kakaaの徒然な日記

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死刑が解決する事件などない

2018-07-07 12:07:14 | 世相・社会学
死刑が解決する事件などない

そりゃおかしいぜ第三章さまより

死刑が解決する事件などない
2018-07-06 | 死刑
オウム真理教の教祖の麻原彰晃と、彼に最も近かった6名に今日死刑が執行された。オウム真理教事件の13人の死刑者中のほぼ半分が、今日死刑にされたことになる。平成と同時に始まった事件を平成の終了に合わせての死刑執行である。残りも来年5月までには処刑されるであろう。
事件の被害者は29人とされているが、信者で自死したものや内部で行われた異常なリンチなどの死者などは明確ではない。近代社会が抱える人々の心の隙に潜り込んだ、麻原な巧みな説法がこの宗教と呼ばれた、異常集団を生んだ。高学歴者が多かったのも特徴的であった。

凶悪事件の犯罪の被害者が犯人に対して、「極刑を希望すると」という言葉を、報道はいつも引き出す。事件の無念さと犯人への憎さの言葉である。これの感情の主体は、「報復」である。日本には、仇討という報復が制度として許されてきた歴史がある。無念を晴らすためには、同じ人間にたいして人権すら認めることなく、殺すことを望むのである。
死刑は法令による殺人行為である。近代の法が死刑と戦争による殺人行為を容認している。先進国では次第に死刑をなくしつつある。中国や北朝鮮や、宗教色の濃い中東国家以外の国々では、死刑を廃止する特定の犯罪に限って残す傾向にある。世界では毎年5000人ほどが死刑を執行されているが、半数以上が中国である。
日本では死刑廃止論者は20%に満たない。生まれつきの犯罪者はいない。犯罪者は社会が生んだものである。社会が生んだものであれば、国家なり社会がその償いをするべきなのである。
現在の量刑は報復感が強い。犯罪者が収監される刑務所では、日本ではほぼ半数が再犯者である。ロシアでは80%を超えると聞く。収監されることによって、囚人は反省して犯罪を二度と侵さなくなることがまずないという結果である。
ノールウェーの刑務所は囚人たちを鉄格子の部屋に閉じ込めたりはしない。武器になるような包丁などは固定されてはいるが、自由に調理もできるし短時間に買い物もできる。年休のようなものがあって、自宅に帰ることもできる。この国では、再犯率は確か10%以下だと聞いている。
日本では量刑は、懲らしめるために中世まであった思想がそのまま生きている。
犯罪者にも人権がある。犯した犯罪に対する反省こそが、再犯を防ぎ犯罪者を減らすことになる。ましてや極刑を課すと彼らに立ち直る機会を奪うことになるし、犯罪を減らすことにつながらない。現行の制度では、犯罪者が新たな犯罪を起こすばかりである。
欧州諸国など死刑を廃止している国の方が、犯罪被害者に対して手厚い補償ができている。日本は死刑制度が残ってはいるが、犯罪被害者には十分な対応ができていないのが現状である。

オウム真理教の犯罪は許し難いが、彼らが何処かで何らかの理由で犯罪者になったのである。それが命奪う事にまでつながる理由を私は見つけることができない。戦争も同じである。近代の戦争は全て自衛のものである。相互に自衛を主張する。正義は自国にある、他国は犯罪者であるから殺しても良い。人を殺すことが愛国心であるという事になる。報復感情を満たすことを理由に、犯罪者の命を奪うことが社会を安全にし、社会正義を守ることになるとは思えない。
日本もそろそろ、死刑を見直すべき段階になっているのではないか。

https://blog.goo.ne.jp/okai1179/e/d4e2ce167780bb81890b538646f76c5d

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