見習いみたいな仕事をしたことがあります



毎朝、安全朝礼で「安全帯よし!」{足もとよし!」みたいな世界、ひええ~(・Θ・;)



ニッカポッカに安全教育シールだらけのヘルメット、黄緑のグラスファイバー?の長い柄のハンマーそして釘袋 スケール 耳に赤鉛筆 指の先が破れて油まみれの軍手



僕が所属していた班は、みな結構おしゃれでニッカポッカ上下で1~2万円もするのを綺麗に着ていた



ワークマンに一緒に買いにいったりした 僕は見習いで日当が安く、すぐに辞めるつもりでもあったし、作業着にお金をかけたくないので ワゴンに積んであるやっすい感じのを迷わず買いました 早速、店で履き替えます



先輩は  「えええ~ それでいいと~? いいの選んでやろうと思ったとに~ 1980円?安っ 安っ! !!ぎゃはは~っ! なんこれ~!」



「みてみ~イデちゃんの作業着! クソ怪しい~!!!Σ(・ω・ノ)ノ!」



「あっ ほんとだ クソ危ねえわ!! たははは~っ(・∀・)」



と、着てる僕を見て爆笑していました. 当時の人気のニッカポッカは  たとえば昭和の時代の学ランみたいな感じで 上着は超短ラン、下はハイウエースト&ボンタンとかドカンとか、それが鮮やかなカラーの、、、、それなりにカッコイイ、人気のニッカポッカでした



僕のはやっすい奴なので布をケチってる?? のか 下のすそが妙にパツパツで極端に言えば、大阪のおばちゃんのスパッツスタイルみたいな、、逆三角形ズボンの「クソ怪しいデザインのニッカポッカ」



現場では他のタテコミ班の人も



「えええっ?! どうしたと?!その作業着は~~? 目立つな~っ怪しい~っ!((>д<))」とか



「ええやん! ええやん! 変なかっこうでも真面目にやっとればええやン!」



「そうたい! ええやんけ! キサマそげん言うな! 可哀想やろが!(−_−#)」



と、ワゴンに入っていた(失敗作!?)「クソ怪しいデザイン」の僕のニッカポッカで話題になってた  ううむ~ か、かわいそうって、、((>д<)) なんか申し訳ないやら なんやら



そんなみるからにクソ怪しい作業着にも着慣れてきた頃、昼休みに寝転んでジュースを飲んでいると親方がきて(親方は当初から、作業着に全く興味なし、何も言われなかった)



「おう~なんしようとや~ 少しは慣れてきたか? 今は金物、鋼管、カタメとかばかりやけど いずれはなあ~ タテコミさせちゃるけえ~ 頑張れ!」



僕は言葉に詰まっていました  カタメとかだけでも全然よかったのです 職探しの間のバイトのつもりでやっていたから

だってじきにに辞めるつもりだったから、、、  だけど工場で型枠の制作をしたり、タテコミで下の墨会わせて枠を乗せ、大きい釘をワンツー(僕はスリー~フォーぐらいまで)で打ち下ろすところまでいろいろ教えてもらったり ハンマーの裏でキュッて釘で枠を締めるのは少し快感 それだけに どこか申し訳なく、寂しかった



結局、まもなく就職がきまり辞めることになったのですが



親方は、ただ、静かに 「・ ・ ・ そうや・ ・ ・ 良かったやないか・ ・ 就職決まって  俺は~横浜やら行ったことねえぞ・ ・ ・フフっ・ ・  どうする? 釘袋やらハンマーやら道具、、記念に持って行くか?・ ・   ああ、後、日当!!ほんとは月末にってママが言ってたけど、準備してる・ ・ ・ ほれサインせえ・ ・ ・ 」



僕「すみません・ ・   ああ、道具ですけど・ ・ 新しい方がきたら、その人に、、コレ、とっても使いやすかったです」 



帰りに駐車場に先輩がいます。だいたい一緒にメシ食って、一番いろいろ教えてくれた先輩でした   ニッカポッカ、半キャップでバイクにまたがったまんま・ ・ (ちょっと恐え~ あらためてみると恐え~)  大声で



「親方も期待しとったとに~ これからやったとに~ まあ、よかたい! じゃあな!」



なんだか気持ちよく送り出してくれたのを懐かしく思い出します



僕だったらこんなふうに送り出せただろうか きっと わだかまりがあるままだったけど



いつかこの親方のように人間的に成長し、暖かく対処できるようになりたい



ふと思い出から 現実の世界に戻る



僕 「!・ ・ ・ ・ ・ 」



最初の近所の池の前に立ち止まっていて



それはもう静かに街の日は暮れ始めていて



黙ってプカプカ、のんきそうに泳いでいる鳥を尻目に



赤やオレンジ色の落ち葉が絡みつく道をゆっくりとひきかえした





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学生時代、受験に落ちたが母はあっけらかんとしていたのが救いだった~母は太陽だった

2020年08月08日 | ふと思ったこと
学生時代、受験に落ちたが母はあっけらかんとしていたのが救いだった~母は太陽だった
2016年03月18日(金) 19時16分51秒
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遙か昔の学生時代、それこそ あっさり受験に落ちたが、母はあっけらかんとしていて
それが何よりも救いだった。母は太陽だった

国立の後期試験を除けばね、、おおむね私立も公立も受験は終わり

合格発表後には、合格しても そうでなくても それぞれの人生がある

二次志望の学校にいっても

オリエンテーリングが終わる頃には

少しだけ楽しくなりかけてる

僕が行った大学には知り合いはいなかったが、、、、ラウンジにはいつも東福岡の軍団がいて

だいたい、、、いつもいて(ヒマ?)

通学が同じ西鉄大牟田線で 「特急」「快速」でエマックス久留米まで一緒

、、、、大学までの乗り継ぎが謎のボロいバス、、、ふる~い観光バスみたいな床が木の板みたいな(。・ε・。)

行動範囲がかぶりまくり、自然に東福岡軍団になってしまった

たまたま共通の友達がいたりして独特の東福岡トークにもついていけた

僕:「んんんっ?それってカナマル? カナマル?そんな変な奴はカナマルしかおらん」

友人A:「カナマルって呼び捨てはだめだよー カナマル先生っていわないとー」

友人B:「そうそう、、、カナマル先生」

僕:「なんだそりゃ???  まっいいです 何か食おう」

友人C:「こりゃあ!!!~出田~!! 俺、金ねーのにー 目の前でバクバク食いやがって 腹立つわ~~!」

僕:「・・・・・・・知らんがな・・・バイトでもすれば?  一緒に学生相談所いく?」

そんな感じの日々

希望の大学ではなかったけど やっぱり ここで良かったと思った


先週の8日だったかな・・・・ 「西支部広報部会」で 一応、末で今期が終わるので「お疲れ様でしたの会」を荒江の超人気の居酒屋で行ったのでありますが

なかなか予約も難しく、お店は内緒です

ふれんず事務局の宮崎さんと、庄司さんが早速

「ホームページのトップの写真がまだきてませんが 早くしてください」

僕:「こらこらこらこら・・・ もう広報引退しますがな、、、そんな寂しい人間に依頼しないでいただきたい」

宮崎さんと、庄司さん:「いやっ来期も 普通に広報に在籍してると思いますので・・」

僕:「、、、、、、、」

とやけ酒、やけ食いをして後はよく覚えてませんが

倉光部長が:「うわあ~誰?? 食ったね~予想を超える金額~~」

と悲しそうな顔をしていたのをかすかに覚えています

と、と、とにかく、しばらくお休みしますので、、、、





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世界で一番好きだった。そういって別れたい~あの日の優しい笑顔のままで誰かを幸せにしているだろう

2020年08月07日 | ふと思ったこと
世界で一番好きだった。そういって別れたい~あの日の優しい笑顔のままで誰かを幸せにしているだろう
2016年01月19日(火) 17時08分54秒
テーマ:ブログ

大きく話題にならなかったが昨年12月長谷川保積のボクシングの試合があった

2011年12月17日の、あの試合を思い出しました

ノンタイトル(再起戦)、しかも前座でLIVE中継もない目立たない試合

でも

そのとき長谷川保積はこう、言い放った

「 世界で一番好きだった。そういって別れたい 」

無論、ボクシングのことである。長谷川は

「永遠にボクシングをしていると思ってた。だが、敗戦で自分もいつかボクシングを引退する日がくることを知った。」

そして続ける
「そう、遠い日のことではないかもしれない」と覚悟を決め本気で臨んだ

僕自身を振り返る。こんなに熱くなれる何かがあるだろうか

恋い焦がれるほど熱くなれることがあるだろうか

今は無い

だけど うらやましい

仲のいい友達もできたし、だからしばらく

何かを見つける心の旅に出るのも悪くないと思うのです

ところで

もう何年たっても

ふと思い出してしまうことがあります

雨上がりの休日の曇った町並みに、いつかいなくなったキミそっくりの後ろ姿の女性があるいていました

絶対違うとわかっていながら

急ぎ足で通り過ぎ

その横顔をながめる

わかっていたけど違う女性

たちどまり、ぼうっと人混みをあるき去る女性を眺めて

うつむく

あの日のキミよりずっと若くて綺麗な女性

・・・・・・・

でもやっぱり

あの優しい笑顔のキミが

あのとき、あの時間を あの世界を共有したキミが愛おしい

ちょっと自分勝手で、B型で、きまぐれで、わがままで

でもちょっとだけ怒ったりすると察して

急に優しくなって僕に甘えてくれた

いつもは大丈夫と遠慮がちなキミだったけど

こんな僕にあのとき甘えてくれた

ずっとこの想いでは忘れずに大切にしよう

もう、大切なものは変わってしまっても

あんなに優しいキミの笑顔は あの日のままで

今もどこかで

誰かを幸せな気持ちに・・・・・・・ハッピーにしていると思うから





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ラストシーン・・・何も語らなくても気持ちは届いていて~歯をむきだしにして目をつむるほど笑った

2020年08月06日 | ふと思ったこと
ラストシーン・・・何も語らなくても気持ちは届いていて~歯をむきだしにして目をつむるほど笑った
2015年10月24日(土) 17時41分57秒
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別に平和のために闘っているわけでもない

人のために・・そんなつもりもないヒーロー

ショッカーに追われやむなく応戦、最後は反撃に出る とうとう決戦

満身創痍の一文字、本郷
一文字隼人 「だからやめろっってそういうの・・・・気持ち悪いんだよ」

本郷猛 「無理すんなよ・・・オマエ友達って言ったら俺だけだろ?・・・・」

一文字隼人(にやりと不敵に笑って)「・・・・そーいう おまえもな!・・・」

本郷猛 「・・・・・・」 (同じくニヤッと笑う)

共に闘った風見志朗に振り返る
本郷猛 「アンタは・・・アンタはこれからどうするんだ?・・・」

風見志朗 「・・・生きてゆきますよ・・・・あなたのように」
立ち去っていく一文字と立ちすくむ本郷を憮然と見つめる

パッケージのかっこよさについ買ってしまったDVD。
ずいぶん昔の映画の、仮面ライダーNEXTのラストシーン

正直、映画の内容はストーリーからテンポからバラバラで

当時、昭和のライダーファンからは好き嫌いはっきり分かれる作品だったらしいのですが

それぞれ社会に適合できない孤独な3人のライダー

行き先は違っても

孤独に一人で生きていくことを決めても

会うことはなくても

気持ちだけはつながっていて

何も語らなくても届いていて

どんな人にも一人
そんな友達がきっといるよ・・・・

そうつたえたかったのではないかと振り返る

仮面ライダーNEXTがある前何十年も昔
小学校の頃から、こんなふうにいつもやりとりしていた友達がいました

カナマル(仮称)「おお出田~オマエ相っ変わらず顔悪いねえ~~」

僕 「ほっとけ!この!そーいうおまえもな!!」

そして二人ともお互いにニヤリと不敵に笑う
お互い貧しくゲームウオッチなどとても買えなかったので
集団の仲間に入れず 毎回公園でだべってた・・・・

そのラストシーンに小学校の頃の光景が脳裏いっぱいに溢れかえり

秋の薄く透き通った空を見上げて 歯をむき出しにして目をつむるほど笑った


                     


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レモン色のインコと流れ星に約束などしなかったが~キミのかけらをつなごう

2020年08月05日 | ふと思ったこと
レモン色のインコと流れ星に約束などしなかったが~キミのかけらをつなごう
2015年07月22日(水) 17時01分00秒
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水平線と行くあてのないほど広い砂浜に立ち尽くしています

今日は「福岡こどもの家」の子たちと地引網大会でした

バーベキューに海水浴したり楽しい日です

ひょっとすると僕が一番楽しみにしていたかもしれません

そんな感じで砂浜を歩いております

今年の夏からはもうひとつ思いをはせることになる出来事がありました・・・
もう1年以上前の出来事ですが

その知人とは特に親しいというほどではありませんでしたが

時々レモン色をしたインコを預かることがありました

そのインコはすごい人なつこくて、よくしゃべる ずっとしゃべってる

いつもあずかるのは1週間程度だったのですが

ふいに何ヶ月もなりました

あいかわらずレモン色のインコはよくしゃべる ほんとによくしゃべる

ある日のこと

九州ガンセンターに迎えに来て欲しいという・・・
行ってみると昔みたときとは信じられないほど憔悴しきっていました

付き添いの看護婦さんは僕を見るなり手を合わせ、「ほんとにすみません」と
何度も僕にお辞儀をして泣きそうな顔をしていました

ガンだけでなく皮膚から出血する別の病気も発症し、その治療期間
徳州会病院に入院することになったらしいのです

よほど悪いのか、、ひょっとしたらもう・・悪い予感がよぎります

それからもずっとレモン色のインコのお世話をしていましたが
田舎の奥の奥の里山のような実家のお母さんから連絡があり、ずいぶん田舎だし寂しがってると思うからインコを返してほしいというのです

ちょうどそのときたまたま色々忙しかったのに 
あんな何も無い田舎に
たいして親しいと言うほどでもなかったのに

1日潰してでも行ったのは・・・ほんとは気づいていたのです
もう会うのは最後かもしれないってことを

しばらくして、また知人の母親から連絡がありました・・レモン色のインコは亡くなってしまったというのです
それから、知人は「体が痛い、痛い」といいながら自分でレモン色のインコの墓をつくったと教えてくれました

母親もどうしたらよいかわからず、僕に連絡するしかなかったのかもしれません

また、入院したというのでどうしようかなと思っている頃
向こうから連絡がありました・・知人は亡くなったそうです

そのとき思ったことは

以前実家に送ってあげている車中で流していた「DOAsインフィ二ティ」のベストCDを知人が聴き入っていたので

それをそのとき知人にあげていて良かったと・・胸がキリキリしながら思い浮かべた




それからだいぶ月日がたって・・・その知人の母親から送られてきたレモン色のインコが住んでた鳥かごを一人眺めながら・・・

あのとき・・レモン色のインコが知人より先に亡くなったのは  溺愛する飼い主の死を予感していたのか・・・

ああ・・・だからきっとそれでよかったんだと・・・・ふと思った

                                       


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たどりついた場所にあったものは~親父への感謝状(独り言)

2020年08月04日 | ふと思ったこと
たどりついた場所にあったものは~親父への感謝状(独り言)
2015年04月26日(日) 15時11分16秒
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不動産屋をやっていると様々な場面に遭遇します。

生活保護のご高齢の方が老衰により自宅で亡くなって

通常だと生活保護ケースワーカーがお世話するらしいのですが祝日だったために連絡がとれません

それで、そのかかりつけの病院の急患に連絡があったわけですが亡くなった後の対応は当然、病院の仕事ではありません葬儀屋の仕事です

急患担当者はキッパリ断ればよかったのでしょうが善意で知り合いの葬儀屋の連絡先をスマホから探して伝えたりしてみます。

今度はその遺族は葬儀費用も生活保護費から出るらしいのでその葬儀屋ではつまらんとか、予算枠でしないといけないとか色々要望がエスカレートしてきます

僕は部外者でありまじきことではありますが話に割り込み、病院の急患担当者にその対応を断らせました

なんだかなあ~優しすぎるのも実際どうなのかなあとか思いながら

ふと、中学生の頃を思い出しました

その頃、恐ろしく貧しく、遊園地やサンシャインプール的なプールなど入場料がかかる所には行けませんでしたが

・・・・親父がよく川や海や山に連れていってくれました。

ビックダディみたいな生活でした。

家族5人で一日平均の食費は朝昼晩3食で1,000円以下、当時もし消費税が導入されていたら死んでたかもしれません

当時の親父は遊びたい盛りでも、我慢して働き、安い居酒屋にはいることすらなかった。

借金返済のため一生懸命働いた

親父の洋服はいつも一張羅 いつも同じ服だった ヨレヨレだった

選択肢としてあったのは

嫁を捨て、子を捨て、もっと自由に生きることもできたはずだ

借金だって連帯保証人になったあげくそうなった。

何も悪くない

その頃は不動産業ではなく博多の美野島で和食の店をまじめにやっていましたが、ある金貸しの取り立て担当者がみかねてコッソリ破産申請を勧めたことがあるぐらいでしたが

きっぱりことわり返済計画を仕切り直し事業を継続した

本当に頑固な親父だった
(後日、店の常連の不動産業者にスカウトされ不動産業に携わることになるのですが)

ビデオデッキもステレオも何もなくても それでも充分楽しかった

お金などなくとも、親父は休日に家族を遊びに連れて行ってくれた

ずっとかばってくれた

お弁当を作り、ボールなどを持って山や海や川などへ出掛ければ  子供は普通に楽しいものだ
今の時代では考えられないほど家族は結束していた

ところで川は気をつけた方がいいですね海よりかなり沈むしおぼれかけて大騒ぎ(笑)ヽ(;´Д`)ノ

僕はパンの耳50円くらいだったかな、最初10円だったけどいっつも買いにに行くから値上がりしたんだよな
美野島商店街で干からびかけの野菜の見切り品を買って水につけてパンパンの新鮮にしたり、、、懐かしいなあ

あと、借金取りからいつも督促の電話がかかってくるので電話を毛布でグルグル巻きにしていた

玄関のチャイムを取り立て屋が鳴らし続けると、親父は僕らや母さんに心配かけまいと
強気の親父がちょっと来い!!と外へ連中をつれだし道路脇でワーワーやり合っていた

ある日電話が鳴らなくなりホッとしていると、その内に「お客様の都合により現在通話できません」って言われるよ???と友人に言われた 滞納により電話はとうにストップしていたのである

だけどさすがに水道や電気がポッと使えなくなるとホントに困り、慌ててこれだけは入金した(笑)

中学生の頃の、今では懐かしい 大切な思い出



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秋色に染まる街ともうひとつのエピソード~どれほどの想いが込められていたのだろう

2020年08月02日 | ふと思ったこと
秋色に染まる街ともうひとつのエピソード~どれほどの想いが込められていたのだろう
2014年10月14日(火) 17時18分48秒
テーマ:ブログ


久しぶりにブログを書いてみます。みなさまお元気ですか?



もうすっかり秋の色が街を染めていて



開け放した窓から少し寒い風が入り込んで来ます。



サアア・・・とカーテンを揺らす音も爽やかです



広い割には車が少ない大学近くの大通りを眺めています。



今年こそ支部のゴルフコンペから逃げ切ったとほくそ笑んでいるところに、やっぱり北島さんがズーンと来ましたね



やむなく今年も秋のゴルフに参加です。ブービー賞はいいのにしといてくださいね



それわ僕のだから お願いします≧(´▽`)≦



この前のMON講演会で鑑賞されているお母さんたちが泣いてましたね



そのときはピンと来ませんでしたが



今頃、想いをはせています



子だくさんの家庭、いっぱい兄弟がいる中で末っ子のMONさんだけ施設に預けられてしまって



けっこう大きくなってから家に帰れたものの居場所がなくて



家出をして、結局もう家に帰ることはないのだけれど



いろいろな事情があったのでしょう



でも、家を出るとき一瞬だけ一回だけお父さんから愛情をもらった



何十年も生きてる中で、その一瞬を今でも鮮明に覚えていて大切にしている



もうお父さんは亡くなってしまったけど



恥ずかしげもなく大きな声で「お父さん!!大好きだよ!!」と叫ぶMONさんの姿が忘れられません



どんな人にも名前があります



いったいどれだけの想いをこめて、いったいどれほどの願いをこめて



親は名前をつけたのだろう



いまこそ、その大事なことに想いをはせよう





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苦闘時代ほど時が経つにつれ 懐かしく独り、うっかり微笑んでしまう思い出になる

2020年05月14日 | ふと思ったこと
動画(ユーチューブ)でもレビューしております、どうぞ~

昔、工務店に勤務していた20代前半 西方面を担当していて通道の「白糸の滝」の文字は目にしていた 当時は仕事がとれずタコ(売り上げゼロ)が続いていて すぐ近く(日向峠経由で前原と福岡の往来)を何度も通ったが 心が疲れていて、とても見に行く気はおきなかった。結局その工務店は退職してしまったまま 今でも通るたび少しもの悲しい気持ちと若かった頃の懐かしい相反する感情に包まれるのである



霊感あるといえばある 無いと言えばないモトブログオッサンの体験記、、ユーチューブ動画でどうぞ~

2020年05月07日 | ふと思ったこと
ユーチューブの動画一切加工していませんよ~愛機XJR400Rストロボカラーモトギアスリップオンとともに おお友よ行こう!

独りで乗るバイクは三密がないので勘弁してくださいと、ギリギリのKATUNのような気持ちで出発 居酒屋、飲食店、旅館、ホテル、、しめてても普通にスーパーとか1日三食ぶん買い込みとかで人で溢れてて 満員で意味ないぜ もう居酒屋さんたちに自粛による負担を与えるのやめよう パチンコでコロナかかった人は治療拒否するとかで医療従事者の負担を減らそう GWこもりっきりの中の6日間で唯一のお出かけでしたので楽しみました ガソリンはセルフで入れたので接触人数零なり!!因果!!by覚悟  パーキングでは自販機で喉をうるおす




一応、人の接触に気をつけながらも・・・ついついバイクショップに立ち寄る 人のいないブースだけ

2020年04月10日 | ふと思ったこと
仕事の途中にちょうどバイクショップがあったのです うううむ よりたい 少しだけ人にあわないようにいこう  もちろんマスクつけていきました


アドレスv125s 中古バイク見学

人にあわないよう気をつけながら

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中古バイクを見学、ミルだけでも楽しい アドレスV125S

ときどき二輪館によるのです 日付は初期値のままであってません あわせきりません(´;ω;`) 七隈不動産の応援もよろしくお願いいたします( ...

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アドレスv125s 仕事の途中でガソリンスタンドよった

小銭いっぱいだったので、つかったった

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