浅瀬に追い詰められたクジラたちは逃げ道を探すが、船に邪魔されて海に戻ることができない。
おもむろに男たちは船から浅瀬へと降りてくる。手には専用の道具がある。クジラの鼻先を固定し、殺す。人間でいうと首があるあたりだろうか、鋭い刃物で延髄を切る。パックリと傷口がひらき、海水はあっという間に血の海だ。
そんな大きな傷口を開いたクジラが、写真一枚に映っているだけで、12,3頭はいるだろうか、海で作業する男たちとは別に、浜辺にはわらわらと人が集まってきている。血で真っ赤に染まる海。クジラたちの声にならない悲鳴を聞くわけではなく、世間話に花をさかせている。クジラたちは今夜のごちそうだ。この人たちは、追い詰める過程を手伝い、その謝礼に切り分けたクジラ肉がもらえるのだ。
ここは日本ではない。
フェロー諸島だ。現在はデンマーク領だが自治権が認められている。
血に染まった地獄のような浜辺と対照的に、世間話に興じる人たち。実にショッキングな風景である。反捕鯨団体の人たちは、なぜ、この風景を「ザ・コーヴ」のような映画に使わないのだろうか。
グリーン・ピースやシーシェパードは、フェロー諸島にも来たそうである。彼らはそれに対して、クジラ資源の保全と利用を目的としたNAMMCOを結成し、アイスランドなどと共同で対抗している。彼らは時々きては、なにかしているらしいが、それほどひんぱんではない(デンマーク外務省ケイト・サンダーソン氏談)
これに対して、和歌山県太地町(たいじちょう)は、あきらかに狙われている。10年以上前から、反捕鯨団体とみられる外国人が、ひんぱんに町を訪れ、うろうろしだすようになった。最初は丁寧に、説明した。しかし、それが文字になったのをみると、切り貼りされて相手の都合のいいようにゆがめられてしまっている。外国のメディアがそうなのは、まあ仕方ないとして、日本のメディアもそうなのだ。
太地町漁業協同組合の杉森宮人参事によると、「いろいろなことに協力してしゃべっても、都合のいいところしかつかわれない。本当のことがぜんぜんつたわらない」という。
太地町の漁師の人たちは、もううんざりしている。なにかしゃべっても、いいように使われて相手を喜ばせるだけなのでクジラをとる漁師たちのグループ「いさな会」ではかん口令がしかれている。漁師たちの一人は言う。「最近は外人見るだけでいややで。」
あげくのはてに、クジラ漁が解禁される9月からこっそりつきまとわれ、漁の風景をこっそり無断で撮影され、殺すシーンを強調されて、「ザ・コーヴ」という映画にされる。漁の邪魔をしたり、捕獲したイルカのいけすの網を切る。この映画は、うまい演出で、残酷な行為をしているかのようだが、実際はただの解体作業。それを別に録音していたイルカの鳴き声をかぶせて、クジラの悲鳴であるかのように見せ、女性の泣き顔をアップにしてだぶらせて涙をさそう・・・。もちろん残酷といえないこともないが、牛も豚もにわとりもそのようにしてわれわれは食べているのだから仕方がない。反捕鯨団体の人たちはなぜか、クジラを人間あつかいするが、クジラやイルカが他の多くの海の生き物と違うのは、ほ乳類だというところだけだ。もちろん知能は人間には劣る(と思う)。鳴いたり、協力して漁をしたりはする。イルカ・ショーで仕込めるのもそんな基本があるからだろう。でも、豚だってけっこう頭がいい。「ベイブ」という映画を見れば、相当芸を仕込むことだってできることがわかる。牛や豚は殺してもよく、クジラやイルカはいけない理由は本当にわからない。同じ哺乳類ではないか。
「ザ・コーヴ」はアカデミー賞を受賞。これにつられたのか、またクジラ漁の季節になると、アメリカなどの多くの観光客が集まった。しばらくして、シーシェパードが現れ、これみよがしに漁の風景を小型のビデオカメラでとっている。
それにしても、なぜ、太地町なのか。他の地域のクジラ漁は、沖合でもりをついて行うことが多く、「絵」がとれないからじゃないだろうかと太地町の人は言う。太地町は追い込み漁を浜でやっているからである。しかしそれをいうなら、フェロー諸島も「絵」のとれる追い込み漁である。
また、太地町は商業捕鯨でクジラ漁を行っているのは一部の漁師さんだけである。これにたいしてフェロー諸島は、冒頭に述べたように、町中総出で行う。参加者は名簿に登録され、誰でも参加できる。参加者はクジラ肉を分け合う決まりで、大漁でさばききれないときは隣町におすそわけしたりする。先生や役所勤め、会社員、主婦、日ごろはどんな仕事をしている人でも、クジラの群れがくると町中に警報が鳴り響き、みんな仕事をおっぽりだしてクジラ漁に参加する。ほとんどが船べりをたたいたりして脅す役だが、最後に殺す人たちはだいたい決まっているという。
もし、反捕鯨団体の人たちがいうようにクジラを殺すことが「罪」ならば、(そうは思わないが)その目的が売ってお金にすることだろうが、食べるためであろうが関係ないだろう。そして、クジラを苦しめず、迅速に処理するには太地町のように職業としている方がいい。慣れも手伝って、より苦しめずにできるからだ。なお、太地町の漁師は、特に技術が優れていて、クジラ漁の天賦の才をもっている方が多く、日本各地に漁の指導に派遣された漁師も多かったという。一般の人たちが、「共謀して」行うフェロー諸島のクジラ漁のほうが「罪」が重いといえるのではないか。
太地町の人たちが狙われるのは、日本人だからだ。この「反捕鯨」運動自体、日本人を陥れるためのアメリカ、CIAの計画のひとつだからだ。捕鯨をする数多くの日本の市町村のなかで(ちなみにクジラ漁は大昔から日本各地で行われていた)浜辺で行う追い込み漁をやっており、「絵」になるからというのは太地町の人の言う通りだろう。
なぜ、日本人なのか。
日本人を「悪役」に仕立てることは、アメリカの、太平洋戦争以来の一貫した作戦である。
第二次大戦中に日本人を悪役にしたてたプロパガンダ映画が数多く作られたのは、まあ戦争していたわけだから仕方がないといえばしかたがない。小さいころにこういった映画をみていたアメリカ人がエッセイのなかで、日本人(=悪役)が出てくる前に「がーーーん」とドラの音がなるので(なぜか中国風・・・ごっちゃにしている)、これを合図に戦えばよく、不意打ちなんかされないと信じていたそうである。(昔はこういう演出多かったですね)
だから戦後はなくなった・・・と思ったら、実はそうでもない。さすがに現在の日本を悪役にするのは同盟国である以上まずいので、「第二次大戦中の日本」は悪かった作戦に変わっていった。いわゆる「自虐史観」である。
第二次大戦時の旧日本軍を悪役にするいわゆる「自虐史観」は「戦後教育」でずっと教えられてきたが、80年代になってなぜか突然「南京大虐殺」「慰安婦問題」が問題になり、80年代以降、「問題」化がはげしい。くしくも太地町に不審な外人がうろつきだしたころと一致する。これは偶然ではないと思う。どっちも日本人を悪役に仕立てて、日本人から自尊心を奪う巧妙な計画の一部なのだ。
そこで、話はわきにそれるが、自虐史観について簡単に触れる。自虐史観の内容で代表的なものを3つあげると、「パターン死の行進」「南京大虐殺」そして「慰安婦問題」だろう。
日本軍兵士がアメリカ人捕虜を虐待・殺し、南京の一般中国人を大量に殺し、そして、朝鮮人慰安婦を性奴隷としてあつかったという話である。実はこれらは「誰が」や「誰を」を適当に変えれば真実である。
「パターン死の行進」では日本兵が馬に乗り刀でアメリカ兵の首をはねたというかなりスプラッターな話があるが、日本軍に追い込まれたアメリカ兵は退却の際、多くのフィリピン人を「同じアジア人で日本人と区別がつかないから」といいはって大量に殺していて、このような殺し方も見られたという。つまり、アメリカ兵がフィリピン人をと読み替えれば正しい。実際アメリカは、米西戦争のあとにはじまったフィリピンとの戦争で、20万人以上のフィリピン人を殺している。兵士以外の一般市民を大量に含む。
いわゆる「南京大虐殺」についていえば、日本軍の南京入城は歓迎されたが、それは、中国軍が(共産党軍も国民党軍も)中国の各都市で大虐殺を行っていたからである。つまり中国人兵士が中国人を多く虐殺していた。この国は王朝が変わるたびに、後宮の女性や子供まで一人残らず虐殺するのが習いであって、近代にはいっても変わってはいない。人口が多いためか人命尊重の気風が薄く、また、王朝交代は異なる民族によって行われるため、生き残ったものの復讐を恐れているのかもしれない。
韓国政府は、朝鮮戦争やヴェトナム戦争の際、若い韓国女性を誘拐して、まさに性奴隷としてあつかったということである。昔から「キーセン」などと呼ばれる売春婦が多く、清朝の属国だったころは、「女」と「宦官」を貢物として献上していた。ヴェトナム戦争の際は、参加した韓国人兵士によるヴェトナム人女性への強姦があいつぎ、置き土産に多くの混血私生児を残していって現在ヴェトナムで社会問題になっている。なお、ヴェトナム戦争の際は若い韓国人女性をドラム缶にいれて運んだということである。
こうしてみると、自分の罪を、反論できない旧日本軍兵士におっかぶせているということがわかる。
それを証拠をでっちあげ(南京大虐殺の数多くの「証拠写真」はすべて合成である)、人を買収して「証人」にしたて(韓国の自称元慰安婦)、日本人に不利な「ストーリー」をつくって広くテレビや新聞、雑誌などのマスコミに宣伝させる。本や写真集を出す。切り貼りして事実を隠蔽するのは漁師たちのインタビューを切り貼りして意図的に編集するのと同様である。
学校では何も知らない子供たちに「自虐史」を教える。もっとも、日本の現代史はほとんどの授業ではそこまで進まずに教えていないが、教科書にはのっている。捕鯨をはじめとした「環境問題」ものっているが、これはすべて誤りである。「地球温暖化問題」のきっかけとなったグラフはねつ造されたものである。地球の地上の平均気温は周期的にあがったりさがったりしていて、今は上がる時期だから、長い目で見ればとくに「問題」は生じない。グラフは前半を水平にして、地球の平均気温が一定であるかのようにみせかけたのが問題なのだ。「人間が地球に悪影響を及ぼしている」と人間の自意識過剰な視点が問題だと思う。人間は地球上の自然のごく一部にすぎない。また、この「環境問題」を旗印に漁師さんたちなどの一般市民を世界各地で業務妨害をしているシー・シェパードやグリーンピースはただのごろつきである。彼らを雇っているのはCIAだ。
太地町での長期にわたるいやがらせを考えてみるといい。メンバーのアメリカから日本への渡航費・日本での滞在費(宿泊費・飲食代・交通費)「ザ・コーヴ」の製作費・宣伝費、「ザ・コーヴ」は大手映画館でも放送された最新のテクノロジーを用いた高画質映画である。はんぱないお金がかかることがわかる。そして、日本たたきをはじめたときから、シー・シェパードに多額の寄付が舞い込んできた。誰から?不明である。「国家安全のため」アメリカの国家予算にも収支報告をする必要のないCIAの巨大なポケットからだろうか。
また、これを書くにあたって「白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由」(吉岡逸夫 著 講談社 + α 新書 )を参考にした。そのなかで、シー・シェパードのメンバー、スコット・ウェスト氏、「ザ・コーヴ」主演のアメリカ人反イルカ漁活動家、リチャード・オバリー氏のインタビューがあった。
ところで、会話というのはキャッチボールだろう。こちらから投げ、その答えを投げ返してくる。これは日本語に限らずどこの国の言語でもそうだろう。海外の翻訳ものをよく読むが、そうでない会話というのはない。人間のコミュニケーションシステムというのはそういうふうになっているのだ。
ところが、この二つのインタビューの文章化を読んでも、彼らが聞いたことに答えず、なんかしあさっての方向からボールがいきなり飛んでくる様子がよくわかる。
この二人はスパイだと思うが、スパイという言葉はちょっと良すぎるかもしれない。ダブルオーセブンのようなかっこいいイメージがあるからだ。もともとスパイというと情報をこっそり入手して、自国に渡す情報工作員というイメージがある。この二人の場合は正確に言えば、プロパガンダを目的とする情報工作員で、情報を集めるのではなく、情報を押し付ける工作である。彼らはどこかできっちりいうべき情報や想定問答集などを徹底的に頭に叩き込まれている。しかしインタビューや会話は本来その場で自然と発生するもので、想定通りのわけがない。だから、想定の単語などに反応し、「答え」ているような返事が返ってくる。しかしその単語も文脈が異なり、とんちんかんな答えになってしまうのだ。そして、「いいまかす」のだが、別に論理的ないいまかしではなく、ただ屁理屈をこねているだけにしか見えない(彼らの背後にはユダヤ人がいると思うが、屁理屈を愛するユダヤ人の影響かもしれない)。だから、彼らの「主張」も本当に信じているわけではない。ただの俳優というか人間の形をした九官鳥みたいなものだ。
この二人は知らないが、こういう連中はよく知っている。要はセリフを(自分の意見であるかのように)言わされているだけ。相手にしてもしょうがない。もうちょっと例を挙げると、オウム事件の上祐、社民党の福島瑞穂など。この本には書いていないが、よくよく観察すると、目つきがなんか座っているような、みすえた感じがあるように思う。おそらくセリフを思い出しているのだろう。そして、普通より目の輝きがなく、なんかビー玉のような眼をしているように思う。あやつられたゾンビのような感じがしてこういう連中と話すとわずかに寒気を感じる。ゾンビが迫ってくるゲームが流行ったが、何者かが日本にいやがらせのためのゾンビ人形のような人間を大量に送ってきて、日本人の心の中まで「操ろう」としているのが現実なのだ。おそらく、アメリカ、CIAが。個人的に頭にくるのは言えば信じると思われている点だ。まったくひとをバカにするにもほどがある。
こういったシー・シェパードもグリーンピースも主張も行動も顔つきもなんとなく似ており、なんかもとは同じような感じがする。この本の著者もそう思って聞いてみると、そこはきっぱりと不愉快そうに否定する。「ウチはあそことは違う」と。日本人には、多くの人たちが「偶然」同様の主張をし、まるで、囲まれているように感じてほしいのだ。だから、同じアメリカだとなんだから、オランダかなんかで場所を借り、「環境運動団体・反捕鯨団体」を雨後の筍のようにつくる。そしてみんな声高に主張する。しかし、竹林と一緒で、根っこは一つなのだ。なんせ、もとになるお金の出どころは一緒なのだから。
自虐史もそうだ。売国的な大手の新聞なんかを読んでいると日本の周りには、中国・韓国・アメリカとヨーロッパしか存在しないような書きっぷりで、それで平気で「世界では」なんて書いている。しかし、80年代以降、アメリカは中国と仲がいい。もともとはソ連牽制のためと言っているがそれだけではない。アメリカのグローバル企業のほとんどは中国に工場を移しているし、アメリカの国債を最も買っているのは中国である。そして、80年代以降、「南京大虐殺」が突然浮上した。共産主義政権への不満表明の暴動はなぜか「反日」なら認められているので、それにかこつけて人民のガス抜きを図っているようにもみえる。この「黙認」にアメリカの影がないだろうか。さらに、韓国の「反日」も、政権への不満をそらすための犠牲のヤギに日本を差し出しているようにも見える。IMFの管理下に入って以来、ほとんどの韓国企業が外国(アメリカ)に乗っ取られてしまった。建国もアメリカの傀儡政権であり、この国はアメリカの、特にグローバル企業の支配下にあるといっても過言ではない。宗教的にもキリスト教徒が多く、韓国なら、アメリカの指示のもと、何でもするに違いない。
そして、「世界が日本の軍国主義を責めている」などと書いても、よく見ると中国と韓国とアメリカだけ、(アメリカはこっそり隠れてみている)で、この間の日韓合意など、何かしようとすると中立をよそおったアメリカがしゃしゃりでてくる。しかし、かげでこそこそ「自虐史観」を吹き込んでいるのはアメリカなのだ。あなたも、面と向かっては友達面をしているくせに、かげであなたの悪口をいいふらしている困った人と知り合いになったことはないだろうか。要するにあれを国家規模でやっているのだ。そして本人(日本)には、「みんなあなたを嫌っているよ」と吹き込んで自分を頼らせようとする。しかし嫌っているのは、その人が悪口を吹き込んでいるからなのだが。だから、「反日」なのは、「特定アジア」と呼ばれるアメリカの子分格の国だけ。その狭い世界をもって「世界」だと思わせようとしている。他の国々の意見を聞いてみるといい。特にアメリカの「犠牲」になっている南アメリカの国々、植民地として犠牲となったフィリピン、苦しい戦いを戦い抜いたヴェトナム、イスラエルと結託してさんざんかき回している中東の国々。何度も軍事介入を受けているソマリアや他のアフリカ諸国。彼らの声を聴けば、真実が見えてくるはずだ。世界は広い。視野を広げて、一定方向だけに見させようとするマスコミの偏向に乗ってはいけない。
と、このように、多くの「反捕鯨団体」や「反日国」をつくり、はやしたてる手法が似ていることがわかるだろう。
どちらもマスコミもグルなこともわかる。第二次大戦当時の写真を切り貼りして「証拠写真」をでっちあげるのと同様、漁協などのインタビューを切り貼りして「問題」に仕立てる。上に述べた本では、結論的に「日本人の自己主張がたりないから」ということだが、あんなゾンビ人形相手にそもそもコミュニケーションなぞとれない。自己主張も無理だ。マスコミに正論をのべたところで歪曲される。太子町の漁師さんたちも、日本の水産庁もできるだけのことはしている。こんな「情報工作」には打つ手がない。
さきのオバリー氏は「フリッパー」とかいうイルカが出てくる映画で、イルカのトレーナーをしていたのだが、ハリウッド映画というのは、プロパガンダ映画という側面があることは否定できないと思う。「ザ・コーヴ」はもちろん、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」もかなり偏っていると思う。この人の映画はドキドキハラハラさせてついつい見てしまう仕掛けは実にうまい。しかし、政治色が濃いものはとたんにつまらなくなると思う。ま、感想だけど。そして、「ザ・コーヴ」もとったアカデミー賞だが、最近の傾向は露骨に「政治的な」ものしか取れていないような気がする。しかも、特定の政治的傾向が強いような気がしてならない。映画産業に巨額の資金を出す(多くはユダヤ系の)グローバル企業が、「政治問題化」させたい「問題」である。捕鯨問題もその中に入る。だから「ザ・コーヴ」はアカデミー賞をとったのだ。「太陽の帝国」もじわっとだが、「戦時日本悪役説」を推進する戦後のプロパガンダ映画だ。また、多くのハリウッド映画で、日本人が悪役をつとめることも増えてきているように思う。ちなみにスピルバーグ監督とハリソン・フォードはユダヤ系である。
なお「シンポジウム」という名のやらせのショーではマスコミもグルだから、すべて台本通りの進行となる。その証拠になぜか入場するマスコミを制限し、不意打ちの質問を回避する。
さて、IWCなど国連関連の団体のことだ。国連:国際連合と日本語に訳されているが、第二次大戦当時の連合国側の国々がそのまま生き残ったもので、日本への公正さなど全くない。IWCも、科学的根拠は全く無視で、日本は捕鯨国だから、そこをうまく使っていじめようという腹だ。
「反捕鯨の主張は最初、『クジラは絶滅にひんしている』という主張だった。それがわれわれの調査によって、そうでもないとわかると、その次に『クジラは頭がいい』といいだした。それも我々が調査して必ずしもそうではないとわかると、その次は、『クジラを殺すのが残酷である』という主張になった。それでわれわれは瞬時に殺すという人道的捕殺方法も開発したわけです。そしたら、その方法も使えなくなった。で、今は『何が何でも殺してはならん』と言っている。それしかいえなくなったんです」
日本鯨類研究所の大隅清治氏はいう。もう、論理的にも破たんしているのが反捕鯨の主張である。
捕鯨問題というと、自分はクジラを食べないから、関係ないと思っている人も多いかもしれない。わたしもそう思った時期があった。
しかし、陸上で、草や木の実を草食動物(馬や鹿など)が食べ、その草食動物をライオンなどの肉食動物が食べるといった生態系があるように、海の中にも生態系がある。藻などを食べる小さな魚をもっと体が大きい魚が食べ、それをさらに大きい魚が食べるといった具合だ。他の魚を食べる種類のクジラはその体の大きさから、いわば地上で百獣の王ライオンが占めるような地位を海の中で占める。そしてクジラの数が増えすぎてしまうと、人間が食べる魚の分が減ってしまう。さんまやいわし、それらを食べるマグロは食べるだろうか?もし食べるなら、クジラを適当に間引いて人間が食べる分を確保する必要があるのだ。例えばサンマだが、ミンククジラが食べるサンマの数は人間よりもはるかに多い(2006年)。海洋を合理的に利用するためにはどうしても、クジラもとる必要がある。特定の種だけ特別扱いをするわけにはいかないのだ。
そして、「捕鯨問題」は日本人への文化の違いを利用したいじめであるということ。これはすべての日本人に知ってほしい。
おもむろに男たちは船から浅瀬へと降りてくる。手には専用の道具がある。クジラの鼻先を固定し、殺す。人間でいうと首があるあたりだろうか、鋭い刃物で延髄を切る。パックリと傷口がひらき、海水はあっという間に血の海だ。
そんな大きな傷口を開いたクジラが、写真一枚に映っているだけで、12,3頭はいるだろうか、海で作業する男たちとは別に、浜辺にはわらわらと人が集まってきている。血で真っ赤に染まる海。クジラたちの声にならない悲鳴を聞くわけではなく、世間話に花をさかせている。クジラたちは今夜のごちそうだ。この人たちは、追い詰める過程を手伝い、その謝礼に切り分けたクジラ肉がもらえるのだ。
ここは日本ではない。
フェロー諸島だ。現在はデンマーク領だが自治権が認められている。
血に染まった地獄のような浜辺と対照的に、世間話に興じる人たち。実にショッキングな風景である。反捕鯨団体の人たちは、なぜ、この風景を「ザ・コーヴ」のような映画に使わないのだろうか。
グリーン・ピースやシーシェパードは、フェロー諸島にも来たそうである。彼らはそれに対して、クジラ資源の保全と利用を目的としたNAMMCOを結成し、アイスランドなどと共同で対抗している。彼らは時々きては、なにかしているらしいが、それほどひんぱんではない(デンマーク外務省ケイト・サンダーソン氏談)
これに対して、和歌山県太地町(たいじちょう)は、あきらかに狙われている。10年以上前から、反捕鯨団体とみられる外国人が、ひんぱんに町を訪れ、うろうろしだすようになった。最初は丁寧に、説明した。しかし、それが文字になったのをみると、切り貼りされて相手の都合のいいようにゆがめられてしまっている。外国のメディアがそうなのは、まあ仕方ないとして、日本のメディアもそうなのだ。
太地町漁業協同組合の杉森宮人参事によると、「いろいろなことに協力してしゃべっても、都合のいいところしかつかわれない。本当のことがぜんぜんつたわらない」という。
太地町の漁師の人たちは、もううんざりしている。なにかしゃべっても、いいように使われて相手を喜ばせるだけなのでクジラをとる漁師たちのグループ「いさな会」ではかん口令がしかれている。漁師たちの一人は言う。「最近は外人見るだけでいややで。」
あげくのはてに、クジラ漁が解禁される9月からこっそりつきまとわれ、漁の風景をこっそり無断で撮影され、殺すシーンを強調されて、「ザ・コーヴ」という映画にされる。漁の邪魔をしたり、捕獲したイルカのいけすの網を切る。この映画は、うまい演出で、残酷な行為をしているかのようだが、実際はただの解体作業。それを別に録音していたイルカの鳴き声をかぶせて、クジラの悲鳴であるかのように見せ、女性の泣き顔をアップにしてだぶらせて涙をさそう・・・。もちろん残酷といえないこともないが、牛も豚もにわとりもそのようにしてわれわれは食べているのだから仕方がない。反捕鯨団体の人たちはなぜか、クジラを人間あつかいするが、クジラやイルカが他の多くの海の生き物と違うのは、ほ乳類だというところだけだ。もちろん知能は人間には劣る(と思う)。鳴いたり、協力して漁をしたりはする。イルカ・ショーで仕込めるのもそんな基本があるからだろう。でも、豚だってけっこう頭がいい。「ベイブ」という映画を見れば、相当芸を仕込むことだってできることがわかる。牛や豚は殺してもよく、クジラやイルカはいけない理由は本当にわからない。同じ哺乳類ではないか。
「ザ・コーヴ」はアカデミー賞を受賞。これにつられたのか、またクジラ漁の季節になると、アメリカなどの多くの観光客が集まった。しばらくして、シーシェパードが現れ、これみよがしに漁の風景を小型のビデオカメラでとっている。
それにしても、なぜ、太地町なのか。他の地域のクジラ漁は、沖合でもりをついて行うことが多く、「絵」がとれないからじゃないだろうかと太地町の人は言う。太地町は追い込み漁を浜でやっているからである。しかしそれをいうなら、フェロー諸島も「絵」のとれる追い込み漁である。
また、太地町は商業捕鯨でクジラ漁を行っているのは一部の漁師さんだけである。これにたいしてフェロー諸島は、冒頭に述べたように、町中総出で行う。参加者は名簿に登録され、誰でも参加できる。参加者はクジラ肉を分け合う決まりで、大漁でさばききれないときは隣町におすそわけしたりする。先生や役所勤め、会社員、主婦、日ごろはどんな仕事をしている人でも、クジラの群れがくると町中に警報が鳴り響き、みんな仕事をおっぽりだしてクジラ漁に参加する。ほとんどが船べりをたたいたりして脅す役だが、最後に殺す人たちはだいたい決まっているという。
もし、反捕鯨団体の人たちがいうようにクジラを殺すことが「罪」ならば、(そうは思わないが)その目的が売ってお金にすることだろうが、食べるためであろうが関係ないだろう。そして、クジラを苦しめず、迅速に処理するには太地町のように職業としている方がいい。慣れも手伝って、より苦しめずにできるからだ。なお、太地町の漁師は、特に技術が優れていて、クジラ漁の天賦の才をもっている方が多く、日本各地に漁の指導に派遣された漁師も多かったという。一般の人たちが、「共謀して」行うフェロー諸島のクジラ漁のほうが「罪」が重いといえるのではないか。
太地町の人たちが狙われるのは、日本人だからだ。この「反捕鯨」運動自体、日本人を陥れるためのアメリカ、CIAの計画のひとつだからだ。捕鯨をする数多くの日本の市町村のなかで(ちなみにクジラ漁は大昔から日本各地で行われていた)浜辺で行う追い込み漁をやっており、「絵」になるからというのは太地町の人の言う通りだろう。
なぜ、日本人なのか。
日本人を「悪役」に仕立てることは、アメリカの、太平洋戦争以来の一貫した作戦である。
第二次大戦中に日本人を悪役にしたてたプロパガンダ映画が数多く作られたのは、まあ戦争していたわけだから仕方がないといえばしかたがない。小さいころにこういった映画をみていたアメリカ人がエッセイのなかで、日本人(=悪役)が出てくる前に「がーーーん」とドラの音がなるので(なぜか中国風・・・ごっちゃにしている)、これを合図に戦えばよく、不意打ちなんかされないと信じていたそうである。(昔はこういう演出多かったですね)
だから戦後はなくなった・・・と思ったら、実はそうでもない。さすがに現在の日本を悪役にするのは同盟国である以上まずいので、「第二次大戦中の日本」は悪かった作戦に変わっていった。いわゆる「自虐史観」である。
第二次大戦時の旧日本軍を悪役にするいわゆる「自虐史観」は「戦後教育」でずっと教えられてきたが、80年代になってなぜか突然「南京大虐殺」「慰安婦問題」が問題になり、80年代以降、「問題」化がはげしい。くしくも太地町に不審な外人がうろつきだしたころと一致する。これは偶然ではないと思う。どっちも日本人を悪役に仕立てて、日本人から自尊心を奪う巧妙な計画の一部なのだ。
そこで、話はわきにそれるが、自虐史観について簡単に触れる。自虐史観の内容で代表的なものを3つあげると、「パターン死の行進」「南京大虐殺」そして「慰安婦問題」だろう。
日本軍兵士がアメリカ人捕虜を虐待・殺し、南京の一般中国人を大量に殺し、そして、朝鮮人慰安婦を性奴隷としてあつかったという話である。実はこれらは「誰が」や「誰を」を適当に変えれば真実である。
「パターン死の行進」では日本兵が馬に乗り刀でアメリカ兵の首をはねたというかなりスプラッターな話があるが、日本軍に追い込まれたアメリカ兵は退却の際、多くのフィリピン人を「同じアジア人で日本人と区別がつかないから」といいはって大量に殺していて、このような殺し方も見られたという。つまり、アメリカ兵がフィリピン人をと読み替えれば正しい。実際アメリカは、米西戦争のあとにはじまったフィリピンとの戦争で、20万人以上のフィリピン人を殺している。兵士以外の一般市民を大量に含む。
いわゆる「南京大虐殺」についていえば、日本軍の南京入城は歓迎されたが、それは、中国軍が(共産党軍も国民党軍も)中国の各都市で大虐殺を行っていたからである。つまり中国人兵士が中国人を多く虐殺していた。この国は王朝が変わるたびに、後宮の女性や子供まで一人残らず虐殺するのが習いであって、近代にはいっても変わってはいない。人口が多いためか人命尊重の気風が薄く、また、王朝交代は異なる民族によって行われるため、生き残ったものの復讐を恐れているのかもしれない。
韓国政府は、朝鮮戦争やヴェトナム戦争の際、若い韓国女性を誘拐して、まさに性奴隷としてあつかったということである。昔から「キーセン」などと呼ばれる売春婦が多く、清朝の属国だったころは、「女」と「宦官」を貢物として献上していた。ヴェトナム戦争の際は、参加した韓国人兵士によるヴェトナム人女性への強姦があいつぎ、置き土産に多くの混血私生児を残していって現在ヴェトナムで社会問題になっている。なお、ヴェトナム戦争の際は若い韓国人女性をドラム缶にいれて運んだということである。
こうしてみると、自分の罪を、反論できない旧日本軍兵士におっかぶせているということがわかる。
それを証拠をでっちあげ(南京大虐殺の数多くの「証拠写真」はすべて合成である)、人を買収して「証人」にしたて(韓国の自称元慰安婦)、日本人に不利な「ストーリー」をつくって広くテレビや新聞、雑誌などのマスコミに宣伝させる。本や写真集を出す。切り貼りして事実を隠蔽するのは漁師たちのインタビューを切り貼りして意図的に編集するのと同様である。
学校では何も知らない子供たちに「自虐史」を教える。もっとも、日本の現代史はほとんどの授業ではそこまで進まずに教えていないが、教科書にはのっている。捕鯨をはじめとした「環境問題」ものっているが、これはすべて誤りである。「地球温暖化問題」のきっかけとなったグラフはねつ造されたものである。地球の地上の平均気温は周期的にあがったりさがったりしていて、今は上がる時期だから、長い目で見ればとくに「問題」は生じない。グラフは前半を水平にして、地球の平均気温が一定であるかのようにみせかけたのが問題なのだ。「人間が地球に悪影響を及ぼしている」と人間の自意識過剰な視点が問題だと思う。人間は地球上の自然のごく一部にすぎない。また、この「環境問題」を旗印に漁師さんたちなどの一般市民を世界各地で業務妨害をしているシー・シェパードやグリーンピースはただのごろつきである。彼らを雇っているのはCIAだ。
太地町での長期にわたるいやがらせを考えてみるといい。メンバーのアメリカから日本への渡航費・日本での滞在費(宿泊費・飲食代・交通費)「ザ・コーヴ」の製作費・宣伝費、「ザ・コーヴ」は大手映画館でも放送された最新のテクノロジーを用いた高画質映画である。はんぱないお金がかかることがわかる。そして、日本たたきをはじめたときから、シー・シェパードに多額の寄付が舞い込んできた。誰から?不明である。「国家安全のため」アメリカの国家予算にも収支報告をする必要のないCIAの巨大なポケットからだろうか。
また、これを書くにあたって「白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由」(吉岡逸夫 著 講談社 + α 新書 )を参考にした。そのなかで、シー・シェパードのメンバー、スコット・ウェスト氏、「ザ・コーヴ」主演のアメリカ人反イルカ漁活動家、リチャード・オバリー氏のインタビューがあった。
ところで、会話というのはキャッチボールだろう。こちらから投げ、その答えを投げ返してくる。これは日本語に限らずどこの国の言語でもそうだろう。海外の翻訳ものをよく読むが、そうでない会話というのはない。人間のコミュニケーションシステムというのはそういうふうになっているのだ。
ところが、この二つのインタビューの文章化を読んでも、彼らが聞いたことに答えず、なんかしあさっての方向からボールがいきなり飛んでくる様子がよくわかる。
この二人はスパイだと思うが、スパイという言葉はちょっと良すぎるかもしれない。ダブルオーセブンのようなかっこいいイメージがあるからだ。もともとスパイというと情報をこっそり入手して、自国に渡す情報工作員というイメージがある。この二人の場合は正確に言えば、プロパガンダを目的とする情報工作員で、情報を集めるのではなく、情報を押し付ける工作である。彼らはどこかできっちりいうべき情報や想定問答集などを徹底的に頭に叩き込まれている。しかしインタビューや会話は本来その場で自然と発生するもので、想定通りのわけがない。だから、想定の単語などに反応し、「答え」ているような返事が返ってくる。しかしその単語も文脈が異なり、とんちんかんな答えになってしまうのだ。そして、「いいまかす」のだが、別に論理的ないいまかしではなく、ただ屁理屈をこねているだけにしか見えない(彼らの背後にはユダヤ人がいると思うが、屁理屈を愛するユダヤ人の影響かもしれない)。だから、彼らの「主張」も本当に信じているわけではない。ただの俳優というか人間の形をした九官鳥みたいなものだ。
この二人は知らないが、こういう連中はよく知っている。要はセリフを(自分の意見であるかのように)言わされているだけ。相手にしてもしょうがない。もうちょっと例を挙げると、オウム事件の上祐、社民党の福島瑞穂など。この本には書いていないが、よくよく観察すると、目つきがなんか座っているような、みすえた感じがあるように思う。おそらくセリフを思い出しているのだろう。そして、普通より目の輝きがなく、なんかビー玉のような眼をしているように思う。あやつられたゾンビのような感じがしてこういう連中と話すとわずかに寒気を感じる。ゾンビが迫ってくるゲームが流行ったが、何者かが日本にいやがらせのためのゾンビ人形のような人間を大量に送ってきて、日本人の心の中まで「操ろう」としているのが現実なのだ。おそらく、アメリカ、CIAが。個人的に頭にくるのは言えば信じると思われている点だ。まったくひとをバカにするにもほどがある。
こういったシー・シェパードもグリーンピースも主張も行動も顔つきもなんとなく似ており、なんかもとは同じような感じがする。この本の著者もそう思って聞いてみると、そこはきっぱりと不愉快そうに否定する。「ウチはあそことは違う」と。日本人には、多くの人たちが「偶然」同様の主張をし、まるで、囲まれているように感じてほしいのだ。だから、同じアメリカだとなんだから、オランダかなんかで場所を借り、「環境運動団体・反捕鯨団体」を雨後の筍のようにつくる。そしてみんな声高に主張する。しかし、竹林と一緒で、根っこは一つなのだ。なんせ、もとになるお金の出どころは一緒なのだから。
自虐史もそうだ。売国的な大手の新聞なんかを読んでいると日本の周りには、中国・韓国・アメリカとヨーロッパしか存在しないような書きっぷりで、それで平気で「世界では」なんて書いている。しかし、80年代以降、アメリカは中国と仲がいい。もともとはソ連牽制のためと言っているがそれだけではない。アメリカのグローバル企業のほとんどは中国に工場を移しているし、アメリカの国債を最も買っているのは中国である。そして、80年代以降、「南京大虐殺」が突然浮上した。共産主義政権への不満表明の暴動はなぜか「反日」なら認められているので、それにかこつけて人民のガス抜きを図っているようにもみえる。この「黙認」にアメリカの影がないだろうか。さらに、韓国の「反日」も、政権への不満をそらすための犠牲のヤギに日本を差し出しているようにも見える。IMFの管理下に入って以来、ほとんどの韓国企業が外国(アメリカ)に乗っ取られてしまった。建国もアメリカの傀儡政権であり、この国はアメリカの、特にグローバル企業の支配下にあるといっても過言ではない。宗教的にもキリスト教徒が多く、韓国なら、アメリカの指示のもと、何でもするに違いない。
そして、「世界が日本の軍国主義を責めている」などと書いても、よく見ると中国と韓国とアメリカだけ、(アメリカはこっそり隠れてみている)で、この間の日韓合意など、何かしようとすると中立をよそおったアメリカがしゃしゃりでてくる。しかし、かげでこそこそ「自虐史観」を吹き込んでいるのはアメリカなのだ。あなたも、面と向かっては友達面をしているくせに、かげであなたの悪口をいいふらしている困った人と知り合いになったことはないだろうか。要するにあれを国家規模でやっているのだ。そして本人(日本)には、「みんなあなたを嫌っているよ」と吹き込んで自分を頼らせようとする。しかし嫌っているのは、その人が悪口を吹き込んでいるからなのだが。だから、「反日」なのは、「特定アジア」と呼ばれるアメリカの子分格の国だけ。その狭い世界をもって「世界」だと思わせようとしている。他の国々の意見を聞いてみるといい。特にアメリカの「犠牲」になっている南アメリカの国々、植民地として犠牲となったフィリピン、苦しい戦いを戦い抜いたヴェトナム、イスラエルと結託してさんざんかき回している中東の国々。何度も軍事介入を受けているソマリアや他のアフリカ諸国。彼らの声を聴けば、真実が見えてくるはずだ。世界は広い。視野を広げて、一定方向だけに見させようとするマスコミの偏向に乗ってはいけない。
と、このように、多くの「反捕鯨団体」や「反日国」をつくり、はやしたてる手法が似ていることがわかるだろう。
どちらもマスコミもグルなこともわかる。第二次大戦当時の写真を切り貼りして「証拠写真」をでっちあげるのと同様、漁協などのインタビューを切り貼りして「問題」に仕立てる。上に述べた本では、結論的に「日本人の自己主張がたりないから」ということだが、あんなゾンビ人形相手にそもそもコミュニケーションなぞとれない。自己主張も無理だ。マスコミに正論をのべたところで歪曲される。太子町の漁師さんたちも、日本の水産庁もできるだけのことはしている。こんな「情報工作」には打つ手がない。
さきのオバリー氏は「フリッパー」とかいうイルカが出てくる映画で、イルカのトレーナーをしていたのだが、ハリウッド映画というのは、プロパガンダ映画という側面があることは否定できないと思う。「ザ・コーヴ」はもちろん、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」もかなり偏っていると思う。この人の映画はドキドキハラハラさせてついつい見てしまう仕掛けは実にうまい。しかし、政治色が濃いものはとたんにつまらなくなると思う。ま、感想だけど。そして、「ザ・コーヴ」もとったアカデミー賞だが、最近の傾向は露骨に「政治的な」ものしか取れていないような気がする。しかも、特定の政治的傾向が強いような気がしてならない。映画産業に巨額の資金を出す(多くはユダヤ系の)グローバル企業が、「政治問題化」させたい「問題」である。捕鯨問題もその中に入る。だから「ザ・コーヴ」はアカデミー賞をとったのだ。「太陽の帝国」もじわっとだが、「戦時日本悪役説」を推進する戦後のプロパガンダ映画だ。また、多くのハリウッド映画で、日本人が悪役をつとめることも増えてきているように思う。ちなみにスピルバーグ監督とハリソン・フォードはユダヤ系である。
なお「シンポジウム」という名のやらせのショーではマスコミもグルだから、すべて台本通りの進行となる。その証拠になぜか入場するマスコミを制限し、不意打ちの質問を回避する。
さて、IWCなど国連関連の団体のことだ。国連:国際連合と日本語に訳されているが、第二次大戦当時の連合国側の国々がそのまま生き残ったもので、日本への公正さなど全くない。IWCも、科学的根拠は全く無視で、日本は捕鯨国だから、そこをうまく使っていじめようという腹だ。
「反捕鯨の主張は最初、『クジラは絶滅にひんしている』という主張だった。それがわれわれの調査によって、そうでもないとわかると、その次に『クジラは頭がいい』といいだした。それも我々が調査して必ずしもそうではないとわかると、その次は、『クジラを殺すのが残酷である』という主張になった。それでわれわれは瞬時に殺すという人道的捕殺方法も開発したわけです。そしたら、その方法も使えなくなった。で、今は『何が何でも殺してはならん』と言っている。それしかいえなくなったんです」
日本鯨類研究所の大隅清治氏はいう。もう、論理的にも破たんしているのが反捕鯨の主張である。
捕鯨問題というと、自分はクジラを食べないから、関係ないと思っている人も多いかもしれない。わたしもそう思った時期があった。
しかし、陸上で、草や木の実を草食動物(馬や鹿など)が食べ、その草食動物をライオンなどの肉食動物が食べるといった生態系があるように、海の中にも生態系がある。藻などを食べる小さな魚をもっと体が大きい魚が食べ、それをさらに大きい魚が食べるといった具合だ。他の魚を食べる種類のクジラはその体の大きさから、いわば地上で百獣の王ライオンが占めるような地位を海の中で占める。そしてクジラの数が増えすぎてしまうと、人間が食べる魚の分が減ってしまう。さんまやいわし、それらを食べるマグロは食べるだろうか?もし食べるなら、クジラを適当に間引いて人間が食べる分を確保する必要があるのだ。例えばサンマだが、ミンククジラが食べるサンマの数は人間よりもはるかに多い(2006年)。海洋を合理的に利用するためにはどうしても、クジラもとる必要がある。特定の種だけ特別扱いをするわけにはいかないのだ。
そして、「捕鯨問題」は日本人への文化の違いを利用したいじめであるということ。これはすべての日本人に知ってほしい。